ニホニウム (Nihonium・Nh) とは、原子番号113番の元素である。
ニホニウムは第13族元素 (ホウ素族) に属する元素で、タリウムの下に位置する。このため伝統的な命名に従えばエカタリウム (eka-talium) となるが、正式名称が決定するまではIUPACの系統的命名法に則りウンウントリウム (Ununtrium・Uut) という仮符号が主に用いられてきた。
理論上、フェルミウム以上の元素は自然界[1]で合成される事はなく、従ってニホニウムも自然界には存在しない。ニホニウムは加速器で原子核同士を衝突させ、核融合反応で合成する事で得られる。世界で初めて合成に成功した理化学研究所では、210Bi (ビスマス209) のターゲットに光速の10%まで加速した70Zn (亜鉛70) を衝突させる事で得た[2]。
理化学研究所は2004年、2005年、2012年の3回合成に成功し、特に3回目では6回のα崩壊で254Md (メンデレビウム254) になるまでの崩壊系列を観測した事から、2015年12月30日 (日本時間31日) 、IUPACはウンウントリウムをウンウンペンチウム (後のモスコビウム) 、ウンウンセプチウム (テネシン) 、ウンウンオクチウム (オガネソン) と共に存在を正式に認定し、命名権を理化学研究所に与えた。元素の命名権が日本のみならずアジアに与えられたのは史上初めてである。そして2016年に命名案の提出、公表、パブリックレビューを得た上でで、11月30日に正式に「ニホニウム」と命名された。
初めてウンウントリウムを合成したのは、ロシアのドゥブナ合同原子核研究所とアメリカのローレンス・リバモア国立研究所による合同研究チームである。2003年にチームは243Am アメリシウム243) と48Ca (カルシウム48) を衝突させ287, 288Uup (ウンウンペンチウム287および288) (現モスコビウム) を合成し、そのα崩壊でウンウントリウムを観測したと発表した。しかしながら、ウンウントリウムは自発核分裂してこれ以上の崩壊系列を示さず、この発見は認められなかった。
理化学研究所が初めて合成したのは2004年であり、その方法は先述の通りである。米露のチームと異なる点は、理化学研究所が合成した278Uut (ウンウントリウム278) は、その後4回のα崩壊で262Db (ドブニウム262) まで崩壊する崩壊系列を観測した点で異なる。これはより確かな発見報告として注目された。2005年には2回目の合成に成功したが、この時の崩壊系列は2004年の物とはわずかに異なっていた。これは合成時と崩壊時のわずかな安定性の差異があったためとみられている。この差異の為に、2011年にIUPACはまだ理化学研究所の成果を認定しなかった。
2012年、3回目の合成が転機となった。今回の崩壊系列では、262Dbが自発核分裂を起こさずα崩壊し254Mdになるまでを観測したのである。これにより過去2回の物と合わせ実験データが確かなものであると認定され、2015年末に理化学研究所にウンウントリウムの命名権を与える事が正式に決定された。
理化学研究所がウンウントリウムの崩壊系列を得られたのは、比較的低エネルギーで核融合反応を行う「冷たい核融合 (コールドフュージョン)」を行った為、原子核が自発核分裂を起こすような高エネルギー状態にならなかった為とされている。米露の研究チームが行っていたのはこれに対する「熱い核融合 (ホットフュージョン)」であった。一方でこの手法は核融合反応の確率を下げる物であり、実際1回目の合成では、80日間加速器を運転し、1秒間に2兆8000億回、合計1700京回もの衝突でようやく1原子を得る程度の成果であり、効率は悪く、電気代などのコストが数百万円~数十億円かかるプロジェクトとなる。また、米露それぞれも2006年、2009年、2013年に別の方法でウンウントリウムの合成に成功しており、もし2012年の研究成果が無ければ命名権を逃していた可能性がある。
「ニホニウム」の名前は、理化学研究所が所属する日本国に因むものである。元々日本に因んだ元素名を周期表に載せるために新元素を合成する試みは1990年代に始まったが、この計画は日本のラテン語名 "Japonia" に因んで「ジャポニウム計画」と呼ばれていた。従って命名権が与えられた際、有力な名称は「ジャポニウム」ないし「ジャパニウム」であると観られており、記号は "Jp" ないし "Jn" と予想されていた。もしこの名称であったならば、周期表に初めて正式にJが載るはずであった[3]。
しかしながら、最終的にニホニウムとなったのは、母国語である日本語に拘った点や、日本人の侮蔑である「ジャップ (Jap)」を連想させる点があった為である。また、日本の別の読み方に因む「ニッポニウム (Nipponium)」は、1908年に一度 "発見" され使用された経緯から再使用が出来なかった。
その他、研究所の所在地和光市に因んだワコニウム (Wakonium) 、和光市の旧名であり日本の旧名にもなる大和に因んだヤマトニウム (Yamatonium) 、日本の現代物理学の父とも称される仁科芳雄に因んだニシナニウム (Nishinanium) も候補に挙がっていた。また科学雑誌Natureのブログ版では4元素の命名予測をオッズ付きで予測しており、その中には113番元素の物として上記の他に、理化学研究所に因んだリケニウム (Rikenium) 、煙々羅に因んだエンエンライウム (Enenraium) 天照大神に因んだアマテラシウム (Amaterasium) 、埼玉県に因んだサイタマイウム (Saitamaium) 太陽に因んだタイヨーニウム (Taiyornium) 、ゴジラに因んだゴジリウム (Godzillium) といった命名案が提示されていた[4]。
ニホニウムは他の超重元素の例に漏れず大量に合成する事が不可能であり、その性質を調べる事は困難である。以下に述べる性質もそのほとんどは実測されておらず予測である。
ニホニウムの化学的性質は、単純には周期表の位置で予測される。即ち第13族元素、特に直上のタリウムに類似する。しかしながら、超重元素では軌道を巡る電子の速度が光速度に近づいており、相対論効果を考慮しなければならず実際には周期表から外れた性質を撮ると考えられる。
ニホニウムの単体は、タリウムと比較して反応性が低く、最も安定なのは1価の陽イオンであると予測される。これはタリウムを除く第13族元素が3価の陽イオンが安定なのとは対照的である。またそれ自体も、タリウムよりむしろ族が外れた銀に類似していると予測されている。また電気陰性度が高く、第13族元素としては珍しく1価の陰イオンも比較的安定であると予測され、特にハロゲンであるテネシンとの化合物であるテネシン化ニホニウム (NhTs) は、陰イオンとなっているのはテネシン原子ではなくニホニウム原子であると予測されている。第13族元素の三ハロゲン化物は一般的に平面三角形型分子となるが、三フッ化ニホニウム (NhF3) は丁字型分子と予測されている。塩化ニホニウム (NhCl) は濃塩酸や濃アンモニア水に対して可溶であると予測されるが、対応する塩化タリウム (TlCl) は不溶である。また水酸化タリウム (Tl(OH)) は水溶性で強塩基性なのに対し、水酸化ニホニウムは難溶性で弱塩基性であると予測されるが、アンモニア水に対しては反応し酸化ニホニウム (Nh2O) となって可溶となると予測されている。
単体のニホニウムがもし目に見える大きさとなっていれば、それは常温常圧において銀色の金属固体であると予測されている。予測される融点・沸点はそれぞれ430℃と1130℃であり、第13族元素の中では高い方である。また電子軌道の収縮により、より重い原子であるにも関わらずタリウムと同等の170pmの原子半径を有すると予測され、ここから算出される平均密度は16~18g/cm3である。
ニホニウムは、超重元素の中でも比較的原子核が安定化する「安定の島」に近い元素の1つとされており、現在確認されている同位体は重い物ほど安定の島の中心に近づき、寿命が長くなる傾向にある。例えば理化学研究所が合成した、発見されている中では最も軽い同位体である278Nh (ニホニウム278) の半減期は240マイクロ秒であるが、最も重い同位体である286Nhの半減期は20秒と約8万倍も異なる。287Nhは予測される半減期が約20分であり、仮に合成できれば性質を調べるのに十分な時間を保つとみられる。
