市川團十郎とは、歌舞伎役者の名跡である。
江戸時代中期に市川團十郎(初代)が名乗って以来十二代に渡り江戸歌舞伎、引いては歌舞伎界を代表する役者として最も権威のある名とみなされている。
因みに市川團十郎を襲名する前に名乗る名(江戸時代は主に引退後)に「市川海老蔵」という名跡があり、
歴代の團十郎の内、9人がこの名跡を襲名するなど深い関係にある。
また、海老蔵の前に名乗る名に「市川新之助」という名跡もあるが、こちらは歴代の團十郎で名乗ったのが
4人しかおらず定着しているかは不明である。
市川團十郎家と切っても切れないのがこの「歌舞伎十八番」である。
元々は天保三年 (1832)に七代目市川團十郎が息子に八代目市川團十郎を襲名させた襲名披露興行で配られた初代、二代目、四代目が得意とした17の演目が記された冊子が起源となっている。
それから8年後の天保11年(1840)に新作である「勧進帳」を初演して加わった事で十八番として完成する。
しかし、いくつかの演目は既に七代目の時代には台本が散逸し、詳細が不明な物が十番もある有様であった…。
(これら全てが大正もしくは昭和時代にかけて大幅にリメイクされ全て復活上演されている)
更に言うと、残る7つの内、「勧進帳」、「助六」は七代目團十郎が、「暫」は息子の九代目團十郎の時に今伝わる形となった、言わば「新作同然」の状態であり、残りの4つは七代目から九代目の時代にかけて演じなかった事もあり型や言い回し等も分からなくなってしまい、明治から大正時代に新たにリメイクされた物が現在に伝わっている。
つまり、初代、二代目、四代目の初演当時の型通り伝わる物は何一つ残っていない。
助六と暫は割かし初演時の型や演出が残っているとされ、特に助六の衣装は二代目が最後に演じた時の衣装からは変わっていないとされている。
十八番一覧(…以下は現行伝わる型の創作者や復活上演した人、演目に関する情報など)
十二代目市川團十郎
掲示板
2 ななしのよっしん
2019/08/29(木) 03:16:05 ID: dP8ITHrxRs
歴代の紹介だけじゃなく十八番の解説まであってすごいな…
ただ1点、十代目の生没年が十一代目と同じ「1909–65」になってます
(正しくは1882–1956、もしくは1880年生まれ説もある模様)
3 ななしのよっしん
2023/06/29(木) 22:46:40 ID: vUoCZ21EwP
市川團十郎 目撃した金ピカ車で長男を名門校へ送迎現場…ルール違反に保護者は学校にクレームも無視
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4 ななしのよっしん
2023/10/11(水) 22:06:38 ID: vUoCZ21EwP
市川團十郎 門弟が何者かに襲われたと報告「今病院へ向かい、その後警察に行き話をするそうです」
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最終更新:2024/10/06(日) 16:00
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