認知バイアス(cognitive bias)は心理学用語の一種。人が物事を判断する場合において、個人の常識や周囲の環境などの種々の要因によって非合理的な判断を行ってしまうことを指す。
物事を判断したり決定したりする時は、できるだけ公平かつ合理的に行うのが理想であることは言うまでもない。しかし人は得てして生活習慣、固定観念、局所的な危険、将来の懸念などの様々な外的あるいは内的要因により、非合理な判断を下してしまうことがよくあるものである。
判断を下す者が個人であり、齎される影響もその範疇に治まるものであれば、起きる問題はさほど深刻なものにはならない。しかしそれを行う者が一つの集団、一つの組織、果てには一つの国家という大きな枠組みを動かす者だったとすれば、引き起こされる被害は計り知れないものになる。
重要な決断を下す際に誤った情報や固定観念に踊らされないためにも、常日頃からバイアス(先入観)の存在をきちんと理解することが必要である。
Aさん:この前起きたあの部署の離婚の話、旦那さんが1年間別の女性と浮気していたそうだよ。
Bさん:だろうと思ったよ。そんな浮気性の男じゃ離婚するに決まってる。前々からそんな噂が 立ってたし、顔つきも浮気しそうな雰囲気だったしね。奥さんがかわいそうだ。
物事が起きてしまった後に、それが予測可能であったと判断する傾向。「そんなことだろうと思った」と、まるで予め知っていたかのように振舞う心理的傾向を指す。事後の後に主張される結果論は、後知恵バイアスの典型的な例である。
上記の例で説明するならば、”離婚の原因が旦那の浮気である”という部分に後知恵バイアスがかかっている。Aさんの情報がなければ、Bさんは浮気が離婚の原因だと予測することができないからだ。普通であれば"奥さんが浮気した可能性"も十分あり得るはずなのである。しかし「旦那が浮気していた」ということを知った途端に疑念が確信に変わり、「Aさんに教えて貰う前から旦那が浮気していると知っていた」かのように振る舞ってしまう。そして”原因を予測できていた”と錯覚し、満足感や優越感に浸ってしまうのである。
もし仮に本当に離婚の原因が浮気だったとして、そればかりに目を向けて旦那を批判するのは、やはり後知恵バイアスがかかっていると言える。旦那が浮気した理由が、旦那が一生懸命働いているのに給料が上がらず、奥さんが旦那に日頃から罵倒を浴びせていたからかもしれない。そのストレスから逃れるために旦那は浮気に走ったのかもしれない。そういった可能性を考慮せずに旦那の方ばかりを批判するのは、偏に「旦那が浮気した」という後知恵(バイアス)が影響しているからなのである。
詳細は「確証バイアス」の記事を参照。
ある仮説や信念があった場合、それを検証する際に肯定的な意見ばかりを集め、否定的な意見は無視してしまう傾向。一言で言えば「人は自分が信じたいものしか信じない」ということである。
将来の事を考えた時に、「大手企業に入れば安心」と考えてる人はそのことを肯定する情報ばかりを集め始める。更には同じ意見を持つ人同士が集まり、長い時間を一緒に過ごすようになる。そして中小企業やベンチャー企業の低迷を見るたびに「やっぱり大手が一番だ」という思いが強くなり、果てにはそれらの企業で働いている人々を批判するまでになってしまうのだ。企業だけでなく学歴批判にも同じことが言える。
確かに中小企業は大手企業に比べて景気に流されやすい。しかしそういった中で安定した運営を続けている企業も当然ながら存在するわけであり、それらを無視して一緒くたに「中小企業は不安定」と決めつけるのは早計だろう。加えて「大手企業に入れば大丈夫」という先入観も危険だ。グローバル化が進んでいる現在、海外の売上高が低い企業は例え大手であっても安心はできない。昨今の大手家電企業の不振を見ればよく分かることである。
自分の身に起こったことは状況のせいにする一方、それが他人の身に起こった場合にはその人の問題だとしてしまう傾向。自分のミスを棚に上げて、他人のミスを糾弾する際に起こりやすい。また個人を重要視する西洋文化圏で起きやすく、集団を重要視するアジア文化圏では起きにくいバイアスであるとされる。
メカニズムは完全には解明されていないが、理由としては他人を評価・判断する時は、周囲の状況よりも行動を起こした本人の方が目立つため、そちらに注意が集中してしまうからだと考えられている。防止するには、同じ状況に陥った場合に自分や他人がどう行動するのかを自問する必要がある。
割と強い雨が降っているようだけれど、まあ騒ぐほどの事じゃない正常な出来事の範囲内だろう
詳細は「正常性バイアス」の記事を参照。
