レジェンドテイオーとは、1983年生まれの競走馬。80年代後半の競馬を逃げ戦法で彩った名脇役にして、令和の世の中にふとしたきっかけでtwitterトレンドに上がってきた馬。
主な勝ち鞍
1986年:セントライト記念(GIII)
1988年:アルゼンチン共和国杯(GII)
概要
※本項目では本馬活躍時に合わせ、馬齢を旧表記(現表記+1歳)で記載します。
誕生~4歳
父 *ノーザンテースト 母 ロイヤルハイブ 母父 Royal Parace。父は言わずと知れた昭和の大種牡馬であり、母父もセントレジャー勝ち馬を出している種牡馬。母は競走成績13戦4勝で、G2を勝ちG1で2着3回(うち1回はあのアスコットゴールドカップ(約4000m)である)とかなりの好成績を挙げている。
1983年4月2日に日髙の中小牧場である出口牧場にて誕生。ちなみにこの出口牧場、のちに稀代の名馬にして迷馬ゴールドシップが誕生した牧場でもあったりする。
4歳1月に東京競馬場でデビュー。ここは後ろからの競馬になってしまい3着に敗れるも、折り返しの新馬戦・条件戦を逃げで連勝。勢いに乗って次戦にはGI日本ダービーを選択。しかしながらここは6枠15番と真ん中外寄りのゲートになったこともあり逃げられず、ダイナガリバーが社台初のダービー馬となる後ろで14着惨敗。
ダービー後は自己条件に戻ってここを逃げ切ると、返す刀で菊花賞トライアルセントライト記念も逃げ切って重賞初制覇。血統的にも長距離行けそうなので本番菊花賞では3番人気に押されたが、さすがに長かったらしく最終コーナーで捕まり直線沈没、17着に終わる。
その後は年末の祭典有馬記念に出走。本馬はいつも通りスタートを決めると間を割って逃げを打つ。そのまま残り200mまで先頭をひた走るもミホシンザンに交わされたのを皮切りに次々抜かれていき、結局6着に終わった。優勝したのは同じく4歳のダイナガリバー、あまりにも遠い背中であった。
5歳
明けて1987年、5歳になった本馬は始動戦の中山記念を3着とするも続く日経賞はミホシンザンの激走の前に6着惨敗。休養を経た秋初戦の毎日王冠もダイナアクトレスやニッポーテイオーの後塵を拝す5着。果敢に逃げるが逃げ切れない、どうにももどかしい感じである。
そして本番の天皇賞(秋)。内枠を引いたニッポーテイオーがハナを切り、それを1馬身差で追走。そのまま2番手で直線へと入っていったがニッポーテイオーは止まることなくさらに足を伸ばしていく。レジェンドテイオーとの差は開くばかり。後続の追撃は振り切って2着は確保したが、5馬身差の完敗であった。
ジャパンカップは直線力尽きて12着に撃沈し、年末の有馬記念。いきなりダービー馬メリーナイスが落馬するなか本馬はいつものようにハナを奪う。そしてサクラスターオーの故障に場内が騒然とする中昨年同様残り200mまで粘って見せるが、最後はメジロデュレンが見せた末脚の前に4着。
6歳
明けて6歳。初戦の中山記念では5歳時の好走が評価され久々の1番人気を背負うが5着に終わり、おまけにまたしても休養に入る。秋は昨年同様毎日王冠から天皇賞秋を目指すプランとなった、のだが…。
1988年の毎日王冠、ここには圧倒的主役がいた。笠松からやってきて重賞5連勝というとんでもない記録を打ち立て、一大ブームになっていたオグリキャップ。当然ながら1.7倍の1番人気である。迎え撃つは女傑ダイナアクトレスにダービー馬シリウスシンボリ、そしてレジェンドテイオーら計10頭である。
が、パドックで事件は起きた。いきなりチャカついたシリウスシンボリがレジェンドテイオーとダイナアクトレスに回し蹴りをくらわしたのである。哀れレジェンドテイオーは発走除外になってしまった。なおレースは3角からの大まくりを決めたオグリキャップが優勝、主犯のシリウスシンボリが2着となった。
ぶっつけ本番になってしまった天皇賞(秋)。ここにはオグリキャップやシリウスシンボリら毎日王冠組に加え、7連勝で春天と宝塚を制し一躍トップホースとなったタマモクロスもやってきた。そんな中本馬は9番人気。ひとつ足りない実力に順調なわけもなく、当然の評価である。
いつも通りスタートを決めると、外枠から一気に押して先頭に立つ。その後ろ、2番手につけたのは…追い込み馬のはずのタマモクロスである。プレッシャーを受けながらも果敢に逃げ続け、直線半ばまで粘るがギアを切り替えたタマモクロス、そしてそのタマモクロスを猛然と追い詰めるオグリキャップにあっというまに交わされる。それでもダイナアクトレスらの追撃を退け、3着に粘って見せたのは本馬の確かな実力であろう。シリウスシンボリ(7着)へのリベンジも果たす形になった。ちなみにこの秋天に際し、大橋巨泉氏が「レースの登録料を引き上げれば出てこないような馬」として本馬を名指しで批判したことによる一悶着があったが、本馬には関係のないことである。
