カツラギハイデン(Katsuragi Heiden)とは、1983年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
今後たぶん破られることはないだろう、グレード制導入以降最も獲得賞金が少ないGⅠ馬。
概要
父*ボールドリック、母サチノイマイ、母父*チャイナロックという血統。
父はアメリカ産のフランス調教馬で、1964年の英2000ギニーとチャンピオンSの勝ち馬。種牡馬としてもアイリッシュダービー馬*アイリッシュボールや天皇賞馬キョウエイプロミスを輩出した。
母は12戦未勝利だが、1969年の菊花賞馬アカネテンリュウの全妹。牝系を遡ると、1907年に小岩井農場が輸入した*ヘレンサーフという牝馬に辿り着く日本の基礎牝系のひとつである。
母父はアカネテンリュウのほか、タケシバオーやハイセイコーを輩出した70年代の名種牡馬。
甥(半姉サチノワカバの仔)に宝塚記念馬オサイチジョージ、また伯母ムーンフィニックスの曾孫にGⅠ3勝馬ヒシミラクルがいる。
1983年3月18日、三石町の大塚牧場で誕生。牧場としては後継牝馬が欲しかった配合だったらしい。気難しい馬が多かったという*ボールドリック産駒としては珍しく、非常におっとりとして人なつっこい馬だったそうな。
オーナーはカツラギエースの馬主として知られる「カツラギ」冠名の野出一三。馬名の「ハイデン」は1980年のレークプラシッド五輪でスピードスケート5種目を完全制覇したアメリカのスピードスケート選手エリック・ハイデンから。
※この記事では時代に合わせ、馬齢表記を数え年(現表記+1歳)で記述する。
関西のスピードの星
カツラギエースと同じ栗東の土門一美厩舎に入厩したカツラギハイデンだったが、慢性的なソエ(管骨骨膜炎)に悩まされ、完治しないまま10月の京都・芝1200mの新馬戦で西浦勝一を鞍上にデビュー(以後、1戦を除いて西浦が騎乗)。単勝9.5倍の5番人気という評価だったが、なんと3馬身半差で圧勝する。
続く京都・芝1600mのもみじ賞(OP)は6着に敗れたが、京都・芝1400mのかえで賞(400万下)を2馬身半差で完勝。
2勝目を挙げたカツラギハイデンは、西の3歳王者決定戦、阪神3歳ステークス(GⅠ)に乗りこむことになった。
この年の阪神3歳Sは10頭立てのうち、デイリー杯3歳Sを勝ったヤマニンファルコン(2番人気)、そのデイリー杯2着で京都3歳Sを勝ったノトパーソ(3番人気)、そして小倉3歳Sを勝ったキョウワシンザン(7番人気)と牝馬が3頭もいて、しかもうち2頭が重賞馬と牝馬優勢の雰囲気だった。他の牡馬たちは既にその牝馬たちに蹴散らされたか近走パッとしないかといった面々で、重賞実績なしながら有力牝馬との対戦経験のないカツラギハイデンが牡馬代表として3.1倍の1番人気に支持されることになった。
レースは最内枠から好スタートを切るも、ハイペースを見越した西浦騎手が抑えて4~5番手を選択。直線に入ってカツラギハイデンは前の馬群の狭いところを縫うようにして内ラチ沿いから抜け出すと、あとは後続を全く寄せ付けず、1と3/4馬身差をつけて完勝。
ソエが完治しないまま西の3歳王者に上り詰め、西浦騎手は「現時点では、カツラギエースよりもはっきりと上」とコメント。「東高西低」と言われた当時、優駿賞(現:JRA賞)最優秀3歳牡馬では4戦4勝の東の3歳王者ダイシンフブキが130票を集めて圧勝し、カツラギハイデンには僅か7票しか入らなかったが、当時クラシックでは関西馬の連敗が続いており、カツラギハイデンは関西の期待を背負って4歳クラシック戦線に乗りこむことになった。
……だが、ソエが治って万全になったはずのカツラギハイデンは、あっという間に輝きを失ってしまう。
明けて4歳初戦のきさらぎ賞(GⅢ)でスタート直後に落鉄してしまい4着に敗れたのがケチのつきはじめ。柴田政人がテン乗りしたスプリングS(GⅡ)は重馬場に脚をとられてずるずる後退し8着撃沈。関西の期待の星だったはずのカツラギハイデンはあっという間に存在感が薄くなり、本番の皐月賞(GⅠ)ではもはや単なる脇役の8番人気、そして結果は21頭立て18着という弁解のしようのない惨敗。ダービートライアルのNHK杯(GⅡ)も最後方から追い込んだが7着に終わり、土門師はダービーを断念して放牧に出したが、カツラギハイデンは屈腱炎を発症してしまう。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことである。
