プロ野球ドラフト会議とは、日本野球機構によるプロ野球チームに入団する新人選手を獲得するための会議である。新人選手選択会議とも言う。
概要
日本野球機構(NPB)やメジャーリーグ(MLB)などが主催する会議の通称で、日本では主に10月~11月にかけて毎年シーズンオフに開催される。
「会議」という名前はついてるものの、実際は「欲しい選手を(たまにくじ引きで)選ぶ」のが主な内容。
具体的には「欲しい選手との交渉権」を得るための会議なので、交渉次第では指名された選手は入団拒否をする事もできる。拒否できないルールになんてしたら憲法違反や人権侵害になるから仕方ないね。
「当たりくじを引いた・引けなかった」「希望の球団に指名された・されなかった」等の人間ドラマを秘めているシーズンオフの一大イベントとして野球ファンの注目を集めている。
当初は会場内には12球団の関係者及びマスコミしか入場出来なかったが、近年は抽選で選ばれた一般客が招待されたり、交渉権を獲得した球団関係者にインタビューを行うなど、公開ドラフトとも言うべきファン向けのドラフト会議となっている。
指名に関するルール
- 指名した選手が一巡で重複した場合は該当球団の代表者がくじを引き、当たりを引いた球団が交渉権を獲得する。
- 二巡目以降に指名する順番は各リーグのシーズンの順位、及び1年おきにセ・パ交代で優先権が決定する(以前は交流戦、それより前はオールスターゲームの勝敗で決まっていた)。奇数年なら、偶数巡目はセ・リーグの最下位→パ・リーグの最下位→セ・リーグの5位→(中略)→パ・リーグの1位の順番(ウェーバー方式とも呼ばれる)で指名し、奇数巡目は逆順(逆ウェーバー方式とも呼ばれる)で指名する。偶数年なら、偶数巡目はパ・リーグの最下位→セ・リーグの最下位→パ・リーグの5位→(中略)→セ・リーグの1位の順番で指名し、奇数巡目は逆順で指名する。
- 指名できる選手は「日本国籍を持っている」「日本の中学・高校あるいはこれに準ずる学校・大学又はこれに準ずる団体に在学した経験がある」のどちらかである。
- 学校に在学する者は「来年3月に卒業見込みである者(高校)」「4年間在学した者(大学)」でなければならない。また、プロ野球志望届の提出が必要。野球部以外に所属する者や退部した者、日本高等学校野球連盟や全日本大学野球連盟に加盟していない野球部に所属している者は除く。
中退した者はその年は指名対象とならない。 - 日本野球連盟所属選手(すなわち社会人野球)の場合は「登録後2年間(中卒・高卒は登録後3年間)経過した者」でなければならない(所属チームが解散や休部した場合はその限りではない)。また、チームや日本野球連盟の承認がなければ同一チームから投手は1人しか指名できない。
- 独立リーグは上記に準ずる。ただしプロ志望の選手に限り1年目からの指名が可能。
- 大学在学中の独立リーグの選手については大学生として扱い、大学卒業見込みがなければ指名できない。
- 海外のプロ野球と契約したことがある選手を指名する場合は、会議の7日前までに選択対象選手とすることをコミッショナーに通知しなければならない。通知を受けたコミッショナーは全球団へその旨を通告する。
- プロ志望届を提出しドラフト会議で指名されたにもかかわらず指名拒否して外国球団と契約した場合、帰国してから高卒は3年間、それ以外は2年間指名凍結選手となる(いわゆる田澤ルール)。
- ドラフト会議で指名したものの契約に至らなかった場合は、球団は当該選手の指名はできなくなる。ただし、以下の場合を除く。
- 研修生については、研修生を保有する球団に指名優先権がある。研修生は過去に1人もいないので詳細なルールは省略。
- 選択可能な新人選手の数は全12球団合計で120名までとなっている。独立リーグ所属選手や海外のプロ野球選手はこの120名には含まれない。
- 指名選手が120名に満たなかった場合、育成選手契約を目的とした二次ドラフトが行われる。二次ドラフトは奇数巡目がウェーバー方式、偶数巡目が逆ウェーバー方式となる。
日本におけるドラフト制度の移り変わり・エピソード
1960年代後半~1970年代前半…ドラフト黎明期
それまでの新人選手の獲得は「とにかく有望な選手をとにかく金を積んで先に契約する」といったかつてのオレンジ色の球団の様な方法が主流で、金銭面で不利な球団は有望な選手を獲得できず、不公平な状態であった。
この問題点を解決すべく64年の当時の西鉄ライオンズ球団社長がNFLを基にしたドラフト制度を提案。翌年開催される運びとなった。「くじで指名する順番を決める」「あらかじめ欲しい選手を名簿に書いて提出する」「選手に優先順位をつけ、先に指名されてしまった場合は優先順位が下の選手を指名する」など、現在とは違う制度も見受けられた。この会議では後に200勝を記録し名球会入りする堀内恒夫や鈴木啓示が指名を受け、入団した。
ちなみにドラフト会議を提案した当の西鉄はこの時16名を指名するが13名から入団拒否を受けた。どうしたんだ西鉄!何のためのドラフト提案だー!
