艦娘たちの戦後単語

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 浮揚状態で終戦を迎えた艦艇

 長門 葛城 鳳翔 隼鷹 龍鳳
 妙高 高雄 北上 酒匂 鹿島
 雪風  潮  春風
 伊58 伊401 伊14 呂500 まるゆ
 占守 後 択捉
 プリンツ・オイゲンドイツ海軍
 リットリオイタリア海軍
 アイオワ サラトガアメリカ海軍
 ウォースパイトイギリス海軍
 コマンダン・テストフランス海軍
 ガングート(ソビエト海軍

 大破着底状態で終戦を迎えた艦艇

 榛名 伊勢 日向 天城
 利根 青葉 大淀
 初霜
 ( 明石 木曾  菊月 伊良湖 秋津洲 早霜 神威

 未成状態で終戦を迎えた艦艇

 グラーフ・ツェッペリンドイツ海軍
 アクィライタリア海軍

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 関連項目
 (参考)終戦時作戦行動可能艦

 「艦娘たちの戦後」とは、艦隊これくしょん~艦これ~キャラクターを使って、太平洋戦争第二次世界大戦終戦後の海軍艦艇の様子を描いた作品に使用されているタグである。(→pixiv「或る夏の記憶」)exit

 太平洋戦争開戦時に約250隻を保有、戦時に約400隻を建造した日本海軍が、終戦時に保有していたのは約170隻。このうち、作戦行動が可駆逐艦以上の水上艦は40隻程度、潜水艦は60隻程度と、事実膚なきまでに叩き潰されたと言っても過言ではない状態だった。

 『艦これ』には2016年1月現在、給糧艦「間宮」「伊良湖」と工作艦「明石」、練習艦「香取」、陸軍系、海外艦を含めて167名の艦娘が登録されているが、このうち昭和20年8月15日を浮揚状態で迎えたのは19名(「まるゆ」こと「三式潜航輸送艇」は拿捕艦も含めて35隻が残存)、大破着底状態で迎えたのは8名である。

 以下、『艦これ』登場艦艇の昭和20年の状況、そして戦後処理について記す。

 浮揚状態で終戦を迎えた艦艇

戦艦「長門」
 在地:横須賀
 状態:中破

原爆実験標的艦】

 レイテ沖海戦の後、昭和19年11月25日横須賀へ帰投。所属していた第一戦隊も解隊され、20年6月には横須賀鎮守府の警備艦となって副以下の武装のほとんどを陸揚げ、煙突や後部艦も撤去される。

 7月18日横須賀襲で艦に直撃弾を受け、艦長など艦首の多くが戦死。修理を受けられないまま終戦を迎えた。仮に本土決戦が行われた場合は、横須賀へ座礁させ、台として使用する計画だったと伝わる。

 戦後処理】 昭和20年8月30日米軍接収。昭和21年3月18日軽巡洋艦酒匂」と共に米軍によりビキニ環礁へ出発。7月1日より行われた2度の原爆実験クロスロード作戦)ののち、7月29日深夜沈没

 ※2006年俳優石坂浩二が、「長門」接収に当たった米海軍大佐族より「開運!なんでも鑑定団」へ出品された本艦の軍艦旗を1000万円で購入。のち、呉市の「大和ミュージアム」へ寄贈。


空母「葛城」
 在地:
 状態:飛行甲大破

【復員のち解体処分】

 就役はレイテ沖海戦よりわずか10日前の昭和19年10月15日。同戦において日本海軍空母機動部隊事実上壊滅し、11月15日の第三艦隊および第三航空戦隊解隊により、残存空母ともども第一航空戦隊へ寄せ集められる。
 海軍はなおも、これら残存空母をもって再度のフィリピン突入作戦神武作戦)を企図していたとされるが、戦枯渇により空母が動くことはかった。

 昭和20年に入ると、一航戦艦載機たる第六〇一航空隊は基地航空隊で使用され、空母の存在意義は消滅。4月20日一航戦解隊により、防台として三ツ子姉妹艦「天城」とともに係留される。
 三度軍港襲で受けた爆撃は致命傷に至らなかったものの、飛行甲がめくれ上がってしまい、空母を喪失した状態で終戦を迎えた。

 戦後処理】 復員に使用。ラバウル印方面などで5万人の復員に従事(昭和21年11月まで)。復員としては最大級の船舶だった。退役後、昭和22年11月30日までに日立造船桜島工場大阪)において解体。


空母「鳳翔」
 在地:
 状態:損傷軽微

【復員のち解体処分】

 昭和17年ミッドウェー海戦に出撃後、内地で練習艦として使われる。

 昭和20年3月7月軍港襲では、飛行甲後部に命中弾があり損傷。4月20日付けで現役編成を外れて第四予備艦に移され、6月までに対兵以外の乗員のほとんどは退艦。東能美島において網・木などによる擬装を施されて係留

 理に延長した飛行甲のため外洋へは出られなかったが、開戦時から存在した日本海軍空母としては、行動な状態で終戦を迎えた。

 戦後処理】 飛行甲の切断工事を施し、復員に使用。マーシャル諸島ニューギニア方面などで4万人の復員に従事(昭和21年8月まで)。退役後、昭和22年5月1日までに日立造船桜島工場大阪)において解体。


