酒井宏樹(Hiroki Sakai, 1990年4月12日 - )とは、日本のサッカー選手である。
オーストラリア・Aリーグ・メンのオークランドFC(ニュージーランド)に所属。元サッカー日本代表。
185cm75kg。ポジションはDF(右サイドバック)。利き足は右。
長野県中野市出身。日本では珍しい185cm75㎏という恵まれた体格のサイドバック。若手時代は右足の高速クロスが武器の選手だったが、欧州に移籍してからは日本人離れしたフィジカルが売りのサイドバックとなっている。特に対人守備の強さには定評があり、元日本代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチからは「モンスター級のフィジカルを持っている
小学6年生の頃から柏レイソルの育成組織でプレーし、2009年にトップチームへ昇格。レギュラーに定着した2011年にJ1リーグ優勝を経験し、Jリーグベストヤングプレイヤー賞を受賞。以降、日本を代表する右サイドバックとなり、2012年夏からドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96でプレー。2016年からはフランスの名門オリンピック・マルセイユへ移籍、5シーズンに渡り主力として活躍している。
日本代表には2012年にデビュー。若い頃は内田篤人の壁を破れず、控えという立場だった。内田が負傷によって長期離脱してからは代表の不動の右サイドバックとして君臨。FIFAワールドカップには2014年、2018年、2022年と三大会連続で出場。日本の二度のベスト16進出に貢献している。
2021年6月からはJリーグに復帰し、浦和レッズへ移籍。2023年のAFCチャンピオンズリーグではキャプテンとしてチームを3度目のアジア王者に導き、大会の最優秀選手に選ばれている。2024年7月にはニュージーランドのオークランドFCへ移籍し、再び海外でのプレーに挑戦する。
長野県中野市で生まれ、幼少の頃に引っ越した千葉県柏市で育つ。年の離れた2人の兄の影響で幼少の頃からサッカー始め、小学3年生になったの頃に柏マイティーFCに入る。当時はFWをやっており、「アフリカ人のような身体能力を持った子供」と評されていた。
小学6年生の時、一度練習に参加したことがきっかけで柏レイソルの下部組織で練習生としてプレーするようになり、2003年、中学入学と同時に柏レイソルU-15へ正式2003年に中学入学と同時に柏レイソルU-15へ正式に入団。後に9人のプロ選手を輩出した柏ユースの黄金世代の一員となる。入ったばかりの頃はサイドハーフだったが、中学3年生の頃にサイドバックでプレーするようになり、現在のプレースタイルの礎を作る。当時の監督だった吉田達磨は、酒井のディフェンスラインの裏へ出て行くタイミングの良さや、スペースへ入ってくる選手にクロスを合わせる独特の感覚を評価しており、あえてオフェンス面には手を加えず、課題のあったディフェンス面やポジショニングを中心に指導を行った。
2006年には柏レイソルU-18に昇格。高校3年生となった2008年には比嘉厚平と共に2種登録され、第32回日本クラブユース選手権(U-18)大会では準優勝を飾る。2008年8月のビジャレアル国際ユーストーナメントでは、リヴァプール、アヤックス、セルティックといった強豪を破って3位に輝いた。
2009年にトップチームへ昇格。6月にブラジルのモジミリンFCへの留学を経験するも、帰国後は試合に出場するチャンスを得ることができず、チームはJ2降格の憂き目を見る。
2010年J2第11節ヴァンフォーレ甲府戦でプロデビューを果たしたが、このときはセンターバックのバックアッパーという位置づけだったことからリーグ戦9試合に出場したのみだった。一方、チームは圧倒的な強さで1年でJ1復帰を果たす。
2011シーズンも開幕当初は控えCBとみなされていたが、練習試合で2アシストしたことでネルシーニョ監督の信頼を勝ち取り、右サイドバックとしてレギュラーに定着。右サイドでのレアンドロ・ドミンゲスとのコンビで大ブレイクし、J1で27試合に出場。ダイナミックからの攻め上がりからの高速クロスでサポーターの心を掴み、柏の史上初となる昇格1年目でのJ1制覇に大きく貢献し、Jリーグベストイレブン、ベストヤングプレーヤー賞などを受賞。一気にトッププレイヤーへと駆け上がった1年となった。Jリーグ王者として参加した2011 FIFAクラブワールドカップでは世界の強豪クラブと渡り合い、敗れたものの準決勝のサントスFC戦でゴールも決めている。またこの試合でネイマールとの初めてのマッチアップが実現している。大会では全4試合に出場し、国内外問わず知名度を上げた。
