空挺軍(Воздушно-десантные войска)とは、ロシア連邦軍の独立兵科である。略称ВДВ(ラテン文字転記;VDV)。
戦略ロケット軍、航空宇宙防衛軍と並ぶロシア連邦軍の独立兵科である。スカイブルーのベレーとボーダー柄の水兵シャツをトレードマークとしていることで知られる。
別段ロシアとて伊達や酔狂で空挺部隊を独立兵科として扱っているわけではなく、ソ連時代から広大な領土を持つ陸軍国として、また縦深攻撃理論の先駆者として、機動力に優れた空挺部隊を重視しているがゆえの編制であり、この点はアメリカ合衆国における独立軍種としての海兵隊と比較すれば理解しやすいと思われる。
第一次世界大戦直後の混乱期、ロシア革命に触発されて中部ヨーロッパ各地でかなりの数の共産政権が樹立された。しかしこれらはたちまち鎮圧され、共産主義の盟主であるソ連はそういった遠隔地の共産政権を助けることができなかった。当時のソ連のテーゼでは、こういう出来事は将来も起こり得ること、起こらなければならないことであり、その時に実効的な支援が行えるように、ポーランドやドイツといった障害を一気に飛び越して、ルール地方を中心とした中部ヨーロッパの心臓部に直接進出できる空挺部隊が考案された。[1]
1930年8月2日の空軍大演習で12名の空挺隊員がパラシュート降下を行っており、現在でも8月2日は空挺軍の日として祝われている。この演習の結果は高く評価され、翌1931年には初の空挺軍部隊である航空強襲支隊がレニングラード軍管区で編成された。その後もソ連革命軍事会議の決定に基づき、各地で航空強襲支隊が編成され、1941年夏までには各1万人規模5個空挺軍団が編成されるに至った。この間空挺軍はノモンハン事件(ハルヒン・ゴール紛争)やフィンランド冬戦争に参加している。1941年のドイツ侵攻によって始まった独ソ戦においても空挺軍は奮戦し、一部では空挺作戦も行われたが、多くの空挺軍部隊は狙撃師団(歩兵師団)に再編され都市防衛に従事した。
第二次世界大戦終結後、空挺軍は新たな戦略環境に対応すべく再編された。特に伝説的な空挺軍司令官V.F.マルゲロフのもとで、BMDシリーズを始めとする空挺戦闘車両の導入などの戦力向上が図られ、空挺軍は核戦争の時代に対応する新たな能力を手に入れた。冷戦期のソ連空挺軍はNATOとの全面衝突こそ生起しなかったものの、ハンガリー、チェコなどソ連衛星諸国への介入、アフガン紛争などに投入された。
ソ連崩壊後の空挺軍は、規模こそやや縮小されたもののチェチェンを始めとする地域紛争や国外での平和維持活動など冷戦後の軍事環境に対応した機動展開部隊として、またロシア連邦軍の軍改革のモデル部隊として、現在もロシア軍の精鋭部隊として今に至っている。
現在のロシア空挺軍は約3万5千の人員を擁している。師団および旅団級部隊は以下のとおり。
このほか独立親衛特殊任務連隊(空挺軍スペツナズ)、工兵大隊、通信連隊、砲兵連隊、高射大隊、ヘリ飛行隊、修理大隊などの部隊が存在する。また、教育機関としてはオムスクの空挺軍教育センター、リャザンの空挺軍准尉学校及び空挺軍大学(V.F.マルゲロフ記念リャザン高等空挺指揮学校)がある。
ロシア空挺軍は空挺戦闘車輌、空挺降下可能な自走砲などを配備し、他国の空挺部隊に比して火力と機動力に優れているのが特徴である。現在は新型のBMD-4M空挺戦闘車の配備が進められている。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/05/11(土) 22:00
最終更新:2024/05/11(土) 22:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。