チアゴ・シウバ 単語

17件

チアゴシウバ

5.8千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

チアゴ・シウバ(Thiago Emiliano da Silva, 1984年9月22日 - )とは、ブラジルサッカー選手である。
イングランドプレミアリーグチェルシーFC所属。サッカーブラジル代表

ポジションはDF(CB)。183cm73kg。利き足は右足。

概要

ブラジルリオデジャネイロ出身。2010年代を代表するワールドクラスセンターバックであり、史上最高のDFと評するもあるほど。CBとしてはさほど身長が高いわけではないが、高いインテリジェンスと戦術眼を兼ね備えており、若い頃にパオロ・マルディーニアレサンドロ・ネスタと共にプレーしたこともあってカードを貰わない麗なディフェンスが特徴。ブラジル人のDFではしいクレバーな選手である。

ブラジル代表として100試合以上に出場しており、FIFAワールドカップには4度出場。オーバーエイとしてオリンピックにも二度出場している。ブラジル代表のキャプテンを務めたこともあり、2014 FIFAワールドカップでの「ミネイロンの惨劇」も彼の欠場が大きくしたと言われている。

クラブレベルではACミランパリ・サンジェルマンチェルシーFCといった強クラブでディフェンリーダーを務めており、各クラブタイトルを獲得。2021年にはチェルシーUEFAチャンピオンズリーグ優勝も果たしている。

経歴

幼少期

ブラジルリオデジャネイロ較的裕福な庭に生まれる。他のサッカー選手のように幼い頃からサッカーに熱中していたわけではなく、学校に向かい、友人と遊び、に帰ってきてからは凧揚げに熱中するごくごく普通少年だった。

大きな転機となった9歳のとき。1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会でブラジル代表が4度優勝を果たす。祖国の快挙に熱狂した少年時代のチアゴ・シウバは、プロサッカー選手になるを抱くようになり、本格的にサッカーを始めることになる。

若手時代

1998年フルミネンセのユースに入団。しかしここではトップチームデビューを果たすことはなかった。その後、数々のサッカークラブトライアルを受けるがなかなか合格せず、2002年リオデジャネイロの小さなクラブであるペドラブランカに入団。初めてプロ契約を交わすことになる。

その1年後の2003年にはジュベントゥージへ移籍し、大きな成長を遂げる。ジュベントゥージではに右ウイングを務め、時には中盤やサイドバックもこなすマルチロープレーヤーだったが、後にセンターバックコンバートされる。

2004年ポルトガルプリメイラ・リーガFCポルトへ移籍。初の外移籍となったが、大したインパクトを残せず1年で退団。翌年2005年にはロシアプレミアリーグのディナモ・モスクワへ移籍したが、ここでは出場機会すら訪れることはかった。

2006年フルミネンセへ復帰。ヨーロッパでの挫折を経てユース時代を過ごした古巣へ復帰したシウバは見事に復活。2007シーズンには30試合5得点記録。失点数をリーグ2位の39失点に抑えリーグ4位進出に、またブラジルカップ戦であるコパ・ド・ブラジルではクラブの初優勝に貢献。翌2008シーズンにはコパ・リベルタドーレスでの準優勝も貢献。

ACミラン

2009年に当時SDを務めていた同郷のレオナルド推薦もあり、イタリアセリエAの名門ACミランへ移籍。諸事情でセリエAデビューが半年遅れたが2009年セリエAデビューを果たすと、カルロ・アンチェロッティ監督から才を買われレギュラーを獲得。アレサンドロ・ネスタとコンビを組み、強固な守備ユニットを形成。守備戦術のイタリアで学んだことで後のキャリアにとって大きな経験を得る。

2010-11シーズンにはネスタと共にリーグ戦全38試合をわずか24失点に抑えてセリエA制覇を達成。世界トップクラスのDFとしての地位を確固たるものにした。このシーズンからミラン監督に就任したマッシミリアーノ・アッレグリからも「世界最高のDF」と評され、セリエA最優秀DFに贈られる、アルマンド・ピッキ賞の第1回受賞者となる。
このままネスタの後継者としてミランの最終ラインを支え続けると思われたが、ミランが財政難に陥っていたこともあり移籍話が浮上することになる。

