ダイナコスモス(Dyna Cosmos)とは、1983年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
種牡馬として「雷帝」トロットサンダーを送り出した、社台グループ初の牡馬クラシックホース。
主な勝ち鞍
1986年:皐月賞(GⅠ)、ラジオたんぱ賞(GⅢ)
父*ハンターコム、母シャダイワーデン、母父*ノーザンテーストという血統。
父は1969年のミドルパークS、1970年のジュライC・ナンソープSなどを勝ったイギリスのスプリンター。1979年から日本で供用されたが、ダイナコスモスの他は中央重賞馬2頭を出すに留まり、ダイナコスモスがデビューする前にフランスに再輸出されてしまった。
母は不出走。ダイナコスモスは第2仔。
母父は社台グループ興隆の礎となった80年代の大種牡馬。
甥に函館記念を勝ったクラフトマンシップ・重賞3勝のクラフトワーク兄弟(半妹ワーキングガールの仔)、いとこに重賞2勝のカッティングエッジ・高松宮記念2着のディヴァインライト姉弟、近親にはダート重賞5勝のメイショウトウコンや、シンガポールG1を勝ったシャドウゲイト(カッティングエッジの孫)などがいる。
1983年3月25日、社台ファーム白老(現:白老ファーム)で誕生。そのまま一口馬主クラブの社台レースホースで募集された。
※この記事では時代に合わせ、馬齢表記を数え年(現表記+1歳)で記述する。
この年開業したばかりの美浦・沢峰次厩舎に入厩したダイナコスモスは、1985年9月29日、福島・芝1000mの新馬戦にて蓑田早人を鞍上にデビュー。父は短距離馬で地味めの血統、新規厩舎、福島デビューというところからも、それほど期待された存在ではなかったことが窺える。この新馬戦も1番人気には支持されたが、6頭立ての3着だった。
しかし中1週で坂井千明を迎えて同条件の折り返し新馬戦に臨むと、一転して7馬身差で圧勝。続いて11月の東京・芝1600mの平場400万下にて根本康広を迎えると、ここも5馬身差で楽勝する。
勝ち得戦(収得賞金の記事を参照)の白菊賞(400万下)は1番人気エドノハヤテに3馬身離されて2着に敗れたが、陣営は引き続き根本騎手と彼を朝日杯3歳ステークス(GⅠ)へと送り出した。この年の朝日杯は、無傷の3連勝で京成杯3歳Sを勝ったダイシンフブキが大本命。5番人気に留まったダイナコスモスは、スタートで思い切り出負けしたため根本騎手が手綱を引いて最後方に控える。そこから徐々に進出し、大外をブン回して直線を向くと鋭く追い込んだが、好位から狭いところを鋭く抜け出したダイシンフブキには及ばず1馬身半差の2着。敗れはしたものの、翌年のクラシックへ向けて実力を示した。
明けて4歳初戦は、当時は芝1600m戦だった京成杯(GⅢ)。ここでは1番人気に支持されたダイナコスモスだったが、逃げた牝馬ダイナフェアリーに4馬身以上離されて3着に敗れ、根本騎手はあえなく降板となってしまう。
70年代後半から生産者リーディングの1位に君臨し、日本一の生産者となっていた社台グループだったが、意外にも当時、まだ牡馬クラシックを勝ったことがなかった(牝馬クラシックはダイナカールで勝っている)。前年の85年にも朝日杯馬スクラムダイナを送りこんだが、皐月賞2着・ダービー3着に敗れている。
この年の社台のクラシック候補は2頭。共同通信杯をレコード勝ちしたダイナガリバーと、このダイナコスモスであった。もっともノーザンテースト産駒のダイナガリバーに対し、短距離血統と見られていたダイナコスモスはあくまで2番手であったのだが。
しかし2番手でもクラシック候補は候補。社台グループの悲願へ向けて、ダイナコスモスはクラシックへ新たに名手・岡部幸雄を迎え、トライアルの弥生賞(GⅢ)へ向かった。ここではダイシンフブキと再びの顔合わせとなったが、この朝日杯ワンツー組の人気はというと、ダイシンフブキが3番人気、ダイナコスモスが5番人気。*ハンターコム産駒のダイナコスモスも、*ドン産駒のダイシンフブキも2000mは長いと見られていたのだ。それと朝日杯の勝ち時計がイマイチで、レベルが低かったのでは?とも見られていた。
しかしレースは懐疑の視線を一蹴するかのように、この朝日杯組2頭の熾烈なデッドヒートとなる。ニッポーテイオーのスロー逃げで全体が折り合いを欠いたレースを、ともに好位で進めたダイシンフブキとダイナコスモスは直線でニッポーテイオーを捕まえて叩き合いに突入。朝日杯の雪辱を期して食い下がったダイナコスモスだったが、クビ差振り切られてまた2着に敗れた。