空母「隼鷹」
 在地:佐世保
 状態:航行不能

【解体処分】

 昭和19年6月マリアナ沖海戦後、航空の欠乏により第二航空戦隊が解隊。その後は第四航空戦隊(※レイテ沖海戦には不参加)を経て第一航空戦隊へ所属が変わるが、単なる残存空母の寄せ集めにすぎず部隊としての実態はかった。

 昭和19年12月、マニラへの輸送任務の帰路、九州西方潜水艦の攻撃により大きなダメージを受け、かろうじて佐世保へ入港。体の修理はなされたものの機関部の修復ができず、以後航行不能状態で佐世保において終戦を迎えた。
 特攻兵器回天」の母艦改造し、沖縄への特攻で使用する計画があったといわれる。

 戦後処理】 正規空母級の大艦ではあったが、修理困難として復員へ転用されずそのまま解体となった。旧・佐世保海軍において昭和22年8月1日までに終了。

 ※米国・フォーダム大学に鐘が所蔵。exitマリアナ沖海戦の際に爆撃で損傷・落下したのを、米軍が回収したものといわれる。


空母「龍鳳」
 在地:
 状態:飛行甲大破

【解体処分】

 「隼鷹」と同じく、二航戦解隊後は四航戦を経て一航戦へ。しかし航空の欠乏により捷一号作戦レイテ沖海戦)への出動はく、輸送任務に従事する。

 昭和20年1月特攻兵器桜花」運搬のため、輸送隊「ヒ87団」と台湾まで行動を共にし、基台湾)で「桜花」を降ろして「タモ35団」と共に本土へ帰還。
 以後内地にとどまっていたが、3月19日軍港襲で爆弾3発が命中し飛行甲大破。空母としての機は喪われ、江田島秋月において防台として係留された状態で終戦を迎えた。

 戦後処理】 修理困難として復員へ転用されず、そのまま解体となった。旧・海軍において昭和22年9月25日までに終了。


重巡洋艦「妙高」
 在地:シンガポール
 状態:航行不能

【現地にて処分】

 昭和19年10月レイテ沖海戦において、機動部隊の攻撃により機関損傷・戦線離脱。シンガポールで応急修理を受け、12月駆逐艦「潮」とともに日本本土への帰還を図ったものの、サイゴン潜水艦の攻撃を受けて大破(艦尾切断)。「羽黒」の航で再びシンガポールへ戻る。

 結局その後はシンガポールのセレター軍港で係留され、一部の機などは取り外して陸上基地に転用される。本格的な修理が出来ないまま、現地で終戦を迎えた。

 戦後処理】 昭和20年9月12日南方軍がイギリス軍に降調印し、この方面の艦艇も接収。昭和21年7月8日イギリス軍によりマラッカ峡で処分。


重巡洋艦「高雄」
 在地:シンガポール
 状態:航行不能

【現地にて処分】

 昭和19年10月レイテ沖海戦において、潜水艦の襲撃により大破。かろうじて沈没は免れてブルネイに帰投し、のちシンガポールへ移る。
 しかし「妙高」と同様、南シナにおける潜水艦跳梁跋扈日本本土へ戻っての本格修理が出来ず、昭和20年に入ると機の陸揚げ・艦尾切断工事などを行って浮き台化され、乗員の多くも陸戦隊となって艦を離れる。

 7月イギリス軍の潜工作員時限爆弾を取り付けられ、一発爆発したが大きな損にはならなかった。「妙高」とともに現地で終戦を迎えた。

 戦後処理】 南方軍の降に伴いイギリス軍が接収。昭和21年10月29日イギリス軍によりマラッカ峡で処分。

 本艦の処分については記録がありexit作業内容や携わった日本側乗組員の様子を知ることができる。


軽巡洋艦「北上」
 在地:
 状態:大破航行不能

【復員のち解体処分】

 重装艦としての出撃はついにく、専ら輸送任務に従事。昭和19年8月以降は特攻兵器回天」搭載艦へ改造され、第十一戦隊に所属して「回天」の運用訓練を行っていた。十一水戦解隊後の昭和20年7月15日に編成された、本土決戦用の最後の水上艦隊『上挺進部隊』の一艦である。

 しかし7月24日軍港襲において被弾・大破。沈没は免れたが、自航行が不可能な状態で終戦を迎えた。

 戦後処理】 修理を施されて昭和21年2月から7月の間、鹿児島方面で復員作業の支援艦となる。同年10月より、三菱重工業長崎所において解体(昭和22年4月1日までに了)。

 体の二重底は解体後の一時期、浮き桟に使用されたと伝わる。


軽巡洋艦「酒匂」
 在地:舞
 状態:航行可

【復員のち原爆実験標的艦】

 就役は昭和19年11月末。日本海軍が建造した最後の大水上艦であるが、レイテ沖海戦後の海軍にもはや「酒匂」が率いるべき戦闘部隊く、訓練隊の第十一戦隊旗艦となる。

 昭和20年3月、いったんは戦艦大和」の特攻に参加する部隊へ発されるが沙汰止みとなり、瀬戸内海に残留。5月以降は舞方面へ移動。軍港内では燃料不足のためボイラーの火を消され、電陸上からケーブルを引っってくる有り様だったという。
 7月15日付けで十一水戦は解隊され、舞終戦を迎えた。