パリ・サンジェルマン

2012年フランスリーグ・アンパリ・サンジェルマンへ移籍。当時チアゴ・シウバと並びミランの2本柱であったズラタン・イブラヒモビッチと同時の移籍であった。本人は着のあるミランでのプレーを望んでいたが、PSGからの巨額のオファーにミランは抗うことができなかった。加入と共にキャプテンに任命されると、2012-2013シーズンは大きな怪があったものの、22試合に出場しクラブの19シーズンぶりのリーグ・アン優勝に貢献した。

2013-14シーズンは同じブラジル人のマルキーニョスとコンビを組むようになる。このシーズンハムストリングの負傷に悩まされたものの、リーグでは飛び抜けた守備リーダーシップを発揮。PSGクラブ史上初となるフランス三冠に導く。

以降もPSGの絶対的なディフェンリーダーとして君臨。移籍初年度からリーグ・アン4連覇を成し遂げ、特に2014-15シーズン及び2015-16シーズンにはリーグ・アンに加えてクープ・ドゥ・フランスクープ・ドゥ・ラ・リーグトロフェ・デ・シャンオン内4冠を2年連続で達成。内ではまさに無敵の存在となったPSGの最終ラインを長く支え続ける。一方、クラブの悲願となっていたUEFAチャンピオンズリーグ優勝にはなかなか届かずにいた。

契約の最終年となった2019-20シーズン、35歳となってもトーマス・トゥヘル監督からはディフェンリーダーとして絶大な信頼を寄せられていた。新型コロナウィルスによって途中で打ち切りとなったリーグ・アンでは7度優勝。そして変則開催となったCLではクラブを初の決勝進出に導く。しかし、決勝ではバイエルン・ミュンヘンを相手に奮闘したものの、0-1で敗れてしまいあと一歩のところで悲願のビッグイヤー獲得を逃す。チアゴ・シウバは契約更新せず、新たな挑戦を決意するのだった。

PSGでは公式戦233試合出場、10得点記録。在籍した8シーズンでずっとキャプテンを任されていた。

チェルシー

2020年8月28日イングランドプレミアリーグチェルシーFCに移籍。すでに36歳となっての加入に当初は疑問視するもあったが、チェルシーの他のDFのよりも高いクオリティプレーを見せ、懐疑的なを黙らせてしまう。2020-21シーズン途中にはPSGから監督の座を追われたトゥヘルと再び共闘することになる。CLでは個人として2シーズン連続で決勝に進出。決勝のマンチェスター・シティ戦では前半39分に負傷によってピッチを後にするが、1-0でチェルシー勝利。皮にもトゥヘルと共に新地へ移籍したことで悲願であった欧州王者の座に就くのだった。

2022年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻によりチェルシーオーナーが交代。トゥヘルは解任となり、チームは大幅な若返りを図りスカッドが入れ替わるが、大ベテランとなったチアゴ・シウバだけは変わらず最終ラインを統率している。

ブラジル代表

2008年シンガポールベトナムとの善試合に向けたブラジル代表に初めて招集される。その後も代表に招集され続けるが、なかなか代表デビューの機会は訪れなかった。
この年、北京オリンピックに出場するU-23ブラジル代表のメンバーオーバーエイで選出される。しかし、ふくらはぎの負傷によってコンディションが万全ではなく、スタメン出場は第3戦の中国戦のみ。ブラジルは準優勝に終わる。

2008年10月12日南アフリカW杯予選のベネスエラ戦で代表デビューを果たし、11月ポルトガル戦ではこの年のバロンドールを獲得したクリスティアーノ・ロナウド完封する。しかし、レギュラーを獲得するには至らず、2010 FIFAワールドカップメンバーに選出されるも出場機会は訪れなかった。

コパ・アメリカ2011ではレギュラーとして全4試合にフル出場。準々決勝のパラグアイ戦では120分間を0点に抑えたものの、その後のPK戦で2人キッカーとしてシュートを打つも失敗。チームも敗れベスト8での敗退となった。2011年11月14日エジプト戦からキャプテンとしてプレー2012年5月30日アメリカ戦で代表初得点を挙げる。

2012年ロンドンオリンピックでは2大会連続でオーバーエイにより選出されるが、決勝でメキシコに敗れ、またも銀メダルに終わる。FIFAコンフェデレーションズカップ2013では、圧倒的な強さを発揮したブラジル優勝。代表キャリアでは初のタイトルとなった。