災害や事故などの安全・生命に関わる緊急事態に繋がる兆候であっても、「正常で普通の出来事」の範囲内だと判断して軽視してしまいがちである、というバイアス。
人の心は予期せぬ出来事に見舞われた際、パニックを防止するためにある程度までは正常な出来事と判断するメカニズムが備わっているとされている。かつては有事の際に人々が避難しないのはパニックのせいであると考えられてきたが、実際はパニックが起こることは少なく、現在では正常性バイアスが避難行動を取らない原因の一つであると考えられている。
災害が起きた際は被害を増やさないためにも、そして何より自身の身を守るためにも、正常性バイアスに踊らされないように注意しなくてはならない。
※生存バイアス(生存者バイアス)と言葉の響きが似ているが、別の概念である。
最初に印象に残った数字や物が後の判断に影響を与える傾向。主にマーケティングで利用されているバイアスであり、通販番組で「限定〇〇個」や「通常価格〇〇円→特別価格〇〇円」といった表記がされている時は、大抵このアンカリングによる購買意欲の刺激を狙ったものである。
日本人は限定物に弱いことが解っており、「限定〇〇個」と表記されていると「限定なら価値があるだろう」という心理が働きやすい。また通常価格と特別価格の差を明記することでお得感を煽り、さらなる購買意欲の刺激を狙っている。
しかし実際は「限定〇〇個」という呼びかけは番組の度に行っているので限定の意味は薄く、価格の明記についても通常価格の適正値がわからないので、特別価格が本当にお得なのかもわからない。通販番組の言葉をそのまま受け取ることは、必要のないものを買わされることにもなりかねないので注意が必要である。
ちなみにアンカリング効果は日常生活でも活用するとができ、例えば先生に提出するレポートを
の2通りを比べると、前者よりも後者のほうが先生からの心象が良くなる。
また、待ち合わせに5分遅れそうな時に
の2通りでは、やはり前者よりも後者のほうが心象が良くなる。コミュニケーション次第では同じ労力でも良い評価を得られやすいので、日頃から意識しておくと良いだろう。ただし「最初に印象を与える数字」を間違えると、アンカリング効果を狙う前に相手の心象を悪くしてしまうので注意が必要である。
別名「勝ち馬効果」。ある選択肢を大勢の人が選んでいる時、その選択肢を選ぶ人を更に増大させる現象。言い換えるならば「流行り物には人が寄り付きやすい」ということ。流行自体がそのものの価値を高めてしまうことを指す。
特に選挙でよく見られるバイアスであり、マスメディアの選挙予測情報などで特定の候補者が有力であると報道されると、その候補者に対して更に票が集まりやすい。これは自身が投票した候補者が落選すること=死票になることを嫌うからであり、特定の候補者を支持していない人ほど「どうせなら勝ち馬に乗りたい」という心理が働くため、バンドワゴン効果の影響を受けやすいとされる。
逆に流行っていない、もしくは不利な状況にあるものに手を差し伸べたくなる心理を「アンダードッグ(負け犬)効果」と呼ぶ。候補者の身内に不幸があったり、亡くなった候補者の身代わりに親族が立候補すると、同情票が集まって当選しやすくなる。有力候補者がどんなに安全圏にあっても強気の発言をしないのは「アンダードック効果」を回避するためであり、「自分一人くらいなら別に他の候補者に投票しても大丈夫だろう」という事態になるのを防ぐためなのである。
自分が所属している集団(内集団)を他の集団よりも高く評価する傾向、もしくは高い評価の集団に属する人を高く評価してしまう傾向。これは「自分を高く評価してほしい」という欲求があるために、自分と同一視している集団の評価を高めることで、自分の評価も高くなったと思い込むためにおこる。また自分が所属する集団には好意的な態度をとり、それ以外の集団には差別的な態度をとることがある。
実際に活用されている例として、スポーツの日本代表戦の合間に流れるCMは内集団バイアスを狙ったものだを言われている。視聴者が日本を応援している時は「自分が日本人という集団の一員である」と強く感じており、その時に流れるCMも自分と同じグループの一員であると錯覚してしまう。そして日本代表戦のCMで見た商品やサービスを無意識的に優遇してしまい、結果CMの効果が飛躍的に高くなるのである。
別名「後光効果」。名前の元ネタは絵画などで見られる聖人の頭上に現れる光輪のことであり、ある物事を評価する時に、顕著に目立つ特徴に引きずられて他の特徴の評価が歪められる傾向を指す。ことわざの「あばたもえくぼ」、「坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い」はこのハロー効果を表わしている。