 戦後処理】 朝鮮半島方面の復員輸送に従事後昭和21年2月25日横須賀にて米軍接収。3月18日戦艦長門」とともにビキニ環礁へ向かい、原爆実験クロスロード作戦)の標的艦に供される。
 7月1日、1回実験で投下原爆がほぼ直撃となり、艦上構造物をほとんどなぎ倒され大破。翌日沈没


練習巡洋艦「鹿島」
 在地:
 状態:航行可

【復員のち解体】

 昭和15年5月に就役。同年8月姉妹艦の「香取」と共に本来の任務である士官練習に出るが、その航9月際情勢の悪化を理由に中断され、以後彼女練習艦として遠洋航に出る事はかった。

 開戦後南方を管轄とする第四艦隊の旗艦となる。しかし元々前線に出るように作られていない練習艦のため、泊地に停泊して揮を執るという形式が続き、そして最終的に「鹿島」は昭和18年11月に旗艦を軽巡長良」に渡して内地に戻る。それ以降はある時は練習艦、ある時は団護衛、ある時は輸送任務と忙しく働いた。
 昭和20年2月には上護衛総隊に配属され、にて終戦を迎える。

 戦後処理】 昭和20年10月5日付けで除籍、同年12月より翌年11月まで復員輸送に従事した後、南工業香焼所(長崎)にて昭和22年6月までに解体された。


駆逐艦「神風」
 在地:シンガポール
 状態:健在

【復員のち解体】

 旧式と言える神風型駆逐艦ながら、太平洋戦争を最後まで戦い抜くシンガポールを拠点としていた「」の特筆すべき活躍は、沈した重巡羽黒」「足柄」の救助を行い、合わせて1500名以上の命を救ったことと、終戦直前の昭和20年7月に勃発した潜水艦ホークビル」との闘であろう。
 最終的に、シンガポール一稼働可日本軍艦として(正確には、駆逐艦軍艦ではないが)終戦を迎える。

 戦後処理】 昭和20年12月に復員に任命されたが、その半年後となる21年6月、同じく復員となっていた海防艦後」が静岡の御前崎にて座礁、救出に向かった「」も6月7日に座礁してしまう。その後、2隻とも引き下ろしを試みたものの失敗。最終的に、その場で放棄・解体される。昭和22年10月31日、解体終了。


駆逐艦「春風」
 在地:佐世保
 状態:航行不能

【防波のち解体】

 神風型駆逐艦3番艦「春風」は、太平洋戦争ではやはり旧式ということもあり、団護衛を任務として活動した。そんな中でも潜水艦シャーク」を撃沈する、といった戦果を挙げていたのだが、昭和19年11月にルソン潜水艦「セイルフィッシュ」からの撃を受け、艦の後部を丸ごと喪失。それでも応急修理を受けた後、なんとか佐世保に帰投するも、その頃の日本には既に旧式の駆逐艦修理する余裕などなく、そのまま佐世保港に係留されたまま終戦を迎える。

 戦後処理】 もはや艦としてのを失った状態では復員にもなれなかった「春風」だが、昭和20年11月に除籍の上、その艦体は京都野港まで運ばれ、港の防波として使われることになった。
 しかし、約3年後の昭和23年9月に襲来したアイオン台風による波浪で破壊され、そのまま解体処分となった。


駆逐艦「雪風」
 在地:舞宮津
 状態:損傷軽微

【復員のち賠償艦】

 昭和20年4月第十七駆逐隊天一号作戦水上特攻隊に編成され、戦艦大和」に従い沖縄へ出撃。僚艦「磯風」「浜風」を撃沈されるが「雪風」は生還を果たし、「初霜」「冬月」と共に佐世保へ帰投する(「涼月」は単独で生還)。

 4月20日付けで「初霜」と十七駆を組み、5月に佐世保から舞へ移動。6月には舞湾の隣の宮津湾へ移るが、湾口へ米軍機により機バラまかれて湾から出られなくなってしまう。
 7月30日襲でロケット弾が命中するも不発。対戦闘において、米軍機1機の撃墜を記録する。この戦闘を最後に宮津湾で終戦を迎えた。

 戦後処理】 昭和21年末まで復員昭和22年7月6日、戦時賠償艦として中華民国へ引き渡され「丹陽」に名。退役後、日本への返還交渉中に台風で損傷。1971年までに解体処分となり、錨と舵輪のみが日本へ帰国した。exit


駆逐艦「響」
 在地:新潟
 状態:健在

【復員のち賠償艦】

 昭和20年1月より第七駆逐隊に所属。3月29日戦艦大和」の水上特攻に従うべく軍港を出たが、機に接触して一時航行不能へ後退したため特攻には加わらなかった。5月5日付けで第一〇五戦隊へ配属(第七駆逐隊は解隊)。から舞へ回航され、航行不能となっていた「潮」の装備を移し替えられる。

 7月10日付けで第一護衛艦隊へ編入。日本海方面での団護衛に従事し、8月15日午前中も米軍機と戦闘記録がある(おそらく、日本海軍水上艦艇最後の戦闘行動と思われる)新潟終戦を迎えた。

 戦後処理】 昭和21年末まで復員昭和22年7月5日、戦時賠償艦としてソ連へ引き渡され「ヴェールヌイ」に名。退役後は「デカブリスト」に再度め、練習艦となる。1970年代に老朽化を理由に標的艦として処分。


