SUBARUとは、以下のことを表す。
- SUBARU - 日本の重工業メーカー。本項で説明する。
- SUBARU(自動車) - ↑が生産する自動車・ブランドについての記事。
- subaru - ゆっくり実況プレイ動画の投稿者だったが、現在は動画を全削除して引退している。
1の概要
SUBARU(スバル)とは、日本の重工業メーカーである。自動車の製造販売を中心に航空産業などを手がけている。
概歴
1917年(大正6年)5月、群馬県新田郡尾島町(現: 群馬県太田市)に海軍機関大尉の中島知久平が設立した民営の飛行機研究所「中島飛行機」が前身となる。だが、第二次世界大戦で日本が敗戦を喫したと共にGHQから航空機の研究・製造の一切が禁止され、同時に「富士産業」と改称。後に財閥解体の対象となったことで、工場毎に15社以上に分割されてしまった。
しかし、1950年に勃発した朝鮮戦争をきっかけにGHQの日本占領政策が転換。サンフランシスコ講和条約が発行されると旧中島飛行機系の会社で再統合し、1953年(昭和28年)には航空機生産を事業目的とする新会社「富士重工業株式会社」が発足した。最初に手がけたのはアメリカ、ビーチエアクラフト・T-34メンターのライセンス生産である。
2010年より、GAINAXとの共同プロジェクトとしてアニメ「放課後のプレアデス」の製作に携わっている。
2016年5月12日の取締役会において、同年6月28日の定期株主総会での承認の上で、2017年4月1日にブランド名と同じ「株式会社SUBARU」に社名変更することが決定した。
主な事業
自動車部門
詳しくは → SUBARU(自動車)
航空宇宙部門
前身は日本航空業界の草分けである中島飛行機であり、現在においても日本の航空宇宙業3位であり、小型練習機やボーイング機の生産分担を請け負うなどをしているが。日本興業銀行が株主となり、役員を派遣して経営陣を占めるようになり、航空宇宙事業への理解が減った事やUS-1A改開発の際の防衛庁関連で汚職事件を経て。自社サイトに航空事業の詳しい記述が無い。
しかし主翼など翼部製造の優秀さについてボーイングから評価され、国内開発でも貢献している。複合材製品については世界屈指の技術力を持つ。
住宅事業部門
過去の主な事業
産業機器
「ロビン」ブランドを用い、土木機器・発電機・ゴルフカート・スノーモービル・バギー車などに搭載される小型汎用エンジンを開発、生産していた。かつては汎用エンジン業界で世界第4位のシェアを持ち、米国と中国に生産拠点を置いていた。
2017年9月末で事業からは撤退。一部製品と米国での販路をヤマハ発動機に譲渡している。
環境技術
自動二輪車
富士産業時代に第二次世界大戦終了直後に入手したアメリカ合衆国製のパウエル式スクーターを手本に開発した「ラビットスクーター」というブランド名でスクーターを製造していた。また富士重工として統合する前、富士工業はハリケーンという名のオートバイの製造販売もしていたがあまり売れなかった。
なお、ラビットスクーターは一般家庭への自動車の普及や、スーパーカブの台頭などで1968年6月に生産を終了した。
バス車体架装事業
1946年(昭和21年)に小泉ボデー製作所にて、日本で初めてレームレスモノコック構造によるリヤエンジンバス「ふじ号」を1949年(昭和24年)に開発した。富士自動車工業となりスバル360等の開発を行い、後に現在の主力となる自動車事業の元となった。
一時期はバス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体内製化で生産台数が減少、2003年3月でバス車体架装事業を終了する事となった。それまでに製造されたバスのアフターサービスはスバルカスタマイズ工房で行っていたが。これもスバルの特殊車両を手がける桐生工業に合併する形で解散している。
鉄道車両事業
1950年(昭和25年)から宇都宮車輛で製造され、富士自動車工業となった後でも宇都宮車両工場(現:エコ宇都宮工場)にて客車と気動車を旧国鉄、JR、私鉄、第三セクター向けに、東武鉄道へは電車を製造していた。
同事業は2003年(平成15年)に新潟トランシス新潟事業所(新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡される。
関連動画
関連コミュニティ
外部リンク
関連項目
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