人民寺院(じんみんじいん、Peoples Temple)とは、検索してはいけないカルト宗教である。
教祖はジム・ジョーンズ。現在は教団・信者ともにほぼ存在しない。
1950年代にアメリカで生まれ、妄想と紙一重の異常な思想に染まった教祖の下で海外への集団移住を行い、ついには大量の集団自殺という形で終焉を迎えた。
この集団自殺は世界中に衝撃を与え、現在に至るまでカルト宗教の代名詞として知られる原因となった。
当初の思想は、白人と黒人の融和、そして貧富の差の撲滅だったが、末期には「財産と生活を教団にささげること」「教祖とヤること」が第一とされ、最終的な目標は「別の惑星で皆ひとつの魂となり、永遠の幸福を得ること」と設定されていた。
1955年、インディアナ州で設立。
当初は貧困層や黒人に向けた布教活動を行い、差別解消・人種融和と、貧富の格差解消を説き、福祉活動に精を出す真っ当な組織だった。ただし、福祉活動の元手の稼ぎ方は、訪問販売と心霊療法という胡散臭いものだった。
設立後しばらくすると、当時ブームだったヒッピー精神・反戦活動に当てられて、指導者のジョーンズがおかしくなりだした。怪しい金稼ぎをしている事から自治体から警戒されるようになったことも拍車をかけた。
やがて彼のもとに「世界は間もなく核戦争で滅ぶ。無事で済むのは、カリフォルニア州ユカイアと、ブラジルのベロオリゾンテだけだ」という出所不明のお告げが下りた。
1965年、お告げの通りに、教団はカリフォルニアに移動した。
崇高な思想と活発な福祉活動がますます支持を集め、アメリカ中でその存在が知られるようになった。人民寺院の布教用大型バスが、アメリカ中を走るようになった。
この頃の教団は、好評が信者を集め、そのおかげで福祉活動もますます派手になりまた好評を呼ぶという好循環の中にあった。
だがジョーンズの迷走もますます進んだ。
ジョーンズはそれまで掲げていた聖書と決別、独自のユートピア構想を説くようになった。更にマスコミへの攻撃(嫌がらせ)など、自らを監視する存在への対抗も具体的になっていった。
1970年、ジョーンズがとうとう一線を越えてしまい、本格的にカルト化。
「寺院に全財産とこれからの人生を捧げること」「寺院の外は悪の世界であり、寺院の中にのみ救いがある」と教えを改めた。
おまけに彼は性欲オバケだったため、男女入り乱れた、彼だけのためのハーレムまで構築された。
この辺りで、何人かの信者(初期からいる古株が中心)が、「ジョーンズはおかしくなった」と気づき出した。人種による差別の撤廃を謳いながら、教団幹部は全員白人という点からも疑問を抱く者が現れ始めた。
事実、彼は自治体やマスコミを過剰に敵視・警戒するあまり、興奮剤や精神安定剤を乱用しており、更に教祖であるが故の抑止力の不在も手伝い、妄想が重篤化しつつあった。
その末に、ついに彼は海外への脱出を決断する。
1973年、ジョーンズは熱狂的な信者約1000人と共に、南アメリカ大陸北端に位置するガイアナ共和国へと教団を移転した。
豊富な資金で東京ドーム3つ分の土地を買い取ると、自分達の手で開拓し、様々な施設を整備し、外界と完全に隔離された巨大なコミューンを作り上げた。
この「ジョーンズタウン」は、まさにジョーンズのやりたい放題の町で、ラジオやテレビと言った外部の情報を得る代物もなく、強制労働と性的搾取のみで構成された、隔絶された要塞だった。
この頃のジョーンズは針が振り切れてしまったばかりか、「やがて自分と信者の魂は別の惑星でひとつになり、永遠の幸福を手に入れる」という新たなお告げまで受信していた。
信者たちにはたびたび集団自殺の予行演習を行わせ、挙句の果てには教団幹部を使ってのニセの襲撃を実行。脱出を企てる信者たちに恐怖を植え付け、町に閉じ込めるようにまでなっていた。
当初、これらの暴挙はほとんど外部へ漏れることはなく、アメリカに残った各地の支部による福祉活動も継続されていたため、まだまだ人民寺院はヒーロー的存在だった。
しかし、それも数年のことだった。
嫌気がさして教団を抜けた元信者の告発や、ガイアナに行ってしまった肉親を返してほしいと言う信者の家族による訴えの声が多くなり、アメリカ国民は一斉に人民寺院を敵視し、軽蔑し始める。教団はといえば、リンチすら辞さずに脱走者・告発者を厳しく取り締まるようになり、悪評の拡大を防ごうと躍起になった。
かくしてジョーンズタウンは、全体主義もびっくりの恐怖政治が支配する独裁国家と化した。