開催となった2014 FIFAワールドカップにもキャプテンとして出場。準々決勝まで守備の要としてチーム勝利に貢献するが、準々決勝のコロンビア戦で累積警告により出場停止となり、ネイマール骨折による離脱とともに準決勝のドイツ戦で「ミネイロンの惨劇」と呼ばれる歴史的大敗を喫する要因を作ってしまう。

ワールドカップ後にリーダーシップの低さを糾弾したドゥンガ監督就任によりしばらくの間は代表から外れるが、11月に行われるトルコオーストリアとの善試合でワールドカップ以来の代表復帰を果たす。もっともキャプテンネイマールに譲ることとなった。

コパ・アメリカ2015、翌年のコパ・アメリカ・センテリオタイトルを獲得できず、ドゥンガ監督は解任となる。後任のチッチ監督からは再びキャプテンを任される。

3度の出場となった2018 FIFAワールドカップ ロシア大会では第3戦のセルビア戦でワールドカップゴールマーク。準々決勝まで全試合にフル出場するが、ベスト8でブラジルは敗退。

2019年コパ・アメリカ2019でもキャプテンとして全試合にフル出場。大会を通して安定した守備を続け、ブラジル久々優勝に貢献する。

2021年10月7日ワールドカップカタール大会南米予選、コロンビアとの対戦で代表通算100試合出場を果たす。

2022年11月には2022 FIFAワールドカップ カタール大会で4度ワールドカップ出場。ラウンド16の韓国戦ではリシャルリソンの得点アシストするなど勝利に貢献、38歳74日でのアシスト記録はこれまでの最年長となった。しかし準々決勝でクロアチアPK戦で敗れて敗退。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2004 ジュベントゥージ カンピオナート・ブラレイ 28 3
2004-05 FCポルト プリメイラ・リーガ 0 0
2005 ディナモ・モスクワ ロシアプレミアリーグ 0 0
2006 フルミネンセ カンピオナート・ブラレイ 31 0
2007 30 5
2008 20 1
2009-10 ACミラン セリエA 33 2
2010-11 33 1
2011-12 27 2
2012-13 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 22 0
2013-14 28 3
2014-15 26 1
2015-16 30 1
2016-17 27 3
2017-18 25 1
2018-19 25 0
2019-20 21 0
2020-21 チェルシー プレミアリーグ 23 2
2021-22 32 3
2022-23 27 0
2023-24

個人タイトル

プレースタイル

2000年代終盤から2010年代にかけて世界最高のDFの一人であるとされている。カードをもらうことなく麗なプレーをすることを心がけており、カルロス・ガマーラフアンがお手本であるとインタビューで答えている。

ブラジル人のセンターバックはフィジカルに頼った体はタイプが多いが、センターバックとしては体格に恵まれていないことに加え、ACミラン時代にネスタやマルディーニを受けたこともあって欧州インテリジェンスが高く、ラインの統率・コントロールを得意としたスタイルになっている。

利き足は右足だが、センターバックとして左右どちらの位置でもプレーすることができる。戦術眼、ポジショニング、卓越したスピードを活かしたカバーリングクリーンボールを奪取することができる対人守備、危機を敏感に察知しての身体をったシュートブロック中戦の強さ、攻撃のスイッチを入れる縦パス、局面を打開するロングパスとセンターバックとして必要な要素を高準で数多く取りえている。

スピードジャンプに優れているため、小柄な弱点を動き回るとことで補うことができる。そのため、体格のハンディが弱点となることはほぼ見られない。飛び込むところと慢するところを上手に使い分けることができるため軽率ミス、判断を間違うことも少ない。パスの受け手を潰すのが抜群に上手いのが持ち味で、試合の中で何度もインターセプトを見せている。

PSGブラジル代表でキャプテンを任されており、リーダーシップも発揮できる。ダヴィド・ルイスのように食い気味になりがちなDFと組んだ際にうまくコントロールして操る最終ライン。いるだけでディフェンラインに安心感を与えられる。

欠点は筋肉系の怪で離脱することが多いこと。メンタル面に弱点があるとも摘されており、追いつめられるとラインを下げ過ぎる傾向もある。

関連動画

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
紲星あかり[単語]

提供: Kefi_Ades͏͏͏͏͏͏͏

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/20(土) 11:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/20(土) 11:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP