ハートレイク(Heart Lake)は、1991年イギリス生まれの元競走馬。
安田記念を武豊騎手とのコンビで制し、海外馬として史上初の同競走優勝を挙げた。
概要
父Nureyev(ヌレイエフ)、母My Darling One(マイダーリングワン)、母父Exclusive Native(イクスクルーシヴネイティヴ)という血統。ドバイのシェイク・モハメド殿下の生産馬で、彼の個人所有馬としてアイルランドのジョン・オックス調教師に預託された。500kg強の雄大な馬体が影響したのか、デビューは3歳の5月だった。
競走馬として
マイケル・キネーン騎手騎乗でデビューから3戦2勝、リステッド競走でも2着と好成績を収めたハートレイクは前走から中5日でクリテリオンS(英GIII)に出走したが、ここでは最後の1ハロンで決め手を欠いて4着に敗れた。それでも、1ヶ月後のコンコルドS(愛GIII)ではジョニー・ムルタ騎手を鞍上に1馬身半差で快勝した。ところが次走のデズモンドS(愛GIII)では1位入線しながら進路妨害で失格となってしまった。4ヶ月後の香港国際ボウル(GIII)ではランフランコ・デットーリ騎手騎乗で出走したものの、デズモンドSで対戦したソヴィエトラインの3着という結果に終わった。なお、デズモンドSから香港国際ボウルまでの間に馬主名義がゴドルフィンに変更され、厩舎もUAEのサイード・ビン・スルール厩舎に移っている。
4歳時は、年明けにナド・アルシバ競馬場で2頭立ての一般競走を4馬身差で勝利すると、安田記念を目標に来日して、4月の京王杯スプリングカップに出走した。ここでは芝とダートで重賞を勝っていてこれが5ヶ月ぶりの芝競走出走となるトーヨーリファール、マイラーズカップから転戦してきたビッグショウリとマチカネジンダイコに続く4番人気に支持された。ところがレースはモハメド殿下の兄・ハムダン殿下が送り込んだブービー人気の米国馬ドゥマーニが先行押し切りを決め、2着・3着もビコーアルファー(15番人気)・ホクトベガ(11番人気)が続くという大荒れの結果となり、ハートレイクは5着に終わった。
気を取り直して安田記念に出走すると、ここではサクラチトセオー、ネーハイシーザー、ホクトベガに続く4番人気となった。中団内側を進んだハートレイクだったが、直線で馬群が壁になってしまう。万事休すかと思われた瞬間、目の前に現れた僅かな隙間を武騎手が迷わず突き、ハートレイクが一気に抜け出した。そこへ最後方から追い込みに賭けたサクラチトセオーが飛んできて、最後はハナ差・写真判定となった。鞍上も交わされたかと思うほどの際どい差であったが、軍配はハートレイクに上がった。安田記念史上初となる海外馬の優勝である。
しかしイギリスに遠征してデットーリ騎手鞍上で出走したジュライカップ(GI・6ハロン)では勝負どころで失速し、逃げ切ったレイクコニストンから22馬身差を付けられたシンガリ9着に終わった。
5歳時は年明けの2戦で61kgの斤量を背負いながらそれぞれ3頭立て・6頭立ての2着と惜敗した後、ナドアルシバマイル(現:ゴドルフィンマイル・当時は格付け無し)では4着。その後安田記念を目標に再び来日したが、空輸トラブルに巻き込まれた上に熱発するという劣悪な臨戦過程で前哨戦の京王杯スプリングカップに臨むこととなった。それでも武豊騎手鞍上で中団に付けると、最後は同じような位置から抜け出したタイキブリザードや後方一気に賭けたトロットサンダーの追撃を退け勝利した。
しかし本番の安田記念では、マイル戦7戦無敗だったトロットサンダーに次ぐ2番人気に支持されたものの、行き脚がつかずに後方からの競馬となった末、大外からの追い込み届かず12着と大敗。続けて出走したサセックスSでも10頭立ての最低人気となり、終始後方のままブービー負けを喫し、これを最後に引退した。
通算成績は17戦6勝、うちGI1勝。
種牡馬として
唯一のビッグタイトルが安田記念ということで日本向きだと考えられたのか、ハートレイクは日本に輸入されて社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。初年度は91頭、その後も80頭ほどの繁殖牝馬を集めていたものの、3年目の1999年9月、シャトル先のオーストラリアで種付け中の事故により8歳で急死してしまった。残した産駒は僅か3世代だけであり、その中からプレシャスカフェが重賞を2勝したが、プレシャスカフェも乗馬になる予定だったところから急遽種牡馬入りしたせいか初年度の2008年に14頭と交配(生産12頭)しただけで種牡馬を引退してしまっている。
母の父として重賞1勝のアロマカフェを出している。引退後に種牡馬入りしたが、こちらも2世代の産駒を残しただけで急死しており、自身が急死したことも含めてとことん後継に恵まれていない。
血統表
Nureyev 1977 黒鹿毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Special 1969 鹿毛 |
Forli | Aristophanes | |
Trevisa | |||
Thong | Nasrullah | ||
Rough Shod | |||
My Darling One 1981 栗毛 FNo.16 |
Exclusive Native 1965 栗毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Exclusive | Shut Out | ||
Good Example | |||
Princess Marshua 1974 鹿毛 |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Marshua | Nashua | ||
Emardee | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Native Dancer 4×4(12.5%)、Hyperion 5×5(6.25%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
- 父Nureyevは当該項目を参照。
- 母My Darling OneはアメリカでファンタジーS(GI)など重賞2勝を含む8戦5勝で、ハートレイク以外の産駒には日本に輸入されて京都2歳S勝ち馬ベルラップの祖母となった*バーシャがいる。母の従弟に仏GI馬スマッグリーと宝塚記念を勝った*ダンツシアトルの姉弟がおり、また曾祖母マーシュアもCCAオークス優勝の実績がある。
- 母父Exclusive Nativeは1978・79年の米リーディングサイアーで、三冠馬アファームドやケンタッキーダービーを勝った牝馬ジェニュインリスクなどの父として有名。
主な産駒
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 2
- 0pt