2012年も引き続き主力として活躍していたが、前年の活躍によって欧州のクラブから獲得オファーが舞い込み、シーズン途中で海外への移籍を決断し、中学生の頃から在籍していたチームを退団する。
2012年7月1日、ドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96へ移籍。ブンデスリーガ第4節ホッフェンハイム戦でブンデスリーガ初出場を果たす。しかし、入団直後にロンドンオリンピック出場のためチームを離れたことが影響して連携面がうまくいかず、ドイツのプレースピードの速さや柏時代と異なる戦術、役割を求められたことでフィットに時間がかかりなかなか出場機会を得られずにいた。それでも、シーズン終盤にレギュラーで起用され始めると、右SHとして起用された第33節レヴァークーゼン戦で初アシストを記録。
2年目の2013-14シーズンは、スティーブ・チェルンドロの負傷もあって開幕から右サイドバックのポジションを掴みレギュラーに定着。2013年11月3日に行われたブンデスリーガ第11節のヘルタ・ブレーメン戦ではブンデスリーガ初ゴールとなった長距離からのスーパーゴールを決め大きなインパクトを残す。右膝の怪我などもありながら最後まで右サイドバックの定位置は譲らず、26試合1得点という成績を残す。
2014-2015シーズンにはニュルンベルクからロンドン五輪代表で一緒だった清武弘嗣が移籍しチームメイトとなる。チームが不調だった煽りを受けて一時期控えに回されるが、終盤になるとレギュラーを奪い返すことに成功。チームも清武の活躍もあり、シーズン最終戦で1部残留を果たした
2015-2016シーズンは低調なチームに引っ張られて自身も低調なパフォーマンスとなってしまう。1月には山口蛍も加入し、日本人選手が3人となるが苦しいシーズンとなる。第31節のインゴルシュタット戦では清武と共にゴールを決めるが、結局この試合でハノーファーの降格が決定。これに伴い、契約満了によってハノーファーを退団する。
2016年6月24日、日本代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチのアドバイスもあり、フランスの名門オリンピック・マルセイユに完全移籍。背番号は「2」。開幕戦からレギュラーとして起用されると、右サイドでのフロリアン・トヴァンとのコンビがチームの武器となり、主力として定着。さらに、リュディ・ガルシア監督の指導によってこれまで課題とされていた守備時のポジショニングが改善され、フィジカルの強さを前面に出したプレースタイルへとシフトするようになる。出場時間は、加入1年目にしてフィールドプレイヤーとして最多である3012分を記録。柏時代の2011年に次ぐ、大きな転機となったシーズンとなった。
2年目の2017-2018シーズンも開幕からスタメンとして出場。この年には左サイドバックや3バックの一角としても出場する機会が増える。2017年10月23日、パリ・サンジェルマンとのル・クラスィクではこの年PSGに移籍してきたネイマールとマッチアップするとしつこいマークでフラストレーションを溜めさせ、ネイマールは退場している。この試合のネイマールに対する守備は、メディアで高く評価された。2018年4月12日UEFAヨーロッパリーグ(EL)準々決勝2nd legのRBライプツィヒ戦では、終了間際に移籍後の公式戦初ゴールとなる追加点を決め、マルセイユの14年ぶりELベスト4入りに貢献する。4月23日のリール戦で負傷し3週間の離脱を余儀なくされEL決勝のピッチに立つことはできなかったが、1年目をさらに上回るパフォーマンスによって安定した評価を得られたシーズンとなった。
2018-2019シーズンも右サイドでトヴァンとの高い連携を見せただけでなく、左サイドバックもこなしチームの台所事情を救ってみせる。空中戦での勝率やデュエルの勝率といったスタッツでも高い数字を残しており、4アシストと攻撃面でも貢献。2019年5月28日の第37節トゥールーズ戦では加入3年目にしてシーズン初ゴールを決める。怪我で欠場した時期があったが、攻守に安定したプレーが評価され、シーズン終了後にはファンが選んだ年間クラブMVPに選ばれる。公式HPでは、「彼の戦う力が(クラブ年間MVPの)トロフィー獲得に繋がった。持ち前の献身性と闘争心で、今や(本拠地)ベロドロームに訪れるファンのお気に入り選手となっている。同じポジションの選手たちで比較するなら、彼はトップリーグ最高峰のプレイヤーのひとりだ」と酒井を称えた。
