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マリアノ・リベラ(Mariano Rivera、1969年11月29日-)とは、パナマ出身の元メジャーリーガー(投手)である。現役時代はニューヨーク・ヤンキースに所属。
メジャーを代表するクローザーの一人。敬虔なキリスト教徒として知られる。背番号42はジャッキー・ロビンソンの栄誉を称えメジャーリーグ全球団共通の永久欠番となっているが、この規則が制定された1997年以前から42番をつけている選手に関しては例外としてつけ続けることが認められている。リベラはメジャーリーグ全球団で最後の背番号42だった。
2019年、MLB史上初となる得票率100%でのアメリカ野球殿堂入りを果たした。
概要
OB | |
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マリアノ・リベラ Mariano Rivera |
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基本情報 | |
国籍 | パナマ |
出身地 | パナマシティ |
生年月日 | 1969年11月29日 |
身長 体重 |
188cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1990年 |
引退 | 2013年 |
殿堂入り | 2019年 |
経歴 | |
選手歴 | |
メジャーリーガーテンプレート |
パナマ・パナマシティ生まれ。父親は漁船の船長で暮らしは決して裕福ではなかった。高校卒業後は父の船で漁を手伝いながらアマチュアでプレーしていた。
1988年、当時リベラの守備位置は遊撃手だったが、チームの投手があまりに不調だったため、自ら代役としてマウンドに立った。このことがきっかけで投手に転向することになった。
投手として本格的な指導を受けたことのないにも関わらず、140km/hの球を投げる彼を見たヤンキースのスカウトは、将来性を期待して彼をトライアウトに招待することに決めた。偶然にもその一年前、ヤンキースの別のスカウトがショートとしてのリベラの獲得を見送っていたため、投手としての彼をスカウトすることになったという事実はヤンキースの編成部内に驚きをもたらした。
父の後押しを受けて1990年2月17日にドラフト外でヤンキースに入団。
ヤンキース時代
1995年5月23日のエンゼルス戦でメジャー初登板初先発するが3回を投げて5失点。試合後にマイナーに降格した。その後、球速が90mph(145km/h)から95mph(152km/h)にまで上がり、9月にはリリーフへ転向。19試合のうち10試合に先発登板し、5勝3敗でメジャー1年目を終えた。
1996年にはセットアップとして61試合に登板して107回2/3を投げ、奪三振は130、防御率2.09を記録。チームは15年ぶりのポストシーズンへ出場。リベラは8試合に登板して自責点は1。18年ぶりのワールドチャンピオンに貢献、リベラはリリーフながらサイ・ヤング賞候補に挙がったほどだった(投票結果はパット・ヘントゲン、アンディ・ペティットに次ぐ3位)。
1997年にはチームのクローザーであった、ジョン・ウェッテランドがテキサス・レンジャースに移籍、リベラはクローザーに配置転換される。しかし、開幕後6回セーブのセーブ機会中4回を失敗。ジョー・トーリ監督とメル・ストットルマイヤー投手コーチから「ここにいる限りはクローザーはお前だよ(As long as you are here, you'll be the closer.)」と励まされて立ち直った。
抑えとしての初年度は最終的にリーグ2位の43セーブを記録した。しかしポストシーズンの地区リーグ(インディアンズ戦)第4戦では、サンディー・アロマ・ジュニアに同点となる本塁打を打たれ敗戦投手となり、結局チームはこのシリーズで敗退した。
1998年4月5日に右脚付け根を痛めて15日間故障者リスト入りするも、35セーブ、防御率1.91を記録した。ポストシーズンは10試合に登板し無失点の活躍。チームは2年ぶりのワールドチャンピオンとなった。
1999年には45セーブでセーブ王。ポストシーズンでは8試合に登板し無失点。
2000年にはリーグ4位の36セーブ。2001年には4年総額3999万ドルで契約延長。1986年のデーブ・リゲッティの球団シーズン記録の46セーブを塗り替えて50セーブとする。
2002年は右肩の故障で3度目の故障者リスト入り。46試合の登板で28セーブとクローザー定着後最低の成績に終わったが、5月9日に通算225セーブ目を挙げ、デーブ・リゲッティの持つ球団通算セーブ記録を更新した。
2003年は股関節の故障で開幕を故障者リスト入りで迎え、シーズン初登板は4月30日と出遅れたが、その後は故障者リスト入りすることもなく64試合に登板し、防御率1.66で40セーブを記録。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップではMVPに選出される。この年のポストシーズンでリベラは16イニングを1失点(1自責点)だった。
2004年開幕前の3月23日に2年契約、3年目はオプションの契約を結んだ。53セーブで最多セーブのタイトルを獲得。ディビジョンシリーズでヤンキースがツインズを破った直後、リベラの義弟であるビクター・ダリオ・アビラとその息子がプールに落ちてきた送電線による感電事故で亡くなったという訃報が届いた。リベラはすぐさま母国パナマへ帰国し、葬儀に参加。自家用飛行機で引き返し、ニュージャージー州の空港へ降り立ち、ニューヨーク市警察のパトカーの先導でヤンキー・スタジアムについた。レッドソックスとのアメリカンリーグ・チャンピオンシップ第1戦に登板。セーブを挙げている。