駆逐艦「潮」
 在地:横須賀
 状態:中破航行不能

【解体処分】

 レイテ沖海戦の後、昭和19年11月13日にマニラ襲を受け損傷。シンガポールへ移って応急修理の後、重巡妙高」とともに本土帰投を図るも、「妙高」は潜水艦攻撃でシンガポールへ退却。単独行動となった「潮」は横須賀へ向かう。

 書類上は「」と第七駆逐隊を編成していたが、機関損傷のため身動き出来ず、4月戦艦大和」の特攻へも不参加。5月5日付けで七駆は解隊となり、6月連合艦隊部の付属艦扱いへ移される。
 7月横須賀襲では戦艦長門」が狙われたため大きな被害は免れ、そのまま終戦を迎えた。

 戦後処理】 復員や賠償艦には用いられず、解体。昭和23年8月4日までに横須賀において行われたと思われるが、明確な処分地は不明。


潜水艦「伊58」
 在地:豊後
 状態:移動中

処分】

 就役が昭和19年9月と遅かったため大きな戦には関わらず、昭和20年特攻兵器回天」搭載潜水艦として南方域を転戦。グアム方面で実際に「回天」を発射している。

 7月30日、テニア原爆を輸送した帰りの巡洋艦インディアナポリス」を撃(「回天」使用せず)し、これを撃沈。日本海軍最後の、敵水上艦撃沈戦果を挙げた。
 8月15日は、へ帰投のため豊後を移動中だった。

 戦後処理】 残存潜水艦は佐世保・舞などに集結させられ、本艦は佐世保へ回航。昭和21年4月1日五島列島において処分。
 先代の「伊58」こと「伊158」(大3a)も同日同地において処分された。

 ※本艦の橋本以行艦長は戦後、「インディアナポリス」のマクベイ艦長が撃沈責任追及の末自殺したことにつき、同艦長の名誉回復に努していたと伝わる。


潜水艦「伊401」
 在地:南太平洋
 状態:作戦行動

【調のち処分】

 就役は昭和20年1月。いわゆる“潜水空母”として、僚艦「伊400」と共に水上機晴嵐」によるウルシー環礁(艦隊泊地)への特攻を行う部隊を編成。7月24日、大を出撃する(この時、敵潜水艦と誤認した陸軍台から発されている)

 8月14日、南太平洋ポナペ(現・ミクロネシア連邦首都)の南100里において「伊400」との会合を予定していたが、連絡がうまく行かず失敗。15日、やむを得ず単独でウルシーへ向かっていたところで終戦の通信を受けた。

 戦後処理】 昭和20年8月30日米軍接収。「伊400」・「伊14」・「201」・「203」らとハワイへ回航されて技術調昭和21年5月31日、オアフ処分。

 2005年3月20日ハワイ大学の調チームによって沈んでいた体が発見された。


潜水艦「伊14」
 在地:トラック泊地
 状態:健在

【調のち処分】

 就役は昭和20年3月。元は潜水艦隊旗艦として開発された"巡潜甲"に、伊400の建造停止を受けて晴嵐の搭載機を追加した"巡潜甲改二"の一艦。
 トラック泊地への偵察用の彩雲を輸送する作戦作戦」を成功させ(同じ作戦を行った艦「伊13」は撃沈されている)、その後泊地にて待機中のまま終戦を迎える。

 戦後処理】 昭和20年8月27日米軍接収。「伊400」・「伊401」・「201」・「203」らとハワイへ回航されて技術調昭和21年5月28日、オアフ処分。


潜水艦「呂500」
 在地:舞
 状態:航行可

処分】

 昭和18年8月ドイツより日本へ到着。Uボート技術を取り入れるべく調が行なわれたが、最終的に海軍の採るものとはならず、内地に留まり続ける。

 昭和19年8月になって特設対潜訓練隊、20年5月に第五十戦隊が編成されて訓練艦として配属されるが、戦局悪化で訓練期間は限られ、爆雷実習が1回のみという泥縄式の組織であり、ついに日本海軍はこのUボートを有効活用することができなかった。

 祖国ドイツ5月8日に降日本での終戦は舞で迎えた。

 戦後処理】 他の日本海軍潜水艦ともども舞へ終結させられ、昭和21年4月30日、若狭湾において処分。


海防艦「占守」
 在地:稚内
 状態:健在

【復員のち賠償艦】

 昭和15年工後、南方域にて団護衛を行う。昭和19年11月には潜水艦より撃され中破、日本に帰後修復されて北方に配備、団護衛任務を行い、稚内にて終戦を迎える。

 戦後処理】 昭和21年末まで復員昭和22年7月5日、戦時賠償艦としてソ連へ引き渡され「第31号護衛艦」(EK-31)と名付けられ、太平洋艦隊に組み込まれた。その後、昭和23年10月には「第25号通報艦」(PS-25)に艦種変更・名され、さらに昭和32年10月には工作艦に修され、その名も「第74号工作艦」(PM-74)となった。そして昭和34年5月16日に退役、その後解体された。


海防艦「国後」
 在地:北海道方面
 状態:健在

【復員のち解体】

 昭和15年工後、北方団護衛任務をとし、太平洋戦争中もその任務は変わらなかった。キスカ撤退作戦にも補給艦の護衛として加わっている。終戦時も北海道方面にて活動していた。