勢いに乗って次走のアルゼンチン共和国杯。トップハンデを背負っていつものように逃げた、そしてこの日は誰にも抜かさせなかった。実に2年ぶりとなる重賞制覇であった。
その後は燃え尽きたのか1度も掲示板に乗れなかったが、それでも積極的な逃げで観客を魅了し続けた。そして1年後、スーパークリークとオグリキャップが激闘を見せた秋天を最後にターフを去った。
通算22戦5勝2着1回、獲得賞金1億8350万円は出口牧場生産馬としてはゴルシに次いで多い金額である。
良血と言うことで種牡馬としても期待され、初年度は72頭の繁殖牝馬を集めたが、中央重賞を制する産駒を輩出することができず1999年に用途変更となった。当時はまだ種牡馬を引退した功労馬への支援が手厚くなかった時代とはいえ、なんとも寂しい話である…。
令和のトレンド入り?
時は流れて2021年5月、引退から30年以上が経ち記憶も薄れた、というかそもそも知られていないであろうこの年に突如として「レジェンドテイオー」のワードがTwitterトレンドに上がってきた。
この年の競馬関連の大きな出来事といえばスマートフォン・PC向けゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」の正式リリースと大ヒットであるが、本馬はウマ娘になっていない。
ではなぜトレンドに上がってきたかというと、ウマ娘のイベントのひとつに特定のレースで活躍したウマ娘と対決する「レジェンドレース」というものがある。そしてこの月の対戦相手の一人がアニメ2期の主役でもあるトウカイテイオー(ウマ娘)であった。
「レジェンドレースのトウカイテイオー」、略して「レジェンドテイオー」というわけである。その中で本馬の存在を知った人もいた。
なおこちらも大ヒット中のコミカライズ「ウマ娘 シンデレラグレイ」には、本馬モチーフと思われるロードロイヤルというウマ娘が登場している。作中ではシリウスシンボリ(ウマ娘)に史実同様蹴られて88年毎日王冠を発走除外になったり、1年前の秋天(史実における87年秋天)ではニッポーテイオーモチーフとされるアキツテイオーに負かされたりと結構不憫な役回り。とはいえ劇中で描かれている88年秋天では自身のペースに持ち込んで3着に入るなど、まぎれもない実力者として描かれている。
血統表
| *ノーザンテースト Northern Taste 1971 栗毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
| Lady Angela | |||
| Natalma | Native Dancer | ||
| Almahmoud | |||
| Lady Victoria 1962 黒鹿毛 |
Victoria Park | Chop Chop | |
| Victoriana | |||
| Lady Angela | Hyperion | ||
| Sister Sarah | |||
| ロイヤルハイブ 1974 鹿毛 FNo.16-d |
Royal Palace 1964 鹿毛 |
Ballyboss | Mossborough |
| Indian Call | |||
| Crystal Palace | Solar Slipper | ||
| Queen of Light | |||
| Come on Honey 1960 栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah | |
| Singing Grass | |||
| Honeylight | Honeyway | ||
| Crepuscule |
クロス:Lady Angela 4×3(18.75%)、Nearco 4×5×5(12.50%)、Pharos=Fairway 5×5(6.25%)
関連動画
残念ながら本馬が勝ったレースは無いので、激走を見せた2度の秋天をご紹介。
関連項目
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