ハッピープログレスとは、1978年生まれの日本の競走馬である。栗毛の牡馬。
日本競馬にグレード制が導入された最初の年、7歳にして初めてGIレースに格付けされた安田記念に勝利した、日本最初のマイル王。
主な勝ち鞍
1982年:CBC賞
1983年:阪急杯
1984年:安田記念(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)、スプリンターズステークス(GIII)、CBC賞(GIII)
※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
父フリートウイング、母シングルワン、母父ヴィエナという血統。
父フリートウイングはアメリカ産のナスルーラ系種牡馬で、現役時代は芝のオイルキャピトルHを制していた。種牡馬としてはハッピープログレスが代表産駒である。中央で活躍した他の産駒には82年産のフリートホープなどがいる。
母シングルワンは中央で15戦6勝の成績を残した後繁殖入りした。
母父ヴィエナはイギリスで重賞7勝。種牡馬としても凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブルを送り出していた名馬だが、残念ながら日本に来てからは振るわなかったようである。
1978年4月15日に村上牧場で生まれた。誕生した当初は牧場内の同世代の馬では最も小柄で、競走馬になれるかも心配されていたが、2歳になった頃には馬体も充実してきた。3歳になったハッピープログレスは騎手時代はキーストンの主戦としてダービーを勝った栗東の山本正司厩舎に入厩した。
1980年11月の新馬戦を武邦彦を鞍上に迎えてデビュー。ここは5着に敗れたが、2戦目で逃げ切りで勝利。3戦目の条件戦を勝利した後のOP戦中京3歳ステークスではここから多くのレースで騎乗する飯田明弘騎手に乗り替わり、ここも勝利して連勝を4に伸ばした。
4歳からは得意距離とみられる短距離路線を進んだが、7着→4着→7着と振るわず、秋は距離を伸ばして菊花賞トライアルの神戸新聞杯、京都新聞杯に続けて参戦した。しかし神戸新聞杯では後にエリザベス女王杯を勝つアグネステスコ、京都新聞杯では「トライアル三冠馬」サンエイソロンに敗れ、年内最終戦として出走したダート戦でも3着に敗れて、4歳時は未勝利に終わった。
5歳時は初戦の1300万下のダート戦を勝利しオープンクラスに復帰。2戦目のOP戦淀短距離ステークスも勝利し復調を見せたが、3戦目の中京記念では15着に惨敗。久しぶりに武邦彦騎手に替わったマイラーズカップも10着に敗れ、その後脚部不安が判明し休養に入り、復帰戦は12月のCBC賞となった。ここでは阪神3歳S覇者リードエーティとサニーシプレ―、日経新春杯を勝っていたアジシバオー、桜花賞馬ブロケード、前年度覇者のアグネスベンチャーなどこれまでにない強敵が集まったが、後方から追い込みアグネスベンチャーを半馬身抑えて勝利。脚部不安から復活し5歳で重賞初制覇を果たした。
6歳時はダート1800mの1800万下条件戦北山特別から始動。ここを2番人気7着とした後田原成貴に乗り替わり、5月のスワンステークスに出走する。ここでは13番人気と大きく人気を落としたが、ハギノカムイオーの3着と善戦。続く阪急杯では2歳下のニホンピロウイナー、1つ下のメイショウキングに次ぐ3番人気に推され、後方一気の追い込みで重賞2勝目。1番人気のニホンピロウイナーは9着に沈んだ。
その後は半年ほど休養を挟み、年末のCBC賞に連覇を目指して出走する。鞍上に主戦の飯田騎手も戻り万全の態勢で臨んだが単勝人気は9.7倍の2番人気に留まった。1番人気はまたしてもニホンピロウイナー。ハッピープログレスに敗れた阪急杯から夏競馬を走り、直近のOP戦を2連勝して参戦して来ていた。ここで再び勝利して来年に向け勢いを止めておきたいところだったが、2馬身半差の2着に敗れてしまい、連覇も逃してしまった。
