クーヴェルチュール 単語

クーヴェルチュール

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クーヴェルチュール(Couverture)とは、である。

……ではなく、2004年生まれの日本競走馬である。黒鹿毛

な勝ち
2007年:キーンランドカップ(JpnIII)

概要

ブラックホークヒカリクリスタル*ラッキーブリンという血統。
1999年スプリンターズステークス2001年安田記念など重賞5勝、1600m以下を戦場とした短距離猛者で、金子真人オーナーの初のGIでもある。
1996年大井競馬重賞ゴールデンティアラ賞を制したが、本出産したのちの種付け中の事故により安楽死。よって本ヒカリクリスタルの末っ子に当たる。
ラッキーブリンはNijinsky産駒で、現役時代はイギリスアイルランドで15戦1勝、アイリッシュダービー2着の実績がある。引退後に日本輸入されると重賞を複数輩出。同マルゼンスキーほどのさはなかったが、堅実な成績が評価され、1980年代日本におけるNijinsky系の繁栄に一役買った。

名の意味は「毛布チョコレート名()」。
原義は"覆い"という意味だが、転じて、ケーキなどをコーティングするチョコレートす言葉でもある。これは本2月14日生まれであることに由来する。

数ある重賞馬の一頭……?

枝栄厩舎へ入厩。デビューく2歳の6月福島・芝1200mの2歳新馬戦。ここを1番人気で勝ち上がり、と同じく短距離路線を進む。2歳時は5戦3勝。すずらん賞(OP)1位入線後に進路妨で10着降着の処分を受けるも、福島2歳ステークス(OP)オープン勝ちを収めるなど滑り出しは順調だった。
しかし、奇しくも同期ウオッカダイワスカーレットの二強に加え、得意の短距離アストンマーチャンが台頭した最強世代。桜花賞標にフェアリーステークス(JpnIII)フィリーズレビュー(JpnII)重賞戦線へ挑むもいずれも敗戦。本番の桜花賞(JpnI)も二強の前に為す術もなく12着。距離の問題もあり、これを受けて牝馬三冠路線に見切りをつけ、の短距離路線へ向かうこととなる。
を交えてのバーデンバーデンC(OP)は49kgという軽ハンデも追いとなりオープン2勝新潟の名物重賞アイビスサマーダッシュ(JpnIII)では一時は先頭に立つなど果敢に先行し、サンアディユの3着にった。勢いそのままキーンランドカップ(JpnIII)へ向かうと、51kgの斤量の恩恵もあったが、同期NHKマイルカップ2着ローレルゲレイロらを下し重賞勝利。先行抜け出しで押し切る横綱相撲だった。
は短距離王者決定戦のスプリンターズステークス(GI)へ向かったが、アストンマーチャンの渾身の逃げの前に8着。その後福島民有カップ(OP)で2着となるも、右前球節の膜炎を発症。
復帰以降は精を欠くレースが続き、6歳時の春雷ステークス(OP)の10着を最後に引退。故郷の富菜牧場で繁殖入りとなった。

繁殖入り後は9頭の恵まれるが、特筆するべき産駒はいない。

通算成績は16戦5勝。
戦績自体は悪く言えば数ある重賞のうちの1頭であり、繁殖成績も々。
これだけならば何の変哲もない、ごく普通である。

であるのだが……。

恐るべき裏の顔

名の意味の箇所で軽く触れたが、クーヴェルチュールはバレンタイン生まれで、牧場での幼名は「チョコちゃん」。ついでに名もチョコレートから連想したもの。実に可らしく、微笑ましいものである。
ところがこの、そんな可らしい名前とは裏に、生まれたときから……いや、誕生そのものから既に並のではなかった

通常、出産子ともに危険を伴う。は誕生直後でも50~60kgほどあるため、出産時に体を傷つけてしまうこともある。それが元で子ともに死亡した例も少なくない。

では、クーヴェルチュールの誕生はどうだったかというと……。

  • 体が半分しか出てきていないのに勝手に動き出し、のいきみをガン無視して這い出てくる。
  • で濡れた体を拭こうとした人の手をはたき落とし、房内を3周ほど転げ回る
  • 生後10分で立ち上がり、を寄越せと言わんばかりに横たわるを蹴り続ける。

