桜(松型駆逐艦)とは、大東亜戦争中に大日本帝國海軍が建造・運用した丁型/松型駆逐艦13番艦である。1944年11月25日竣工。数回の船団護衛と第53駆逐隊の旗艦を務めた。1945年7月11日、大阪港中突堤灯台沖で触雷して沈没。
艦名の由来はバラ目バラ科サクラ亜科サクラ属の双子葉植物サクラから。桜の名を冠する艦は本艦で二代目である。
ガダルカナル島争奪戦やそれに伴うソロモン諸島の戦いにより、多くの艦隊型駆逐艦を失った帝國海軍は安価で大量生産が可能な駆逐艦の必要性を痛感し、これまでの「高性能な艦を長時間かけて建造する」方針を転換。1943年2月頃、軍令部は時間が掛かる夕雲型や秋月型の建造を取りやめ、代わりに戦訓を取り入れ量産性に優れた中型駆逐艦の建造を提案。ここに松型駆逐艦の建造計画がスタートした。とにかく工数を減らして建造期間を短縮する事を念頭に、まず曲線状のシアーを直線状に改め、鋼材を特殊鋼から入手が容易な高張力鋼及び普通鋼へ変更、新技術である電気溶接を導入し、駆逐艦用ではなく鴻型水雷艇の機関を流用など簡略化を図った。
一方で戦訓も取り入れられた。機関のシフト配置により航行不能になりにくくし、主砲を12.7cm高角砲に換装しつつ機銃の増備で対空能力を強化、輸送任務を見越して小発2隻を積載、九三式探信儀と九三式水中聴音器を竣工時から装備して対潜能力の強化も行われている。これにより戦況に即した能力を獲得、速力の低さが弱点なのを除けば戦時急造型とは思えない高性能な艦だった。
1944年11月25日に就役した桜は瀬戸内海西部で慣熟訓練を行った後、中国方面で船団護衛に従事。第53駆逐隊の新編時には司令駆逐艦となった。しかし度重なる機雷敷設で瀬戸内海も危なくなり、日本海側へ脱出しようと関門海峡の突破を試みた際に触雷小破、突破を断念して呉まで戻った。その後は大阪警備府部隊所属となって大阪湾での掃海任務や投下される機雷の監視任務に従事。1945年7月11日、空襲から逃れようと移動を始めた直後に触雷して沈没した。
要目は排水量1260トン、全長100m、全幅9.35m、出力1万9000馬力、最大速力27.8ノット、燃料搭載量370トン、乗員211名。兵装は12.7cm連装高角砲1基、同単装高角砲1基、25mm三連装機銃4基、同単装機銃8基、九二式四連装魚雷発射管4型1門、九四式爆雷投射機2基、爆雷投下軌道2条。電探装備として22号電探、九三式水中聴音機、九三式探信儀を持つ。
ミッドウェー海戦後の1942年9月に策定された改マル五計画において丁型一等駆逐艦5496号艦の仮称で建造が決定。1944年6月2日に横須賀海軍工廠で起工、9月6日に進水し、11月12日に水雷学校高等科学生の卜部章二少佐が艤装員長に着任して11月14日に艤装員事務所を設置、そして11月25日に竣工を果たした。初代艦長に卜部少佐が着任するとともに訓練部隊の第11水雷戦隊へ編入される。
第11水雷戦隊より桜と姉妹艦椿は「準備が出来次第瀬戸内海西部に回航・会同すべし」と命じられ、横須賀軍港内にて出港準備を行う。12月3日正午に横須賀を出発して東京湾で仮泊訓練を行うが、間もなくターボ発電機及び同調速柱折損が認められたため急遽12月5日午前9時に横須賀へ帰投、瀬戸内海回航を延期しつつ修理を受けた。
12月8日午前6時30分にようやく横須賀を出港。本土近海における米潜水艦の跳梁は激しさを増す一方であり、桜は敵潜の襲撃を警戒して沿岸ぎりぎりの浅瀬を通る接岸航行を選択。対潜警戒が難しくなる夜を避けて17時に伊勢湾で仮泊した。翌8日午前9時に伊勢湾を出発して西進。三重県南東の大王埼を通過して尾鷲沖に差し掛かった時、桜の航路上に屋根の残骸や流木などの、様々な漂流物が大量に浮いているのが見えた。これは東南海地震の津波で押し流された民家の成れの果てであった。艦体と接触しないよう慎重に残骸をかわしながら進む桜。潮岬に辿り着いた頃にはもう漂流物は見当たらなかった。
航海中にも諸訓練を行って乗組員の練度を少しでも高め、危険地帯を抜けた後の18時に小豆島・淡路島間の播磨灘で仮泊、12月10日14時にようやく呉へと入港した。12月12日午前10時に呉を出港した桜は同日14時24分に安下庄へ回航。現地で第11水雷戦隊との合流を果たし、いよいよ本格的な慣熟訓練を開始する。
1945年1月6日、燃料30缶やその他基地物件、基地要員を積載して椿と呉を出港。同日中に八島泊地へ到着して物資を揚陸した。1月9日と10日、旗艦の軽巡酒匂に率いられて欅と出動諸訓練を実施。1月20日の出動諸訓練では酒匂、欅、椿と航行諸訓練を行った。間もなく桜、椿、楢の3隻に呉工廠から四式射撃装置を在庫の三型と換装するよう指示が下り、1月29日13時より呉工廠で射撃実験の打ち合わせを実施するも、結局椿1隻で行う事に。
