酒井宏樹 単語


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サカイヒロキ

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酒井宏樹(Hiroki Sakai, 1990年4月12日 - )とは、日本のサッカー選手である。J1リーグの浦和レッズ所属。

185cm75kg。ポジションはDF(右サイドバック)。利き足は右。

概要

プロ入り前

長野県中野市で生まれ、幼少の頃に引っ越した千葉県柏市で育つ。年の離れた2人の兄の影響で幼少の頃からサッカー始め、小学3年生になったの頃に柏マイティーFCに入る。当時は「アフリカ人のような身体能力を持った子供」と評されていた。

2003年に中学入学と同時に柏レイソルU-15へ入団。後に9人のプロ選手を輩出した柏ユースの黄金世代の一員となる。中学3年生の頃にサイドバックでプレーするようになり、現在のプレースタイルの礎を作る。

2006年には柏レイソルU-18に昇格。高校3年生となった2008年には比嘉厚平と共に2種登録され、第32回日本クラブユース選手権(U-18)大会では準優勝を飾る。

柏レイソル時代

2009年にトップチームへ昇格。ブラジルのモジミリンFCへの留学を経験するも、チームはJ2降格の憂き目を見る。2010年J2第11節ヴァンフォーレ甲府戦でプロデビューを果たしたが、このときはセンターバックのバックアッパーという位置づけだった。チームは圧倒的な強さで1年でJ1復帰を果たす。

2011シーズンに入り、右サイドバックとしてレギュラーに定着。右サイドでのレアンドロ・ドミンゲスとのコンビで大ブレイクし、J1で27試合に出場。柏の昇格1年目でのJ1制覇に大きく貢献し、Jリーグベストイレブン、ベストヤングプレーヤー賞などを受賞した。Jリーグ王者として参加した2011 FIFAクラブワールドカップではモンテレイやサントスなど世界の強豪クラブと渡り合い、国内外問わず知名度を上げた。

2012年も引き続き主力として活躍していたが、前年の活躍によって欧州のクラブから獲得オファーが舞い込み、シーズン途中で海外への移籍を決断し、中学生の頃から在籍していたチームを退団する。

ハノーファー時代

2012年にドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96へ移籍。加入1年目の2012-13シーズンには思ったようなプレーができなかったが、シーズン終盤に出場機会を増やし初アシストを記録。2年目の2013-14シーズンでは右サイドバックのポジションを掴みレギュラーに定着。2013年11月3日に行われたブンデスリーガ第11節のブレーメン戦ではブンデスリーガ初ゴールとなった長距離からのスーパーゴールを決め大きなインパクトを残し、怪我などもありながら26試合1得点を記録した。

2014-2015シーズンにはニュルンベルクからロンドン五輪代表で一緒だった清武弘嗣が移籍しチームメイトとなる。この年はシーズン最終戦で1部残留を果たしたものの、2015-2016シーズンは低調なチームに引っ張られて自身も低調なパフォーマンスとなってしまう。結局ハノーファーはリーグ最下位で降格。これに伴いハノーファーを退団する。

マルセイユ時代

2016年夏、日本代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチのアドバイスもあり、フランスの名門オリンピック・マルセイユに移籍。開幕戦からレギュラーとして起用されると、右サイドでのフロリアン・トヴァンとのコンビがチームの武器となり、主力として定着。リュディ・ガルシア監督からの信頼も厚くなり、加入1年目にしてフィールドプレイヤーとして最多の出場時間である3012分出場する。

2年目の2017-2018シーズンには、左サイドバックや3バックの一角としても出場する機会が増える。2018年4月12日UEFAヨーロッパリーグ(EL)準々決勝2nd legのRBライプツィヒ戦では、終了間際に移籍後の公式戦初ゴールとなる追加点を決め、マルセイユの14年ぶりELベスト4入りに貢献する。