……何だこのは。この時点で者ではない。
かのシンボリルドルフですら、誕生から立ち上がるまでに20分を要している。
それを半分の時間で済ませるどころか、初を催促するかのように実のを足蹴にしてしまったのだ。

その実のだが、前述の通り彼女が生まれた年の種付け事故死亡
これがきっかけとなり人間不信に陥り、輪にかけた気性難となってしまう。
故郷の富菜牧場の関係者は、競走馬としてデビューできないのではないかと本気で考えたらしい。

事に枝厩舎に入厩しても、厩務員を始め、関係者は困惑するほどの気性難っぷりを発揮。
しかしそこは名伯楽、多少気の荒い新の扱いなど慣れたもの。
枝厩舎には入厩したばかりのイキった若駒に格を知らしめるため、大柄の格を備えた歴戦の古たちが睨み合う厩舎の廊下を歩かせるという"儀式"があった。
威厳と格を備えた古に睨まれれば、普通はどれほどのじゃじゃだろうと多少は大人しくなるのだ。

……普通は。

当然、この"儀式"にクーヴェルチュールも参加させられるのだが……

  • 小柄な、しかも2歳のが堂々と歩く様を見て、古全頭が頭を引っ込め敗北宣言。

クーヴェルチュール、入厩初日の出来事である。わからせるつもりがわからされちまった……。

プライドとか威厳とか、そんなものを初日でへし折ってしまったクーヴェルチュール。
翌日以降、美浦トレセン枝厩舎から出てきたのは……

どうして新人が古を率いてるんですか?

ちなみにすずらん賞(OP)での降着はこの気性難が原因。外のを弾き飛ばす勢いでヨレてしまい、走行妨と認められてしまった。レース映像を見ると、外の体をぶつけているのがわかる。怖い

……なんだかあまりにもな話ばかりのため、一応彼女の良いところを上げると、ものすごく頭が良かったらしい。なんだかアレみたいだぁ。

とまぁ、小柄だったとは思えない伝説を数多く残したため、繁殖入り後は生まれ故郷で分(おやびん)」と呼ばれるようになってしまった。

引退後の繁殖生活2018年に流産、2019年に死産となったのち、2020年ホッコータルマエとの間に生まれたが難産であったこと、また、医からブラックリスト名されるほどの大の医者嫌いだったこともあり、リスクを考えて2020年を最後に繁殖牝馬引退現在リードホースとして繋養されている。
小さい生き物には優しく、自身と同じように生後まもなくを失ったの子守をするなど、分気質は年を取っても変わらないようだ。

2007年クラシック世代といえば、とも渡り合ったウオッカダイワスカーレットを筆頭に、アストンマーチャンスリープレスナイトクィーンスプマンテ等、記録にも記憶にも残る多が登場した世代だった。
そういった面々と較すると知名度こそ劣るものの、強な個性はにも負けないクーヴェルチュール。いつか彼女の血を引くが、再び競馬界の分として君臨する日が来るかもしれない。

血統表

*ブラックホーク
1994 鹿毛
Nureyev
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
*シルバーレーン
1985 黒鹿毛
Silver Hawk Roberto
Gris Vitesse
Strait Lane Chieftain
Level Sands
ヒカリクリスタル
1991 鹿毛
FNo.5-h
*ラッキーソヴリン
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Too Bald Bald Eagle
Hidden Talent
コステューム
1989 芦毛
*メンデス *ベリファ
Miss Carina
テンプルバンブー *プロント
ニンバスバンブー

クロスNorthern Dancer 3×4(18.75%)

3代テンプルバンブーの半バンブーメモリーバンブーゲネシス兄弟マドンナバンブーがいる。他にも二冠馬ボストニアン平成三強イナリワンなども近に現れる、下総御料牧場1926年輸入した種正を起点とする在来牝系の所属である。

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