 戦後処理】 昭和20年10月に復員となるが、昭和21年6月4日、復員輸送中に静岡の御前崎にて座礁。同じく復員となっていた「」が支援に来るもこちらも座礁し、共に復旧できず、そのまま放棄・解体処分となる。昭和22年7月までに解体。


海防艦「択捉」
 在地:稚内
 状態:健在

【復員のち解体】

 昭和18年5月工。以降、南方から北方まで幅広く団護衛任務を勤め上げ、稚内にて終戦を迎える。

 戦後処理】 昭和21年末まで復員昭和22年8月に賠償艦としてアメリカに引き渡されたが、そのまま10月13日までに播磨造渠(元の海軍)にて解体された。


三式潜航輸送艇
 在地:各地に散在
 状態:34隻残存

処分】

 陸軍は400隻以上の建造をしていたとされるが、結局完成したのは38隻。襲と事故で5隻を失い、このうちフィリピンリンガエン湾で事故喪失となった「三号艇」は、米軍サルベージして鹵獲されている。

 終戦時は関東東海長崎方面において33隻(米軍鹵獲1隻を除く)が残存。なお10隻程度が建造中・未完成に終わった。

 戦後処理】 米軍により全艇処分。

 ※海外艦

 1942年2月11日戦艦シャルンホルスト」「グナイゼナウ」とともドーバー海峡強行突破するツェルベルス作戦を敢行。これに成功するも、以後は圧倒的戦イギリス海軍圧迫され、西プロイセンのゴーテンハーフェン(現:ポーランド領グディニア)へ移ってバルト方面で活動する。

 1943年10月以降はバルトの各地で艦砲射撃団護衛に従事。バグラチオン作戦の大攻勢を受けて東部戦線ドイツ軍は崩壊状態にあったが、「オイゲン」ほかドイツ艦艇による撃は、バルト海岸や東プロイセン抵抗を続ける陸軍をよく支援し、同地からの路での民間人脱出(ハンニバル作戦)を可ならしめた。

 1945年4月20日、「オイゲン」はドイツ占領下デンマークコペンハーゲンへ移動。5月8日、同地でドイツを迎えた。

 戦後処理】 イギリス軍に接収された後、アメリカ軍に引き渡し。1946年7月、「長門」「酒匂」とともに敗戦海軍から原爆実験クロスロード作戦)の標的艦に供される。沈没は免れたが航中に座礁して転覆。体は現在風化状態でクェゼリン環礁にあり、スクリューのみがドイツへ帰


イタリア海軍戦艦
「リットリオ」(イタリア)

 在地:スエズ運河
 状態:小破

【解体処分】

 1943年7月25日ムッソリーニ失脚によりイタリア(バドリオ政権)は連合との休戦交渉を開始。7月30日ムッソリーニファシスト党政権のシンボルに由来する艦名を持つ本艦は「イタリア」と名される。
 9月8日に休戦協定が成立すると海軍の残存艦艇は降のため、イタリア半島西部のラ・スペツィア軍港から地中海イギリス領・マルタへ移動を開始。しかし翌9日、イタリア阻止しようとするドイツ軍が放った誘導爆弾フリッツX」、およびドイツ空軍の攻撃を受け、戦艦ローマ」が沈。「イタリア(リットリオ)」も被弾する。

 1944年以降、イタリア海軍の一部艦艇はバドリオ政権の艦隊に復帰するが、本艦は姉妹艦「ヴィットリオ・ヴェネト」とともにエジプトへ送られ、スエズ運河内のグレートビター係留連合作戦に参加させる計画も挙がったが、実現しなかった。

 1945年5月2日ムッソリーニの傀儡政権を作って抵抗し続けていた北イタリアドイツ軍が降し、イタリア第二次世界大戦は終わった。

 戦後処理】 アメリカへ送られ、1948年までに解体。


アメリカ海軍戦艦
「アイオワ」

 在地:ロサンゼルス
 状態:健在

博物館として開中】

 1945年沖縄戦での上陸支援空母部隊の防任務及び日本各地の軍需工業地への撃任務に従事。日本後の8月29日東京湾に入り、9月2日の降調印式に参加。
 戦後、第5艦隊旗艦を経て予備役入りし、演習や訓練に従事。1951年朝鮮戦争勃発時に第7艦隊旗艦として再就役。横須賀港を出港し、艦砲射撃で地上部隊支援した。朝鮮戦争後は、カリブでの訓練や第2艦隊の旗艦としてNATO軍事演習に参加など世界中を渡り歩き、1958年に再び予備役となる。
 約26年後の1984年、「600隻艦隊構想」の元再就役。ヨーロッパ域を展開する。1989年にはプエルトリコで第二爆発で47名が死亡する事故に遭うも、欧州域での任務を全うし、翌90年に予備役となる。

