チアゴ・シウバ(Thiago Emiliano da Silva, 1984年9月22日 - )とは、ブラジルのサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのチェルシーFC所属。サッカーブラジル代表。
ポジションはDF(CB)。183cm73kg。利き足は右足。
ブラジルのリオデジャネイロ出身。2010年代を代表するワールドクラスのセンターバックであり、史上最高のDFと評する声もあるほど。CBとしてはさほど身長が高いわけではないが、高いインテリジェンスと戦術眼を兼ね備えており、若い頃にパオロ・マルディーニやアレッサンドロ・ネスタと共にプレーしたこともあってカードを貰わない華麗なディフェンスが特徴。ブラジル人のDFでは珍しいクレバーな選手である。
ブラジル代表として100試合以上に出場しており、FIFAワールドカップには4度出場。オーバーエイジ枠としてオリンピックにも二度出場している。ブラジル代表のキャプテンを務めたこともあり、2014 FIFAワールドカップでの「ミネイロンの惨劇」も彼の欠場が大きく影響したと言われている。
クラブレベルではACミラン、パリ・サンジェルマン、チェルシーFCといった強豪クラブでディフェンスリーダーを務めており、各クラブでタイトルを獲得。2021年にはチェルシーでUEFAチャンピオンズリーグ優勝も果たしている。
ブラジル・リオデジャネイロで比較的裕福な家庭に生まれる。他のサッカー選手のように幼い頃からサッカーに熱中していたわけではなく、学校に向かい、友人と遊び、家に帰ってきてからは凧揚げに熱中するごくごく普通の少年だった。
大きな転機となった9歳のとき。1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会でブラジル代表が4度目の優勝を果たす。祖国の快挙に熱狂した少年時代のチアゴ・シウバは、プロサッカー選手になる夢を抱くようになり、本格的にサッカーを始めることになる。
1998年にフルミネンセのユースに入団。しかしここではトップチームデビューを果たすことはなかった。その後、数々のサッカークラブのトライアルを受けるがなかなか合格せず、2002年にリオデジャネイロの小さなクラブであるペドラブランカに入団。初めてプロ契約を交わすことになる。
その1年後の2003年にはジュベントゥージへ移籍し、大きな成長を遂げる。ジュベントゥージでは主に右ウイングを務め、時には中盤やサイドバックもこなすマルチロールプレーヤーだったが、後にセンターバックにコンバートされる。
2004年にポルトガル・プリメイラ・リーガのFCポルトへ移籍。初の国外移籍となったが、大したインパクトを残せず1年で退団。翌年2005年にはロシア・プレミアリーグのディナモ・モスクワへ移籍したが、ここでは出場機会すら訪れることは無かった。
2006年にフルミネンセへ復帰。ヨーロッパでの挫折を経てユース時代を過ごした古巣へ復帰したシウバは見事に復活。2007シーズンには30試合5得点を記録。失点数をリーグ2位の39失点に抑えリーグ4位進出に、またブラジルの国内カップ戦であるコパ・ド・ブラジルではクラブの初優勝に貢献。翌2008シーズンにはコパ・リベルタドーレスでの準優勝も貢献。
2009年冬に当時SDを務めていた同郷のレオナルドの推薦もあり、イタリア・セリエAの名門ACミランへ移籍。諸事情でセリエAデビューが半年遅れたが2009年夏にセリエAデビューを果たすと、カルロ・アンチェロッティ監督から才能を買われレギュラーを獲得。アレッサンドロ・ネスタとコンビを組み、強固な守備ユニットを形成。守備戦術のイタリアで学んだことで後のキャリアにとって大きな経験を得る。
2010-11シーズンにはネスタと共にリーグ戦全38試合をわずか24失点に抑えてセリエA制覇を達成。世界トップクラスのDFとしての地位を確固たるものにした。このシーズンからミランの監督に就任したマッシミリアーノ・アッレグリからも「世界最高のDF」と評され、セリエA最優秀DFに贈られる、アルマンド・ピッキ賞の第1回受賞者となる。
このままネスタの後継者としてミランの最終ラインを支え続けると思われたが、ミランが財政難に陥っていたこともあり移籍話が浮上することになる。
2012年にフランス・リーグ・アンのパリ・サンジェルマンへ移籍。当時チアゴ・シウバと並びミランの2本柱であったズラタン・イブラヒモビッチと同時の移籍であった。本人は愛着のあるミランでのプレーを望んでいたが、PSGからの巨額のオファーにミランは抗うことができなかった。加入と共にキャプテンに任命されると、2012-2013シーズンは大きな怪我があったものの、22試合に出場しクラブの19シーズンぶりのリーグ・アン優勝に貢献した。
