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アンドレスイニエスタ

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アンドレス・イニエスタ・ルハン(Andrés Iniesta Luján, 1984年5月11日 - )とは、スペインサッカー選手である。J1リーグヴィッセル神戸に所属。元サッカースペイン代表アルバセテ出身。

スペインメディアからはドンアンドレス、手品師などと称されている。イエニスタと誤読誤植しないように注意。

概要

174cm68kg。ポジションMF。4-3-3の左インサイドハーフで起用されることが多いが、トップ下やウイングセンターハーフで起用されることもある。

背は170cmと低めだが、戦術理解・判断、パス出し、パスを受けるためのランニング、ドリブルに優れる。(ヘスス・スアレスは当然として)メッシルーニーら多くの人が現在世界最高のミッドフィルダーにイニエスタの名を挙げる。よくメッシサッカー天才ならばイニエスタは達人と表現され、「ピッチ内外で模範であり続ける選手」と称される。

バルセロナの下部組織であるラ・マシアの出身で、2002年トップチームデビューしてから2018年までの16年間バルセロナに在籍し、ラ・リーガに9回優勝UEFAチャンピオンズリーグにも4回優勝と数々のビッグタイトルクラブにもたらしている。2009年2015年の2度トリプル(三冠)を達成。
スペイン代表には2006年デビューしており、2010年ワールドカップ優勝2008年2012年EURO連覇に貢献している。

ラ・リーガでの通算成績は442試合35ゴールスペイン代表としての通算成績は126試合13ゴール
実は得点アシストという数字に残る記録としては特別優れたものを残していない。フィジカル面も特段優れているわけでもない。しかし、イニエスタがいるといないではチームボールの循環がまるで違ってくると言われるほどの重要なプレイヤーである。しばしば難しいプレーを簡単にこなしてしまうプレイヤーと形容される。

プレーエリアは左のハーフスペースからバイタルエリア(相手のDFラインと中盤のラインの間)。

彼のプレーには理も駄もなく、ごく自然プレーの最適解を導き出すを備えている。そのため、試合中で高等テクニックを使用することがほとんどない(彼が得意とするダブルタッチも初歩的なテクニックである)。

イニエスタ自身は、MFに必要な要素として、まず重要なのは「ポジショニング」。あとは「体の向き」、「ファーストラップがうまいかどうか」、「味方とのコンビネーション」、「常に顔をあげて周りを見てるか」、「ゲームの状況を把握できているか」を挙げている。

バルセロナでのキャリア

8歳のときに地元のアルバセテ・パロンビアの下部組織に入団。12歳のときの出場した全大会で高いドリブルテクニックと視野の広さを見せ、様々なクラブから注される。

12歳FCバルセロナのユースに入団。当初はレアル・マドリードに入団する予定だったが、両親とともにバルセロナの下部組織寮であるラ・マシアを見学した結果、バルセロナへの入団を決意する。当初は守備的MFとしてプレーしていたが、プレーの特徴から攻撃的MFに転向。シャイな性格のためたびたびホームシックにかかったが、順調に成長を見せU-15のときにはキャプテンを務める。

2002年トップチームに昇格し、10月29日UEFAチャンピオンズリーグクラブブルージュ戦でデビューを果たす。しばらくは、ロナウジーニョデコシャビ・エルナンデスの控えという位置づけだったが、2004-05シーズンからレギュラーに定着。途中出場がまだ多かったものの、リーグ37試合に出場するなど、徐々に出場機会を増やしていく。

2005-06シーズンは、シーズン前半は途中出場が多かったものの、2005年12月シャビが長期離脱したことでスタメンとしての起用が増える。そして、ラ・リーガ連覇と初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験。スター選手いのチームで高いレベルプレーを披露し、選手として大きく飛躍しシーズンでもあった。2006-07シーズンは、ロナウジーニョの欠場が多かったこともあってこれまで経験したことのない左ウイングで起用されることが増え、プレーの幅を広げる。

当初の背番号は「24」だったが、2007-2008シーズンから背番号「8」を背負うこととなる。チームは前年に続いて冠に終わり、いわゆる暗黒時代に突入していたが、スペイン各誌の採点はリーグでもトップクラスの高さであり、混沌としていたチームの中で安定したプレーを続けていた。