 2006年に除籍となり、ロサンゼルス港に回航、博物館として開されている。

 戦後処理】 予備役と再就役を繰り返し、現在ロサンゼルス港にて博物館として開中。


アメリカ海軍正規空母「サラトガ」
 在地:ハワイ
 状態:健在

原爆実験標的艦】

 「シスターサラ」の称でしまれたレキシントン空母2番艦。太平洋戦争の開戦時から参加した空母終戦まで生き残った3隻のうちの1隻。中破・大破を繰り返しながらも沈まなかったしぶとい存在であり、ミッドウェー海戦には修理中のため不参加だったが、サラトガ航空隊はヨークタウンに乗って攻撃に参加している。また、第二次ソロモン海戦では龍驤を沈めるが、伊26撃されて大破、ドック入りとなった。
 日本が追い詰められていく中、新エセックス級正規空母が大量建造・配備されたため、一線級からは退き練習空母として使われていたが、硫黄島攻略で少しでも多く航空機が必要となったため、サラトガも実戦に復帰する。が、その矢先、特攻によって大破し、またしてもドックへと戻る羽になった。修理後は再び練習空母となり、そのまま終戦を迎える。

 戦後処理】 終戦直後は、本に戻る兵を乗せる復員の役を果たし、退役。その戦歴から記念艦として保存するという話もあったが、最終的に断念された。その後、クロスロード計画の標的艦になり、2発爆発沈没した。


イギリス海軍戦艦
「ウォースパイト」

 在地:イギリス
 状態:現存

【解体処分】

 「戦いのあるところ必ずウォースパイトあり」と謳われ、「傷だらけの不沈艦」「オールド・レディ」と敬されたクイーンエリザベス級2番艦。
 日本金剛と同世代ながら、第2次大戦においても、地中海インド洋、大西洋と所狭しと駆け回り、勝利に貢献し続けた。

 戦後処理】 その戦歴から保存活動も行われたものの、最終的に1946年、解体処分が決まった。
 ところが、解体処分のために航中にに見舞われたりなんだりで、漂流し座礁。最終的に解体が了したのは、処分が決まってから実に10年後の1956年であった。


フランス海軍水上機母艦
「コマンダン・テスト」

 在地:トゥーロン
 状態:健在

【解体処分】

 第二次世界大戦前、フランス海軍航空の拡充をしようと考えていたが、ワシントン軍縮条約のため、新規に空母を建造することは出来なかったため、大水上機母艦を建造した。開戦後の序盤は輸送艦隊の護衛や、自ら艦載機の輸送を行っていたが、ドイツヴィシーフランス攻撃に際し、降が免れない局面となったフランス海軍1942年11月27日、トゥーロン港にて自軍の艦艇をすべて自沈させ、コマンダン・テストもその身を海底に横たえた。
 が、トゥーロンが枢軸軍に占領された後の1943年5月1日イタリア軍コマンダン・テストを引き上げて整備するが、そのイタリアが同年9月に降後、コマンダン・テストは今度はドイツ軍の手に渡る。
 そして1944年8月18日から19日にかけて行われた連合軍による爆撃沈没。再びその身を海底に横たえた。
 が、1945年2月に、今度は連合軍の手によって浮揚。その状態でドイツの降、そして日本の降の知らせを聞くことになる。

 戦後処理】 修復して輸送艦練習空母にする案もあったが、最終的に却下されて1950年民間業者に売却。1963年までに解体された。


 ロシアからソビエト国家形態が変革した混乱があって、第二次大戦時のソビエト海軍の艦整備は遅れ、前時代の戦艦である「ガングート級」も最前線に投入せざるを得ない状況であった。
 そんな中、「ガングート」(名してオクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ)は、僚艦の「ペトロパブロフスク」(名してマラート)と共にバルト艦隊の一員として、ドイツに包囲されたレニングラード支援すべく艦砲射撃を行い、ドイツ空軍爆撃されつつも戦い抜いた。

 戦後処理】 戦後ソビエト海軍近代化が遅れたせいもあり、1954年まで現役を続けた。その後練習艦を経て、1956年に除籍、1958年から59年にかけて解体された。


 大破着底状態で終戦を迎えた艦艇

戦艦「榛名」
 江田島小用
 (7月28日襲)

【浮揚解体処分】

 レイテ沖海戦から日本本土へ帰投中、姉妹艦「金剛」が潜水艦攻撃により戦。所属の第三戦隊昭和20年1月1日付けで解隊となり、第一戦隊を経て2月以降は呉鎮守府の警備艦。燃料欠乏のため、身動きは取れなかった。

 3月19日の第一次軍港襲で小破。4月20日付けで「長門」ほか全ての戦艦とともに第四予備艦(事実上の艦扱い)へ定され、機などを陸揚げされる。
 7月江田島小用に移されて浮き台となったところで第三次軍港襲を受け、20発以上の命中弾により大破。浸して同海岸において着底となる。

 戦後処理】 昭和21年5月2日より浮揚・解体作業。旧・海軍において同年7月4日までに了。

 江田島海上自衛隊幹部補生学校内「教育参考館」に艦長室のが現存。


航空戦艦「伊勢」
 ・倉
 (7月28日襲)

【浮揚解体処分】

 昭和20年2月シンガポールより物資を積んで日本本土まで強行突破する「北号作戦」を敢行(参加艦艇:「伊勢」「日向」「大淀」「」「初霜」「朝霜」)。奇跡的に損しで成功をおさめる。しかし本土には燃料も艦載機く、3月1日付けで所属の第四航空戦隊は解隊。4月20日付けで他の戦艦と同様に第四予備艦へ定される。