さらに1968年のドラフト会議では後にチームを代表する名選手が多く指名・入団された年であり(大百科に記事がある選手だけでも東尾修、山田久志、福本豊、星野仙一、田淵幸一、山本浩二など)、「史上最高のドラフト」として今も語り継がれている。
1970年代後半~1980年代前半…ドラフト史上最大の事件勃発
1978年にドラフト史上最大の事件が起こる。「江川事件」である。
それまで二度のドラフト指名を拒否し頑なに読売ジャイアンツ入団を志望していた江川卓投手が、この年のドラフト開催日の前日に昨年度指名したクラウンライターライオンズとの交渉権が切れる「空白の一日」に巨人と契約を行った。 しかしこの契約は無効とされ、腹いせに巨人はこの年のドラフト会議を欠席してしまう。
その後のドラフトで4球団が(巨人への報復の意味合いも込めて)江川を指名し、くじ引きにより阪神タイガースが交渉権を獲得した。しかし江川は相変わらず巨人入団にこだわり続け、業を煮やしたコミッショナーの「強い要望」により、一旦江川を阪神に入団させジャイアンツのエース投手であった小林繁とトレードを行う事により江川の希望を叶える形で事態はひとまず収束した。
しかしこれ以降、江川は「悪役」「わがまま」のレッテルを貼られてしまうことになる。
ちなみにこの年に制度が一新され、「全球団が同時に指名し、重複した場合はくじ引きを行う」という現在の方式に近いものとなった。
阪神の「重複選手のくじ引き」が当たらないジンクスは1978年の江川指名後の4順目の選手の抽選に外れて以来、実に24回連続で続いた(2012年ドラフト会議でストップ)。
1980年代後半~1990年代:KKコンビの明暗と逆指名
1985年のドラフト会議の目玉は清原和博・桑田真澄のKKコンビであった。清原は巨人入団を熱望、球団側もその希望を受け入れる旨を匂わす一方で桑田は早稲田大学進学を表明しており、桑田への指名は12球団いずれも回避されると予想された。
しかし当日では巨人は桑田を単独指名、清原は6球団の競合の末に西武ライオンズに指名された。ドラフト終了直後の清原は希望が叶わず、涙を流した。その後桑田は早稲田進学を取りやめ巨人に入団したため、桑田と巨人の間に密約があったのではないか、という疑惑も浮上し、図らずも「巨人に入団した投手」がまたしてもドラフトで世間を騒がせる結果となってしまった。現在では「プロ志望届」を出さないとドラフトの対象にならないため、こういった事件は起きなくなっている。
また、これらの事件を反省に、1993年から「逆指名制度」が導入される。後に「自由獲得枠」「希望入団枠」と名を変え、2007年に廃止されるまで続いた。
1989年には野茂英雄が史上最多タイとなる8球団からの指名を受け、抽選の結果近鉄バファローズに入団した。この年は野茂を始め潮崎哲也、古田敦也、井上一樹、石井浩郎、吉岡雄二、岩本勉、種田仁、佐々岡真司、前田智徳、新庄剛志、佐々木主浩、小宮山悟、与田剛らが指名され、1968年に並ぶ大豊作の年と言われる。
特に野茂、新庄、佐々木、小宮山と後にメジャーリーグを経験する選手が4人も指名された点は突筆すべき点である。
2000年代~2010年代:分配ドラフトとカネと育成選手
2004年に一場靖弘をめぐる裏金問題が発覚し、「自由枠は廃止するべき」「存続するべき」という主張が対立するようになった。しかし結局の所どの球団の意見も「不公平にならない様にしながらも自分のチームが得をする」様な意見ばかりだったためにまとまらず、暫定的に翌年から「希望入団枠」と名称を変え、枠の数も2つから1つに改められた。さらにドラフト会議そのものを「高校生ドラフト」「大学・社会人ドラフト」の2回に分割したが、わずか3回で現行の制度に戻る事になった。さらにこの年から「育成選手」を獲得する育成選手ドラフトも開催される事になった(後に通常のドラフトと併合)。育成選手制度はチームの主力やタイトル獲得者、さらにはWBC代表を輩出するなど、一定の成果を挙げている。
2005年の高校生ドラフトでは重複抽選による当たりくじの確認がしっかりと行われなかったのが原因で交渉権を獲得した球団が間違えて発表された事がある。
2007年に西武ライオンズによる裏金問題が発覚し、西武はペナルティとしてこの年の高校生ドラフト1巡目・2巡目指名権をはく奪され、希望入団枠はこの年限りで廃止されることになった。
2015年:ドラフト会議でのガッツポーズ
2015年ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズは六大学最多安打記録保持者の高山俊を1位指名。
阪神タイガースと2球団で競合したため、クジで交渉権を決めることとなったがここで珍事件が起きる。
最初に金本知憲監督がクジを引き、残ったクジを真中満監督を引き開封。開いた直後に真中監督は勢い良くガッツポーズ。満面の笑みでくじを持った右手を掲げた。その後インタビューを受けをうけ高山に「慣れ親しんだ神宮球場で一緒に頑張ろう」とメッセージも送った。
しかしその後運営からアナウンスが流れ、間違いであったことが知らされた。真中監督はハズレくじにも印字されているNPBロゴマークを見て勘違いし、さらに真中のガッツポーズを見た金本監督はクジを確認することなく席へ戻ったのである。運営はすぐに気付いていたのだが、確認に動いていたため真中監督のインタビューを止められなかった。この件がきっかけで真中はこの年のゆうもあ大賞を受賞。
その後のコメントで真中は「ガッツポーズを返して欲しい」と発言したが阪神・坂井オーナーに「こっちが(金本監督の初ガッツポーズを)返してほしい。よう言うわ思うけど」とジョークまじりに苦笑いされている。
同じミスは2005年ドラフトでも起きており、オリックス・バファローズGMの中村勝広が辻内崇伸、福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が陽仲壽のくじを同じくNPB印をみて勘違いしている。
