笑い・冒険・思想の三重奏
小説の面白さが横溢した
哀しくて楽しい恐怖小説
––––新潮社単行本版の帯より
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドとは、村上春樹による第四の長編小説である。
1 ハードボイルド・ワンダーランド(概要、無音、肥満)
「でも本当のことを言うと、私には心がどういうものなのかがよくわからないの。それが正確に何を意味し、どんな風に使えばいいかということがね。ただことばとして覚えているだけよ」
「心は使うものじゃないよ」と僕は言った。「心というものはただそこにあるものなんだ。風と同じさ。君はその動きを感じるだけでいいんだよ」
80年代の村上文学を代表する長編の一つ。村上文学の中でも特に日本の読者からの人気が高い。
村上春樹の長編小説でも幻想的、空想的な要素が特に大きいのが本作であろう。凡百の書き手が書いてしまえば陳腐なものになりそうな剣と魔法の?ファンタジー世界や荒唐無稽なSFが春樹流に料理されており独特な味わいが漂っている。いわゆる伝統的な文学・文芸の枠組みを超えてサブカルチャーの世界に与えた影響もうかがうことができる。特に新海誠、麻枝准あたりはその典型で、彼らが中心となってかつて隆盛を迎えた「セカイ系」の元ネタ的な要素も本作に見受けれる。
2 世界の終り(金色のあらすじ)
高い壁に囲まれた時間の流れが死んだような世界(世界の終り)で暮らす「僕」。老博士の開発をめぐって世界の秩序を取り戻すために性と暴力に溢れた世界(ハードボイルド・ワンダーランド)に冒険に出かける「私」。この交わりそうにない二つの世界にはとある共通点があるのだが––––
3 ハードボイルド・ワンダーランド(作品にまつわるエピソード、やみくろ、洗い出し)
- 数十年の時を経て、令和になり本作の精神的続編とも言える『街とその不確かな壁』が発表される。こちらでは「世界の終り」サイドの世界のその後?的な物語を確認できる。
- 「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」は暗号を取り扱う「計算士」という職業についている。「私」はその計算士が行う技でも特に高度な技「シャフリング」(人間の潜在意識を利用して数値を変換する)を使える。おそらくこれらのモチーフは80年代には徐々に隆盛を迎えつつあったコンピューターやプログラミングの世界を春樹なりに解釈してできたものだと思われる。
- 社会学者大澤真幸は『資本主義のパラドックス』においてディズニーランド/消費社会分析の文脈で本作を引用した。大澤はここで東京ディズニーランドという空間が持つ閉鎖性・娯楽性・人工性が「近代」という時代が行く果て––––自然に対する人工物による支配、歴史の進歩の極限にあるものとしてふさわしい異様な構造を持っている、という仮説が展開している。
東京ディズニーランド開園から2年後に村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を記したが、言われてみると「世界の終り」および本作に掲載されている「世界の終り」の地図の構図はディズニーランドの地図のそれと類似性があるし、中にいるものを外部に出そうとしない閉鎖的な設定も共通している。
4 世界の終り(関連項目)
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- アフターダーク(小説)
- 1Q84
- 海辺のカフカ
- 風の歌を聴け
- 騎士団長殺し
- 国境の南、太陽の西
- 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
- スプートニクの恋人
- 1973年のピンボール
- ダンス・ダンス・ダンス(小説)
- ねじまき鳥クロニクル
- ノルウェイの森
- 羊をめぐる冒険
- 街とその不確かな壁
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