2018-2019シーズンは、怪我で欠場した時期があったが、攻守に安定したプレーが評価され、ファンが選んだクラブシーズンMVPに選ばれる。

2019-2020シーズンは、左足首の負傷の影響でパフォーマンスが低下。2020年3月に新型コロナウィルスによってリーグが中断した時期を利用し手術を受ける。

2020年9月13日におこなわれたパリ・サンジェルマンとの伝統の一戦では、マッチアップの相手となったネイマールから差別発言を受けたと報じられ騒動となる。結局証拠不十分でネイマールは処分されず、自身はツイッターにおいて「何か言われたとしても些細な出来事であり、差別とは全く関係ありません。」とコメントし、大人の対応を見せている。リーグ・アン第7節ボルドー戦では、トヴァンの先制ゴールをアシストするなど高いパフォーマンスを見せ、レキップ紙が選ぶ第7節のベストイレブンに選出される。10月21日には、欧州挑戦9シーズン目にして念願だったUEFAチャンピオンズリーグの舞台に立つ。しかし、チームは開幕から屈辱の4連敗を喫し、グループ最下位で敗退に終わるというほろ苦いCLデビューとなった。その後国内でもマルセイユは不振に陥り、主力である酒井に対する風当たりも強くなる。第26節のFCナント戦では、キャリア初となる一発退場を経験。第27節からホルヘ・サンパオリが監督に就任すると右SBの定位置をポル・リロラに奪われて控えに降格となる。シーズン終了後の2021年5月24日、5年間在籍していたマルセイユを退団することを自身のSNSで発表する。

浦和レッズ時代

2021年6月10日、J1リーグの浦和レッズへの完全移籍が発表され、およそ9年ぶりに日本でプレーすることとなる。背番号は「2」。2021年8月14日におこなわれたJ1リーグ第24節サガン鳥栖戦で新天地でのデビューを果たす。

日本代表

高校1年生のときに、U-16日本代表に選ばれフランス遠征に帯同。

柏でレギュラーを獲得するようになった2011年5月にロンドンオリンピック代表(U-22日本代表)に初選出される。すぐさま右サイドバックのレギュラーを掴み、2011年6月23日ロンドンオリンピックアジア二次予選のクウェート戦では21分に先制ゴールを決める。最終予選でも主力としてプレーし、2012年2月22日のマレーシア戦では先制ゴールを決めるなど本大会出場に貢献する。

2012年7月から開催されたロンドンオリンピックのメンバー(U-23日本代表)に選出されると、ハノーファーに入団決定直後にチームに合流する。初戦のスペイン戦にスタメンで出場するが、この試合で左足首を負傷し後半29分に途中交代。その後のグループリーグ2試合を欠場する。準々決勝のエジプト戦でスタメンに復帰し、クリーンシートに貢献しベスト4進出に貢献。しかし、準決勝のメキシコ戦と3位決定戦の韓国に敗れ、悲願のメダル獲得はならなかった。

日本代表には、2011年10月に初選出され、2012年5月23日のアゼルバイジャン戦でAマッチデビューを果たす。基本的に内田篤人に続く右サイドバックの位置づけだったが、アルベルト・ザッケローニ監督からは評価されてコンスタントに代表に呼ばれ、2014ワールドカップアジア予選やFIFAコンフェデレーションズカップ2013など公式戦でもスタメンで起用されることもあった。2014 FIFAワールドカップのメンバーにも選出されるが、内田が好調だったこともあって出場機会は無かった。

ブラジルワールドカップ後の日本代表でも常連メンバーとして名を連ねており、2015年にはポジションを争っていた内田が負傷によって長期離脱した間にレギュラーの座を掴む。ハリルホジッチ監督からはデュエルの強さと空中戦の強さを買われて信頼を得て不動の存在となっていき、アジア最終予選を勝ち抜くにあたり欠かせない存在となっていた。

西野朗監督に代わっても主力として起用され続け、2018年6月にロシアで開催された2018 FIFAワールドカップに2大会連続でメンバー入り。初戦のコロンビア戦でワールドカップ初出場を果たすと、第2戦のセネガル戦ではリヴァプールで活躍するサディオ・マネとのマッチアップでほぼ完封する圧巻の守備を見せる。大会では全4試合に出場し、日本の2大会ぶりの決勝トーナメント進出の立役者となる。

ロシアワールドカップ後、森保一監督が就任した日本代表でも引き続き定位置を掴むと、2018年11月16日のベネズエラ戦にて代表49試合目にして初ゴールを決める。2019年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2019にも出場。控えメンバー中心だったウズベキスタン戦を除く決勝までの全試合にフル出場するが、決勝でカタールに敗れ、準優勝に終わる。