ただし、ニホニウムの性質を調べる事は、他の超重元素と比べても難しいとみられている。原子数個分しか得られないこれら元素の性質を調べるには、一般的にガスジェットに原子を載せてその挙動で調べられる。しかしながら、過去の実験により単体のニホニウムは揮発性がかなり低く、ガスジェットにほとんど乗らない事が確かめられている。水酸化ニホニウムは揮発性が高いと予測されており、今後実験をする場合はこの化合物がメインとして調べられる可能性がある。また、ニホニウム278は先述の通り原子核同士の衝突でられるが、より寿命が長い重い同位体は、更に重い元素のα崩壊で間接的に得る事しかできない。これは衝突させる原子に、中性子が多くかつ安定である核種がかなり少ない事に起因する問題である。
日本が新元素発見に名乗りを上げたのは、実はこれが初めてではない。遡る事100年以上前の1908年、小川正孝は二酸化トリウムの鉱物である方トリウム鉱を分析して、原子量約100の43番元素を発見したと発表し「ニッポニウム (Nipponium・Np)」と命名したのである。しかしながら、追試ではニッポニウムの存在は再確認できず、実際には研究成果は認められなかった。43番元素は他にも世界中で発見報告があり、しかも原子物理学の発展により、43番元素は自然界にはほとんど存在しない元素である事が判明し、ニッポニウムは名実ともに幻となった[5]。43番元素の真の発見は、エミリオ・セグレによってサイクロトロンの部品の一部である重陽子線の当たったモリブデン箔から発見された1947年の事であり、世界初の人工元素である事に因み「テクネチウム」と名付けられた。
なお、ニッポニウムとされた資料は現存しており、1990年代に改めて分析を行った結果、75番元素のレニウムである事が判明している。テクネチウムとレニウムは同じ族で性質も似ており、レニウムの化学的性質を43番元素と誤解しても不思議ではなかった。もし原子量を正しく見積もっていれば、75番元素としてニッポニウムが認められた可能性はあったが[6]、当時の日本には厳密に原子量を求める装置は無かった。
また、1940年には仁科芳雄がウランの同位体である238Uから中性子を1つ叩き出す実験を行っている。この時生成された237Uはβ崩壊する事が観測されており、これは93番元素を合成した事に他ならない。しかし仁科はこれを化学分離する事が出来ず、元素の発見とは認められなかった。93番元素はエドウィン・マクラミンとフィリップ・アベルソンが、仁科とは逆に238Uに中性子を吸収させ239Uとし、これがβ崩壊した崩壊物を分析して得られた。新元素は海王星に因み「ネプツニウム」と名付けられたが、その元素記号がかつてのニッポニウムと同じ "Np" であるとは皮肉的ですらある。
現在の新元素の命名規則では、一度提案された名前は再使用できないという規則があるため、113番元素の命名権が得られたとしても、ニッポニウムの復活は最初からあり得なかった。またオリジナルの元素記号である "Np" はネプツニウムに利用されてしまっている。一世紀の時を経て日本に因む元素が周期表に載ったのは、日本が "ニッポン" だけでなく "ニホン" と読める事が幸いした結果ともいえる。
[1] ここでいう自然界とは超新星爆発や中性子星の内部と言った極端な高エネルギー状態ではない"穏やかな"環境を言う。
[2] ビスマスと亜鉛の原子番号がそれぞれ83と30であり、足せば113となる。一般的に目的とする元素の原子番号となればどのような組み合わせでも構わないが、実際には合成元・合成先の核種それぞれの安定性や同位体分離のコストなどで組み合わせは限られてくる。
[3] ドイツ語圏ではヨウ素は "Jod" と呼ばれており、国際的にIが決定するまでは "J" であった。従って周期表には非公式にはJが載っていた事になる。これは特に医学系の古い文献では使用されていた。ジャポニウムの元素記号候補がJではないのはこれが理由でもある。
[4] オッズ (確率) が付いている事からも予測される通り (特に後半はアボガドロ定数の逆数である) 、真面目ではなくジョークで提示された物も多い。
[5] 厳密には自然界にも僅かながら存在するが、それを発見するのは当時の技術では不可能であった。自然界でテクネチウムが発見されたのは1962年である。
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最終更新:2024/11/29(金) 06:00
最終更新:2024/11/29(金) 06:00
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