武漢(ぶかん、ウーハン、Wuhan)とは、中華人民共和国の都市である。湖北省の省都。
中国中部地域で最大の都市。人口は約1100万人、郊外を除く市街地人口は約880万人。上海と重慶、北京と広州を結ぶ十字路の中心に位置し、交通の要衝となっている。市の中心部を長江が流れており、市街地が川の東西にまたがっている。
三国志の争奪の地で知られるかつての「荊州」の一部である[1]。武漢周辺は当時は「江夏」と呼ばれており、孫権によって夏口城が作られるなど三国の争いの場となった。この時代、夏口城の辺りに商人の都市として武昌が生まれたとされる[2]。
三国時代が終わってから、武昌の西側に漢陽という都市が生まれ、明代にこれに加えて隣接する漢口が発展した。そのため、武昌・漢陽・漢口の3つを合わせて「三鎮」と呼ばれるようになった。 1858年の天津条約で漢口が開港されると列強諸国が進出、経済の発展により「東方のシカゴ」とも呼ばれた。イギリス、日本、ロシア、ドイツ、フランスがここに租界を開設した。
現在も長江沿いに租界時代の建物が残っている。日本租界の建造物も、2016年の調査で15棟が現存していたことが確認されている[3]。中でも戦前に日本商社「大石洋行」であった建物は、1937年に当時抗日戦争を行っていた八路軍の事務所となった経緯から、「八路軍武漢弁事処旧址」という歴史記念館として保存管理されている。
1911年には辛亥革命の舞台にもなった。発端となる武昌起義が起こった10月10日は現在、台湾(中華民国)の国慶日となっている。1926年に3つの都市が合併、「武昌」「漢陽」「漢口」の最初の文字をとり武漢市となった。
また、日中戦争時には、一時的に中国の首都機能を持っていた。1938年には侵攻を進めた日本軍が武漢市を占領。この際の戦闘は激しいものであり、日本側・中国側の双方ともに数万人~十数万人の死傷者を出している。現在でも関連する史跡や記念碑などがいくつか公開されており、上記の「八路軍武漢弁事処旧址」、日本軍がこの戦いの際に撃沈した軍艦(ちなみに三菱長崎造船所製)を引き上げて博物館とした「中山艦博物館」、1945年9月18日に行われた現地日本軍の降伏調印式を記念した「武漢受降堂」など。
武漢には100以上の湖が存在し、中でも「東湖」は景勝地として有名。また、武昌にある黄鶴楼はかつての夏口城の物見櫓とされており、李白の詩「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」で日本でも知られている。
2019年12月31日、市当局は市内の医療機関で27人がウイルス性肺炎を発症したと発表。患者の隔離措置を取った。市内の海鮮市場が発生源とみられている。2020年1月9日、WHOが新型のコロナウイルスの可能性が否定できないとして注意を呼びかけた。その後の推移は以下の通り。
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最終更新:2024/12/09(月) 10:00
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