2019-2020シーズンは、チーム事情もあって左右両方のSBとしてプレーするが、2020年に入ってから左足首の負傷の影響でパフォーマンスが低下。チームはリーグ戦2位と好調だったが、自身はスタメンから外れる試合が増えるなど苦しい立場に立たされていた。3月に新型コロナウィルスによってリーグが中断すると、中断した時期を利用し手術を受ける。
2020年9月13日におこなわれたパリ・サンジェルマンとの伝統の一戦では、マッチアップの相手となったネイマールから差別発言を受けたと報じられ騒動となる。結局証拠不十分でネイマールは処分されず、自身はツイッターにおいて「何か言われたとしても些細な出来事であり、差別とは全く関係ありません。」とコメントし、大人の対応を見せている。リーグ・アン第7節ボルドー戦では、トヴァンの先制ゴールをアシストするなど高いパフォーマンスを見せ、レキップ紙が選ぶ第7節のベストイレブンに選出される。10月21日には、欧州挑戦9シーズン目にして念願だったUEFAチャンピオンズリーグの舞台に立つ。しかし、チームは開幕から屈辱の4連敗を喫し、グループ最下位で敗退に終わるというほろ苦いCLデビューとなった。その後国内でもマルセイユは不振に陥り、主力である酒井に対する風当たりも強くなる。第26節のFCナント戦では、キャリア初となる一発退場を経験。第27節からホルヘ・サンパオリが監督に就任すると右SBの定位置をポル・リロラに奪われて控えに降格となる。シーズン終了後の2021年5月24日、5年間在籍していたマルセイユを退団することを自身のSNSで発表する。
2021年6月10日、J1リーグの浦和レッズへの完全移籍が発表され、およそ9年ぶりに日本でプレーすることとなる。背番号は「2」。2021年8月14日におこなわれたJ1リーグ第24節サガン鳥栖戦で新天地でのデビューを果たす。9月25日のJ1第30節ではつい最近までマルセイユで同僚だった長友佑都が加入したFC東京と対戦し、前半アディショナルタイムに移籍後初ゴールを決めている。疲労と負傷を抱えながらもすぐにチームに溶け込み、主力として定着。2021年12月19日には天皇杯決勝の大分トリニータ戦にフル出場し、個人としては10年ぶりとなるタイトル獲得を経験する。
2022年は副キャプテンに就任。最初の公式戦となった富士フィルムスーパーカップでは江坂任の先制ゴールをアシストし、タイトル獲得に貢献。3月19日のJ1第5節ジュビロ磐田戦で右足を負傷し、右足第5中足骨骨折と診断される。一度は保存治療によって戦線に復帰したが、5月3日に手術に踏み切ることを発表し2か月の戦線離脱となる。戦線復帰後は8月26日のAFCチャンピオンズリーグ準決勝 全北現代戦で試合終了間際のキャスパー・ユンカーのゴールをアシストし、敗色濃厚だったチームの決勝進出に貢献する。しかし、ACLの期間中に右ふとももの肉離れを起こしシーズン4度目の負傷離脱となる。シーズン終盤戦には戦列に復帰したものの、シーズンの半分近くを欠場となり、チームもJリーグで9位と冴えない成績に終わり、不本意なシーズンとなった。
2023年はキャプテンに就任。3月18日のJ1第5節アルビレックス新潟戦では、2シーズンぶりとなるゴールを決め、逆転勝利に貢献。4月9日の第7節名古屋グランパス戦で右太ももを痛め、戦線を離脱。それでも4月9日のAFCチャンピオンズリーグ2023決勝アル・ヒラル戦で復帰。ホームで開催された5月9日の決勝第2戦では、押し込まれる試合展開の中で気迫のこもった鉄壁の守備を披露。アルヒラルの猛攻を無失点で抑え、浦和を3度目のアジア王者に導く。キャプテンとして優勝トロフィを掲げ、大会の最優秀選手にも選出される。5月31日、J1第11節サンフレッチェ広島戦では伊藤敦樹のスルーパスから同点ゴールを決める。ただ夏場以降は過密日程と怪我に苦しむようになり、11月には右膝半月板損傷によって戦線を離脱。手術を受けることになる。
2024年シーズンは開幕2試合未勝利というスタートになった中、3月10日の第3節北海道コンサドーレ札幌戦で豪快なヘディングシュートによる決勝ゴールを決め、浦和にシーズン初勝利をもたらす。6月ごろから再び海外に挑戦する旨の報道が出るようになり、6月24日に海外クラブへの移籍準備のためチームを離脱。