ジョゼップ・グアルディオラ監督が率いた2008年から2012年の間、バルセロナ黄金時代を迎え、シャビセルジ・ブスケッツと共に形成される中盤は圧倒的なポゼッションを誇り、後のサッカー界に大きな影を与えるほどのクオリティの高さを発揮。
2008-09シーズンUEFAチャンピオンズリーグ準決勝、チェルシー戦のセカンドレグロスタイムに決勝進出を決定づけつゴール叩き込み、勝ち抜けに貢献。彼の放った一撃はバルセロナのこの試合一のシュートであり、クールな立ち振る舞いで知られるグアルディオラを忘れて狂喜乱舞する程の劇的なゴールであった。イタリアローマで行われた決勝戦ではマンチェスター・ユナイテッドを圧倒し、見事欧州王者にいている。ちなみにこのシーズンにはラ・リーガ、コパ・デルレイと合わせて3冠を達成。

2009年8月8日にユース時代からの親友であるダニエルハルケが急死したことで大きなショックを受け、加えて負傷の影チーム練習に参加できず、グアルディオラ監督の判断で2009-10シーズンの前半は途中出場が中心になる。後半戦に入りスタメンでの出場が増えるが、またも練習中に負傷してチームを離脱。不本意なシーズンとなる。

2010-11シーズンの開幕戦であるラシンサンタンデール戦では、およそ30mほどの距離からのロングシュートを決め、順調なスタートを切り、シャビブスケッツと共に圧倒的なポゼッションを生み出す。また、2010年南アフリカワールドカップスペインの初優勝をもたらしたゴールを決めたことの経緯から、アウェイゲームで相手チームサポーターからスタンディングオベレーションを送られた。チームは歴代最強と称されるほどの類の強さで全てのコンペティションにおいて勝ち抜いていき、このシーズンにもリーグチャンピオンズリーグ、コパ・デルレイ3冠を達成。バルセロナの時代を築いたとして揺るぎない地位を築いている。

2011-2012シーズンは、出場した試合の連続敗記録が55試合というリーグ新記録を立。2011年12月には、FIFAクラブワールドカップ2011に出場するため来日し、クラブ世界一を達成。チャンピオンズリーグでは、準々決勝ミラン戦の2nd leg、準決勝チェルシー戦の2nd legでゴールを決めている。

2012年グアルディオラ監督が去った後のチームでもシャビと共に攻撃のタクトを振るい、2012-2013シーズンでは、ティト・ビラノバ監督のもと攻撃のテンポがよりスピーディーに変化を遂げながらもリーグ最多となる16アシストを記録。年間での勝ち点100を達成しての2シーズンぶりのラ・リーガタイトル奪還に貢献する。また、この年の8月UEFA欧州最優秀選手賞に選ばれている。

2013-14シーズンは、ヘラルド・マルティーノ監督の戦術上の問題によって全体のチームバランスが狂ってしまい、ゲームコントロールに苦労することとなる。

ルイス・エンリケ監督が率いた2014-2015シーズンでは、チーム戦術の変更に伴って自身の役割が変更し、守備の負担が増したことでゲームメイクに参加する機会が以前よりも減ってしまう。それでも自身3度となる3冠達成に貢献。チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦では、イヴァン・ラキティッチの先制ゴールアシストし、この試合のマンオブ・ザ・マッチに選ばれている。

2015-16シーズンからは、シャビが退団したことに伴い、キャプテンに就任。しかし、左サイドネイマールとの関係上引き続き守備の負担が大きくなり、筋肉系のトラブルが増える。2016-17シーズンはさらに負傷による離脱を繰り返し、リーグ戦の出場は23試合にとどまってしまう。それでも、2016年11月23日おこなわれたレアル・マドリードとのエル・クラシコでは1ゴール1アシストの活躍により敵地サンチャゴ・ベルナベウでの4-0の大勝に貢献する。