この事件の影響で2016年から抽選くじの紙が変更となり、当たりの場合には「交渉権確定」の印、外れの場合は白紙となった。
ドラフト外入団
1965年にドラフト制度が導入された後も、ドラフト会議で指名されなかった選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。当時はプロ野球の地位も低く、また事前の挨拶などもなく突然指名するのが当たり前であり、その結果交渉が不成立に終わることも少なくなかった(1965年の第1回ドラフトでは、指名された132人中、実に80人が入団拒否している)。その一方で、予想以上に入団交渉が順調に進んだため下位指名の選手の交渉権を放棄するというケースまであったため、ドラフト制度を補完する意味でこのような制度も必要だった(初年度には、指名されながら交渉権を放棄されて他球団にドラフト外入団した選手も存在した)。
ドラフト制度の認知度が上がり拒否する選手が減少した後も、1974年から1990年はドラフト会議で指名出来る選手が1球団6名まで(1978年から1980年は1球団4名まで)と制限されていたため、ドラフト外入団は戦力を補充する重要な手段とされていた。また、プロテストで合格した選手を入団させるのにも使われた。
その一方で、有力選手に進学や就職を宣言させてドラフト会議で指名が回避された後にドラフト外入団させるという「囲い込み」も横行したため(巨人は東海大相模の原辰徳をドラフト外で入団させようと謀るが失敗)、ドラフト制度の目的である契約金の抑制や戦力均衡の弊害になると判断され、1990年限りでドラフト外入団は廃止された(同時に、ドラフト会議では1球団10名まで指名可能になった)。
ドラフト外入団は「隠し玉」的な選手も多く、大成した選手は多くはないものの、それでも投手では西本聖や大野豊、野手では島田誠や松永浩美、石井琢朗といったアマチュア時代は無名でも、プロで実績を残した選手も存在する。その一方で、加藤初や松沼博久・雅之兄弟、秋山幸二といった上位指名されて当然ながら指名されず、ドラフト外入団に至った例も存在する。
2012年にドラフト外入団した選手で現役最後だった石井琢朗(広島東洋カープ)が引退し、ドラフト外入団の現役選手は日本プロ野球からいなくなった。
現在は日本国籍を持つ、もしくは日本の学校に在学したことのある新人選手の獲得には、必ずドラフト会議を経なければいけないルールになっている。だが、かつては外国籍の選手はドラフト会議で指名する必要がなかったため、1968年に韓国籍の新浦壽夫が高校を中退してドラフト外で巨人に入団して問題となった(同年には同じ韓国籍の松原明夫もドラフト外入団している)。このことがきっかけとなり、日本の学校に所属する(所属した)選手はすべてドラフト会議にかけるように制度が変更された。
関連動画
ドラフト会議の様子がテレビ中継されない事が多いうえ、上位の指名しか放送されないためそもそも動画の数も少なかったりする(ただし近年はCS・BS放送などで会議を全中継される場合も多い)。
関連項目
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編集用
ソースコード
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順位 | 選手名 | 投打 | ポジション | 所属 |
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1位 | ||||
2位 | ||||
3位 | ||||
4位 | ||||
5位 | ||||
育成ドラフト | ||||
1位 | ||||
2位 |
<table style="font-size: 14px; margin: 1em;" border="0"><tbody> <tr style="text-align: center;"><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;">順位</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px; width: 9em;">選手名</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;">投打</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;">ポジション</th><th style="background-color: #ccc; color: #fff; padding: 1px;" width="230">所属</th></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">1位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">2位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">3位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">4位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">5位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ccc; color: #000;" colspan="5">育成ドラフト</th></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">1位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td></tr> <tr><th style="text-align: center; background-color: #ddd; color: #000;">2位</th> <td></td><td></td> <td style="text-align: center; background-color: #eee; color: #333;"></td> <td></td> </tr></tbody></table>