2005年は43セーブと前年より10セーブ減少したが、自己最高の防御率1.38を記録するなど投球内容が良かったため、サイ・ヤング賞の最有力候補と目された。しかし、投票数でバートロ・コローンに次ぐ2位に終わった。
2006年7月16日のホワイトソックス戦で史上4人目の400セーブを達成。
2007年はかつてない不調に見舞われ、クローザーになって初めて防御率が3点台を記録。シーズン終盤は徐々に復調し、シーズン奪三率は4年ぶりに9を上回った。シーズン終了後の11月には2008年から3年4,500万ドルで契約延長した。リリーフ投手として契約総額はB.J.ライアンの5年4,700万ドルを下回ったものの、年平均1,500万ドルはビリー・ワグナー の1,075万ドルを上回る史上最高額となった。
2008年、肩の痛みを抱えながら投げ続け、WHIP、被OPSで自己ベストを記録した。4月27日のインディアンス戦で史上3人目の通算450セーブを達成。9月15日のホワイトソックス戦で通算479セーブを記録し、リー・スミスを抜いて歴代2位のセーブを記録。シーズン終了後の10月7日に肩の手術を受けた。
2009年6月29日のニューヨーク・メッツ戦で、トレバー・ホフマンに次いでメジャー史上2人目の通算500セーブを達成した。またこの試合では9回表にフランシスコ・ロドリゲスから押し出し四球を選び、キャリア初の打点も記録した。46度のセーブが記録される機会で失敗は二回のみのリーグ最高のセーブ成功率で、44セーブを記録し、地区優勝・世界一に貢献した。2009年シーズン終了時のリベラの持つポストシーズン通算39セーブは、従来の記録を大幅に塗り替える大リーグ新記録となっている。さらにポストシーズン通算の防御率は1点台を下回っている。
2011年5月25日のトロント・ブルージェイズ戦で、同一球団での1000試合登板を達成。9月19日のミネソタ・ツインズ戦で、通算602セーブを挙げ、メジャー最多記録を塗り替えた。
2012年5月3日、カンザスシティ・ロイヤルズとの試合前の練習中に右膝を負傷、精密検査の結果「右膝前十字靭帯断裂」と診断された。本人がキャンプで今期限りでの引退も示唆していた為、復帰を絶望視されていたが、会見で"I'm not going down like this.God willing and given the strength,I'm coming back."と現役続行を表明。9月の復帰を目標にリハビリを続けた。
2013年、シーズン開幕前に今季限りでの引退を表明し、4月4日のボストン・レッドソックス戦で復帰を果たす。7月18日のオールスターゲームでは8回を3者凡退に抑え、見事MVPを獲得した。64試合の登板で44セーブを挙げ、ユニフォームを脱いだ。背番号42はヤンキースの永久欠番となった。
引退後
2019年、MLB史上初となる得票率100%でのアメリカ野球殿堂入りを果たした。それまでの最高得票率はケン・グリフィー・ジュニアの99.3%。また9月にはドナルド・トランプ大統領より大統領自由勲章を授与した。
プレースタイル
- 「95mph(約152.9km/h)で8インチ(約20.3cm)落ちる」「バットをへし折る電動ノコギリ」ともいわれるカットボールを武器にする。投球する際にはカットボールしか投げないという、MLB史上を見てもきわめて稀な「1球種で成功したピッチャー」である。
- 本来、カットボールは打者から逃げていくか詰まらせるかを目的とした球種で、打者の手元で水平に変化する球である。しかし、リベラのカットボールはより縦の変化がつき、必ずしも水平には変化しない。
- 手元で鋭く変化するので、打者としては非常に打ちにくい。
- 4つのコーナーすべてに投げ分けるコントロールも持ち、真ん中に投げることはほとんどない。
- 力みのないモーションで投げるため、腕の故障などとは無縁である。1種類の球種しか投げないので、腕に負担もかかっていない。
- 足さばきがうまく、守備力も優れている。
- ポストシーズンに非常に強く、通算最多セーブ数と通算最優秀防御率の記録を保持している。
成績
- ※■はMLB歴代最高。
通算投手成績
通算:19年 Year |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB | 1115 | 10 | 0 | 0 | 82 | 60 | 652 | 2 | .577 | 1283.2 | 286 | 1173 | 340 | 315 | 2.21 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最多セーブ投手 | 1回 | 1999年、2001年、2004年 |
表彰 | ||
ピッチャー・オブ・ザ・マンス | 1回 | 1999年8月 |
ワールドシリーズMVP | 1回 | 1999年 |
リーグチャンピオンシップシリーズMVP | 1回 | 2003年 |
オールスターゲームMVP | 1回 | 2013年 |
カムバック賞 | 1回 | 2013年 |
大統領自由勲章 | - | 2019年 |
その他 | ||
MLBオールスターゲーム出場 | 13回 | 1997年、1999年-2002年、2004年-2006年、 2008年-2011年、2013年 |
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関連項目
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