ジャパニーズ・ウイスキー 単語

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ジャパニーズウイスキー

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ジャパニーズ・ウイスキーとは、日本の蒸留所で製造されるウイスキーの総称である。もともとはイギリスから呼称された呼び名であり、幾つもの賞を手にしてからは日本でも呼称されるようになった。

概要

内で生産されていて、日本酒税法で定義されるウイスキーの条件を満たしたものをす。

  1. 穀類とを原料とすること。
  2. 原料を醸造発酵させた後で蒸留を行うこと(アルコール度数は95度未満)
  3. 添加物としてアルコールスピリッツ、香味料、色素を加えることが可。ただし1及び2で製造されたウイスキーアルコール分が全体の10%を下回らないこと。

成年数に定義はないものの、スピリッツに該当する連続式しようちゆうの定義に当てはまるものは除外されている(ウォッカジンラムなど)。

ジャパニーズ・ウイスキーの多くはスコッチ・ウイスキーを手本としていて、味や香りの傾向も近いものになっている。
ただしスモーキーフレーバーが苦手な日本人向けに、穏やかであっさりした香り、味に仕上げているものが多い。
使用するアメリカオーク、ヨーロピアオークが多いが、産のミズナラを使う場合もある。熟成には時間がかかるものの、檀や伽羅といった香木に似た香りが付けられるなど、近年では海外でも注されている。

ブレンデッドにおいては、スコッチ・ウイスキーでは他の法人所有の蒸留所からも原を買い取って使用することが多いが、ジャパニーズ・ウイスキーではまれで、同一法人所有の蒸留所の原しか使わないことが多い。
そのため、蒸留所内で香りや味の傾向が異なる複数の原を製造していて、蒸留所数か所分のを持たせている。

歴史

ウイスキー日本にもたらされたのは幕末のころで、鎖国が撤されてからアメリカを中心に駐留外国人向けとして輸入されるようになった。

明治に入ると、内でもウイスキーの製造が始まったが、その多くが模造品であった。
海外から輸入した、糖蜜を使った蒸留アルコール砂糖や香料を加えてウイスキーのように見せかけたものばかりであった。
等条約正により日本関税権が回復されると、輸入アルコールに高い関税をかけて内の造業の保護が行われるようになり、内産のアルコールが使われるようになった。しかし模造品から脱することはなかった。 

大正時代に入ると、本格的なウイスキーの製造をす動きが出る。大阪摂津造の阿部喜兵衛岩井喜一郎は、同社の若い職人政孝をスコットランド派遣し、ウイスキー技術の修業に出す。
一方で玉ポートワインヒットに沸いた壽屋(現:サントリー)の創業者、井信治郎も模造品レベルウイスキーを出しつつも、本格的なウイスキーづくりをめ、スコットランドから職人を招聘することを考えていた。 

摂津造が資難のためにウイスキー製造を断念し(ただし岩井摂津造を離れた後、の残した製造技術をもとに、本坊造でウイスキーの製造に乗り出す)、内で途方に暮れていたのことをにした井は、職人として招き入れた。
蒸留所として、壽屋のある大阪から近く、冷な場所を探した末に、大阪府三島島本山崎蒸留所を建設、本格的なウイスキーづくりが始まった。
1929年に最初の本格ウイスキー札」(現:サントリーホワイト) が発売されたが、スモーキーフレーバーが不評で売れ行きはいまいちだった。
本格める日本人向けをめる井との意見は一致することはなかった。

契約期間を終えて壽屋を退社した後、井は日本人にも好まれる味をめざし、1937年サントリー角瓶を発売、ヒットした。その後太平洋戦争突入後は、海軍角瓶を供給、当時の将校から好評を得るきっかけとなった。

一方で券会社からの出資などによって大日本果汁(現:ニッカウヰスキー)を設立、1934年余市蒸留所を建設した。地元のリンゴを使ったジュースワインの販売から始まり、1936年に本格的なポットスチルが作られると、アップルブランデーとともにウイスキーづくりに着手した。
1940年ニッカウヰスキー完成するが、ほどなくして太平洋戦争に突入、軍向けの類の製造にスイッチしている。 

戦後酒税法によってウイスキーが5未満の3級ウイスキーが幅を利かせたことで、本格的なウイスキーめるニッカは苦に立たされる。一方でサントリーは、3級のトリスから1級の角瓶オールドをえることで、内でのウイスキー市場でのトップシェアを獲得する。

1954年アサヒビールニッカの筆頭となってからは、弱みであった営業部門をアサヒビール支援するようになる。1956年に、利益率を下げつつも高品質低価格をした丸びんニッキーヒット、この路線でニッカ人気を得て、内第2位の地位を築いていった。

1955年には大葡萄酒(のちに三楽、現在メルシャンに買収)がオーシャンウイスキーを発売、低価格帯を中心に売れていく。また、1972年にはキリンビール米国シーラム社の合弁でキリンシーラム(現:キリンディスティラリー)が設立、モルトグレーン原のみのウイスキーで勝負した。

1980年代後半に入ってバブル景気が訪れると、サントリーボウモアニッカベン・ネヴィス、宝酒造トマティンを買収した。当時のスコットランドではウイスキー蒸留所は経営困難なところが多く、もともとスコッチベースウイスキーづくりをしている日本メーカーによる買収はむしろ歓迎された。

1990年代になって酒税正、さらに海外ウイスキーへの関税が引き下げられたことで、高品質のウイスキーが低価格で販売されるようになった。それに伴って、ジャパニーズ・ウイスキーでもシングルルトの銘柄が販売されるようになった。

2001年に、ニッカシングルカス余市10年で、ウイスキーマガジンによるベストオブベストで最高得点を獲得し、多くのウイスキーにとって低レベルと思われたジャパニーズ・ウイスキーの品質に驚きを与えた。
これをきっかけに、ニッカサントリー、そして地ウイスキーメーカーベンチャーウイスキーが次々と高い評価を得て、手本としていたスコットランドでもジャパニーズ・ウイスキーは確かな生産地として記憶されるようになった。

 主なメーカー、蒸留所

サントリー

本格的なウイスキーを最初に製造。巧みな販売戦略もあり、内でのウイスキーシェアトップを誇る。
当初の経験から、日本人の口に合う穏やかな味を特徴としている。
2014年には、ジムビームを販売する米国ビーム社を買収し、世界的なウイスキーメーカーへと成長している。

ニッカウヰスキー

スコットランドで製造技術を勉強した政孝によって設立。スコッチ・ウイスキーに似た個性を持たせた香り、味を持つ。いちくジャパニーズ・ウイスキーの評価を得ている。

キリンディスティラリー

1972年に、米国シーラム社と合弁でキリンシーラムを設立。2002年キリンビール子会社となり、現社名となった。
2007年キリングループに入ったメルシャンからウイスキー事業を受け、オーシャンブランドウイスキーも製造している。ただし軽井沢蒸留所は2012年閉鎖された。
2021年頃から新ブランド「陸」や「富士シリーズ」を立ち上げ、ウイスキー部門の売り上げが好調とのこと。2023年にはキリンビールマスターブレンダー(ブレンドにおける総責任者)が際的アワードHall of Fame」[1]を受賞するなど評価が高い。

その他メーカー

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関連項目

脚注

  1. *世界ウイスキー専門誌『ウイスキーマガジン認定際賞
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