ヴェーゼル演習作戦単語


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ヴェーゼル演習作戦とは、第二次世界大戦中の1940年4月2日に実施されたドイツ軍によるノルウェー及びデンマーク攻略作戦である。ヴェーザー演習作戦とも。

概要

ドイツ軍によって行われたノルウェー及びデンマークへの侵攻作戦『ヴェーゼル演習作戦』は、最初に生起したドイツ軍vs連合軍の本格的かつ大規模戦闘であった。この戦闘ドイツ軍は大戦力を投入、特に海軍に至ってはほぼ全力であった。対するノルウェー軍は連合軍の支援を受けながら抵抗したが、精強なドイツ軍を前に首都オスロを始め要所を次々に奪取される。さらに欧州ドイツ軍フランス本土への電撃的侵攻を開始した事から連合軍が手を引き始め、ノルウェー軍の敗北が決定的になった。

戦闘ドイツ軍戦略勝利に終わり、ノルウェーデンマーク終戦までドイツの占領下に置かれた。

作戦の背景

戦前よりドイツ中立スウェーデンと貿易し、鉱石輸入していた。の間はバルトを通って安全に運ばれていたが、になると凍結して通行できなくなる。そこで同じく中立ノルウェー北部にあるナルヴィク港へ運び、ドイツの輸送に積載して本に持ち帰る手段が取られた。

第二次世界大戦が勃発すると、敵国イギリスは強大な海軍力を以って上封鎖を開始。ドイツにとって鉱石の途絶は戦争遂行上、大きな痛手となるからだ。ただノルウェー中立なので、領を通っている間はイギリス海軍手出しが出来なかった。イギリス海軍に睨まれながらも、かろうじて鉱石輸入が続けられた。開戦直後の1939年10月海軍レーダー提督ノルウェーの占領をヒトラー総統に進言。もしノルウェーを占領できれば陸路での輸入が可となり、イギリス海軍跋扈に恐れる必要がくなる利点があった。11月10日に二度の進言を行ったが、聞き入れられなかった。12月12日ノルウェーの元陸軍大臣で国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)が戦前に擁立したノルウェー支部の部長クヴィスリングベルリンに来訪し、レーダー提督と会談。続いてヒトラー総統と謁見して「ノルウェー政府民がイギリスの進駐を熱心に支持している」と訴えてドイツ軍によるノルウェーへの進駐をめた。

そんな中、事件が起きる。1940年2月16日兵の捕虜を乗せたドイツアルトマルク号がノルウェー内で駆逐艦コサックから襲撃を受ける。乗り移った全武装の兵によって7人のドイツ人乗組員を殺され、兵戦の末に内を制圧してしまった(アルトマルク号事件)。囚われの捕虜を解放し、イギリスでは英雄談のように語られたが、中立法を踏みにじる行為に他ならなかった。ノルウェー政府はこの行為に憤慨し抗議したが、何より怒ったのはヒトラー総統であった。イギリス中立の権利を守る気など更々いと思い知ったヒトラーは、ノルウェーを保護下に置く事を決意。最高官に西部戦線のニコラウス・フォン・ファルケンホルスト将軍名すると、わずか5時作戦を練るよう命ファルケンホルスト将軍は大慌てで資料を集め、販の旅行案内書まで買ったという。5時間後、ヒトラーに会った彼は「5個師団の戦力と海軍支援があれば、ノルウェー要港5つを占領できる」と言った。

一方で、ドイツ海軍レーダー提督ノルウェー戦略的価値を理解しており、前々から支配下に置きたいと考えていた。そこでノルウェーナチスビドクン・クウィスリング陸軍少佐を抱き込み、陸軍内にナチスの思想を吹き込ませた。

ドイツデンマークノルウェーに対し、「連合軍を未然に防ぐため平和的進駐を行う」「抵抗してはならない」と発表した。ドイツと陸続きであるデンマーク大人しく従ったが、ノルウェーは反発した。

