球磨型姉妹(または球磨型、球磨型五姉妹)とは、大日本帝国海軍が建造・運用した5500t級二等巡洋艦(軽巡洋艦)第1世代にあたる球磨型軽巡洋艦――をモチーフとした『艦隊これくしょん~艦これ~』の軽巡姉妹である。
前級は天龍型姉妹、次級は長良型姉妹。長良型姉妹及び更に次級の川内型三姉妹までが「5500t級二等巡洋艦(軽巡洋艦)」になる。
概要
球磨型姉妹は初期より実装されているが、史実において「重雷装巡洋艦」に改装され共に第九戦隊を編成した3女「北上」・4女「大井」と、他の3名は絵師・声優が異なり、図鑑の登録順も異なることから、史実を知らないと別艦型と勘違いされるかもしれない
姉妹の一覧は以下の通り。2021年1月の「球磨改二/改二丁」実装により全艦に改二が実装済。
アイコンは「◯◯艦隊」(CV/イラストレーター縛り艦隊)記事へ。
艦名 | 史実 | 「艦これ」において | |||||
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造船所 | 開戦時所属 | 絵師 | CV | 備考 | |||
1 | 球磨 | 佐世保工廠 | 第十六戦隊 | UGUME | 佐倉綾音 | 21.1.13「改二/改二丁」実装 | |
2 | 多摩 | 三菱長崎 | 第二一戦隊 | 17.12.11「改二」実装 | |||
3 | 北上 | 佐世保工廠 | 第九戦隊 | しばふ | 大坪由佳 | 初期より「改」で重雷装巡洋艦 13.6.19「改二」実装 |
|
4 | 大井 | 神戸川崎 | |||||
5 | 木曾 | 三菱長崎 | 第二一戦隊 | UGUME | 佐倉綾音 | 13.12.11「改二」で重雷装巡洋艦 |
姉妹の詳細
(左より) 球磨・多摩・北上・大井・木曾 (上段:初期/下段:改二)
1番艦 球磨(くま)
クマ艦隊の筆頭。語尾の「クマー」がかわいい1番艦。秋になるとクマの綿菓子を持った浴衣姿を披露してくれる。名前の由来は九州に流れる暴れ川である球磨川。近年球磨川が暴れた結果、河岸を走る肥薩線を洗い流してしまい…
長良改と同じく改二未到達時点でも一部ステータスは改二に比類する。
開戦時は旗艦足柄の第十六戦隊に属し一時離脱後、北上・大井が編入された第十六戦隊に復す。
1944年1月、訓練中に敵潜の雷撃に斃れ、姉妹最初の戦没艦となった。
2021年1月、姉妹最後に改二・改二丁が実装され、姉妹艦全ての改二実装が完了した。
詳しくは → 球磨(艦これ)
関連 → 第十六戦隊(艦これ)
2番艦 多摩(たま)
「猫じゃないニャ」な2番艦。語尾に「にゃ」が頻発する。(やっぱり猫じゃねーか)
秋祭りには北方迷彩を施した浴衣姿を披露。普段は半袖ハーパンだが、秋刀魚の美味しい季節には秋服スカート姿を披露してくれる。(なんで焼き秋刀魚を咥えてるのかな―?)
妹たちがサービス開始初年中に重雷装巡洋艦として改二になってほぼ4年を経て改二が実装された。
名前の由来は東京都民及び神奈川県民にはおなじみの多摩川。
開戦前より北方第21戦隊で末妹木曾と共に属す。キスカ島撤退作戦当時の艦長は第81号作戦を立案した神重徳大佐。第二次作戦再出撃の際、督戦隊として燃料事情が逼迫していたため旗艦那智の代理として第五艦隊旗艦を務めた。ただし、那智着任前は元々第五艦隊旗艦であった。
詳しくは → 多摩(艦これ)
関連 → 第五艦隊(艦これ) 小沢艦隊(艦これ)
3番艦 北上(きたかみ) ・ 4番艦 大井(おおい/おほゐ)
黒髪おさげのほうが3番艦の北上、茶髪セミストレートのほうが4番艦の大井。
緑半袖が軽巡(初期状態)、緑長袖が改(重雷装巡洋艦)、白系が改二(重雷装巡洋艦)である。
また、公式描き下ろしに三越コラボの私服版が存在する。コラボ商品も存在。
3番艦北上の由来は東北を流れる北上川。4番艦大井の由来は静岡県を流れる大井川より。
ゆるキャラな北上、北上Loveの大井の艦これ鉄板コンビでもある。
史実でもペアを組み、静画でもペアのものが多いためここではまとめて取り上げた。
開戦時には重雷装巡洋艦に改装されて2隻で第九戦隊を編成した。しかし、魚雷戦による漸減作戦という場面はついに訪れず、魚雷を降ろして高速輸送艦として運用されるようになり第十六戦隊に異動。
大井戦没後、北上は更に改装を受け回天母艦となる。
回天母艦としての実戦は遂に訪れず、傷つきながらも終戦を迎えた。
北上は、歴代の軽巡洋艦の第二水雷戦隊旗艦経験艦の中で唯一生存した。
詳しくは → 北上(艦これ) 大井(艦これ)
関連 → 大北 ※カップリングタグ 第十六戦隊(艦これ)
(北上のみ) → 艦娘たちの戦後
5番艦 木曾(きそ)
俺っ娘な末娘の5番艦。史実では次姉多摩と北方第五艦隊第21戦隊に属す。
名前の由来は木曽三川のひとつ、木曽川より。次級1番艦「長良」も木曽三川の1つ。揖斐川は泣いていい。
キスカ島撤退作戦では一水戦と共に出動。一時的に阿武隈の留守を護っていたこともある。
レイテ沖海戦では本土待機。同海戦(スリガオ海峡海戦)で戦没した一水戦旗艦阿武隈を引き継ぐべくフィリピンに進出したがマニラ湾空襲により大破着底した。
戦後、現地にて解体された。
関連動画
関連静画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
関連する戦隊等
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