2021年7月に開催される東京オリンピックに出場するU-24日本代表のメンバーにオーバーエイジ枠として選出され、ロンドンオリンピック以来2度目のオリンピック出場を果たす。グループステージ第3戦のフランス戦ではチームの2点目となるゴールを決めるが、累積警告のため準々決勝のニュージーランド戦を出場停止になる。結局出場停止だったニュージーランド戦以外の5試合にスタメンとして出場し、自身のサイドを破らせない抜群の安定感を見せ、オーバーエイジとしての役割を十分に果たした。

2021年9月2日、カタールワールドカップアジア最終予選の初戦オマーン戦にフル出場するが、試合後オーバーワークを考慮されて代表から離脱することが発表され、休養を取ることになる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2009 柏レイソル J1 0 0
2010 柏レイソル J2 9 1
2011 柏レイソル J1 27 0
2012 柏レイソル J1 15 1
2012-13 ハノーファー ブンデスリーガ 13 0
2013-14 ハノーファー ブンデスリーガ 26 1
2014-15 ハノーファー ブンデスリーガ 27 0
2015-16 ハノーファー ブンデスリーガ 26 1
2016-17 マルセイユ リーグ・アン 35 0
2017-18 マルセイユ リーグ・アン 33 0
2018-19 マルセイユ リーグ・アン 27 1
2019-20 マルセイユ リーグ・アン 21 0
2020-21 マルセイユ リーグ・アン 29 0
2021 浦和レッズ J1

プレースタイル

スピードに乗ったダイナミックなオーバーラップから右足からの鋭い高速クロスを得意としている。柏時代はこの高速クロスが代名詞となっていた。独特のフォームから人よりもスペースを狙って放ち、内側に回転がかかって相手ゴールキーパーから逃げるような軌道を描き、ゴール前で急速に落ちていくのが特徴である。ただし、自分のモーションに持ち込もうとしすぎてタイミングが遅れることもある。

若い頃は守備でのポジショニングの悪さや判断力の拙さが指摘され、対人プレーでの軽さが課題とされていた。しかし、マルセイユに加入して以降はこれらの課題が大幅に改善され、次第に守備力がストリングポイントのサイドバックへと変貌している。恵まれた体格を活かしたボディコンタクトの強さには定評があり、フィジカルモンスターが多いフランスにおいてもトップクラスの身体能力と評されている。アジリティと持久力にも優れており、ネイマールやキリアン・エムバペ、サディオ・マネといったワールドクラスのアタッカーと対峙しても互角以上に渡り合っている。

またサイドバックとしては185cmと長身で、空中戦での勝率も高い。日本人で大型のサイドバックは希少価値の高いものであり、ハリルホジッチ監督時代の日本代表は右サイドの酒井を狙ったロングボールを使って相手のプレッシングを回避することを戦術としていた。

守備面での課題は克服しているものの、右サイドのスペースに走りこむタイミングが悪かったり、周りを使ったプレーは苦手としている。マルセイユ移籍以降は攻め上がりを自重し、守備を重視する傾向にある。

エピソード

ファンから「酒井ゴリ」と呼ばれるほど、がっちりした体格といかつい風貌をしているが、普段は控えめで謙虚な性格であり、柏時代の先輩である北嶋秀朗からは「謙虚の酒井」と評されている。ザッケローニ監督からはすぐに謝ることを注意されていた。

リリー・フランキーの描いたキャラクター「おでんくん」に似ていることから「おでんくん」と呼ばれることもある。

マルセイユの同僚であるモルガン・サンソン(5歳年下)からは、「ヒロキは常に笑顔を絶やさないチームのマスコット的な存在」と言われている。

ハリルホジッチは、フランスのメディアに対し、かつての教え子である酒井のことを「モンスター級のフィジカルを持っている」と語っている。

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関連項目

  • サッカー
  • 日本
  • サッカー日本代表
  • 柏レイソル
  • ブンデスリーガ
  • リーグ・アン
  • ハノーファー
  • オリンピック・マルセイユ
  • 浦和レッズ
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