フランチェスコ・バニャイア(Francesco Bagnaia)とは、イタリア・トリノ近郊キヴァッソ出身のMotoGPライダーである。愛称はペッコ。
1997年1月14日生まれ。
2013年にMotoGPのMoto3クラスへの参戦を開始した。
2017年にMoto2クラスに移った。
2018年にMoto2クラスチャンピンを獲得した。
2019年からは最大排気量クラスに移り、プラマック・ドゥカティから参戦する。
2021年からはドゥカティワークスに移籍。
2022年に最高峰クラスワールドチャンピオンを獲得した。
ゼッケン63を付けている。
2011年と2012年のCEV(当時の名称はスペイン選手権)時代はゼッケン41を付けていた。
2013年のMoto3クラス初年度はゼッケン4番。
2014~2016年はゼッケン21番。
2017年にMoto2クラスに移ったが、ゼッケン21番はフランコ・モルビデリに使われていたので、21を2倍して、ゼッケン42番にした。
2019年に最大排気量クラスに移ったが、ゼッケン21番はフランコ・モルビデリ、ゼッケン42番はアレックス・リンスに使われていたので、21を3倍して、ゼッケン63番にした。
愛称はペッコ(Pecco)。2歳年上の姉カローラ(Carola)が幼いときフランチェスコと上手く発音できず、ペッコと呼んでいたことに由来する。(※この記事やライディングスポーツ2019年3月号が資料)
2018年シーズンはサインボードに「# GO FREE」と書いていた。英語で「自由になる」という意味。
ヘルメットはイタリアのSuomyと契約している。ライダースーツは星のマークでおなじみのアルパインスターズと契約している。
1997年1月14日生まれ。
2004年(7歳)からバイクに乗り始め、2005年(8歳)からポケバイレースを始めた。
2009年(12歳)はEuropean MiniGP championshipでチャンピオンになった、と英語版Wikipediaに書いてある。また、本人のInstagramには「2009年はイタリア選手権のチャンピオンになった」という画像が上がっている。
2010年(13歳)には、スペイン・カタルーニャ州バルセロナに本拠地があるTeam Monlauに入団し、「125cc地中海選手権」のランキング2位になった。
2011年(14歳)と2012年(15歳)はTeam MonlauからCEV(当時の名称はスペイン選手権)の軽排気量クラスに出場した。2011年はランキング3位。2012年もランキング3位。まずまずの好成績を残したので、翌年はMotoGPに参戦することになった。
2013年にMotoGPのMoto3クラスに参戦した。
入団したチームは「チーム・イタリア・FMI」で、これはイタリア二輪連盟が作ったチームである。この当時は、VR46(ヴァレンティーノ・ロッシが所有するチーム)が存在しておらず、「スペインに比べてイタリアは若手育成がなっていない!」と叫ばれていた時代だった。その世論に押されて、イタリア二輪連盟(FMI)がチームを作ったのである。
使うマシンはFTRのシャーシにホンダエンジンを積んだもので、他チームが使うKTMのマシンよりもはっきり劣るマシンだった。
チームメイトはロマーノ・フェナティで、彼はルーキーイヤーの2012年に1勝・2位2回・3位1回を挙げた実力者であった。その彼でさえ、2013年の最高成績が5位だった。
バニャイア本人の成績はさらに悪く、1回もポイントを獲得できなかった。
このときチーム・イタリアの監督に「お前はライダーに向いてない、職を代えろ」とまで言われたという。
チーム・イタリアの惨状を見てヴァレンティーノ・ロッシが若手育成を決意し、2014年にスカイレーシングチーム・VR46というチームを作った。
ライダーはチーム・イタリアの2人と同じ、ロマーノ・フェナティとフランチェスコ・バニャイア。使うマシンは、KTMのマシンだった。
2人とも前半戦は調子よく、フェナティは9戦して3勝・2着1回。バニャイアは9戦してシングルフィニッシュ3回、10位2回。ところが、この年からホンダのマシンの開発速度が一気に進み、後半は2人とも成績が伸びなくなった。
