プロ野球ドラフト会議単語

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プロ野球ドラフト会議とは、日本野球機構によるプロ野球チームに入団する新人選手を獲得するための会議である。新人選手選択会議とも言う。

概要

日本野球機構NPB)やメジャーリーグMLB)などが催する会議の通称で、日本では10月11月にかけて毎年シーズンオフに開催される。 

会議」という名前はついてるものの、実際は「欲しい選手を(たまにくじ引きで)選ぶ」のがな内容。
具体的には「欲しい選手との交渉権」を得るための会議なので、交渉次第では名された選手は入団拒否をする事もできる。拒否できないルールになんてしたら憲法違反や人権になるから仕方ないね
「当たりくじを引いた・引けなかった」「希望の球団に名された・されなかった」等の人間ドラマを秘めているシーズンオフの一大イベントとして野球ファンの注を集めている。

当初は会場内には12球団の関係者及びマスコミしか入場出来なかったが、近年は抽選で選ばれた一般客が招待されたり、交渉権を獲得した球団関係者にインタビューを行うなど、ドラフトとも言うべきファン向けのドラフト会議となっている。

指名に関するルール

日本におけるドラフト制度の移り変わり・エピソード

1960年代後半~1970年代前半…ドラフト黎明期

それまでの新人選手の獲得は「とにかく有望な選手をとにかく金を積んで先に契約する」といったかつてオレンジ色の球団の様な方法が流で、金銭面で不利な球団は有望な選手を獲得できず、不な状態であった。
この問題点を解決すべく64年の当時の西鉄ライオンズ球団社長NFLを基にしたドラフト制度を提案。翌年開催される運びとなった。「くじで名する順番を決める」「あらかじめ欲しい選手を名簿に書いて提出する」「選手に優先順位をつけ、先に名されてしまった場合は優先順位が下の選手を名する」など、現在とは違う制度も見受けられた。この会議では後に200勝記録名球会入りする堀内恒夫鈴木啓示名を受け、入団した。
ちなみにドラフト会議を提案した当の西鉄はこの時16名を名するが13名から入団拒否を受けた。どうしたんだ西鉄!何のためのドラフト提案だー!

さらに1968年ドラフト会議では後にチームを代表する名選手が多く名・入団された年であり(大百科に記事がある選手だけでも東尾修山田久志福本豊星野仙一田淵幸一山本浩二など)、「史上最高のドラフト」として今も語り継がれている。

1970年代後半~1980年代前半…ドラフト史上最大の事件勃発

1978年ドラフト史上最大の事件が起こる。「江川事件」である。
それまで二度のドラフト名を拒否し頑なに読売ジャイアンツ入団を志望していた江川卓投手が、この年のドラフト開催日の前日に昨年度名したクラウンライターライオンズとの交渉権が切れる「空白の一日」に巨人契約を行った。 しかしこ契約効とされ、いせに巨人はこの年のドラフト会議を欠席してしまう。

その後のドラフトで4球団が(巨人への報復の意味合いも込めて)江川名し、くじ引きにより阪神タイガースが交渉権を獲得した。しかし江川は相変わらず巨人入団にこだわり続け、業を煮やしたコミッショナーの「強い要望」により、一旦江川阪神に入団させジャイアンツエース投手であった小林繁とトレードを行う事により江川希望える形で事態はひとまず収束した。
かしこれ以降、江川は「悪役」「わがまま」のレッテルを貼られてしまうことになる。

ちなみにこの年に制度が一新され、「全球団が同時に名し、重複した場合はくじ引きを行う」という現在の方式に近いものとなった。

阪神の「重複選手のくじ引き」が当たらないジンクス1978年江川名後の4順の選手の抽選に外れて以来、実に24回連続で続いた(2012年ドラフト会議ストップ)。

1980年代後半~1990年代:KKコンビの明暗と逆指名

1985年ドラフト会議玉は清原和博桑田真澄KKコンビであった。清原巨人入団を熱望、球団側もその希望を受け入れる旨を匂わす一方で桑田早稲田大学進学を表明しており、桑田への名は12球団いずれも回避されると予想された。

