鵜来型海防艦、その一番艦、鵜来です!
戦闘力をなるべく削らず、対潜戦闘力と生産性を高めた
苦心の艦級です!提督、私、末永く頑張ります
「艦隊これくしょん~艦これ~」の艦娘、鵜来とは、鵜来型海防艦1番艦「鵜来」の擬人化キャラクターである。(デザイン・イラスト:星灯り[1]、CVは川井田夏海[2]) 図鑑番号:No.521
鵜来は、海防艦を多く建造した日本鋼管鶴見造船所で建造され佐世保鎮守府を母港とした鵜来型海防艦のネームシップである。日振型は鵜来型に掃海具を追加した準同型艦である。艦名は「うくる」と清音、艦名の元ネタは高知県足摺岬沖(宿毛市に属す。江戸時代は現在の愛媛県に属す宇和島藩領だった)にある鵜来(うぐる)島と濁る。海軍の宿毛湾泊地のご近所で、純粋に高知県の地名に由来する艦名としては初の実装。(四国全体を見ると豊予海峡の別名速吸瀬戸を艦名の元ネタとする給油艦「速吸」、愛媛県宇和島沖の宇和島市に属する日振島に由来する「日振」に次いで3隻目)
担当絵師は近年運営鎮守府第十一水雷戦隊所属で新鋭伊号潜水艦伊47、伊201・伊203を世に送り出してきた星灯り氏が手掛けた水上艦艇第1号となった。
なお、海防艦は艦級ごとに現状担当絵師が統一されており、既存の艦型における担当絵師は占守型はUGUME艦隊、択捉型は赤坂艦隊、御蔵型はA士老師、日振型はしばふ村、第2号型はほづか氏がそれぞれ担当している。担当声優は今回ラングレーも担当した川井田夏海さん。
半袖ブラウスの上から淡い紺色の前身合せのセーラーワンピース状の制服を上に着込みその下には白いスカートを履いていて、角ばった12cm単装砲を左手に保持している。この角張った単装砲は準同型日振型と同様のものである。腰にぶら下げた爆雷や艤装に満載された爆雷投射機が彼女ら鵜来型に求められていた対潜掃討力を物語っている。栗色のボブカットで黄色のリボンが左右の遊び毛に結ばれている。かわいい。将棋のアニメに出ていた龍驤や睦月型姉妹の誰かのような声の子に見た目が似てる[3]とか言わない。確かに演じ方が(当該アニメの子に)似てる気がしないでもないが…。早速彼女の制服が絵師提督の目に留まり、衣装チェンジ静画が投稿されるようになっている。
既存の艦娘では第一海上護衛隊での同僚「対馬」から言及されており、約5年を経てようやく実装された。戦後海上保安庁の巡視船に就役した艦としては初代南極観測船としても活躍した特務艦「宗谷」についで2隻目の実装である。改装しても巡視船「さつま」に改名されることはないが、セリフの中で巡視船「さつま」として戦後の平和な海を護ったと言及している。
所属部隊として、第一海上護衛隊(邂逅時)→第百一戦隊(改装後)を名乗っている。(僚艦「対馬」と同じ)
なお、12番艦「稲木」は対馬の妹である福江が言及している。稲木は戦没78年を経た2023年8月9日に実装された。
星灯り艦隊に属す鵜来も通常グラを忘れる頻度で期間限定グラが実装されている。標準状態よりも現在は期間限定グラの期間のほうが長い、かつての狭霧のような状況となっている。
鵜来型海防艦初の実装艦「鵜来」の艦歴紹介に前に、まずは鵜来型海防艦全体に関する説明をお許し願いたい。
日本海軍が海上護衛に充てるべき護衛艦として択捉型海防艦以降、対潜・対空性能及び量産性を重視しようと建造しようとしていたが、御蔵型海防艦は、戦時急造を要する護衛艦としてはまだ工数が多く量産性に欠けるものであった。鵜来型海防艦は、御蔵型海防艦から更に各所の構造を大幅に簡易化し、曲線部分を平面化し工数も御蔵型の約55%まで圧縮し、正しく艦娘・鵜来が言う「戦闘力をなるべく削らず対潜戦闘力と量産性を高めた苦心の艦級」となった。
生産性を高めるため、本級は海軍艦艇として初となるブロック工法を採用したため、工数の削減も功を奏し大幅な工期削減を実現した。本級建造のボトルネックとなったのは主機の調達で、ディーゼル主機が潜水艦用に転用され海防艦用に足りなくなった。更に小型の乙型海防艦(第1号型)・丁型海防艦(第2号型)建造にあたって乙型は引き続きディーゼル主機を用いたものの丁型はディーゼル主機調達を諦め蒸気タービン主機に改められている。
ただ、鵜来型海防艦には掃海具がなく、用兵側から掃海具の装備が求められたため、本級の建造を担当した日本鋼管鶴見造船所・浦賀船渠・三井玉野造船所・佐世保海軍工廠・日立造船のうち日立造船建造分のみ掃海具を追加した改良が加えられた。こちらは先に実装された日振型海防艦である。
マル急計画(正しくは〇の中に「急」)で建造された海防艦「鵜来」は、1943年10月に日本鋼管鶴見造船所にて起工、44年5月15日進水、同年7月31日に竣工した。竣工後呉防備戦隊に編入したが就役間もなく発生した機関不調により9月19日まで横須賀海軍工廠で修理と整備を実施した。修理後9月23日に佐伯に到着し、特設対潜訓練隊にて呂500を相手に基礎術力錬成教育にあたる。10月13日に訓練を終え母港の佐世保に入り、10月16日呉防備戦隊より第一海上護衛隊に編入された。
ヒ79船団、ヒ80船団に従事後第一護衛艦隊第百一戦隊(実装艦では他に対馬・大東が所属)が編成され所属し、ヒ85船団・ヒ86船団をこなし帰国後佐世保工廠で入渠整備。45年2月25日第百一戦隊は戦時編成から除かれ鵜来は第一護衛艦隊に編入。4月25日第22海防隊に編入。終戦時は日本海で行動中であった。
45年12月1日、前日の海軍省の解体により海防艦籍から除かれた後第二復員省佐世保地方復員局の掃海艦に定められる。1946年7月10日に掃海艦籍のまま掃海母艦と呼称され、1947年6月26日、佐世保地方復員局所管の特別輸送艦に改められた。
1947年12月26日、運輸省(注)に移管され中央気象台の定点観測船となり鵜来丸と命名された[4]。三陸沖及び四国南方沖で気象定点観測に従事した。
1954年1月1日、海上保安庁に編入され巡視船さつま(PL-104)に改名、第七管区鹿児島海上保安部に配属された。1957年4月21日は鹿児島沖にて第1次南極観測船任務を終え帰国中の宗谷を出迎えている。1961年の第5次南極観測任務帰国中にも宗谷を出迎え、南極の氷を貰っている。1962年1月1日、第7管区海上保安部の分割に伴い第10管区海上保安部に移管、1965年11月24日に後進に道を譲り解役した。
注:2000年に運輸省(外局である気象庁や海上保安庁を含む)建設省・国土庁等が合併し国土交通省に改組。海上保安庁は当時運輸省の外局で現在国土交通省の外局である。
期間限定グラ
鵜来型海防艦 |
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最終更新:2024/04/18(木) 18:00
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