バニャイア自身は「自分の乗り方はKTMのマシンに合わない」と感じていたとこの記事で語っている。
2015年はマヒンドラワークスに移籍した。チームの母体はスペイン・バレンシアに本拠地を持つチーム・アスパー(現在の名称はアンヘル・ニエト・チーム)である。
インドのマヒンドラという4輪メーカーと、スイスのSuterというシャーシメーカーが手を組んで作り上げるマヒンドラのマシンは、エンジンパワーが今ひとつだったがコーナーリング速度が速かった。「マヒンドラのシャーシは本当に良かった。自分に合っているマシンだと思った」とこの記事で語っている。
2015年は表彰台1回。2016年は2勝・2位1回・3位3回。エンジンパワーが少し弱いマシンで、これだけの好成績を収めたのは素晴らしい。
ちなみに、マヒンドラワークスに在籍したあとに成長していったライダーはフランチェスコ・バニャイアの他に2名ほどいる。ミゲール・オリヴェイラとホルヘ・マルティンが、チャンピオン争いをするレベルのライダーに成長した。力の弱いエンジンのマシンに乗ってあれこれ試行錯誤することで、ライダーの技量が向上したのだろう。
2017年と2018年はMoto2クラスに参戦した。所属したチームは、スカイレーシングチーム・VR46のMoto2部門チームである。
1年目の第4戦スペインGPで2位表彰台獲得。Moto2初年度の前半戦で表彰台に乗ることは非常に難しいのだが、それを達成した。しかも、それを達成したのはヘレスサーキットであり、関係者各位を驚かせた。
ヘレスサーキットは、MotoGPライダーのほぼ全てが若い頃から走り込んでいるサーキットで、どのライダーも速く走ることができる。そのサーキットで好結果を残すのだから、ただ者ではない。
1年目は2位2回、3位2回、4位3回で、しかも転倒が一切無かった。この非凡な成績をみたプラマック・ドゥカティが、2018年2月に契約を結び、2019年からの最大排気量クラス参戦を決定してしまった。Moto2で未勝利のライダーに対してここまでの待遇をするのは本当に珍しく、異例のことだった。
2年目シーズンは快進撃を続け、8勝してMoto2チャンピオンを獲得した。プラマック・ドゥカティの首脳陣の眼力の正しさをきっちり証明した。
ドルナが作った格好いいチャンピオン紹介動画はこちら。
第18戦マレーシアGPでチャンピオンを決めたのだが、そのときのドキュメント動画も作られた。
ホルヘ・ロレンソやマックス・ビアッジに似た、コーナーリング速度を高めるタイプとされる。
「僕はホルヘ・ロレンソに似ていると思う」(バニャイア本人)
「ホルヘ・ロレンソに似ている」(フランチェスコ・グイドッティ監督)
「マックス・ビアッジに似て綺麗な走り」(カルロ・ペルナット)
ただ、バニャイア本人は、「僕はヨハン・ザルコほどマシンに優しいライディングスタイルではない。僕はヨハンよりもブレーキングが強めのライダーだ」と語っている。ヨハン・ザルコは技巧派の究極形といった感じのライダーだが、そこまでではない、と自己分析している。
Francesco Bagnaiaをどう読んでカタカナ表記するか、各メディアで分かれており、表記揺れしている。
ファーストネームでさっそく表記揺れしている。各メディアの状況は以下の通り。
13世紀頃のイタリアに「アッシジのフランチェスコ」という人がいて、カトリック(キリスト教の最大派閥)における功労者で、生きているときから聖人として扱われ、逝去した後もカトリックの中で皆から一目置かれる存在だった。
この人の名前がヨーロッパ各国に伝わり、イタリアではフランチェスコ(Francesco)、フランスでフランソワ(François)、ドイツでフランツ(Franz)、スペインでフランシスコ(Francisco)、イギリスでフランシス(Francis)となった。
フランチェスコという表記はイタリア語圏本来の読み方である。こちらのページでもceをチェと読むのがイタリア語と解説されている。イタリア人がフランチェスコと読む動画はいくつか見つかる。
一方で、フランセスコという表記は、Francescoという文字列を英語圏風に読んだものである。ceをセと読むのが英語圏。