2024年7月25日、オーストラリア Aリーグ・メンに所属するニュージーランドのオークランドFCに完全移籍することが発表される。
高校1年生のときに、U-16日本代表に選ばれフランス遠征に帯同。
柏でレギュラーを獲得するようになった2011年5月にロンドンオリンピック代表(U-22日本代表)に初選出される。すぐさま右サイドバックのレギュラーを掴み、2011年6月23日ロンドンオリンピックアジア二次予選のクウェート戦では21分に先制ゴールを決める。最終予選でも主力としてプレーし、2012年2月22日のマレーシア戦では先制ゴールを決めるなど本大会出場に貢献する。
2012年7月から開催されたロンドンオリンピックのメンバー(U-23日本代表)に選出されると、ハノーファーに入団決定直後にチームに合流する。初戦のスペイン戦にスタメンで出場するが、この試合で左足首を負傷し後半29分に途中交代。その後のグループリーグ2試合を欠場する。準々決勝のエジプト戦でスタメンに復帰し、クリーンシートに貢献しベスト4進出に貢献。しかし、準決勝のメキシコ戦と3位決定戦の韓国に敗れ、悲願のメダル獲得はならなかった。
日本代表には、2011年10月に初選出され、2012年5月23日のアゼルバイジャン戦でAマッチデビューを果たす。基本的に内田篤人に続く右サイドバックの位置づけだったが、アルベルト・ザッケローニ監督からは評価されてコンスタントに代表に呼ばれ、2014ワールドカップアジア予選やFIFAコンフェデレーションズカップ2013など公式戦でもスタメンで起用されることもあった。2014 FIFAワールドカップのメンバーにも選出されるが、内田が好調だったこともあって出場機会は無かった。
ブラジルワールドカップ後の日本代表でも常連メンバーとして名を連ねており、2015年にはポジションを争っていた内田が負傷によって長期離脱した間にレギュラーの座を掴む。ハリルホジッチ監督からはデュエルの強さと空中戦の強さを買われて信頼を得て不動の存在となっていき、アジア最終予選を勝ち抜くにあたり欠かせない存在となっていた。
西野朗監督に代わっても主力として起用され続け、2018年6月にロシアで開催された2018 FIFAワールドカップに2大会連続でメンバー入り。初戦のコロンビア戦でワールドカップ初出場を果たすと、第2戦のセネガル戦ではリヴァプールで活躍するサディオ・マネとのマッチアップでほぼ完封する圧巻の守備を見せる。大会では全4試合に出場し、日本の2大会ぶりの決勝トーナメント進出の立役者となる。
ロシアワールドカップ後、森保一監督が就任した日本代表でも引き続き定位置を掴むと、2018年11月16日のベネズエラ戦にて代表49試合目にして初ゴールを決める。2019年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2019にも出場。控えメンバー中心だったウズベキスタン戦を除く決勝までの全試合にフル出場するが、決勝でカタールに敗れ、準優勝に終わる。
2021年7月に開催される東京オリンピックに出場するU-24日本代表のメンバーにオーバーエイジ枠として選出され、ロンドンオリンピック以来2度目のオリンピック出場を果たす。グループステージ第3戦のフランス戦ではチームの2点目となるゴールを決めるが、累積警告のため準々決勝のニュージーランド戦を出場停止になる。結局出場停止だったニュージーランド戦以外の5試合にスタメンとして出場し、自身のサイドを破らせない抜群の安定感を見せ、オーバーエイジとしての役割を十分に果たした。
2021年9月2日、2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選の初戦オマーン戦にフル出場するが、試合後オーバーワークを考慮されて代表から離脱することが発表され、休養を取ることになる。引き続き右SBのファーストチョイスとして森保一監督からの信頼を得ていたが、その後も怪我で代表に参加できないことがあり、山根視来の台頭を許す格好となった。
2022年11月、カタールで開催される2022 FIFAワールドカップのメンバーに3大会連続で選出される。コンディションに不安を抱えながらもグループリーグ初戦のドイツ戦にスタメンで出場するが、試合中に左足太もも裏を負傷し後半29分に交代となる。以降、グループリーグの残り2試合を欠場するが、ラウンド16のクロアチア戦で戦列に復帰し、後半30分から出場する。しかし、チームはPK戦で敗れベスト8進出は果たせなかった。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2009 | 柏レイソル | J1リーグ | 0 | 0 | |
