本物の強者
気負うことなく
好位置を進み
ただ生真面目に
前を捉え
つとめて冷静に
後ろを封じる洗練を極めた戦術
簡単なことではない
それは本物の強者だけに
許された技量である
ジェニュインとは、1992年生まれの競走馬。みんな忘れているかもしれないが、父サンデーサイレンスに初めてのクラシックタイトルをプレゼントした馬である。
名前は「正真正銘」を意味する。松山康久調教師が相応しい馬に付けようと秘蔵していた取って置きの名前だったのだという。
主な勝ち鞍
1995年:皐月賞(GI)
1996年:マイルチャンピオンシップ(GI)
※その他のジェニュインについてはリダイレクト先の曖昧さ回避を参照のこと。
父*サンデーサイレンス、母*クルーピアレディー、母父What Luckという血統。母はアメリカで13勝もした馬で、血統も一流。正直、*サンデーサイレンスよりも良い血統である。
*サンデーサイレンス初年度産駒の中でも有数の高い評価を受けていたジェニュイン。新馬は負けるが未勝利を勝ち上がり「サンデーサイレンス旋風」の一角を担う。
しかし時、同期の*サンデーサイレンス産駒の中では、朝日杯3歳ステークスを勝ったフジキセキの評価が傑出しており、同レースを回避したジェニュインはファンにはあまり知られていなかった。
ところが、フジキセキは皐月賞前に故障。ファンは愕然。本命不在。おいおいどうすんだ、何買えば良いんだ!
そこへ3連勝して乗り込んできたジェニュイン。3番人気に推された彼は 直線入り口で先頭に立つと押し切って、タヤスツヨシを抑えて優勝。真っ黒な馬体に映える白いシャドーロール。おおお、なんかいいじゃんこの馬! ということでファンはフジキセキと故障中のナリタブライアンの姿を重ねて「三冠馬にな~れ!」と無茶な応援をしだしたのだった。
しかし、ダービーはタヤスツヨシの2着。いきなり三冠馬の夢は終わってしまう。*サンデーサイレンス産駒が皐月賞とダービーを独占した事は競馬ファンに衝撃を与え、ついでにオークスまでダンスパートナーが制した事で「どんだけだよ*サンデーサイレンス!」とファンは叫んだのだった。
が、秋になるとサンデー旋風はややトーンダウンする。タヤスツヨシは菊花賞トライアルを連敗。菊花賞は混戦模様となった。われらがジェニュインはというと、なんと菊花賞を蹴って秋の天皇賞を目指す事にしたのだった。これは当時としては珍しい事であったが、ジェニュインの気性面や距離適性が長距離走に向いていないと考え、今後中距離走を中心にマイルも絡めてキャリアを積んでいこうとした陣営の判断によるものである。ついでに言うとジェニュインの菊花賞回避と、その菊花賞でサンデー勢がマヤノトップガンの前に敗れ去った事で「サンデー産駒は長距離に弱い」という思い込みがファンに植えつけられてしまうのだった。そのせいでダンスインザダークが買えなかった人も多かった。
秋の天皇賞は抜け出したところをサクラチトセオーに鼻差差されて2着。この好走が翌年のバブルガムフェローの3歳秋天挑戦、制覇に繋がって行く事になる。しかし、有馬記念では10着に惨敗してしまう。
この時、岡部騎手がコメントで「風が強過ぎた」「風を気にしていた」とか言ったのであった。なんじゃそりゃ。ファンは笑い、この時以来、ジェニュインといえば「風が嫌い」というイメージが付いたのだった。ついでに言えばジェニュインは、風だけでなくカラスも新聞紙もファンが騒ぐのも気にするほどの神経質な馬だったのである(有馬記念に関しては距離の壁もあったようだが)。
早々に引退してしまったフジキセキやタヤスツヨシとは違い、ジェニュインは翌年以降もマイル~中距離路線で現役を続ける。4歳の安田記念は4着に終わったが、マイルチャンピオンシップでは外から捲って二つ目のGI制覇を成し遂げる。
5歳一杯まで走って引退したのであるが、結構いろんなところに出てきては掲示板以内に乗ってきて健在振りをアピールしていたものである。ジェニュインの同期がさっさと引退してしまった事で、サンデー産駒には当初「早熟」「故障が多い」みたいな偏見あったのだったがジェニュインが古馬になっても頑張った事で、そういう意見も薄れてゆく事になった。
正直、物凄く強いわけではない馬で、馬券的には一切あてにならず、そうかと思えば忘れた頃につっこんでくるので油断出来ない馬だった。黒い馬体は格好が良く如何にもサンデーサイレンス産駒という感じの馬だった。コンスタントにレースに出ていたので丈夫だったのかと思いきや、常に球節に不安を抱えていた馬だったのだという。
種牡馬入りしてからはいまいちだったが、オーストラリアにシャトル種牡馬として行っていた時の産駒Pompeii RulerがオーストラリアでGIに勝っている。あと、地方競馬で結構活躍している。まぁ、初年度産駒だけに父の*サンデーサイレンスの全盛期と戦わざるを得なかったのだからある程度は仕方が無い事だったろう。
2015年1月19日に放牧中、右後肢を骨折し、死亡となった。サンデーサイレンスの初年度産駒として活躍し、皐月賞を勝ち、3歳で天皇賞秋で2着に食い込み、マイルチャンピオンSでは1番人気の期待に応え勝利するなど、彼の起こした事は今後も語り継がれていく事だろう。
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edelweiss | |||
*クルーピアレディー Croupier Lady 1983 栗毛 FNo.4-g |
What Luck 1967 青毛 |
Bold Rulerr | Nasrullah |
Miss Disco | |||
Irish Jay | Double Jay | ||
Irish Witch | |||
Question d'Argent 1977 鹿毛 |
Tentam | Intentionally | |
Tamerett | |||
Cold Reply | Northern Dancer | ||
Respond | |||
競走馬の4代血統表 |
全妹クルーピアスターの産駒に菊花賞馬アサクサキングスがいる。
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最終更新:2025/01/01(水) 00:00
最終更新:2024/12/31(火) 23:00
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