- プロ野球選手一覧 > 内竜也
内竜也(うち たつや、1985年7月13日-)とは、神奈川県川崎市出身のスペランカー元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
内竜也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
生年月日 | 1985年7月13日 |
身長 体重 |
182cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2003年ドラフト1巡目 |
引退 | 2020年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
川崎工業高校で、最速145km/hの速球と切れ味鋭いスライダーを武器に3年夏の神奈川県大会ベスト8。公立校に突如現れた超高校級エースとして注目を集め、2003年のドラフト1巡目で千葉ロッテマリーンズに指名され入団した。
ロッテ時代
2004年(1年目)から一軍で先発として起用され、二軍ではクローザーも任されるなど非常に高い期待を背負っていたが、故障がちでなかなか芽が出ず、二軍暮らしが長く続いた。
2009年(6年目)、中継ぎとして7月にプロ初セーブ、8月にプロ初勝利を挙げるなど自己最多の31試合に登板。防御率は6点台と振るわなかったが、6ホールドを挙げた。
2010年はセットアッパー候補として期待されたが、開幕一軍は逃し、6月に一軍初昇格するも一ヶ月で二軍落ち。そのままシーズン終盤まで二軍暮らしが続いた。だが、9月に一軍復帰すると、クライマックスシリーズ進出へ1つも負けられない最後の3試合全てに登板して2勝1ホールド、一躍CS進出に貢献した。クライマックスシリーズでも1勝を挙げ、中日ドラゴンズとの日本シリーズでは4試合に登板して8イニング無失点、13奪三振という好投を見せ、日本一に大きく貢献。優秀選手賞を受賞し、大きく脚光を浴びることになった。
2011年は前年の活躍から小林宏之の抜けたリリーフ陣の中心となることが期待されたが、開幕前の故障で出遅れる。復帰後は薮田安彦へ繋ぐセットアッパーとして活躍していたが、7月に右肘痛を発症して戦線離脱、そのままシーズンを終えた。21試合で1勝1敗10ホールド、防御率2.19。
2012年も例年通り故障で出遅れ、5月に復帰すると一時は薮田の不調でクローザーを任されたが、7月末に戦線離脱。9月に復帰したが炎上し、0.75だった防御率が2.5倍になってしまった。最終的には27試合で1勝1敗9ホールド4セーブ、防御率1.80。
2013年もいつも通り出遅れ、一軍復帰は7月下旬になった。復帰後は主にセットアッパーとして閉幕まで安定した投球を見せ、26試合で1勝0敗13ホールド2セーブ、防御率1.05の好成績を残した。しかしオフにまた手術。
2014年は5月に復帰したが、前年手術した箇所を痛め5試合に留まる。10月に5年連続となる手術を受けた。
2015年は8月下旬にようやく一軍復帰。9月下旬に西野勇士が打球の直撃による骨折で離脱したため、その後は代役のクローザーを務め、22試合に登板して1勝1敗6セーブ7ホールド、防御率1.27。
2016年は10年ぶりに開幕一軍入りを果たした。セットアッパーとして抜群の成績を残していたが、交流戦明けにやっぱり戦線離脱。しかしこの年は9月に無事復帰し再び好投を見せ、登板数、投球回は自己最多を更新した。
2017年も無事開幕一軍入りを果たす。当初はセットアッパーだったが益田直也の不振を受け5月からクローザーに廻る。毎年恒例だった故障離脱がなくプロ入り14年目にして初めてフルシーズン一軍に帯同。キャリアハイの50試合登板し16セーブ、16ホールドを挙げた。リリーフとして抜群の安定感を見せていたが、キャリアハイを超えた9月頃から毎試合のように打たれるようになり最終的な防御率は2.94となった。
2018年も前年から引き続きクローザーを務めた。抑えとして前半戦だけで21セーブを挙げ、プロ15年目にして初めてオールスターゲームにも選出される。しかし、オールスター明けから調子を大きく崩し、シーズン通算で自己最多の58試合登板、26セーブを挙げたが救援失敗は実に12度に及び、後半戦のチーム失速の戦犯として名を挙げられることも多かった。オフには4年ぶりに右肘の手術を行った。
2020年は実戦復帰したものの、二軍でも24試合で防御率5点台と結果を出せず、2年連続で一軍登板なしに終わり、オフに戦力外通告を受けた。現役続行を目指してトライアウトに参加したがオファーは無く、翌年1月に現役引退を表明した。
プレースタイル・人物
力強い速球と切れ味鋭いスライダーが武器。高校時代から類い希な素質の高さは評価され、2011年以降は一軍に居さえすれば好成績を残しているのだが、長年に渡ってスペ体質が足を引っ張り続けた。
ロッテOBの里崎智也は「内が万全の状態で一軍に一年間いればマリーンズは上位にいれる」と常に主張している。実際2016シーズンは内がブルペンに控えていた交流戦までは首位ホークスに食い下がる2位であったが内離脱後はずるずると失速し3位に後退した。