翌年の1984年からは中央競馬にグレード制が導入され、それに伴いこれまであまり日の当たらなかった短距離路線も多くの改革が行われ、伝統あるマイル重賞安田記念と、秋に新設されたマイルチャンピオンシップがGIに格付けされた。ここまで主に短距離路線で走ってきたハッピープログレスもGI勝利を目指すことが可能になったことから、7歳シーズンも現役を続行することになった。
7歳始動戦は2年前に勝利した淀短距離ステークスだったが、ここで同じく始動戦として出走してきたニホンピロウイナーと早速再戦することになり、結果は前走CBC賞と同じく3馬身離され2着に敗れた。次戦は今年から新しくGIIに格付けされた2月のマイラーズカップで、同じローテーションでニホンピロウイナーも出走。ハッピープログレスはここまでの連敗で4番人気まで人気を落とした。しかし不良馬場で開催された本番では2、3番人気のリウジンフジとミスラディカルを抑えて4着。掲示板は確保した。重馬場を大の苦手としていた大本命ニホンピロウイナーは大井、金沢競馬を経て中央競馬に移籍して来ていた12番人気のローラーキングに足をすくわれ2着。更にその後骨折が判明し戦線離脱を余儀なくされた。
大本命が不在になる中、ハッピープログレスはこの年から整備された春の短距離重賞路線に参戦。3月のGIIIスプリンターズステークスに3.5倍の1番人気で出走すると後方3番手からスプリント戦ではなかなか決まらない追い込みを決めて勝利。4月のGII京王杯スプリングカップでは前年桜花賞馬シャダイソフィアを抑えて再び1番人気に推され、後方5番手から直線で大外一気を決め2連勝。そして春競馬の最終戦としてこの年からGIに格付けされた伝統のマイル重賞安田記念を目標に据えたが、年明けからの連戦の影響もあり、脚部不安や筋肉痛の症状が見えてきた。回避も考えられるほどの状態だったが、陣営も7歳にして訪れたGI獲得のチャンスを諦められず、必死の調整も実り何とか出走に漕ぎつけた。しかし不調の話は伝わっており、前哨戦を連勝した来たにも関わらず2番人気に留まった。
本番の安田記念は名手岡部幸雄鞍上の1番人気アサカシルバーの他、前哨戦で戦ったシャダイソフィア、キヨヒダカ、ダスゲニー、ドウカンヤシマ、ワールドキングの他、安田記念と同じ1600mの東京新聞杯を勝っていたシンボリヨーク、南関東三冠馬サンオーイなど、22頭中16頭が重賞馬という豪華メンバーで開催された。ハッピープログレスは靄が立ち込める中これまでと同じく後方待機から直線で外に持ち出し、大外一気の末脚でシャダイソフィア、サンオーイ、アサカシルバーを抜き去って1馬身4分の3を付けて悲願のGI制覇。「春の短距離重賞三冠」を達成し、7歳にして日本の短距離界の頂点に上り詰めた。残る目標は秋に新設されたマイルチャンピオンシップを勝利しての春秋マイルGI制覇。そして秋には戻って来るであろうニホンピロウイナーとの決着をつけるだけであった。
夏は春の連戦の疲れを取るため長めの休養を取り、秋の大目標マイルチャンピオンシップの前哨戦であるGIIスワンステークスから復帰。ここには前走復帰戦の朝日チャレンジカップを勝利したニホンピロウイナーも出走して来ていたが、陣営は本番前の叩きとして決着を先送りし、休み明けということもあって単勝人気も6番人気に留まった。ニホンピロウイナーが7馬身差で圧勝する中ハッピープログレスは3着と叩きとはいえマイル王の貫録を見せ3着に入った。
本番のマイルチャンピオンシップではニホンピロウイナーが単勝1.6倍の圧倒的1番人気に推される中、ハッピープログレスは前走の敗北が響いたか斤量差があったとはいえ神戸新聞杯勝馬でスワンステークスを出走取り消しになっていたダイゼンシルバーに次ぐ3番人気に留まった。しかし陣営はそんなことはお構いなく、打倒ニホンピロウイナーを目指して本番までに馬体をきっちり仕上げ、鞍上には安田記念を勝利した時と同じく天才ジョッキー田原成貴を迎えてハッピープログレスを秋のマイル王決定戦に送り出した。レースではニホンピロウイナーが内で揉まれている間に最後方から第4コーナーで一気に先頭に躍り出て馬場の真ん中を突き抜けたが、ニホンピロウイナーも巧みに馬群を捌き最内から猛追。最後は内外離れての一騎打ちの末半馬身及ばず2着に敗れた。しかし3着ダイゼンシルバーは2馬身半突き放して春のマイル王としての強さは見せた。
