- プロ野球選手一覧 > 岡島秀樹
岡島秀樹(おかじま ひでき、1975年12月25日-)とは、日本の京都府出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
岡島秀樹 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府 |
生年月日 | 1975年12月25日 |
身長 体重 |
185cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1993年ドラフト3位 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
東山高等学校では2年春と3年春に選抜大会に出場していたが、この頃から制球難で自滅するタイプの投手だった。
1994年にドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。背番号は37。
巨人時代
1995年10月6日の中日ドラゴンズ戦で先発としてデビューし、5回無失点だったが勝利投手にならなかった。
1996年5月7日の広島東洋カープ戦では6回無失点でプロ初勝利を挙げた。
1999年には中継ぎとなるが、8月31日の中日戦で斎藤雅樹が故障で降板した際は2番手で登板し、9回まで無失点で投げ切った。
2000年には槇原寛己に変わって抑えを務め、日本シリーズで胴上げ投手となる。ビールかけでフリーアナウンサーの栗原由佳と知り合い、1年後に結婚した。
2001年は最初から抑えを務め、25セーブを挙げた。オールスターゲームにはクローザー部門で選出された。
2004年7月27日の広島戦では史上11人目の1球勝利を達成した。
日本ハム時代
2006年、シーズン開幕直前に、實松一成、古城茂幸とのトレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍。
ホーム球場が広くなったことで思いきった投球ができるようになり、押本健彦、武田久、マイケル中村らともに盤石のリリーフ陣を形成。リーグ完全優勝と日本一に大きく貢献した。
レッドソックス時代
2006年オフにFA権を行使し、MLBのボストン・レッドソックスへ移籍。
同時に入団を決めた松坂大輔よりも時期は早かったが、100万ドルの男と評された松坂と比べると、話し相手程度の前評判でしかなかった。
しかし、メジャー公式球ではカーブがうまく制御できないと知ると、持ち前の器用さでSFFの握りを応用させたチェンジアップを修得。4月にルーキー・オブ・ザ・マンス(月間最優秀新人)を獲得、登板はなかったもののオールスターにも選出されるなど66試合27ホールド防御率2.22と文句なしの成績でシーズンを終えた。ポストシーズンでもシーズン同様の活躍をし、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。
2008年は日本で開幕を迎え、勝利投手となった。左手首を痛めた影響で一時成績を落としたが復調し、防御率2.61と活躍した。
2009年は防御率こそ3点台だったが、6勝0敗24ホールドでチーム最多登板を記録した。地区シリーズでは1戦登板した。
2010年は開幕から不調で故障のため故障者リスト入り。復帰後は好投を見せたが防御率4点台と大きく成績を落とした。オフは翌年の契約を提示されずノンテンダーFAとなったが、レッドソックスと1年契約で再契約を結んだ。
2011年は開幕をマイナーで迎える。メジャーでは7試合の登板に終わり、大半をAAAで過ごした。オフ、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだがメディカルチェックに引っかかり破談となった。
ソフトバンク時代
2012年3月3日に福岡ソフトバンクホークスに入団。日本球界復帰となった。
開幕から26試合連続無失点、同じく46試合連続自責点0と絶好調。主にセットアッパーとして起用され、8月後半からは守護神も務めた。最終的に56試合に登板し0勝2敗9セーブ24ホールド、防御率0.94、WHIP0.84という好成績を収めた。オフにメジャー復帰を目指し自由契約となった。
アスレチックス時代
2013年3月にオークランド・アスレチックスとマイナー契約。開幕をマイナーで迎え、5月17日にメジャー昇格したが、9月3日にロースターから外れた。
ソフトバンク時代
2014年は44試合に登板し27ホールドと活躍し、優勝と日本一に貢献。しかしオフに契約が折り合わず、自由契約となる。
DeNA時代
2014年12月に横浜DeNAベイスターズに入団した。背番号21。
2015年は左太ももを痛めた影響で開幕二軍。10試合の登板に終わり、オフに戦力外通告を受けた。
DeNA退団後
2016年にボルチモア・オリオールズとマイナー契約したが、3月29日に解雇された。7月18日に現役引退することを自身のブログで発表。日米通算22年間の現役生活を終えた。
プレースタイル・人物
投球時に、腕を振り下ろすと同時に目線も下がる独特な投法と、そこから繰り出される縦変化の大きいカーブが持ち味。(ただし、リリース前後にはきちんと捕手方向を見ている)
連投も気にならない体の丈夫さも魅力で、主に中継ぎ、抑えで活躍したが、コントロールが安定せずに自滅する場面も多々見受けられた。
NPB時代を含む2000年から12年連続40試合登板、2006年から5年連続55試合登板と鉄腕だった。
メジャーに移籍した際は練習以外でもボールを触ることでボールの感触に慣れるようにしていた。逆に日本球界に復帰する際に適応に苦労したという。
成績
通算投手成績
通算:21年 Year |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:15年 | 549 | 38 | 2 | 1 | 38 | 40 | 50 | 74 | .487 | 739.2 | 315 | 760 | 280 | 262 | 3.19 |
MLB:6年 | 266 | 0 | 0 | 0 | 17 | 8 | 6 | 85 | .680 | 250.1 | 88 | 216 | 87 | 86 | 3.09 |
表彰・その他
表彰 | |||
---|---|---|---|
MLB | ルーキー・オブ・ザ・マンス | 1回 | 2007年4月 |
その他 | |||
NPB | オールスターゲーム出場 | 3回 | 2000年-2002年 |
MLB | MLBオールスターゲーム選出 | 1回 | 2007年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 3
- 0pt