2015年までシーズン最多投球回が26イニング(2009年)であり、毎年のように25イニング程度投げると必ず故障離脱する。その為ファンからは、短期間だけ鮮烈な活躍を見せることから「期間工」と呼ばれたり、内が1イニング投げるごとに「内の残機が減った」などとネタにされている。さすがに首脳陣もそれに気付いたのか2016シーズンは「連投させない・イニング跨ぎをさせない」と内の体調を徹底的に気遣ったが、やっぱり25イニング投げきった6月に故障離脱してしまった。
2007年右肩手術、2010年右足首手術、2011年右肘手術、2013年右足首手術、2014年右肘、右足首手術、盲腸、2018年右肘手術と手術が多い。
2014年は右足首の手術のため入院していたところ盲腸を発症し病院から別の病院に緊急搬送された。ちなみに搬送中救急車から同僚の益田直也にLINEで事を報告したところ爆笑されたらしい。
2017年、ついにシーズン通しての一軍定着を果たしたが上記の25イニングを超えたあたりから徐々に成績が悪化。最終的には出れば打たれる状態と化してしまったため「怪我しようとしなかろうと25イニングが限界なのではないか」と言われるようになった。
東北楽天ゴールデンイーグルスのオコエ瑠偉は親戚にあたる。2017年8月24日に初の対戦が実現、オコエに本塁打を打たれた。
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | ロッテ | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 16.0 | 12 | 15 | 19 | 19 | 10.69 |
2006年 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 20.2 | 7 | 15 | 8 | 7 | 3.05 | |
2009年 | 31 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 6 | .750 | 26.0 | 12 | 29 | 18 | 18 | 6.23 | |
2010年 | 15 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1.000 | 20.0 | 10 | 20 | 12 | 10 | 4.50 | |
2011年 | 21 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 10 | .500 | 24.2 | 7 | 24 | 6 | 6 | 2.19 | |
2012年 | 27 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 9 | .500 | 25.0 | 4 | 23 | 7 | 5 | 1.80 | |
2013年 | 26 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 13 | 1.000 | 25.2 | 10 | 26 | 3 | 3 | 1.05 | |
2014年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .--- | 5.1 | 2 | 6 | 4 | 3 | 5.06 | |
2015年 | 22 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6 | 7 | .500 | 21.1 | 8 | 21 | 5 | 3 | 1.27 | |
2016年 | 34 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 19 | .750 | 32.1 | 12 | 34 | 5 | 5 | 1.39 | |
2017年 | 50 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 16 | 11 | .833 | 49.0 | 28 | 44 | 16 | 16 | 2.94 | |
2018年 | 58 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 26 | 7 | .375 | 58.2 | 19 | 54 | 25 | 25 | 3.84 | |
NPB:12年 | 308 | 4 | 0 | 0 | 20 | 12 | 56 | 87 | .625 | 324.2 | 131 | 311 | 128 | 120 | 3.33 |
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関連項目
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