作戦の経過

1940年4月2日、ヴェーゼル演習作戦発動。ヴィルヘルムスハーフェンやキールから、ドイツ海軍の艦隊が出撃した。イギリス海軍の妨が確実に予想される事から、虎の子の巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウを囮に配置。攻略作戦には重巡リュッツォウ、アドミラル・ヒッパーブリュッヒャー、軽巡洋艦4隻、駆逐艦14隻を投入。ドイツ海軍のほぼ全力であった。空軍戦闘機100機、爆撃機330機、輸送機500機を投入、ファルケンホルスト大将率いる陸軍第21軍団が輸送駆逐艦で要地に向かった。攻略標は首都オスロと要港トロンヘイム、スタヴァンゲル、ナルヴィク、ベルゲンであった。4月4日にはデンマークとの境線ドイツ陸軍が集結した。

対するイギリス軍もノルウェーの進駐を考えており、大戦力をノルウェー派遣していた。もしドイツ軍が動かなければイギリス軍がノルウェーを支配し、鉱石輸入路を絶つはずだった。だがこれが裏に出た。ドイツ軍の方が先に動いた上、ノルウェーに艦隊を集結させた弊バルトスカスカになり、ドイツ艦隊の大規模行動阻止できなかったのだ。チャーチル海軍相(当時)は「しまった!」とを上げたが、すぐに反撃を命じて遅れを取り戻そうとした。

デンマークの降伏

4月9日午前4時15分、ドイツ軍境線を越えてデンマーク内に踏み込んだ。抵抗に消極的だったデンマーク軍だったが、首都コペンハーゲンやサウスジュットランド、ジーランド等で抗った。

挺降下した猟兵がく間に要所を占領し、首都コペンハーゲンには機雷敷設に便乗した1000名の兵士が上陸。ろくな軍備を持っていなかったデンマーク軍は、作戦開始から僅か6時間で降ドイツ軍は兵20名が死亡し、デンマーク軍は兵17名が死亡した。内の鉄道や飛行場は、ノルウェー攻略を行うドイツ軍の補給拠点変わりし、作戦の助けとなった。

大した抵抗をせずに降したので、ドイツの占領政策は較的穏やかだった。々に降したデンマークイギリスは非難し、「ヒトラーカナリヤ」と呼んで馬鹿にした。

イギリス軍との遭遇

ドイツ軍の大規模な動きを察知したイギリス海軍は、ウィルフレッド計画を始動。スカパ・フローの本艦隊から戦艦ウォアスパイト、巡洋戦艦リナウン、空母フューリアスを含む戦力を派遣。両軍の大戦力がノルウェー舞台突する。

4月8日ノルウェーを単独航行する艦があった。落した乗組員を探す駆逐艦グローワームであった。リナウン率いる力部隊から離れて活動していたグローワームは、ナルヴィクに向けて進撃中の独駆逐艦に発見され、撃戦となる。独駆逐艦は救援を要請し、重巡アドミラル・ヒッパーが到着。グローワームは逃げようとしたが、ヒッパーから直撃弾を受けて大ダメージを受ける。勝ちいと見たグローワームはヒッパーに破れかぶれの体当たりを行い、爆沈した。体当たりされたもののヒッパー戦闘力に支障はく、トロンヘイム攻略へと向かっていった。最初の遭遇戦はドイツ海軍が制した。

首都オスロへの道

4月9日午前0時25分、首都オスロに通じるドレーバクに侵入する艦があった。旗艦ブリュッヒャー率いるドイツ第5戦闘グループであった。このには要塞が多数配置されており、ノルウェー軍の警備は厳重だった。午前5時20分、オスカシボルグ要塞とカホルム要塞から撃を受け、両からしく攻撃される。そんな中、旗艦ブリュッヒャーが要塞からの雷撃を受けて撃沈。リュッツォウも命中弾を受ける。

臨時旗艦となったリュッツォウは残存艦艇を率いて台の射程圏外に一時離脱。哨戒艇歩兵を乗せて要塞の制圧に向かわせた。歩兵はドレーバクのを占領し、カホルム要塞を降させた。だが、まだオスカシボルグ要塞が残っている。リュッツォウ艦長ティー大佐ノルウェー軍の士気が下がっている事を見抜き、シュヌールバイ大尉を軍使として派遣。オスカシボルグ要塞も降させ、ついにオスロへのを切り開いた。この時、ティー大佐ノルウェー軍の健闘を称え、要塞にはノルウェー国旗ドイツ国旗が一緒に掲げられた。オスロに辿り着くと、そこは既に陸軍によって占領されていた。手柄を取られた訳である。その後、リュッツォウは単独でドイツへの帰路についたが、帰り道潜水艦スピアフィッシュの雷撃を喰らって大破させられている。