 7月24日、倉音戸町坪井(音戸の瀬戸西側出口付近)で浮き台として係留中、第二次軍港襲で艦に直撃弾を受け艦長が戦死。続く28日、第三次襲で10発以上の命中弾があり大破浸。同地において着底となる。

 総員退艦時、降ろそうとした軍艦旗がマストに引っかかって降ろせなかったと伝わる。

 戦後処理】 昭和21年10月9日より浮揚・解体作業。旧・海軍の起重機を用い、昭和22年7月4日までに了。

 ※解体前、ある戦災者の一家が放置されていた本艦に住み着いたという、当時のニュース映像がある。


航空戦艦「日向」
 ・情
 (7月24日襲)

【浮揚解体処分】

 昭和20年2月、「伊勢」らと共に「北号作戦」に参加(作戦旗艦は「日向」)し、へ帰投。しかし本土には戦艦活用する燃料も艦載機く、「伊勢」と同様3月に四航戦の解隊、4月に第四予備艦の定を受ける。

 5月以降は情(倉の東、音戸の瀬戸東側出口合い)において浮き台化。7月24日の第二次軍港襲で多数の命中弾・至近弾を受け、艦長戦死。艦も大破浸となり、同において着底(26日)となる。

 ただし28日の第三次襲においても、面上に出ていて使用可な機などにより、対戦闘を行ったという。

 戦後処理】 昭和21年7月2日より浮揚・解体作業。旧・海軍において、昭和22年7月4日までに了。

 ※航軍艦旗が広島県呉市の「大和ミュージアム」に所蔵。


空母「天城」
 ・三ツ子
 (7月28日襲)

【浮揚解体処分】

 就役はマリアナ沖海戦後の昭和19年8月姉妹艦「雲龍」とともに第一航空戦隊を編成するが、マリアナにおいて空母航空は壊滅してしまっており、機動部隊最後の戦となったレイテ沖海戦にも参加できず、内地で訓練を続ける。

 昭和20年2月戦艦大和」と生き残り空母の寄せ集めで最後の一航戦が編成されるが、艦載機たる第六〇一航空隊は基地航空隊へ転用されてしまい、空母は防台として軍港で係留4月20日一航戦は解隊。

 3月19日7月24日軍港襲で命中弾を被り、7月28日三度襲でついに致命傷を受け大破。飛行甲は破壊され、左舷に横転して着底となる。

 戦後処理】 昭和22年7月になって浮揚作業を開始。体の一部を函館港で臨時に浮き桟として使う計画が出て実際に函館まで運ばれたものの、函館港が機回復したためほとんど使用することなく、昭和24年ごろ解体処分。


重巡洋艦「利根」
 ・西能美島海岸
 (7月28日襲)

【浮揚解体処分】

 レイテ沖海戦フィリピンの戦いで僚艦(「筑摩」「鈴谷」「熊野」)を全て失い、所属していた第七戦隊は解隊。舞において修理ののちへ移動し、海軍学校練習艦となる。

 3月19日の第一次軍港襲で小破。7月24日の第二次襲で直撃4発、28日の第三次襲で直撃6発・至近弾多数を受け、西能美島海岸(現・江田島市役所の東合い)において大破着底となる。

 戦後処理】 昭和21年6月18日より着底現場において、艦などの撤去作業。体は旧・海軍へ移送され、昭和23年9月30日までに解体了。

 ※着底現場付近に慰霊碑・装備品の展示施設あり。


重巡洋艦「青葉」
 ・工近く
 (7月28日襲)

【浮揚解体処分】

 レイテ沖海戦直前の昭和19年10月23日、第十六戦隊行動中にマニラ潜水艦の襲撃を受け、大破航行不能軽巡鬼怒」の航でマニラへ入港する。
 応急修理後、5ノットの微速で台湾高雄・基を経て本土へ帰還。海軍に入るも損傷がしく、本格的修理が出来ないまま係留される。昭和20年4月20日付け、第四予備艦に定。

 7月24日の第二次軍港襲で小破。続く28日の第三次襲で4発の命中弾を受け、艦尾が大破切断し浸・大傾斜。古鷹山を望む、工近くの海岸で着底となる。

 戦後処理】 昭和21年11月29日より面上の艦などの撤去作業を開始。昭和22年7月1日までに、旧・海軍において解体了。

 ※「大和ミュージアム」において身尾部を所蔵。


軽巡洋艦「大淀」
 江田島湾飛瀬
 (7月28日襲)

【浮揚解体処分】

 囮艦隊に加わって出撃したレイテ沖海戦後、東南アジアへ転戦。昭和19年の末は木村昌福少将揮下で礼号作戦に参加。翌昭和20年2月、「伊勢」「日向」らとともに北号作戦を敢行、本土へ帰還する。

 燃料欠乏により艦隊編成を外れて訓練艦となった直後の3月19日、第一次軍港襲においてボイラーの半分が破壊。応急修理ののち、江田島湾内へ移動して浮き台となっていたが、7月24日の第二次襲で損増加。続く28日の第三次襲で11発の命中弾を被り、大破。右舷に大傾斜し、最後は横転となる。

 転覆後も更に爆撃を加えられ、命中弾があったという。

 戦後処理】 昭和22年12月13日に至って横転状態から浮揚され、旧・海軍へ移動。昭和23年8月1日までに解体了。

 ※横転現場付近に慰霊碑あり。


駆逐艦「初霜」
 舞宮津)獅子
 (7月30日襲)

