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国鉄戦後五大事故単語

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国鉄戦後五大事故とは、日本国有鉄道(1949年~1987年)が営業路線・航路で起こした事故のうち、死者が100人をえた5つの事故の総称である。

概要

日本国有鉄道が存在していた期間のうち、1951年1963年に発生した重大な事故の総称(桜木町事故、洞爺丸事故紫雲事故、三河事故鶴見事故)。原因は自然災害だけではなく、人災にあたる事故もあったため、国鉄は世間から批難を浴びることになった。
いずれも高度経済成長期に起きた事故であったため、輸送の増加対策に追われるあまり、安全対策はかえりみられていなかったことが原因とも言える。

これら事故を起こした国鉄はその後底して安全対策に取り組むことになり、1983年には「過去10年責任事故による客の死者なし」と言う世界的に見ても例があまりない記録を打ちたてている。

この五大事故のおかげで今日日本の鉄道は大事故がほとんど発生しなくなったと言ってもいいほど、当時の国鉄は問題を抱えていたのである。

五大事故

桜木町事故(1951年4月24日)

作業ミスで架線が垂れ下がっていたところに手配ミス電車が進入。架線が先頭のパンタグラフに絡まったことで、パンタグラフが破損して、体が接触。そこで電流の短絡が発生して、体の塗料に引火して1・2号炎上
当時の車両は自動であったが、短絡したことで作動せず、また乗務員や駅員は非常用ドアコックの場所を知らない状態であった。端部の貫通から乗客を脱出させようとするが、この貫通は乗客の貫通を的としていなかったため、内開きとなっていたおり、乗客の圧で開かず(当時の桜木町駅は終着1号寄りに札があったため、人が集中していた)。は中段を固定した3段構造な上に開口部の高さが29cmだったため、割って脱出することも困難。そして、発生現場は高架線であったため、集まった群衆は炎上している電車を見つめることしかできず。こうして、中にいた乗客は為す術もなく焼死した。

対策として、防火塗料の室内への塗布、パンタグラフ絶縁強化、端部の貫通路の設置を応急措置とした上で、後に貫通路拡、三段が全て動くように良と言った対策がされた。

洞爺丸事故(1954年9月26日)

台風15号(後に洞爺丸台風と命名)によって、洞爺丸を始めとした青函連絡船の5隻が転覆・沈没。
閉塞前線の通過による晴れ間を台風が通過によるものと判断した船長が、などに衝突する恐れのあ函館港内ではなく合いでやり過ごすことを選択。出航した結果、遭難に至ってしまった。(洞爺丸以外の連絡船も同様の審判となっている。)

ただし

  • 当時の日本の気観測は質が悪かったため、天気予報が非常に困難なものであった。(閉塞前線の通過というのも事故後に長い期間をかけた考によるものである。)
  • 出航の判断は船長任せになっていた。
  • これまでの経験から、函館湾内は波が(較的に)穏やかな地勢となっていると考えられていたが、(この台風によってもたらされることになった)南南西からのによる波だけは大波となって押し寄せてくるという知見は得られておらず、波による浸を防ぐためにを設置するといった対策はされていなかった。

といったことには留意しなければいけない。

この事故により、青函連絡船はほとんどの船を失ってしまい、戦争直後以来の大打撃を受けることになった。
対策として、密丸の設置、重油燃焼装置・自動給炭機の設置(が入ったことでボイラーに石炭が投入できなくなったことへの対策)、重心の低下化が行われ、出航判断も船長での合議制に変更。
その後、新造された連絡船についても安全性が強化され、このような事故青函連絡船で起きることはかった。

また、この事故の影により、青函トンネル構想が急速に動き出し、青函連絡船は最終的に止されることになった。

紫雲丸事故(1955年5月11日)

  • 発生現場:高連絡船・女木
  • 死傷者数:死者168人、負傷者122

紫雲丸が第三高丸と衝突して沈没。修学旅行中の児童が乗っていたこともあり、死者が増えることになった。
衝突した原因は紫雲丸が衝突直前にの左旋回をしたため(本来は右旋回。なお左旋回した理由は船長事故死したため不明)。

この事故ののち停船勧告基準が強化され、高連絡船で人身事故は発生しなくなった。また、この事故6月に起きた中学校難事件(水泳訓練中に生徒が溺死した事件)を理由に、全の小中学校水泳プールが設置され、水泳が必修となる。

しかし、停船勧告基準の強化が高連絡船にとって輸送上の障となってしまったため、瀬戸大橋が建設されることになった。

三河島事故(1962年5月3日)

貨物列車が出発信号機の停止信号を誤認し、行き過ぎて安全側線に突入して脱線。機関車とタンクが下り本線を塞ぐ。直後に下り列車三河島駅を出発し、下り列車を塞いでいた機関車と衝突して脱線。車両の一部が上り本線を塞ぐ。しかし、この段階では被害は小さく、下り列車の乗客は脱出して線路を歩き始める。
その後、上り列車が下り列車から避難していた乗客をはねた上に、下り列車と衝突し、下り列車の先頭は大破。さらに上り列車は先頭が大破し、2・3両は築下に転落。
にも、下り列車の乗客は桜木町事故によってわかりやすくなった非常用ドアコックを操作して脱出して事故に巻き込まれたと言う、安全対策の強化がこの事故を引き起こしたと言うことになってしまった。

対策として、自動列車停止装置ATS)の設置、信号炎管・列車防護無線装置の設置が行われた。今日日本の鉄道が安全なのはこの事故によるものが大きい。

鶴見事故(1963年11月9日)

品鶴線を走行していた貨物列車の後部にあった貨車突然脱線して、東海道本線上り本線を塞いだところに、横須賀線(当時の横須賀線東海道本線と同じ線路を走行)の上下列車が同時に進入して衝突。
原因は競合脱線とされるが、競合脱線は様々な状況が複合して起きる脱線であるため、事実上は「原因不明」。ただし、脱線した貨車であるワラ1形はワム60000形と類似しているとして試験が省略されていたため、試験の手抜きが原因ともされる。

その後、脱線の原因を調するため、狩勝実験線(根室本線の狩勝旧線の一部)で鉄道車両を脱線させる実験が行われ、脱線防止ガードの設置、2軸貨車良などが行われた。

その他の重大な事故

日本国有鉄道時代

JR時代

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最終更新:2019/06/19(水) 00:00

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