2010 | 柏レイソル | J2リーグ | 9 | 1 | |
2011 | 柏レイソル | J1リーグ | 27 | 0 | |
2012 | 柏レイソル | J1リーグり | 15 | 1 | |
2012-13 | ハノーファー | ブンデスリーガ | 13 | 0 | |
2013-14 | ハノーファー | ブンデスリーガ | 26 | 1 | |
2014-15 | ハノーファー | ブンデスリーガ | 27 | 0 | |
2015-16 | ハノーファー | ブンデスリーガ | 26 | 1 | |
2016-17 | マルセイユ | リーグ・アン | 35 | 0 | |
2017-18 | マルセイユ | リーグ・アン | 33 | 0 | |
2018-19 | マルセイユ | リーグ・アン | 27 | 1 | |
2019-20 | マルセイユ | リーグ・アン | 21 | 0 | |
2020-21 | マルセイユ | リーグ・アン | 29 | 0 | |
2021 | 浦和レッズ | J1リーグ | 14 | 2 | |
2022 | 浦和レッズ | J1リーグ | 20 | 0 | |
2023 | 浦和レッズ | J1リーグ | 25 | 2 | |
2024 | 浦和レッズ | J1リーグ | 10 | 1 | |
2024-25 | オークランドFC | Aリーグ・メン |
スピードに乗ったダイナミックなオーバーラップから右足からの鋭い高速クロスを得意としている。柏時代はこの高速クロスが代名詞となっていた。独特のフォームから人よりもスペースを狙って放ち、内側に回転がかかって相手ゴールキーパーから逃げるような軌道を描き、ゴール前で急速に落ちていくのが特徴である。ただし、自分のモーションに持ち込もうとしすぎてタイミングが遅れることもある。
若い頃は守備でのポジショニングの悪さや判断力の拙さが指摘され、対人プレーでの軽さが課題とされていた。しかし、マルセイユに加入して以降はこれらの課題が大幅に改善され、次第に守備力がストリングポイントのサイドバックへと変貌している。恵まれた体格を活かしたボディコンタクトの強さには定評があり、フィジカルモンスターが多いフランスにおいてもトップクラスの身体能力と評されている。アジリティと持久力にも優れており、ネイマールやキリアン・エムバペ、サディオ・マネといったワールドクラスのアタッカーと対峙しても互角以上に渡り合っている。
またサイドバックとしては185cmと長身で、空中戦での勝率も高い。日本人で大型のサイドバックは希少価値の高いものであり、ハリルホジッチ監督時代の日本代表は右サイドの酒井を狙ったロングボールを使って相手のプレッシングを回避することを戦術としていた。
守備面での課題は克服しているものの、右サイドのスペースに走りこむタイミングが悪かったり、周りを使ったプレーは苦手としている。マルセイユ移籍以降は攻め上がりを自重し、守備を重視する傾向にある。
ファンから「酒井ゴリ」と呼ばれるほど、がっちりした体格といかつい風貌をしているが、普段は控えめで謙虚な性格であり、柏時代の先輩である北嶋秀朗からは「謙虚の酒井」と評されている。ザッケローニ監督からはすぐに謝ることを注意されていた。
リリー・フランキーの描いたキャラクター「おでんくん」に似ていることから「おでんくん」と呼ばれることもある。
マルセイユの同僚であるモルガン・サンソン(5歳年下)からは、「ヒロキは常に笑顔を絶やさないチームのマスコット的な存在」と言われている。
ハリルホジッチは、フランスのメディアに対し、かつての教え子である酒井のことを「モンスター級のフィジカルを持っている」と語っている。
2019年9月20日、大津祐樹と共に 株式会社ASSIST設立。取締役就任。『FootballAssist』プロジェクト始動。
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最終更新:2024/12/02(月) 09:00
最終更新:2024/12/02(月) 09:00
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