2013-14シーズンは同じブラジル人のマルキーニョスとコンビを組むようになる。このシーズンもハムストリングの負傷に悩まされたものの、リーグでは飛び抜けた守備力とリーダーシップを発揮。PSGをクラブ史上初となるフランス国内三冠に導く。
以降もPSGの絶対的なディフェンスリーダーとして君臨。移籍初年度からリーグ・アン4連覇を成し遂げ、特に2014-15シーズン及び2015-16シーズンにはリーグ・アンに加えてクープ・ドゥ・フランス、クープ・ドゥ・ラ・リーグ、トロフェ・デ・シャンピオンと国内4冠を2年連続で達成。国内ではまさに無敵の存在となったPSGの最終ラインを長く支え続ける。一方、クラブの悲願となっていたUEFAチャンピオンズリーグ優勝にはなかなか届かずにいた。
契約の最終年となった2019-20シーズン、35歳となってもトーマス・トゥヘル監督からはディフェンスリーダーとして絶大な信頼を寄せられていた。新型コロナウィルスによって途中で打ち切りとなったリーグ・アンでは7度目の優勝。そして変則開催となったCLではクラブを初の決勝進出に導く。しかし、決勝ではバイエルン・ミュンヘンを相手に奮闘したものの、0-1で敗れてしまいあと一歩のところで悲願のビッグイヤー獲得を逃す。チアゴ・シウバは契約を更新せず、新たな挑戦を決意するのだった。
PSGでは公式戦233試合出場、10得点を記録。在籍した8シーズンでずっとキャプテンを任されていた。
2020年8月28日、イングランド・プレミアリーグのチェルシーFCに移籍。すでに36歳となっての加入に当初は疑問視する声もあったが、チェルシーの他のDFの誰よりも高いクオリティのプレーを見せ、懐疑的な声を黙らせてしまう。2020-21シーズン途中にはPSGから監督の座を追われたトゥヘルと再び共闘することになる。CLでは個人として2シーズン連続で決勝に進出。決勝のマンチェスター・シティ戦では前半39分に負傷によってピッチを後にするが、1-0でチェルシーが勝利。皮肉にもトゥヘルと共に新天地へ移籍したことで悲願であった欧州王者の座に就くのだった。
2022年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻の影響によりチェルシーのオーナーが交代。トゥヘルは解任となり、チームは大幅な若返りを図りスカッドが入れ替わるが、大ベテランとなったチアゴ・シウバだけは変わらず最終ラインを統率している。
2008年、シンガポールとベトナムとの親善試合に向けたブラジル代表に初めて招集される。その後も代表に招集され続けるが、なかなか代表デビューの機会は訪れなかった。
この年、北京オリンピックに出場するU-23ブラジル代表のメンバーにオーバーエイジ枠で選出される。しかし、ふくらはぎの負傷によってコンディションが万全ではなく、スタメン出場は第3戦の中国戦のみ。ブラジルは準優勝に終わる。
2008年10月12日の南アフリカW杯予選のベネスエラ戦で代表デビューを果たし、11月のポルトガル戦ではこの年のバロンドールを獲得したクリスティアーノ・ロナウドを完封する。しかし、レギュラーを獲得するには至らず、2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出されるも出場機会は訪れなかった。
コパ・アメリカ2011ではレギュラーとして全4試合にフル出場。準々決勝のパラグアイ戦では120分間を0点に抑えたものの、その後のPK戦で2人目のキッカーとしてシュートを打つも失敗。チームも敗れベスト8での敗退となった。2011年11月14日のエジプト戦からキャプテンとしてプレー。2012年5月30日のアメリカ戦で代表初得点を挙げる。
2012年のロンドンオリンピックでは2大会連続でオーバーエイジ枠により選出されるが、決勝でメキシコに敗れ、またも銀メダルに終わる。FIFAコンフェデレーションズカップ2013では、圧倒的な強さを発揮したブラジルが優勝。代表キャリアでは初の国際タイトルとなった。
自国開催となった2014 FIFAワールドカップにもキャプテンとして出場。準々決勝まで守備の要としてチームの勝利に貢献するが、準々決勝のコロンビア戦で累積警告により出場停止となり、ネイマールの骨折による離脱とともに準決勝のドイツ戦で「ミネイロンの惨劇」と呼ばれる歴史的大敗を喫する要因を作ってしまう。
ワールドカップ後にリーダーシップの低さを糾弾したドゥンガの監督就任によりしばらくの間は代表から外れるが、11月に行われるトルコとオーストリアとの親善試合でワールドカップ以来の代表復帰を果たす。もっともキャプテンはネイマールに譲ることとなった。