2月5日に桜と椿は支那方面部隊に転属。訓練中の桜に連合艦隊から船団護衛命令と上海方面進出命令が下ったため、2月8日から呉工廠でディーゼルエンジンを修理。2月11日午前8時30分に出港して18時頃に門司へと回航する。
2月12日22時、練習巡洋艦鹿島、第14号、第16号、第46号海防艦とともに門司を出港し、六連沖にて待機中の基隆行きモタ36船団(日昌丸、めるぼるん丸)と合流。翌13日午前2時5分に船団を護衛して六連を出発する。最短ルートには敵潜が待ち伏せている可能性が高いため、台湾には直接向かわず、2月14日深夜から翌15日未明にかけて朝鮮半島南西部の鞍馬島沖で仮泊。以降は中国大陸沿岸に沿って南下していく。
2月16日夜、桜は鹿島と上海行きを命じられ、モ36船団から離脱して2月18日に上海へ移動。
2月27日、駆潜艇1隻とともに汕頭行きの低速輸送船3隻を護衛して上海を出発。空襲と雷撃に注意を払いつつ島嶼間を縫うようにして進み、3月2日に無事目的地の仙頭へ到着。上海に戻る際も輸送船を護衛して3月12日に帰投した。
3月16日午前0時52分、第21号掃海艇とともにモタ502船団(橋立丸、吉林丸)を護衛して上海を出発。日満連絡船の吉林丸には大陸から引き揚げる日本人引き揚げ民が多数乗船しており、仮に撃沈された時には乗船中の婦女子を完全に救助するよう、桜に密命が下っていたという。また同日中に桜、楢、椿、欅、橘、柳の5隻で第11水雷戦隊隷下に第53駆逐隊を編成。桜は豊嶋俊一中佐が乗艦する司令駆逐艦となった(ちなみに第53駆逐隊は帝國海軍が編成した最後の駆逐隊)。
モタ502船団は黄海を東進して朝鮮半島南岸部に沿って航行。3月17日17時50分から翌18日午前6時43分まで金湖島近海で仮泊、18時50分から3月19日午前5時56分まで白嶼沖で仮泊し、幸い雷撃を受ける事無く19日中に六連まで帰り着く事が出来た。これに伴って第11水雷戦隊に復帰し、瀬戸内海西部に活動の拠点を移す。
4月7日午前10時2分、桜、酒匂、宵月、椎、蔦、萩、梨、楡、柳、橘、杉、樫の計12隻が一斉に呉を出港して八島へ回航。同日中に第53駆逐隊は本土決戦を見越して第31戦隊に編入された。4月9日、第31戦隊の旗艦花月に率いられて航行諸訓練を実施。回天の訓練に協力するよう命じられた桜は4月22日午前10時に欅と安下庄を出発、14時43分に光沖へと到着し、4月26日まで標的艦を務めた。その後は小積に回航。
B-29による連日の機雷敷設で瀬戸内海西部は最早訓練に適さない危険な場所と化しつつあった。
5月下旬、第11水雷戦隊は比較的機雷の投下が行われていない日本海側への脱出を命じられ、5月25日午前9時45分に軽巡酒匂、駆逐艦桜、欅、楢、柿、楠、菫が安下庄を出発。十重二十重に機雷封鎖された関門海峡の突破を図るが、同日16時45分に部埼灯台沖5.4海里で桜が磁気機雷に触雷して小破。舵取機械、測深儀、電気系統が故障、水雷科倉庫への少量の浸水、機銃弾257発の変形、モーター台座破損などの被害を受け、戦隊は急遽門司へと退避した。18時頃には泊地付近の第二航路で通りがかった船舶3隻が触雷沈没している。翌26日午前5時、無事だった酒匂、柿、菫、楠は門司を出発。無事関門海峡を突破した。一方、損傷により突破を断念した桜は応急修理を行ったのち午前11時30分に欅、楢、椿に付き添われて門司を出港。
欅の援護を受けながら5月26日より呉工廠に入渠する。図らずも瀬戸内海側に留まった桜は欅ともども大阪警備府部隊に転属となる。桜の修理は2週間程度で完了。6月14日午前9時30分に呉を出港、19時15分に家島諸島沖で仮泊し、翌15日午前8時に出発して午前11時30分頃に大阪へ到着する。図らずも桜が到着したのは延べ511機による第四次大阪大空襲が終わった直後であり、幸い熾烈な航空攻撃に巻き込まれずに済む。以降は大阪湾での掃海作業及び大阪湾に投下される機雷の監視任務に就く。
7月10日、米第38任務部隊の接近が予想されるとの情報が入り、大阪湾にいた桜は友ヶ島東岸へと退避する事になった。
1945年7月11日午前5時、桜は定刻通り出発。友ヶ島に向けて針路を定める回頭を行った午前5時9分、大阪港北突灯台沖の和泉灘で磁気機雷に触雷し、艦後部の兵員室上方に火災発生。異常に気付いた桜は直ちに投錨。すぐさま応急修理を行うも、右17度に傾斜、第二缶室後部と機械室が使用不能になり、午前5時20分には後部弾薬庫に誘爆して火災が更に悪化。今度は左舷側に大傾斜、艦首を水上に出した状態で沈没してしまった。第53駆逐隊司令豊嶋俊一中佐や卜部艦長は救出されたが乗員130名が死亡。
8月10日除籍。
1992年11月に露出版社から刊行された『わが海戦記 囮部隊の空母瑞鳳と駆逐艦桜の最後』にて、卜部元艦長が推薦の辞を寄稿している。
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