ノルウェー軍の猛攻

同じく4月9日ケーニヒスベルク軽巡洋艦2隻や砲術練習艦ブレムゼなどがベルゲン攻略を開始。しかし現地のノルウェー軍はしく抵抗し、沿台の撃によりブレムゼと軽巡洋艦ケーニヒスベルクが被弾。航行不能に陥ったケーニヒスベルクに横付けしたが、そこへイギリス軍機の襲を受けて撃沈された。

クリスチャンサンでは同じくケーニヒスベルク級のカールスルーエ潜水艦ルーアントの雷撃で撃沈されており、重な艦艇を喪失している。

ナルヴィク沖海戦

4月10日、ナルヴィク港内に駆逐隊が侵入し、停泊中の独駆逐隊と交戦(第一次ナルヴィク戦)。互いに旗艦が撃沈する痛み分けに終わった。しかし4月13日、潤沢な戦力を持つイギリス海軍数の暴力で独駆逐隊に襲い掛かり、これを殲滅(第二次ナルヴィク戦)。ナルヴィクに上陸した山岳猟兵が一時孤立させられてしまった。

4月14日連合軍はトロンヘイムへの上陸を試みた。ナムソ基地の制圧には成功したが、ドイツ軍の勢いはすさまじく、連合軍は5月1日までに撤退した。ナルヴィク方面でも連合軍とドイツ軍戦闘が生起したが、ドイツ空軍の猛攻により攻勢が頓挫。さらに5月10日、本ドイツ軍フランスに侵攻を開始したため、連合軍はノルウェー救援どころではなくなってしまった。5月28日連合軍はナルヴィクを明け渡した。

アルファベット作戦

もはや連合軍とノルウェー軍の敗勢は明らかだった。6月上旬、連合軍はアルファベット作戦を発動。ノルウェーに残留する部隊を撤退させる事にした。その作戦中、巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウ空母グロリアス駆逐艦アカスタ、アーデントを発見。撃戦の末に全艦撃沈した。撤退は6月8日了。こうしてノルウェー政府は降し、ドイツ軍の支配下に収まった。

結果

ドイツ軍ノルウェー全土を手に入れた事により、要港全てを自由に使えるようになった。鉱石輸入障害くなったのは論の事、北極への足がかりを獲得して援ソ団の攻撃が可になった。ヒトラー総統は「イギリス軍が来襲するとすれば、まずノルウェーに来る」と判断。リュッツォウ、アドミラル・シェーア戦艦ティルピッツを常駐させてイギリス海軍を威嚇した。

しかし結局最後までイギリス軍が上陸する事はく、終戦までドイツ軍が占領していた。

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ヴェーゼル演習作戦

1 ななしのよっしん
2020/06/04(木) 09:26:57 ID: N6y7wgM1qB
この作戦ドイツ海軍がかなりの打撃をこうむったんだっけ?
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2 ななしのよっしん
2021/01/25(月) 00:28:43 ID: /IKhGJQPKh
あのノイバウファールツォイクが実戦投入された作戦でAD大戦略では全然終わらないステージでしたね…
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3 ユークの豚野郎
2021/11/03(水) 22:09:18 ID: Izil3GwgGa
空母戦艦に負けた重な事例。運が良かったとも言えるし、空母先手をとれる保障はないという危惧が現実になったとも言える。
米海軍が強力な空母機動部隊戦艦を随伴させ続けた理由になっていたりしないかな?
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4 ななしのよっしん
2022/02/12(土) 15:39:53 ID: jA6689poOz
空母、いや艦種としては空母で間違いないんですが、この時のグローリアス空軍機輸送の任に就いていて、哨戒機すら飛ばしておらず、単なる輸送でしかないんですよね
戦艦空母を沈めた例である」と言われりゃ、まあその通りなんですけど…
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