2017-18シーズンは、この年から就任したエルネストバルベルデ監督の意向によって守備の負担が軽減され、怪リスクを考慮してプレー時間を制限したことでコンディションが安定し、出場した試合では高いパフォーマンスを披露するようになる。2017年10月5日クラブ史上初の生涯契約を結んだことが発表された。2018年に入ってから退団が取り沙汰されるようになり、シーズン終盤になると退団が確実視されるようになる。4月23日コパ・デル・レイ決勝のセビージャ戦では、メッシからのアシストから1ゴールを記録するなど素晴らしいパフォーマンスを見せ、チームの4年連続30のコパ・デル・レイ制覇に大きく貢献し、リーガタイトルと合わせて内2冠にく。その後今シーズンをもって退団することを正式に発表。最後の試合であるレアルソシエダ戦で勝利を飾り、22年間過ごし、33個のタイトルをもたらしたクラブとの別れを告げた。

バルセロナでの通算成績はラ・リーガ442試合出場35得点チャンピオンズリーグでは、16シーズン連続で出場し135試合出場15得点

ヴィッセル神戸でのキャリア

2018年5月において各メディアからバルセロナFCからヴィッセル神戸への移籍が報じられ世界中で話題となり、5月24日神戸への移籍が正式に決定する。彼にはバルセロナ時代の背番号が用意されたものの既にほかの選手で登録されていたため規定上着用が不可能ではあったが当事者が背番号を譲る旨を伝えたことに加えJリーグ側からルール訂されたことで背番号「8」を着用することが正式に決定した。イニエスタが加入したことで神戸ホームゲームの観客動員数が大幅に増えただけでなく、アウェイ戦での観客動員数も増え、欧州メディアからの注度も増すなど、Jリーグ全体に大きな影を与えている。移籍後3試合となった8月11日ジュビロ磐田戦でJリーグゴールを記録している。

2019年4月には、ルーカス・ポドルスキに変わってキャプテンに就任。バルセロナ化を推し進める神戸は一時は降格圏に近づくほど迷走していたが、6月にトルステン・フィン監督が就任して以降調子を上げていく。シーズン前半戦は欠場が多かったイニエスタも後半戦は高いパフォーマンスを見せ、2019年Jリーグベストイレブンに選出される。12月21日天皇杯準決勝の清水エスパルス戦では1ゴール1アシストの活躍によって決勝進出へと導く。新国立競技場の初お披露となった元旦の決勝でも、鹿島アントラーズを相手に中盤を支配し、チーム創設以来初のタイトルとなる天皇杯優勝をもたらす。

2020年には、自身にとってもチームにとっても初となるAFCチャンピオンズリーグACL)に出場し、初戦では2アシストの活躍でチーム勝利に貢献する。Jリーグでは9月フィン監督が退任するなどまたもチームは迷走してしまう。一方、異例の集中開催となったACLでは、第3節の広州恒大戦で1ゴール1アシストを記録するなど、高いパフォーマンスチームグループステージ突破に導く。12月7日のラウンド16上海上港戦では前半31分に先制ゴールを決めるなど、MOMに選ばれる活躍で勝利に貢献。しかし、この試合で右太もも裏を負傷し後半23分に交代となる。準々決勝の水原戦ではスタメンを外れるものの、延長後半8分から強行出場。PK戦では1人キッカーとして成功させ、神戸の準決勝進出に貢献。だが、PKを蹴った際に負傷をさらに悪化させてしまい、右足大腿直筋近位部腱断裂の重傷を負ったことが判明。全治4かと診断さえれ、12月15日バルセロナで手術を受ける。

スペイン代表でのキャリア

U-16, U-20など各カテゴリの代表に選ばれており、2001年UEFA U-16欧州選手権と2002年UEFA U-19欧州選手権に出場し、両方の大会で優勝を経験。さらに、2003年11月UAEで開催された2003 FIFAワールドユース選手権に出場。グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦では決勝ゴールを決め、決勝トーナメント出場に貢献。準決勝のコロンビア戦でも終盤に決勝ゴールとなるPKを決めるなど、中心選手として準優勝を果たし、大会のベストイレブンにも選出されている。

2006年5月15日、これまでフル代表の経験がかったにも関わらずルイス・アラゴネス監督から2006 FIFAワールドカップ本大会に出場するメンバーに選出され、スペイン民を驚かせる。大会直前のテストマッチとなったロシア戦で途中出場し、スペイン代表デビューを飾る。もっともアラゴネス監督は将来を見越して選出していたため、本大会に出場したのはグループリーグ突破が決まっていた第3戦のみとなった。