しかし当日では巨人桑田を単独名、清原は6球団の競合の末に西武ライオンズ名された。ドラフト終了直後の清原希望わず、を流した。その後桑田早稲田進学を取りやめ巨人に入団したため、桑田巨人の間に密約があったのではないか、という疑惑も浮上し、図らずも「巨人に入団した投手」がまたしてもドラフトで世間を騒がせる結果となってしまった。現在では「プロ志望届」を出さないとドラフトの対にならないため、こういった事件は起きなくなっている。

また、これらの事件を反省に、1993年から「逆名制度」が導入される。後に「自由獲得」「希望入団」と名を変え、2007年止されるまで続いた。

1989年には野茂英雄が史上最多タイとなる8球団からの名を受け、抽選の結果近鉄バファローズに入団した。この年は野茂を始め潮崎哲也古田敦也井上一樹石井浩郎吉岡雄二岩本勉種田仁佐々岡真司前田智徳新庄剛志佐々木主浩小宮山悟与田剛らが名され、1968年に並ぶ大豊作の年と言われる。
特に野茂、新庄佐々木小宮山と後にメジャーリーグを経験する選手が4人も名された点は突筆すべき点である。 

2000年代~2010年代:分配ドラフトとカネと育成選手

2004年一場靖弘をめぐる裏金問題が発覚し、「自由枠止するべき」「存続するべき」というが対立するようになった。しかし結局の所どの球団の意見も「不にならない様にしながらも自分のチームが得をする」様な意見ばかりだったためにまとまらず、暫定的に翌年から「希望入団」と名称を変え、の数も2つから1つに改められた。さらにドラフト会議そのものを「高校生ドラフト」「大学社会人ドラフト」の2回に分割したが、わずか3回で現行の制度に戻る事になった。さらにこの年から「育成選手」を獲得する育成選手ドラフトも開催される事になった(後に通常のドラフトと併合)。育成選手制度はチーム力やタイトル獲得者、さらにはWBC代表を輩出するなど、一定の成果を挙げている。

2005年高校生ドラフトでは重複抽選による当たりくじの確認がしっかりと行われなかったのが原因で交渉権を獲得した球団が間違えて発表された事がある。

2007年西武ライオンズによる裏金問題が発覚し、西武はペナルティとしてこの年の高校生ドラフト1巡・2巡名権をはく奪され、希望入団はこの年限りで止されることになった。

2015年:ドラフト会議でのガッツポーズ

2015年ドラフト会議東京ヤクルトスワローズは六大学最多安打記録保持者の高山俊1位名。

阪神タイガースと2球団で競合したため、クジで交渉権を決めることとなったがここで事件が起きる。
最初に金本知憲監督がクジを引き、残ったクジを真中満監督を引き開封。開いた直後に真中監督は勢い良くガッツポーズ。満面の笑みでくじを持った右手を掲げた。その後インタビューを受けをうけ高山に「慣れしんだ神宮球場で一緒に頑ろう」とメッセージも送った。

しかしその後運営からアナウンスが流れ、間違いであったことが知らされた。真中監督ハズレくじにも印字されているNPBロゴマークを見て勘違いし、さらに真中ガッツポーズを見た金本監督はクジを確認することなく席へ戻ったのである。運営はすぐに気付いていたのだが、確認に動いていたため真中監督インタビューを止められなかった。この件がきっかけで真中はこの年のゆうもあ大賞を受賞。

その後のコメント真中は「ガッツポーズを返して欲しい」と発言したが阪神坂井オーナーに「こっちが(金本監督の初ガッツポーズを)返してほしい。よう言うわ思うけど」とジョークまじりに苦笑いされている。

同じミス2005年ドラフトでも起きており、オリックス・バファローズGM中村勝広辻内崇伸福岡ソフトバンクホークス王貞治監督陽仲壽のくじを同じくNPB印をみて勘違いしている。

この事件の2016年から抽選くじのが変更となり、当たりの場合には「交渉権確定」の印、外れの場合は白紙となった。

ドラフト外入団

1965年ドラフト制度が導入された後も、ドラフト会議名されなかった選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。当時はプロ野球の地位も低く、また事前挨拶などもなく突然名するのが当たり前であり、その結果交渉が不成立に終わることも少なくなかった(1965年の第1回ドラフトでは、名された132人中、実に80人が入団拒否している)。その一方で、予想以上に入団交渉が順調に進んだため下位名の選手の交渉権を放棄するというケースまであったため、ドラフト制度を補する意味でこのような制度も必要だった(初年度には、名されながら交渉権を放棄されて他球団にドラフト外入団した選手も存在した)。

ドラフト制度の認知度が上がり拒否する選手が減少した後も、1974年から1990年ドラフト会議名出来る選手が1球団6名まで(1978年から1980年は1球団4名まで)と制限されていたため、ドラフト外入団は戦力を補充する重要な手段とされていた。また、プロテストで合格した選手を入団させるのにも使われた。

その一方で、有力選手に進学や就職を宣言させてドラフト会議名が回避された後にドラフト外入団させるという「囲い込み」も横行したため(巨人東海大相模原辰徳ドラフト外で入団させようと謀るが失敗)、ドラフト制度の的である契約金の抑制や戦力均衡の弊になると判断され、1990年限りでドラフト外入団止された(同時に、ドラフト会議では1球団10名まで名可になった)。

ドラフト外入団は「隠し玉」的な選手も多く、大成した選手は多くはないものの、それでも投手では西本聖大野豊、野手では島田誠松永浩美石井琢朗といったアマチュア時代は名でも、プロ実績を残した選手も存在する。その一方で、加藤初松沼博久兄弟秋山幸二といった上位名されて当然ながら名されず、ドラフト外入団に至った例も存在する。

2012年ドラフト外入団した選手で現役最後だった石井琢朗広島東洋カープ)が引退し、ドラフト外入団の現役選手は日本プロ野球からいなくなった。

現在日本国籍を持つ、もしくは日本学校に在学したことのある新人選手の獲得には、必ずドラフト会議を経なければいけないルールになっている。だが、かつては外籍の選手はドラフト会議名する必要がなかったため、1968年韓国籍新浦壽夫高校中退してドラフト外巨人に入団して問題となった(同年には同じ韓国籍松原明夫ドラフト外入団している)。このことがきっかけとなり、日本学校に所属する(所属した)選手はすべてドラフト会議にかけるように制度が変更された。

関連動画

ドラフト会議の様子がテレビ中継されない事が多いうえ、上位の名しか放送されないためそもそも動画の数も少なかったりする(ただし近年はCSBS放送などで会議全中継される場合も多い)。

関連項目

野球ボール プロ野球ドラフト会議前後表
1990年代 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年
2000年代 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2010年代 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年
2020年代 2020年 2021年 2022年 2023年 2024年

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順位 選手名 投打 ポジション 所属
1位
2位
3位
4位
5位
育成ドラフト
1位
2位
<table style="font-size: 14px; margin: 1em;" border="0"><tbody>
<tr style="text-align: center;"><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;">順位</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px; width: 9em;">選手名</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;">投打</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;">ポジション</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;" width="230">所属</th></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">1位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">2位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">3位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">4位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">5位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ccc; color: #000;" colspan="5">育成ドラフト</th></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">1位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td></tr>
<tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">2位</th>
<td></td><td></td>
<td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td>
<td></td>
</tr></tbody></table>

前後表

<table style="margin: auto; width: 95%; font-size: 13px;" border="0">
<tbody>
<tr><th style="background: linear-gradient(#00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; text-align: center; vertical-align: middle;" colspan="2" valign="middle" align="center"><b><img src="https://dic.nicovideo.jp/oekaki/824497.png" alt="野球ボール" width="18" height="18" /> プロ野球ドラフト会議前後表</b></th></tr>
<tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">1990年代</th>
<td style="width: 34%;"><a href="/id/5702962">1990年</a> <a href="/id/5702665">1991年</a> <a href="/id/5702614">1992年</a> <a href="/id/5702119">1993年</a> <a href="/id/5701675">1994年</a> <a href="/id/5701329">1995年</a> <a href="/id/5700998">1996年</a> <a href="/id/5700903">1997年</a> <a href="/id/5700689">1998年</a> <a href="/id/5700675">1999年</a></td></tr>
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<tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">2010年代</th>
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<tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">2020年代</th>
<td style="width: 34%;"><a href="/id/5603654">2020年</a> <a href="/id/5637003">2021年</a> <a href="/id/5663279">2022年</a> <a href="/id/5692762">2023年</a></td></tr>
</tbody>
</table>

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1965年-1990年代

1970年 1980年 1990年 5702962
1971年 1981年 1991年 5702665
1972年 1982年 1992年 5702614
1973年 1983年 5714910 1993年 5702119
1974年 1984年 5712205 1994年 5701675
1965年 1975年 1985年 5711503 1995年 5701329
1966年 1976年 1986年 5706561 1996年 5700903
1967年 1977年 1987年 5706069 1997年 5700903
1968年 1978年 1988年 5705485 1998年 5700689
1969年 1979年 1989年 5704573 1999年 5700675

2000年代

2000年 5697428 2010年 4996340 2020年 5603654
2001年 5692828 2011年 4752573 2021年 5637003
2002年 5581588 2012年 4980902 2022年 5663279
2003年 5580344 2013年 5156582 2023年 5692762
2004年 5552818 2014年 5279102 2024年 5711445
2005年 5249716 2015年 5374373 2025年
2006年 5104791 2016年 5448752 2026年
2007年 5090218 2017年 5505222 2027年
2008年 5067107 2018年 5544653 2028年
2009年 5062270 2019年 5573850 2029年
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プロ野球ドラフト会議

89 ななしのよっしん
2023/09/04(月) 00:38:38 ID: JYNg163Q/f
戦力均衡させる必要ある?
v9の頃なんか野球人気絶頂じゃん
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90 ななしのよっしん
2023/09/18(月) 22:45:27 ID: u81Y1puHid
野球人気というか巨人人気の絶頂だな
それでもV9の終わり頃は陰りも見えてきたみたいだけど
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91 ななしのよっしん
2023/10/19(木) 16:52:57 ID: Gz6fRW9y+j
>>lv343038870exit_nicolive
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92 ななしのよっしん
2023/10/24(火) 11:46:51 ID: rkgrcTDg1Z
昔の巨人人気スターがいたのと日本コンテンツが少なすぎたってのが因でその強さはわりと副次的な要素じゃないかな
このコンテンツ過多の中で、日本におけるプロ野球ってめちゃくちゃ頑ってる方だと思うし、それは12球団それぞれの努力の賜物なんだから工夫と戦略によって上をせる戦力均衡は必須だと思う
ドラフト自体もアマ野球ファンを増やす一大コンテンツだしね
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93 ななしのよっしん
2024/01/26(金) 13:14:52 ID: jJ3TWXg2Ku
自称ドラフト評論家が5年10年先を見据えて高卒ドラフトしろって言うけど今の佐々木を見ても同じことを言えるのかな
アレやられると5年後さえ見据えられないんだけど
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94 ななしのよっしん
2024/01/31(水) 11:14:35 ID: J3DGTcVSx1
提案があります。
この記事の名前を「プロ野球ドラフト会議」に改名し、記事をNPBにしようと考えています。
ドラフト会議」については、簡単な概要が多少書いてある曖昧さ回避として立て直そうと考えています。

一週間以内に反対意見が出なければ実施します。
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95 ななしのよっしん
2024/02/07(水) 22:57:06 ID: J3DGTcVSx1
反対意見が出なかったため改名しました。
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96 ななしのよっしん
2025/01/19(日) 17:06:23 ID: AabvugpD4P
そういえばこれ、「日本中学高校あるいはこれに準ずる学校大学又はこれに準ずる団体に在学した経験がある」というルールがあるのだけれど、
仮に特別支援学校からプロ野球せるレベルの選手が現れた場合このルールに当てはまるのだろうか。
丁度今創作物でそういう趣旨の選手を描いているんだけど、現実的な意味ではどうなんだろうなぁと思った。
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97 ななしのよっしん
2025/01/19(日) 17:24:08 ID: n1Mj7VYylZ
>>96
日本中学高校あるいはこれに準ずる学校大学又はこれに準ずる団体に在学した経験がある
このルールはいわゆる留学生とか日本以外の籍を持ってる人を名対としたルールなので
もう一つの条件である日本国籍を持っているのであれば特別支援学校卒業でも対にはなるはず
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98 ななしのよっしん
2025/01/19(日) 17:35:11 ID: AabvugpD4P
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