中田ヤスタカとは、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、作詞家、編曲家、DJである。
概要
地元の金沢で音楽活動を開始。多くの音楽仲間との交流の中でこしじまとしこと出会い、1997年、capsule(カプセル)を結成。2001年、シングル「さくら」でメジャーデビュー。
capsuleの活動と平行してプロデューサー・リミキサー・DJとしても活動。
インディーズ時代からサウンドプロデュースを手掛けているPerfumeは、母体であるcapsuleを凌駕する程の人気を獲得した。また、TVドラマ「LIAR GAME」(ライアーゲーム)にて劇伴音楽にも進出した。
その他、主なプロデュースとして、MEG、COLTEMONIKHA、きゃりーぱみゅぱみゅが挙げられる。
珍しい所では、声優である井上麻里奈のシングルで2曲の作詞/作曲/編曲を手掛けている。
関連情報
高橋瞳、中川翔子、平野綾などのサポートミュージシャン及び作曲/編曲家として活躍するnishi-ken(にしけん)は同郷の親友にあたる。また、声優の能登麻美子も同じく同郷で、誕生日まで同じ1980年2月6日である。
人物
特徴的な音楽からサウンドクリエイターとしての印象が強いが、自作曲の大半は作詞も行っており、その歌詞に対する評価も高い。また、タイアップ用のオファーであれば、ちゃんとそのイメージを順守した作詞をしており、しっかりした社会人でクリエイターである。
これはヤスタカにとっては音楽の方が根源であるため、詞から生じる音ですらその構成要素の一つとなる事から、詞のメッセージは拘らないというスタイルのため。なので音に関してはアミューズにまで乗り込んでまで拘った逸話のある『ポリリズム』も、タイトルの方は「別にエコロジーでも良かったんだけどw」とエライ軽い。
なお「ドラえもん」はかなり好きらしく、映画主題歌となった『未来のミュージアム』の作詞では、お子達に向けた夢と希望に溢れる歌詞が書かれている。しかも滅多に行かない打ち合わせにも行ったらしく、Perfumeからは「ポリリズム以外だと初めてじゃない?」とまで言われていた。マジか
PerfumeやMEGなどヤスタカがプロデュースした女性アーティストからも「女心がわかりすぎてる」と称賛され、"女心m@ster"の称号を与えられたとかいないとか。
Perfumeとの関係
Perfumeの3人からはメディアで普通に喋っている事を驚かれていたり、「電池を食べてる人」と言われていたが、近年はロコモコ丼や生肉も食べる模様。「俺、ロコモコ丼。」 ただ、サラダの中のアイツ(=きゅうり)は嫌いらしい。
最初は3人にかなり怖がられていたが、長い付き合いの中でかなり家族感出てきたとは2013年頃のかしゆか談待ち時間に隣りで普通に漫画とか読んでるらしい。あ~ちゃんとのっちからも音楽プロデューサーとしてはちゃんと「神」として崇められている(2012年には『spending all my time』で意見衝突する事もあったが、そこを乗り越えてからの信頼関係ハンパない)。
なお、ヤスタカはPerfumeのプロデューサーではあるが、他のアイドルグループプロデューサーのように売り出し方や方針全体に関与するわけではなく、関わり方はあくまで音楽方面のみに徹している。最初期にはPVや衣装についての意見も求められたが、全権委任ではなかったので早い段階で割りきったとのこと。現在のPerfumeは、自分が仮に完全にプロデュースした場合よりも面白いグループになっていると思うといった趣旨のコメントをしている。
自身が最も好きで、世界一格好良いと思っている音作りをしてるcapsuleで修行して身につけた"必殺技"(作曲テク)をPerfumeの楽曲で発動させている様子で、Perfumeからも「中田さんウチらで試してる感あるよね」と言われていた。
歴史
1990年 「ピアノを弾くこと自体は好き。でも人の曲を練習するのが苦痛」と感じ、作曲を始める。ピアノ、やかん、海苔の缶など家にあるものを使い、ラジカセで録音していた。
中学生時代 近所の輸入CD専門店『インポートヤマチク』に通い詰める。元々はジャズなどのインストゥルメンタル中心に置かれていたが、この頃からダンスミュージックが加わり、シンセを使った打ち込みの楽曲に出会う。