W杯後も代表にコンスタントに招集され、2007年頃からレギュラーとして起用されるようになる。アラゴネス監督はイニエスタ、シャビセスク・ファブレガスダビド・シルバを中盤に並べたチーム作りを進め、クワトロ・フゴーネスと呼ばれた4人の創造者の1人としてプレーUEFA2008予選では、中盤もしくは左ウイングとして起用され、スウェーデン戦では1ゴール1アシストの活躍を見せるなど、首位での本大会出場に貢献する。

2008年6月に開催されたEURO2008では、大会直前に食中毒を患いながらもとして出場し、シャビセスク・ファブレガスダビド・シルバと共に形成した「クアトロ・フゴーネス」の一として魅的なフットボールを展開。グループリーグ第2戦のロシア戦ではダビド・シルバゴールアシストし、準決勝のロシア戦では質の高いクロスシャビの決勝ゴールアシストしてMOMに選ばれるなど44年ぶりの優勝に大きく貢献。シャビマルコス・セナら6人のチームメイトと共に大会のベストイレブンに選出される。

2009年は負傷の影もあり、FIFAコンフェデレーションズカップを欠場。南アフリカW杯欧州予選も6試合のみの出場となった。

2010年6月南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップにも出場。大会直前に足首を負傷するも、本番には間に合わせ、シャビダビド・シルバと共に中盤を支配し、各試合で高いポゼッション率を記録する。グループリーグ3戦チリ戦では、大会節100ゴールとなるゴールを決め、MOMに選出。準々決勝のパラグアイ戦では、ダビド・ビジャの決勝ゴールを演出し、MOMに選ばれる。決勝の対オランダ戦では優位に試合を進めながら0-0のまま延長戦に突入。延長後半11分に決勝弾を決め、スペイン代表は初の世界王者にいた。
ユニフォームを脱ぎ捨てて歓喜するイニエスタのアンダーシャツには「"DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS"(ダニハルケ、いつも一緒だ)」と記されていた。これは1年前に他界した親友ダニエルハルケにげたメッセージであり、ハルケの所属クラブであったエスパニョールを始めスペインに留まらず世界中に感動を与えた。
この大会でイニエスタは大会3度となる決勝戦のMOMに選ばれ、FIFAから大会のベストイレブンに選出。この年のバロンドールではチームメイトリオネル・メッシに次ぐ2位となっている。なお、彼の代表における活躍を称えてか、2010-11シーズン以降クラブリーグ戦において敵地のファンからイニエスタへの采がしばしば送られている。

2012年6月に行われたUEFA EURO2012にも出場。この大会はキャリアの絶頂期といえる時期にあり、圧巻のボールコントロールとパス捌きでスペインの中盤をリードし続け、シャビダビド・シルバと抜群の連携も見せる。イタリアとの決勝を含む3試合でMOMに選ばれる活躍を見せ、欧州連覇に貢献。大会の最優秀選手にも選出。バルセロナのみならず、要3大会連続優勝という史上初の偉業を成し遂げたスペイン代表の黄金時代を支えた中核となる。

2013年6月に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップにおいても、決勝でブラジルに敗れて準優勝となったものの、グループリーグ3試合で15得点を奪ったチームにあってシルバーボールに選ばれる。

3度の出場となった2014 FIFAワールドカップでは、大きな期待を背負っての出場となったものの、グループリーグ第1戦のオランダ戦では、シャビと共にマンマークを付けられたことでプレーを制限されてしまい、かつて自身をトップチームに引き上げた恩師であるルイス・ファン・ハール監督の術中に嵌る。生命線を封じられたチームは5失点を許し、衝撃的な大敗を喫する。続くチリ戦でも、中盤が機不全の状態に追い込まれ敗戦。まさかの開幕2連敗で々にグループリーグ敗退という屈辱的な大会となる。

2016年に開催されたUEFA EURO2016では、初戦のチェコ戦でジェラール・ピケのゴールアシストし、勝利に貢献。しかし、準々決勝のイタリア戦では、相手のタイトな守備の前に高い位置でボールを持つことができず、しくミス立つなど低調な出来となってしまい、チームも0-2で敗れて3連覇を逃すこととなり、8年間代表を率いたビセンテ・デルボス監督が退任することとなる。