その後ハッピープログレスは7歳という年齢のこともあり年内一杯で引退することになり、年末のCBC賞を引退レースとすることになった。ここを61キロのトップハンデも物ともせず、いつも通り後方から直線で追い込み2着シャダイソフィアを半馬身差抑えて勝利。有終の美を飾りターフを去った。
引退後はJRAの九州種馬場で種牡馬入りしたが、馬産の中心地ではなかったこともあって種牡馬成績はオープン馬が数頭とパッとしなかった。1995年には用途変更となり種牡馬を引退。九州から那須種馬場に移って余生を送っていた。その後2000年4月8日にJRA主催のイベントで阪神競馬場を訪れたが、イベント終了後に馬房に戻る際急性心不全を発症してしまい死亡してしまった。23歳だった。
グレード制導入時を現代から振り返ったとき、短距離最初の名馬として語られるのは多くの場合ニホンピロウイナーであり、翌85年にかけて残した実績からそれは確かに間違いない。しかしグレード制導入初年度、7歳にしてGIの栄冠をつかみ、距離を伸ばしての短距離重賞3戦を全て追い込みで勝利した84年春の実績は短距離最初の名馬と呼ぶにふさわしいものであった。最後方から直線入り口で先頭に立ち、後の「マイルの皇帝」を半馬身まで追い詰めた短距離三冠馬ハッピープログレス。日本最初のマイルGI王者としてもっと評価されるべき、語られるべき競走馬だと思う。
ハッピープログレスのオーナーの名前は藤田晋氏であるのだが、これは最近馬主業を始めたIT企業サイバーエージェント社長の藤田晋氏とは同姓同名の別人で、ハッピープログレスのオーナーは元安藤建設の社長を務めた人物であった。しかしnetkeiba.comでは同姓同名の人物を分けて表示することが出来ず、検索結果では両者の所有馬が一緒の検索結果に表示され、獲得賞金順では未だにハッピープログレスが先頭で表示されている。新進気鋭の馬主藤田晋氏はハッピープログレスを超える名馬を所有することはできるだろうか。
*フリートウイング Fleet Wing 1966 鹿毛 |
Fleet Nasrullah 1955 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Happy Go Fleet | Count Fleet | ||
Draeh | |||
Akimbo 1956 栗毛 |
Pan | Atys | |
Pretty Girl | |||
Posture | Spiral | ||
Imposture | |||
シングルワン 1974 栗毛 FNo.16-g |
*ヴィエナ 1957 栗毛 |
Aureole | Hyperion |
Angelola | |||
Turkish Blood | Turkhan | ||
Rusk | |||
レスリーカリム 1962 栗毛 |
*カリム | Nearco | |
Skylarking | |||
ハツカゼ | タカクラヤマ | ||
マツカゼ | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 4×4(12.50%)、Mumtaz Begum=Mirza 4×5(9.38%)
掲示板
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最終更新:2024/04/28(日) 02:00
最終更新:2024/04/28(日) 02:00
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