結局、カツラギハイデンが休んでいる間に、クラシック関西馬の連敗を12で止めたのは、菊花賞を勝ったメジロデュレンであった。
1年3ヶ月の休養を経て、カツラギハイデンは1987年の北九州記念(GⅢ)で復帰する。……このとき、カツラギハイデンの所属するクラスは1400万下(現在の3勝クラス)だった。カツラギハイデンの収得賞金は新馬戦の300万円とかえで賞の500万円、そして阪神3歳Sの本賞金3000万円の半額1500万円で合計2300万円だったのだが、降級制度があった当時、5歳夏以降はオープン馬となるのに収得賞金2800万円以上が必要であり――すなわちGⅠ馬でありながら準オープンに降級となっていたのである。GⅠ馬でありながら条件馬に降級を食らった馬というのは、他にはダイゴトツゲキとメジロベイリーぐらいしかいない。
そしてこの北九州記念も先行策から沈んで8着に終わったあと、屈腱炎が再発してしまう。
1歳上の阪神3歳S馬ダイゴトツゲキは、4歳時にカツラギハイデンと同じローテでほぼ同じように惨敗し(何の因果か皐月賞は同じ18着)、神戸新聞杯後に屈腱炎で戦線離脱。「東高西低」の当時、レベルが低いと見られた阪神3歳Sの1勝だけでは種牡馬オファーもなく、復帰を模索していたが、結局果たせないまま引退、行方不明になってしまった。
同じ立場のカツラギハイデンもこのままでは種牡馬オファーはない。故に陣営は復帰の道を模索したが……結局、その脚が治ることはなく、彼が抹消されたのは実に3年後、1990年夏のことであった。そしてその後、カツラギハイデンもまた、その行方は知れない。
生涯獲得賞金は4550万円。グレード制以降のGⅠ馬では、地方交流を含めても最小獲得賞金額記録である。2024年現在、中央GⅠで最も本賞金が安いのは阪神JFの6500万円なので、今後中央競馬が現在の賞金を維持できなくなるほど斜陽にならない限りはカツラギハイデンの記録が中央GⅠ馬に破られることはない。地方交流JpnⅠでも最も安い全日本2歳優駿が4200万円なので、カツラギハイデンを下回る馬が出ることは今後おそらくないだろう[1]。
血統表
*ボールドリック 1961 黒鹿毛 |
Round Table 1954 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose |
Cosquilla | |||
Knights Daughter | Sir Cosmo | ||
Feola | |||
Two Cities 1948 鹿毛 |
Johnstown | Jamestown | |
La France | |||
Vienna | Menow | ||
Valse | |||
サチノイマイ 1973 鹿毛 FNo.16-c |
*チャイナロック 1953 栃栗毛 |
Rockefella | Hyperion |
Rockfel | |||
May Wong | Rustom Pasha | ||
Wezzan | |||
ミチアサ 1960 黒鹿毛 |
*ヒンドスタン | Bois Roussel | |
Sonibai | |||
プレイガイドクイン | *ダイオライト | ||
ウヱツデイングラス |
クロス:Friar Marcus 5×5(6.25%)、Sir Gallahad 5×5(6.25%)
関連動画
当然ながら阪神3歳Sの動画はないのでYouTubeのJRA公式で見てください。
関連リンク
関連項目
脚注
- *中央競馬からは未勝利馬が交流JpnIに選定されることはないので、移籍馬でなければ最低でも4200万円+未勝利戦1着の550万円が加わり、4750万円と4550万円を上回る。また、現実的に地方から中央への移籍馬で収得賞金が400万円を下回る馬が選定される可能性はほぼない(中央から出走希望する馬が多いため)。したがって、あるとすれば地方馬のみであるが、他地区選定馬であれば賞金350万円以下というのは現実的に考えづらいため、南関東4競馬所属で、しかも賞金額が少ない馬が乾坤一擲の走りで下剋上を果たすも、その激走で競走能力喪失・引退といったシナリオがないと、まず4550万円を下回ることは起きない
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