前後表
<table style="margin: auto; width: 95%; font-size: 13px;" border="0"> <tbody> <tr><th style="background: linear-gradient(#00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; text-align: center; vertical-align: middle;" colspan="2" valign="middle" align="center"><b><img src="https://dic.nicovideo.jp/oekaki/824497.png" alt="野球ボール" width="18" height="18" /> プロ野球ドラフト会議前後表</b></th></tr> <tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">1990年代</th> <td style="width: 34%;"><a href="/id/5702962">1990年</a> <a href="/id/5702665">1991年</a> <a href="/id/5702614">1992年</a> <a href="/id/5702119">1993年</a> <a href="/id/5701675">1994年</a> <a href="/id/5701329">1995年</a> <a href="/id/5700998">1996年</a> <a href="/id/5700903">1997年</a> <a href="/id/5700689">1998年</a> <a href="/id/5700675">1999年</a></td></tr> <tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">2000年代</th> <td style="width: 34%;"><a href="/id/5697428">2000年</a> <a href="/id/5692828">2001年</a> <a href="/id/5581588">2002年</a> <a href="/id/5580344">2003年</a> <a href="/id/5552818">2004年</a> <a href="/id/5249716">2005年</a> <a href="/id/5104791">2006年</a> <a href="/id/5090218">2007年</a> <a href="/id/5067107">2008年</a> <a href="/id/5062270">2009年</a></td></tr> <tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">2010年代</th> <td style="width: 34%;"><a href="/id/4996340">2010年</a> <a href="/id/4752573">2011年</a> <a href="/id/4980902">2012年</a> <a href="/id/5156582">2013年</a> <a href="/id/5279102">2014年</a> <a href="/id/5374373">2015年</a> <a href="/id/5448752">2016年</a> <a href="/id/5505222">2017年</a> <a href="/id/5544653">2018年</a> <a href="/id/5573850">2019年</a></td></tr> <tr><th style="background: linear-gradient(90deg, #00cc00, #64f564, #00cc00); color: #fff; width: 4%; text-align: center;">2020年代</th> <td style="width: 34%;"><a href="/id/5603654">2020年</a> <a href="/id/5637003">2021年</a> <a href="/id/5663279">2022年</a> <a href="/id/5692762">2023年</a></td></tr> </tbody> </table>
ページ番号
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1974年 | 1984年 | 5712205 | 1994年 | 5701675 | |||
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1969年 | 1979年 | 1989年 | 5704573 | 1999年 | 5700675 |
2000年代
2000年 | 5697428 | 2010年 | 4996340 | 2020年 | 5603654 |
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