【浮揚解体処分】

 「妙高」のシンガポール撤退を護衛した後、昭和20年2月の本土帰還「北号作戦」に参加し、へ帰投。「」「朝霜」との第二十一駆逐隊4月戦艦大和」の特攻にも加わり、奇跡的に戦死者を出さず生還する。
 特攻後、残存が「初霜」のみとなった二十一駆は解隊され、同じく「雪風」を残すのみとなっていた十七駆へ異動。佐世保→舞宮津湾へ移る。

 7月30日宮津湾が襲を受け、それによる直接的な損かったものの、陸近くで回避行動中、湾内に投下されていた米軍の機に触れて艦尾大破・浸体後部がしながらも獅子崎の近くまで這い寄り、浅瀬で擱坐となる。

 戦後処理】 戦後しばらく座礁状態のまま留め置かれる。昭和26年ごろになって舞航され、同年10月ごろまでに解体了したと思われる。

 東京都墨田区の「山田記念病院」に錨が所蔵。同病院の設立者が「初霜」で軍医をしていた縁で、解体時に入手したもの。

 ※日本軍勢力圏外における大破着底艦

 未完成状態で終戦を迎えた艦艇

 ※海外艦

ドイツ海軍正規空母
「グラーフ・ツェッペリン」

 在地:シュチェチン
 状態:自沈

【浮揚のち標的艦】

 1936年に起工されたが、独軍の戦略上、空母の建造は後回しにされ、さらに戦況の悪化により1943年になって大艦の建造は全て中断され、その後再開されることなくドイツは降する。
 降時点で9割まで完成していたと言われているが、ソ連に接収されることを恐れ、1945年4月25日、待避していたバルト沿(現ポーランド)のシュチェチンにて自沈した。

 戦後処理】 ドイツ戦後処理で、他の破壊艦と共にソ連海軍に割り当てられた。ソ連海軍は浮揚させた後に演習の標的として使用。1947年8月17日駆逐艦及び魚雷艇の攻撃によって沈された。

 2006年7月に、ポーランド石油採掘会社によって、バルトに沈んでいるところを発見された。


イタリア海軍正規空母「アクィラ」
 在地:ジェノバ
 状態:自沈

【浮揚解体処分】

 元は客ローマ」であったが、紆余曲折の末、空母として装されることになり、1941年11月から工事が開始された。しかし、多岐に渡る難工事のため進捗は遅れ、1943年9月イタリアが降した時点で完成度は80%だったという。
 イタリアの降後、ドイツに接収されて工事は続いたが、連合軍の襲や、さらに1945年4月19日連合軍に与したイタリア軍による攻撃を受けて大破、そのまま自沈処分となった。

 戦後処理】 1946年に浮揚された後、解体業者に売却された。1951年に解体了。


 関連動画

 関連静画

 関連商品

 関連項目

 (参照)終戦時作戦行動可能艦

空母 駆逐艦 (賠償引渡先) 潜水艦

Uボート

巡洋艦
補助艦

海防艦、呂号潜水艦、小艇、病院等は除外

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艦娘たちの戦後

173 ななしのよっしん
2018/09/20(木) 17:18:45 ID: Zprn08tjeu
外人に身体を売った挙句に仲間を蹴り殺しそう
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174 ななしのよっしん
2019/03/20(水) 17:25:31 ID: tpvYfZ8Npm
>>171
栗田君と同じこと言ってる気がするんだが…
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175 ななしのよっしん
2020/03/17(火) 09:02:50 ID: sTQVJ2/Yrz
今でも艦これの史実は正しいとか言う人っているのかな?
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176 ななしのよっしん
2020/05/31(日) 16:51:45 ID: wtbWnWUaXp
最終更新日: 17/05/14 17:59

泣ける
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177 ななしのよっしん
2021/05/25(火) 00:22:54 ID: 7Hd/CQki1X
遂に現存艦である宗谷艦これ実装されたわけだが
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178 ななしのよっしん
2021/05/25(火) 00:29:13 ID: Mb+isK2eD9
タイトル見て、田植えガンダムみたいに終戦後のんびり暮らしてる艦娘たちを思い浮かべたけど違った
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179 ななしのよっしん
2021/09/05(日) 18:45:55 ID: rsOXA8WhBi
生存組ならぬ、WW2に参加している艦で体現存組(艦としての原をとどめている)艦隊は何隻までいけるかな?
現時点では 宗谷IowaIntrepid の3隻で、日本で追加できるのは氷丸のみだけど
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180 ななしのよっしん
2022/04/30(土) 11:39:07 ID: e6i5vTrAsu
>>sm38968767exit_nicovideo

なんでこんなかれてるん?
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181 ななしのよっしん
2022/08/26(金) 10:01:51 ID: Yt8PcGaPoT
>>189
徴用入るんだろうか?
日本郵船がこのゲームに氷丸の名を使われるのを歓迎するとは思えない
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182 ななしのよっしん
2022/10/06(木) 18:20:17 ID: Yt8PcGaPoT
まあ日本郵船所属艦これに登場しても、一切無視して関わらない海保と同様の対応とる可性もあるが。
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