ハロー効果が起こる原因は物事の一面のみで判断するからであるが、実は原始時代においては生存に有利な考え方であり、遺伝的に受け継がれている思考のようだ。
能力が無い人間ほど自分の能力を過大評価し、自分を客観的に見られなくなる(自分に能力が無いことが見えなくなる)現象。自身を評価しようにも客観視するための知識が皆無であるため、根拠のない自信に囚われてまうのである。逆に能力が高い人間は、自分の能力を過小評価してしまう傾向にある。言い換えると「無知の知」。
実際の作業に携わらず、批判しかしない人間を無視すべきなのはこのためである。何故なら相応の知識も無い者が、的確な批評をできるはずもないからだ。しかもこのバイアスは多くの人が無意識の内に陥っている厄介な代物であることが知られている。もしあなたがこの言葉を初めて知ったとき、初めに他人の例を探し始めたのならば注意が必要だ。自分がそれに当てはまると想像できない、それこそが「無知な人間は自分が無知であることに気づかない」というダニング・クルーガー効果の最たるものだからである。
ダニング・クルーガー効果は1999年に提唱されたが、効果自体は古くから2500年前の孔子の『論語』などで既に述べられており、上記の「無知の知」で有名なソクラテス、劇作家のシェイクスピア、生物学者のダーウィンなど多くの有名人が、経験則から本バイアスの存在を認知していたようである。
人間の行いに対しては必ず公正な結果が返ってくると信じ込むというバイアス。私達の住む世界は完全に公正にできている、言い換えれば因果応報は確実に起こると思い込むことである。
「因果応報」や同種の言葉である「自業自得」は今日のネット界隈ではよく耳にする言葉であり、自己責任論の隆盛も相まって、他人の迷惑を顧みない行動をする人に災難が降りかかった際、嘲笑とともに炎上に発展するのはもはや風物詩となっている。「善人には正しい利益を、悪人には厳しい懲罰を」という勧善懲悪の思想は、社会規範を構成する重要な要素であり、それ自体は咎められるようなことではない。公正であるその理念は、我々の心に安寧を齎してくれる存在だからである。
ところが中には因果応報の思想を重要視しすぎるあまり、それを絶対的な真理と信じ込んでしまう人達が少なからず存在する。彼らはあくまで「原因には相応の結果が付随する」という意味でしか無い因果応報を「結果があるなら相応の原因があるはず」と逆転して解釈しているのである。上の例文はその最たるものであり、不幸が起きたならば本人に原因があるかもしれないと思い込み、加害者を差し置いて被害者の周辺を粗捜しし、最悪は被害者叩きに結びつけるのである。
この行動の裏には「理不尽な不幸はありえない、認めたくない」という心理があるのだが、この世の全てが公正ではなく、理不尽で溢れかえっているのは当然のことである。世の中の理不尽をなくし、公正なものへと近づけるのは良いことであるが、それに傾倒しすぎるあまり、理不尽に有りもしない原因を求めるような事にならないよう気をつけたい。
掲示板
90 ななしのよっしん
2024/09/16(月) 07:30:57 ID: xSntI4RcIP
すでに何人もの人が書いてるけどこれは自分自身に言い聞かせるもので他人にはやんわり教えるくらいでいいよ。
この言葉を知っていても精々回避できる可能性が数パーセント上がるくらいだ。少なくともそれで絶対回避できるマジックアイテムじゃない。
91 ななしのよっしん
2024/10/07(月) 01:01:54 ID: CRAuUhr57p
真っ当に生きてれば危害を加えられることはない っていうのも公正世界仮説だよな
実際は真っ当に生きてても理不尽に危害を加えられたり、最悪殺害されることだってある。
冗談でもなんでもなく、刑事政策を語るうえでのノイズでしかないよほんとに。これに囚われてる人は一切口挟まないでほしい、議論が進まなくなるから
92 ななしのよっしん
2024/10/15(火) 10:14:18 ID: dUgVOl+GLE
>>91
そもそも「真っ当」だの「正しい」についても
属する集団や組織、その他環境諸々でいかようにも変わっちゃうしね
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最終更新:2024/12/12(木) 19:00
最終更新:2024/12/12(木) 19:00
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