PATAとは、 |
PATAとは、ヴィジュアル系ロックバンドX JAPANのギタリストで、
酒と猫と読売ジャイアンツをこよなく愛する、かわいいおじさんである。
本名は石塚智昭。 愛称は石塚先生。PATAという名は、漫画「パタリロ!」の主人公・パタリロに
性格が似ているという理由で、メンバー等から呼ばれていたのをそのまま縮めて付けたとのこと。
概要
高校時代、たまたま同じオーディションに出ていたXを目撃する。バンド全員お揃いの衣装で
YOSHIKIは髪が紫色、TOSHIが丸坊主でI'll Kill Youを歌っていたという。
YOSHIKIとTOSHIの話では当時のPATAは袖にひらひらの付いた王子様衣装で演奏していたとのことである。今は仙人様だけどね。
1982年 自身のバンド「BLACK ROSE」を結成。後に「JUDY」と改名。
ドラムが不在の時にはYOSHIKIにヘルプを頼んだこともあった。
1985年 JUDYが解散。しばらくは特定のバンドに所属はしていなかったようである。
1987年 ギタリストが不在だったXからオムニバス参加の為にヘルプとして呼ばれ、2曲に参加する。
そのままXとの関係は終わるはずだったが、同年春頃Xに加入予定だったギタリストISAOが交通事故による負傷のため加入を取りやめる事態が発生し、再びヘルプとして呼ばれXに参加。
4月10日神楽坂Explosionのライブ後(HIDE・TAIJI加入後の初ライブでもあった)YOSHIKIから「このままメンバーにならない?」と誘われ正式メンバーとなる。
後年PATAは加入について「ダラダラと居続けて気づいたらこの有様ですよ」と語っている。
1993年 ソロデビュー。普段何もしたがらないPATAが珍しく能動的にソロデビューした理由は
「BBA(ジェフ・ベックが結成した伝説のバンド)のティム・ボガードと共演したかったから!」とのこと…
またソロツアーを行う傍ら、X時代から仲が良かったhideのサポートメンバーとしても活動する。
1997年 X JAPAN解散。解散後はP.A.F、Dope HEADz、Ra;IN等を結成。
その他、相川七瀬のバックバンドとして活動する。
2008年 X JAPAN再結成に参加。現在に至るまでXとRa;INを中心に様々な活動を行っている。
石塚先生の巨人伝説
昔Wikipediaにも記載されていたのにいつの間にか消えているので、せっかくだから復刻。
- 個人事務所の名前がOFFICE GIANTS
- 巨人の試合結果次第でその日の機嫌が180度変わってしまうので、負けた日には「今日はそっとしておこう」という暗黙のルールがあった。
- PATAのプレイが輝いているときは大抵巨人が大勝した時。逆にプレイが荒いときはボロ負けした後。
- 東京ドーム公演前は一塁側ベンチに赴き、TAIJI曰く「この上ない幸福に満ち溢れた顔」で「ここが桑田の座った席かな?」と尻を擦り付けていた。また、ドームではToshlと共にキャッチボールしていた。しかも、ライブアンコールではユニフォームを着て戻ってきた。
- 93年の年末公演では大量の巨人グッズ共にベンチに降臨している先生が映像で確認できる。先生ェ…
- ちなみに、初東京ドームのゲネプロの日に巨人戦があり、「もし勝てば機材の搬入が遅れる」とスタッフが心配する中、巨人が負けて時間通りになったことで「(間に合って)よかったですね」とつぶやいたスタッフに対し「バカ野郎! 巨人が負けて何がいいんだ!!」と普段では考えられないほど激怒して当り散らしていた。この日はカレーが辛くてYOSHIKIが帰った日でもあり、その場のXスタッフを恐怖のどん底に叩き落したのは言うまでもない。
- レコーディングでX JAPANメンバー全員が渡米した際、国際電話や当時まだ珍しかったFAXで巨人の勝敗を試合のたびに友人に送ってもらっていた。
- hideのソロライブでスクリーンにジャイアンツが負けたときの試合が流され、怒ってステージ奥に引っ込んでいじけてビールを飲み始めた。
- 一応、戻ってきたものの、カメラに蹴りをお見舞いしたりと、いつもの様子とはまったく異なる暴れん坊ぶりが見られた。
その映像がこちら
- 一方で、巨人が優勝した時にはステージ上でダンスまで披露する超ごきげんさんぶりを発揮した。
- 1996年のhideのソロツアーでステージ袖にテレビを置いて試合結果を随時確認しながら演奏を行っていた。仕事中だというのに、そんなに巨人戦が大事か!? 石塚先生?