とはいえ優先出走権もゲットしたので、そのままダイナコスモスと岡部幸雄は皐月賞(GⅠ)へと乗りこんだ。この年はスプリングSが降雪で1週延期になり、中1週になったこともあってか混戦ムード。1番人気はまだ距離が不安視されていた無敗の3歳王者ダイシンフブキ(3.3倍)。2番人気はスプリングSを回避し共同通信杯から直行になったダイナガリバー(4.9倍)。3番人気は弥生賞4着のアサヒエンペラー(5.0倍)、4番人気はシンザン記念と毎日杯を連勝したフレッシュボイス(5.9倍)で、この4頭が人気を分け合う形となった。ダイナコスモスはそれに次ぐ5番人気だったが離されて13.8倍。5戦5勝のダイシンフブキがまだ距離を不安視されていたのに、いわんやダイナコスモスをや、という感じであった。
レースが始まる。ダイシンフブキが前目で先行する一方、8枠19番のダイナコスモスと岡部幸雄は、ダイナガリバーを前に見ながら後方に構えた。そして3コーナーから名手・岡部の手綱捌きが冴え渡る。するりと馬群の中に潜り込むと、外で既に押っつけているダイナガリバーを尻目に抜群の手応えで進出開始。直線入口では外に進路を確保した状態で好位に取り付くという完璧なレース運びを見せると、ダイナコスモスもそれに応えて直線で鋭く脚を伸ばし、ダイシンフブキら先行集団をあっさりと置き去りにする。最後方から捲ってきたフレッシュボイスただ1頭が猛追してきたが、その追撃をクビ差退けたところがゴール板。3着以下は1秒以上離した圧勝であった。
岡部幸雄は2年前のシンボリルドルフに続いて皐月賞2勝目。沢師は重賞初制覇がクラシック。そして天下の社台グループにとっても、これが初牡馬クラシックタイトルとなった。
かくして距離不安を蹴っ飛ばして皐月賞馬となったダイナコスモスだったが、続く東京優駿(GⅠ)では「2000は保っても2400は……」とやっぱり距離が不安視されたか、3連勝でNHK杯を勝ってきたラグビーボールに次ぐ2番人気。レースは中団馬群の中から進め、直線では前で抜け出したダイナガリバーを目標に脚を伸ばしたが、やはり世評通り2400はちょっと長かったか、ダイナガリバーに振り切られ5着。社台グループ悲願のダービー馬の地位は同冠のライバルに持って行かれることになった。
この敗戦で陣営は秋の目標を菊花賞ではなくマイルCSに定め、6月のラジオたんぱ賞(GⅢ)へ。トップハンデ58kgを背負うことになったが、早めの進出から直線悠々と抜け出し、ニッポーテイオーを突き放して1馬身半差で快勝。皐月賞馬の貫禄を見せる。
しかしその後、脚部不安を発症。父がもう輸出されてしまっていたこともあり、そのまま現役引退、種牡馬入りとなった。通算10戦4勝 [4-3-2-1]。
引退後はアロースタッドで供用され、例年50頭前後と当時としてはそこそこ牝馬を集めた。
2年目の産駒に浦和から中央入りしてマイルCSと安田記念を勝った「雷帝」トロットサンダーが登場。中央重賞馬は他に同じ2年目の産駒でカブトヤマ記念と小倉大賞典を勝った牝馬ワンモアラブウエイのみだったが、産駒の距離適性が基本的に短距離~マイルである中、地方ではなぜか2500mの東海菊花賞を勝ったホウエイコスモスを出していたりする。
トロットサンダーは種牡馬としては目立った結果は残せなかったため、直系は残っていない。
ダイナコスモスは2002年限りで種牡馬を引退。その後は門別町の門別牧場で余生を過ごしていたが、2006年1月30日、老衰のため死亡した。23歳だった。
| *ハンターコム 1967 黒鹿毛 |
Derring-Do 1961 鹿毛 |
Darius | Dante |
| Yasna | |||
| Sipsey Bridge | Abernant | ||
| Claudette | |||
| Ergina 1957 黒鹿毛 |
Fair Trial | Fairway | |
| Lady Juror | |||
| Ballechin | Straight Deal | ||
| Gilded | |||
| シャダイワーデン 1977 栗毛 FNo.22 |
*ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| Lady Victoria | Victoria Park | ||
| Lady Angela | |||
| シヤダイプリマ 1970 鹿毛 |
*マリーノ | Worden | |
| Buena Vista | |||
| ナイトアンドデイ | *ラティフィケイション | ||
| *ナイトライト |
クロス:Lady Angela 5×4(9.38%)、Nearco 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/16(火) 10:00
最終更新:2025/12/16(火) 09:00
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