所属するバルセロナで負傷が頻発し、代表に合流できることが少なくなりつつあったが、34歳となっても必要な存在とみなされ、2018 FIFAワールドカップに出場。しかし、大会開幕の直前に監督が交代するという前代未聞の事態に陥り、混乱の中で4度ワールドカップを迎えることとなる。グループリーグは3試合ともスタメンで出場したが、本来のパフォーマンスとは程遠い出来で、スペイン内からも批判を受ける。ラウンド16のロシア戦はスタメンを外れ、後半22分からの出場となったが、チームPK戦で敗れ、敗退となる。試合後、スペイン代表からの引退を表明する。

代表通算126試合出場13得点

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2002ー03 バルセロナ プリメーラ 6 0
2003ー04 バルセロナ プリメーラ 11 1
2004ー05 バルセロナ プリメーラ 17 6
2005ー06 バルセロナ プリメーラ 33 0
2006ー07 バルセロナ プリメーラ 37 6
2007-08 バルセロナ プリメーラ 31 3
2008ー09 バルセロナ プリメーラ 26 4
2009-10 バルセロナ プリメーラ 29 1
2010-11 バルセロナ プリメーラ 34 8
2011-12 バルセロナ プリメーラ 27 2
2012-13 バルセロナ プリメーラ 31 3
2013-14 バルセロナ プリメーラ 35 3
2014-15 バルセロナ プリメーラ 24 0
2015-16 バルセロナ プリメーラ 28 1
2016-17 バルセロナ プリメーラ 23 0
2017-18 バルセロナ プリメーラ 30 1
2018 ヴィッセル神戸 J1 14 3
2019 ヴィッセル神戸 J1 23 6
2020 ヴィッセル神戸 J1 26 4

プレースタイル

卓越したボールコントロールとパスセンス、戦術眼を駆使してチームコントロールする中盤のマエストロ。ボールを絶えず動かして繋ぐバルセロナスタイルにおいて、彼の相手の間で受ける、狭いスペースでのワンタッチコントロール、敵をかわす高い技術は欠かせないものとなっていた。常に正しいポジションを取っているため、ボールを受ける際に動く必要はく、ボールを受けるときは常に止まった状態で受けている。

ボールが足につくように止めることができる技術は、ジネディーヌ・ジダンと共通したである。足についているからボールを見る必要はなく、敵の動きを見ることができる。イニエスタは、敵の動きを見透かすことができるを持っており、相手の先手を取ってプレーを選択することができ、常に優位に立つことに繋がっている。

プレー選択の高さも特筆すべきもので、理と判断すれば受けたパスを後方に返して、動き直しからパスコースを作り、前へ運ぶ最良の選択肢を見つけるためこの作業を繰り返す。そのため、味方からは安心してボールを預けられるため、自然とイニエスタにボールが集まることになる。そのため、バルセロナ哲学そのものを体現している存在とも言われている。

人物・エピソード

イニエスタについて

お前シャビ)はオレを引退させるだろうが、あいつ(イニエスタ)はお前引退させるだろう
いま世界でもっとも完成された選手
刑の執行人となったのは世界最高のフットボーラー、イニエスタだった

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  • 21ななしのよっしん

    2018/08/16(木) 12:32:54 ID: y9ugzS7Aee

    >>18
    Jリーグと言うよりはヴィッセル神戸というチームが成熟してない。
    昨日の試合を見てる限り、対戦相手のサンフレはチームとして良いサッカーしてるし。

  • 22ななしのよっしん

    2018/09/01(土) 22:17:45 ID: bbBrK0NJnk

    奈良春日野」の2番で「イニエスタ」みたいなこと唄ってたなー、とか
    急に思い出して調べたら「いによった」(去によった)かー、当時は関西の言葉わかんなかったなー…
    と思ったんだが、何か似てるような気がする(妄想)

  • 23ななしのよっしん

    2020/04/14(火) 15:06:12 ID: e5ZMe+F/iO

    ワインを売りたいだけのハゲ
    なお、ジャップはありがたがって買うもよう

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最終更新:2021/04/15(木) 10:00

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最終更新:2021/04/15(木) 10:00

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