- 音楽雑誌にて、ソロでもXでもリリース予定がまるで無いという時期だったにも関わらず、ジャイアンツの話をするためだけに登場。プロミュージシャンとして本当にそれでいいのか!? 石塚先生??
- 1998年のテレビ出演で「ジャイアンツファンは保守的で、ロッカーでは無いのでしょうか?」という質問に対し「違います! ジャイアンツファンこそ真のロッカーだ!!」という名言を生む。アンタ、ジャイアンツファンの鏡や~
- X復活で開催されたトークライブに真っ先に飛んだ質問がなっちゃんなる女の子からの「今も巨人ファン?」で、待ってましたとばかりに「間違いない!」と即答し、それまで微動だにしなかった様子から一転生き生きとした表情で自分たちのライブが原因で前年優勝のジャイアンツが敵地(神宮球場)での開幕になったことを真剣かつ深刻に語っていた。ドームより神宮に行きたいとも。YOSHIKIは「余計な質問すんなっ(笑)」とやや不機嫌だった。
- この復活ライブは開始が2時間遅れたことで有名だが、表向きにHIDEのホログラム調整といわれているが、真相は・・・?
- 2019年4月20日には、Xメンバーとしては6番目となるTwitter参戦を果たす。この時点でツイッター参戦が無いメンバーはHEATHのみとなった。気になる最初のツイートは以下の通り。
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/PATA_Official_/status/1119443010649911296
- なお、このオフィシャルツイッターの呟きは案の定ほぼ9割方巨人の話か酒の話しかしていない。残りの1割がたまにXメンバーとの絡みや音楽のお話。その甲斐あってか、この年の原巨人は見事にリーグ優勝を果たしている。
巨人以外の逸話
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現場に居合わせたHEATH曰く「ロスである夜HIDEとPATAとHEATH&スタッフ数名でオークッドに出かけた帰り車でHIDEが「森に突っ込み、崖を登る危険な運転」をした時は、
「松本(HIDEの本名)、オマエいい加減にしろ!!てめぇ、本当に止まれ(激怒)」
と一度だけマジギレして怒鳴り散らし、HIDEも流石に大人しくなっていた」とのこと。 - 1994年4月14日(市川哲史の酒飲み日記参照)酔っぱらったHIDEがライターの市川哲史と20分にも渡る殴り合いの喧嘩を起こした時でも、電柱の影から乱闘をそっと二人を見守り(笑)2人が仲直りして「飲み直そう」と言った瞬間「遅かったな、待ってたぞ~(微笑)」と言って現れた。
市川氏曰く、「止めろよ、喧嘩を。」と思ったとか。
そんな事もあってか市川氏がPATAに「ロック界の三年寝太郎」、「究極の傍観者」というあだ名を付けた。
市川さん、素晴らしいです。 - この究極の傍観者ぶりはゲームでも確認でき、X JAPAN唯一のセガサターンゲーム『X Japan Virtual Shock 001』において、プレイヤーが選択肢を間違えてHIDEに襲い掛かられるというゲームオーバー場面で地蔵の如く楽屋で静止している様子が確認できる。後ろではガラスが割れる音すらしているというのにも関わらず・・・
- 上記の様に全てがHIDE絡みという事からも公私共々仲が良く、そのHIDEの死は堪えたらしく
一時期はギターリストとして続けていくのを悩んだほどだという。
2006年の市川氏のインタビューでも
「あいつの(未発表)曲を誰かに弾かれるのは癪に障る(だから参加している)」
「あいつの曲(hideのソロ曲)弾けない曲ないっすよ」
「俺のギターの相方はHIDEだけ」
と明言している。
SUGIZO「」
関連動画
ここまでかっこいいギタリストでも、本職は巨人ファンとHIDEの世話係である。
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関連項目
外部リンク
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