- プロ野球選手一覧 > 館山昌平
館山昌平(たてやま しょうへい、1981年3月17日-)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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館山昌平 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県厚木市 |
生年月日 | 1981年3月17日 |
身長 体重 |
181cm 93kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2002年ドラフト3巡目 |
引退 | 2019年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
2002年、日本大学からドラフト3巡目で指名されヤクルトスワローズに入団。背番号は25。
ヤクルト時代
2004年(2年目)に右肘の靱帯を断裂する怪我に見舞われた。
2005年には先発ローテーションに定着して10勝を挙げるなど、復活のシーズンとなった。
2006年は先発で結果が出ず、中継ぎに転向してシーズン終盤には抑えも任された。
2007年は5月から先発に回るが、好投しても全く勝ち星に恵まれない展開が続く。横浜ベイスターズ戦で延長10回を投げきりながら1失点でサヨナラ負けという聞くも涙、語るも涙な試合もあった。8月から今度は抑えに回されるがこちらでも負け運を発揮してしまい、結局シーズンを通して防御率3.17で3勝12敗という、「無援護ってレベルじゃねーぞ!」な数字を叩き出した。なおこの年の契約更改では、祖父が作成した200ページに及ぶデータ集を持参して交渉を行い、3勝12敗にも関わらず1600万円アップを勝ち取る。
2008年は無援護属性を村中恭兵に押しつけて1年間先発ローテーションとして活躍。昨年の見殺し王子っぷりが嘘のように勝ち星を順調に積み上げ、12勝3敗、防御率2.99という好成績を挙げて最高勝率のタイトルも獲得。昨年の借金を完済して見事に帳尻を合わせた。また中日ドラゴンズから5勝を挙げ「ドラゴンキラー」と呼ばれた。
2009年はさらに輪を掛けて勝ちまくる。前年8月から続く連勝を14まで伸ばし、金田正一の持つ球団記録(11連勝)を51年ぶりに塗り替えた。最終的に16勝6敗、防御率3.39で最多勝のタイトルを獲得。ヤクルトのクライマックスシリーズ進出の原動力となった。無援護、見殺し王子と呼ばれたのはすっかり過去のことになる。
2010年は右肩痛で開幕二軍が心配されたがギリギリ間に合う。5月に右肘痛で約2週間、6月に走塁時の骨折で1ヶ月強戦列を離れたが、3年連続となる二桁の12勝、リーグトップの4完封を挙げた。また最終戦の登板で規定投球回に滑り込んだ(防御率はリーグ3位の2.93)。
2011年は開幕からエースとして好投。後続に勝ちを消されることが多く(規定回数到達者ではリーグ最多の4回)、8月に右手の血行障害で一時離脱したが、シーズンを通して安定した内容で、11勝5敗、防御率2.04と好成績を残した。しかし血行障害が完治しないまま、クライマックスシリーズではリリーフと先発を兼任するなど無理をした影響で、オフに手術した。
2012年は前年の血行障害の手術の影響が懸念されたが、1年を通してローテーションを守る。固め打ちで大量援護を貰う時期と全く援護の無い時期の差が極端だったが、12勝8敗、防御率2.25の好成績でエースとしての貫禄を見せた。クライマックスシリーズでも1stステージ第2戦で6回無失点に抑え勝利を挙げたがチームは敗退した。
2013年は初めて開幕投手を務めたが、2試合目で右肘に違和感を覚えて緊急降板。右肘靭帯の再断裂で再建手術を受けることになり、全治1年でシーズン絶望になった。公式ブログの2013年4月7日の記事はヤクルトファンならずとも、涙を誘う内容である。
2014年は復活を期し一軍キャンプを迎えたが、練習試合で降板。再び右肘の手術を受け長期離脱。一軍登板することはなかった。
2015年はリハビリの影響で開幕を二軍で迎え、6月28日の読売ジャイアンツ戦でようやく一軍復帰を果たす。そして復帰2戦目となった7月11日の横浜DeNAベイスターズ戦で、6回1失点の好投で、2012年9月15日以来の勝利投手となった。3ヶ月で6勝を挙げ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献。オフにカムバック賞を受賞した。
2016年は右肘関節の遊離体摘出とクリーニング手術を受けた影響で10試合の登板、1勝4敗と負け越した。
2017年は不調で2試合に留まった。
2018年は5試合登板するも、2016年以来の白星とはならなかった。
2019年9月8日に現役引退を表明。引退試合となる9月21日の中日戦で先発登板し、1番大島洋平をセカンドゴロに打ち取った。
引退後
2020年から2021年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍投手コーチを務めた。背番号は92。
2022年から2023年までは福島レッドホープスの投手チーフコーチを務めた。背番号は現役時代と同じく25。
プレースタイル・人物
- 愛称は「タテヤマン」「ショウヘイヘーイ」「お館様」「神宮のうま味紳士」など。ヒットを打たれても要所を締める粘り強いピッチングが持ち味とよく評される。
- 大学時代からケガに見舞われ、現在までに右腕は10度メスを入れている(トミー・ジョン手術は3度)。肩の靭帯の部分断裂、血行障害、肘靭帯の部分断裂などの手術により、肩から手のひらにいたるまで、191針もの手術痕が残っている。
- 野球人にとって、ケガはつきものではあるが、ここまで利き腕にメスを入れている選手も珍しいだろう。そして、ケガをしても必ず戻ってくるところがヤクルトファンのみならず他球団ファンからも応援される(恐れられる)一因になっている。
- 高校時代は松坂大輔と2度に渡って延長まで投げ合い0-1でいずれも敗れている。日本大学では横浜ベイスターズの村田修一と同期で、プロでの背番号も同じ25(ちなみに福岡ソフトバンクホークスに在籍していた大野隆治も同期でやはり背番号25だった)。
- 村田修一とは寮で同室だったらしく、館山が故障でプロ入りが危ぶまれたとき、既に自由枠での横浜入りが内定していた村田は「横浜に入れるように俺がゴネてやる」と言ったらしい。プロ入り後も村田は館山のことを「生涯のライバル」と発言しているが、それに対して館山は村田について「仲は良いですよ」としか言っていない。ツンデレ?
- 2010年8月6日の横浜ベイスターズ戦で1回表にホームランを放ったが、先発投手が初回投球前にホームランを打ったのはプロ野球22年ぶりの記録である。
- ポケモンファンで、好きなポケモンはボーマンダらしい。
成績
通算投手成績
通算:15年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 279 | 207 | 21 | 11 | 85 | 68 | 10 | 24 | .556 | 1392.0 | 352 | 998 | 566 | 513 | 3.32 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最多勝利 | 1回 | 2009年 |
表彰 | ||
月間MVP | 3回 | 2010年8月、2012年4月、2012年9月 |
カムバック賞 | 1回 | 2015年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 4回 | 2008年、2009年、2011年、2012年 |
開幕投手 | 1回 | 2013年 |
関連動画
関連静画
関連コミュニティ
関連項目
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