1978年、カリフォルニア選出の下院議員、レオ・ライアンが報道記者団と共にジョーンズタウンの視察に乗り出した。
議員の滞在中、教団側は必死に対応し、最初の数日はうまいこと隠し通した。事実、当初ライアンは「合衆国で聞かされた元信者の言葉を鵜呑みにし、諸君らを誤解していたようだ」とジョーンズらを高く評価していた。
しかし、薄汚い小屋の中で病人がゴミのように並べられている有様を目撃されてからはボロが出るばかりで、終いには脱出を希望する信者から「ここから連れ出してくれ」と言う内容のメモを密かに手渡される。さすがのライアンも、ジョーンズタウンの隠された異常さを確信せざるを得なかった。
帰国当日、ライアンは帰国希望者を連れて帰りたいとジョーンズに頼み込んだ。
ジョーンズはこれを渋々ながら承諾しつつ、その裏で、脱出を求める信者の中にスパイを同行させた。チャーター機に乗り込む段になって本性を現した彼らは、ライアンを含む視察団のメンバーの大半を射殺することに成功したものの、肝心のパイロットを取り逃がしてしまった。
この失敗により、ジョーンズタウンは実態の隠匿はおろか、存続すらも不可能な状況に陥った。
ちなみにこの襲撃の様子は映像で残っている。
撮影していたカメラマンは至近距離からのショットガンで頭部を撃ち抜かれて即死。
その後、トラクターから信者が下りて来て銃を発砲する様子が記録されている。
また、パイロット以外の何人かも、死んだ振りをするなどし、辛うじて生き延びている。
視察団の抹殺に失敗したジョーンズは、その日のうちに、かねてよりリハーサルを重ねていた集団自殺を実行に移した。
900人あまりの信者が、シアン化合物を飲んで一斉に自殺したのである。
ジョーンズタウンで暮らしていた信者のうち、約9割に当たる914人が死亡。うち267人は18歳以下の子供だった。
これら犠牲者は、2001年9月11日に「アメリカ同時多発テロ」が起きるまでは、アメリカ市民の事件による死亡者数では最大の規模だった。
自力で毒物を嚥下できない赤子や幼児には、大人の手でシアン化合物が注射された。抵抗するもの、逃げようとするものはその場で取り押さえられ、無理矢理注射されるか、或いは射殺された。
ジョーンズは信者達が次々と命を絶ってゆく中で最後の演説を続け、妻子の自殺を見届けると、銃で自らの頭を撃って自殺した。
視察団の生き残りからの知らせにより、駐在大使からの要請を受けたガイアナ国防軍が駆けつけた時には、全てが終わっていた。この時記録された、何百人もの老若男女が折り重なって死んでいる映像は、全世界に衝撃を与えた。
その後、集団自殺の際の音声を録音したテープが発見された。
そこには子供の泣き声や信者の会話に加えて、ジョーンズによる演説が流れる中、歌い続ける信者たちの声が徐々に減ってゆき、遂には無音になる様子が記録されていた。この音声もまた、カルトの恐ろしさを象徴する生々しい記録となった。
一方、中には脱出に成功した者や、死んだふりをして助かった者もいた。救出された彼らの証言により、人民寺院の真の姿は明るみに出た。
この集団自殺により人民寺院は完全消滅し、「カルト」という単語が世界的に知られるようになった。
掲示板
59 ななしのよっしん
2023/10/09(月) 20:43:50 ID: pbR8Fk/MW8
>>58
そうやって何事も過剰に単純化して考えようとするのはカルトの信者達と大差ないのよ……
60 ななしのよっしん
2024/02/20(火) 00:39:19 ID: SKHSVR7/Vt
>>58
昔は必要不可欠なものだったんだよ
科学が発達していった現代社会にとっては毒だけど
61 ななしのよっしん
2024/02/20(火) 00:42:32 ID: 07xM+1KQ9B
別に毒ではないね。人の財産を強制的に収奪したり犯罪行為を平気でやる宗教団体は毒だけどそれべつに宗教じゃなくて、宗教の名を借りた反社が毒ってだけだし
どんな時代になろうと人には縋るもの、拠り所となるものは必要だし、その一つに宗教があって、その役割は今も昔も変わらん。
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最終更新:2024/12/31(火) 01:00
最終更新:2024/12/31(火) 01:00
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