1996年 『3rd XG DATA CONTEST』(ヤマハ)で「Kaisekiryouri」がテクニック賞を受賞。ちなみに、このコンテストに参加したのは「サンプラーを買う賞金が欲しかった」為。しかし、賞品は10万円相当のヤマハ製楽器であった。
1997年 「TEEN'S MUSIC FESTIVAL」(ヤマハ音楽振興会)で北陸エリア決勝大会に進出。プロになる事を決めたヤスタカはボーカルとして同郷のこしじまとしこを誘い、capsuleを結成。
1998年 高校卒業。「MUSIC QUEST GRAND SHOWCASE」(ヤマハ音楽振興会)にcapsuleとして選出。
2001年 ヤマハからcapsuleとしてメジャーデビュー。11月、1stアルバム「ハイカラ・ガール」リリース。この頃は今のスタイルと異なり、プライベートスタジオでもなく、曲を制作するときにも他の人間が関与していた。
2003年3月 2ndアルバム「CUTIE CINEMA REPLAY」リリース。
8月 Perfumeのサウンドプロデュースを開始。「スウィートドーナッツ」他3曲を収録。この頃のヤスタカ(23歳)とPerfume(13歳)の距離感はかなり遠く、Perfumeから「怖い」印象を持たれていた様子。そりゃ全然喋らない机と椅子の高さが合って無くて無駄に姿勢の良いおじさんは怖い
11月 3rdアルバム「phony phonic」リリース。
2004年 4thアルバム「S.F. sound furniture」リリース。ジブリとコラボし、ショートムービーを作成。このアルバムにはそのムービーのテーマ曲になった「ポータブル空港」に加え、ハウス食品のシチューのCMに起用された「レトロメモリー」が収録されている。また、同年に発売されたPerfumeのシングル「ビタミンドロップ」から作曲に加え編曲も任されることになった。
2005年2月 5thアルバム「NEXUS-2060」リリース。ジブリコラボ第2弾「space station No.9」 収録。
9月21日 6thアルバム「L.D.K. Lounge Designers Killer」リリース。前作をリリースした頃に引っ越したことがこのアルバムに繋がっている。ジブリコラボ第3弾「空飛ぶ都市計画」収録。この辺から作風が変わり始める。また同日にリリースされたPerfumeのメジャーデビューシングル「リニアモーターガール」はインディーズ時代のテクノポップからエレクトロ系のサウンドに大きく作風が変わった。
2006年 7thアルバム「FRUITS CLiPPER」リリース。
2007年2月 8thアルバム「Sugarless GiRL」リリース。
9月 Perfume「ポリリズム」リリース。
10月 remixアルバム「capsule rmx」リリース。
12月 9thアルバム「FLASH BACK」リリース。
2008年4月 Perfumeのアルバム「GAME」がオリコン週間1位を獲得。Perfumeにとってもヤスタカにとっても初の首位。また、このアルバムは日本レコード大賞・優秀アルバム賞に選ばれた。
11月 10thアルバム「MORE! MORE! MORE!」リリース。 2009年 BESTアルバム「FLASH BEST」リリース。
2011年 12thアルバム「WORLD OF FANTASY」リリース。5月 きゃりーぱみゅぱみゅのサウンドプロデュースを開始する。
2012年 13thアルバム「STEREO WORXXX」リリース。
2013年3月 BESTアルバム「capsule rewind BEST-1 2012-2006」「capsule rewind BEST-2 2005-2001」リリース。ヤマハから出した最後の作品である。
11月 ワーナーミュージック・ジャパン(unBORDE)へ移籍。また、表記を大文字の「CAPSULE」に変更した。14thアルバム「CAPS LOCK」リリース。
2015年 北陸新幹線・金沢駅の発車メロディーに起用。15thアルバム「WAVE RUNNER」リリース。リリース日にCAPSULEとしてニコ生初登場。ここで衝撃の事実が判明。
関連コミュ
- 8
- 0pt