コパ・アメリカ2015、翌年のコパ・アメリカ・センテリオでタイトルを獲得できず、ドゥンガ監督は解任となる。後任のチッチ監督からは再びキャプテンを任される。
3度目の出場となった2018 FIFAワールドカップ ロシア大会では第3戦のセルビア戦でワールドカップ初ゴールをマーク。準々決勝まで全試合にフル出場するが、ベスト8でブラジルは敗退。
2019年のコパ・アメリカ2019でもキャプテンとして全試合にフル出場。大会を通して安定した守備を続け、ブラジルの久々の優勝に貢献する。
2021年10月7日、ワールドカップカタール大会南米予選、コロンビアとの対戦で代表通算100試合出場を果たす。
2022年11月には2022 FIFAワールドカップ カタール大会で4度目のワールドカップ出場。ラウンド16の韓国戦ではリシャルリソンの得点をアシストするなど勝利に貢献、38歳74日でのアシスト記録はこれまでの最年長となった。しかし準々決勝でクロアチアにPK戦で敗れて敗退。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2004 | ジュベントゥージ | カンピオナート・ブラジレイロ | 28 | 3 | |
2004-05 | FCポルト | プリメイラ・リーガ | 0 | 0 | |
2005 | ディナモ・モスクワ | ロシア・プレミアリーグ | 0 | 0 | |
2006 | フルミネンセ | カンピオナート・ブラジレイロ | 31 | 0 | |
2007 | 30 | 5 | |||
2008 | 20 | 1 | |||
2009-10 | ACミラン | セリエA | 33 | 2 | |
2010-11 | 33 | 1 | |||
2011-12 | 27 | 2 | |||
2012-13 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 22 | 0 | |
2013-14 | 28 | 3 | |||
2014-15 | 26 | 1 | |||
2015-16 | 30 | 1 | |||
2016-17 | 27 | 3 | |||
2017-18 | 25 | 1 | |||
2018-19 | 25 | 0 | |||
2019-20 | 21 | 0 | |||
2020-21 | チェルシー | プレミアリーグ | 23 | 2 | |
2021-22 | 32 | 3 | |||
2022-23 | 27 | 0 | |||
2023-24 |
2000年代終盤から2010年代にかけて世界最高のDFの一人であるとされている。カードをもらうことなく華麗なプレーをすることを心がけており、カルロス・ガマーラやフアンがお手本であるとインタビューで答えている。
ブラジル人のセンターバックはフィジカルに頼った肉体はタイプが多いが、センターバックとしては体格に恵まれていないことに加え、ACミラン時代にネスタやマルディーニの影響を受けたこともあって欧州型のインテリジェンスが高く、ラインの統率・コントロールを得意としたスタイルになっている。
利き足は右足だが、センターバックとして左右どちらの位置でもプレーすることができる。戦術眼、ポジショニング、卓越したスピードを活かしたカバーリング、クリーンにボールを奪取することができる対人守備、危機を敏感に察知しての身体を張ったシュートブロック、空中戦の強さ、攻撃のスイッチを入れる縦パス、局面を打開するロングパスとセンターバックとして必要な要素を高水準で数多く取り揃えている。
スピードやジャンプ力に優れているため、小柄な弱点を動き回るとことで補うことができる。そのため、体格のハンディが弱点となることはほぼ見られない。飛び込むところと我慢するところを上手に使い分けることができるため軽率なミス、判断を間違うことも少ない。パスの受け手を潰すのが抜群に上手いのが持ち味で、試合の中で何度もインターセプトを見せている。
PSGやブラジル代表でキャプテンを任されており、リーダーシップも発揮できる。ダヴィド・ルイスのように食い気味になりがちなDFと組んだ際にうまくコントロールして操る最終ラインの司令塔。いるだけでディフェンスラインに安心感を与えられる。
欠点は筋肉系の怪我で離脱することが多いこと。メンタル面に弱点があるとも指摘されており、追いつめられるとラインを下げ過ぎる傾向もある。
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最終更新:2024/04/20(土) 11:00
最終更新:2024/04/20(土) 11:00
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