MotoGPの公式実況は英語で行われ、実況者として採用されるのは英語圏の人ばかりである。そうした英語圏の実況者が「フランセスコ」と言ったので、MotoGP公式サイト日本版もそれに倣って「フランセスコ」と表記したのだろう。
セカンドネームでも表記揺れしている。各メディアの状況は以下の通り。
バニャイア | バニャーヤ | バグナイア |
Motorsport.com日本版 | ライディングスポーツ | MotoGP公式サイト日本版 |
東京中日スポーツ | ||
日テレG+ | ||
autosport.com日本版 |
イタリア人がBagnaiaを読む動画は多く見つかる。バニャーヤと呼んでいるものが多い。
英語圏の人がBagnaiaを読むとバグナイアとなることがある。gをちゃんと「グ」と発音する。
英語圏の人たちも一枚岩ではない。Bagnaiaを読むとバニャイアとなる人もいる。gを黙字として扱い、発音しない。するとイタリア人の「バニャーヤ」とよく似た発音になる。
普段は大人しいが、レースの時はスイッチが入り、レースを終えてピットに戻ってきた直後は結構荒々しい、と2018年タイGP決勝のときに上田昇さんが証言している。
ディスコ通いなどをするタイプではなく、読書をするタイプである。読むのは伝記物や、ニコラス・スパークスの小説。(ライディングスポーツ2019年3月号)
スポーツ選手の伝記物が好き。アンドレ・アガシやウサイン・ボルトの伝記はおもしろかった。マイク・タイソンの伝記は重い感じがした、と語っている(この記事が資料)
学校での得意教科は身体物理学、体育、イタリア史、イタリア語と答えている(ライディングスポーツ2016年2月号)
文系の素養がある人らしい。
父親。セッティモ・トリネーゼでエレベーターの会社を経営している。「2輪レーサーの父は2輪レーサー」という例が多いが、ピエトロはレーサーではない。こちらがピエトロさんの画像。
母親。夫とエレベータ企業を共同所有しており、その会社の営業で、イタリア国外に出張することもある。
Twitterアカウントがあり、子供の写真が多く載っている。結婚したのは1992年10月25日。
2歳年上の姉。1995年頃生まれ。フランチェスコのInstagramにしばしば出てくる。画像1、画像2、画像3、画像4 カローラはフランチェスコのレースに帯同して、フランチェスコの広報担当をしている。
9歳年下の弟。2006年頃生まれ。2016年になってレースを始めたという。フランチェスコのInstagramにしばしば出てくる。画像1、画像2、画像3
彼女。Instagramアカウントあり。フランチェスコのInstagramにもしばしば出てくる。
この項の資料・・・記事1、記事2、記事3、記事4、ライディングスポーツ2016年2月号
2015年1月(18歳)、ヴァレンティーノ・ロッシが主催するVR46アカデミーの一員になると同時に実家を出て、ランチ(ロッシの私設トレーニングコース)の近くのペーザロで家を借り、ロレンツォ・バルダッサーリとルームシェアして住んでいる。この動画はその家の様子が映っていて、途中でロレンツォが出てくる。(この記事が資料)
ロッシのランチでダートトラック(平坦な土の路面を滑りながら走る競技)のトレーニングを積んでいる。画像も多い。画像1、画像2、画像3 中にはゼッケン14番を付けて走る画像があるが、なぜ14番かというと誕生日が14日であるため。画像1、画像2、画像3
2018年ドイツGPの予選で、速く走ってパルクフェルメに戻ったはいいがチームスタッフが誰もおらず、ドルナのスタッフと抱擁していた。
小芝居動画に出演している。ウーチョ(ロッシの友人)、ジャコモ・アゴスチーニ(15回世界チャンピオン)、クラウディオ・コスタ(クリニカ・モビレの外科医)、パオロ・ベルトラーモ(突撃インタビューのテレビレポーター。執拗な取材をするので昔、ケヴィン・シュワンツに殴られたことがある)といった面々が出てくる。
掲示板
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最終更新:2024/04/19(金) 18:00
最終更新:2024/04/19(金) 18:00
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