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1 ななしのよっしん
2010/01/24(日) 13:47:41 ID: k9Lgg4NG++
あの頃は、人々はまだ疑うことを知らなかった。
ロマンに溢れた遠足、荒々しい男らしい冒険・・・
戦争は三週間――出征すれば息もつかぬうちに、すぐ終わる。
大した犠牲を出すこともない・・・
私たちはこんなふうに、1914年の戦争を単純に思い描いていた。
クリスマスまでには家に帰ってくる。
新しい兵士たちは、笑いながら母親に叫んだ。
「クリスマスにまた!」
従軍したオーストリア人作家ツバイク
――――――――――――――――
昨日の世界 より
2 ななしのよっしん
2010/01/25(月) 13:05:48 ID: tSiaN81Iz6
3 ななしのよっしん
2010/01/25(月) 21:21:45 ID: WFIgsNMePC
77の要請に応じて記事を作ってはみたが、htmlがよく分からないのと、Wikipediaとの差別化が難しいねこりゃ。
4 ななしのよっしん
2010/01/27(水) 22:53:54 ID: skwBquSIKY
おお!記事作成乙です。
この40年近く前に行われた、普仏戦争までは
「騎士道」とか「戦場へのロマン」とかがあったけど
この戦争ではそれが完全に無くなったそうです。
騎兵、銃剣突撃が主力でない最初の戦争かな。
5 ななしのよっしん
2010/01/30(土) 02:57:39 ID: PIuf+H9Q3Q
歴史の教科書だと第一次大戦を「新兵器(戦車・飛行機・毒ガス)は凄かったんだぞー、怖いねー」的な紹介だけで終えてしまうけど、
これら新兵器はWWIIにおけるそれと比べるとはるかに玩具みたいなもので、実際に人死にを多くしたのは大戦中ずっと降り注いだ砲弾の雨と、
約四年間の長い歳月、戦力の逐次投入、それらを繰り返し続ける政府の戦略の無さが一番の原因、とも言われるよね。
まぁ日本の教科書だと日本がそんなにWWIで被害受けなかった分、大戦中の「新兵器の紹介」だけに留まってしまうのだろうけど…
6 bar
2010/01/31(日) 21:18:32 ID: aRe9uGzHxW
開戦と開戦直後の内容について追記させてもらいました。
開戦に至るまでの道とその直後のトホホっぷりは知っておいていいかもしれません。ほんとドイツは大概にしとけよという硬直さっぷりですからね…。まぁ、フランスも褒められたもんではありませんが。
7 ななしのよっしん
2010/01/31(日) 21:35:00 ID: Wxc/81t9DI
8 ななしのよっしん
2010/02/03(水) 07:06:12 ID: mFo9kJrbm5
結局、アメリカ参戦が勝敗を決めたの?
アメリカの物資輸出はドイツには行なわれなかったの?
9 bar
2010/02/03(水) 17:33:28 ID: aRe9uGzHxW
>8
重大な要因でしたが、決定的ではありませんでした。
アメリカは当初から英仏に物資や兵器を提供していました。
結果的にアメリカ参戦により兵力が増強されたため、ドイツの戦線
は崩壊しかけたのは事実です。
ですが結局のところ、ドイツの国内で革命が発生したことが
戦争終結の道筋でした。
(戦争指導者の心が折れたのが遠因でもあるようです)
10 bar
2010/02/03(水) 18:31:28 ID: aRe9uGzHxW
終戦付近とその後を書いてみましたけど、中立的な内容にそぐわない点はないでしょうか? もしありましたらご指摘あれば修正(削除)したいと思います。
この手の歴史的出来事は書くのが大変ですね…。、
11 ななしのよっしん
2010/02/06(土) 00:37:59 ID: skwBquSIKY
まだ終戦から一世紀も経っていないと思うと
時代の流れって思うよりも近く感じるね。
12 ななしのよっしん
2010/02/06(土) 21:24:45 ID: WFIgsNMePC
ドイツはまだこの時の賠償金払い続けているしねえ。
13 ななしのよっしん
2010/02/20(土) 15:36:53 ID: skwBquSIKY
サラエボ事件で、社内の隣で腹部を撃たれた妻ゾフィーに対して、自身も喉を撃たれた夫フランツ=フェルディナントが言った最期の言葉。
本当に切ないな…。
“ゾフィー、ゾフィー、死んではならん!子供たちのために生きてくれ!”
„Sopherl! Sopherl! Stirb nicht! Bleib' am Leben für unsere Kinder!“
14 ななしのよっしん
2010/03/01(月) 01:58:55 ID: hCRauOWXCk
その土壌があったとは言え、たった2発の銃弾が戦争の引き金を引いたんだよな
15 ななしのよっしん
2010/03/01(月) 02:51:43 ID: 6g5zQQNpHy
>>11 時間が経つのが早いのではない、物事が起きるのが早く、多すぎたのだ
>>14 他の戦争だと確か一発の銃弾の時もあったなぁ 空砲もあったよね?
16 ななしのよっしん
2010/03/09(火) 17:45:52 ID: skwBquSIKY
今現在、サラエボ事件の記事の内容を作っています。
今月中にはそれをプレミアム会員の方に委託して記事を作ってもらおうと考えています。その時には、見て下さり、訂正などしてくれるようお願いします。
17 ななしのよっしん
2010/03/10(水) 19:09:41 ID: /chgCL1mzb
ワイマール憲法は世界一平和な憲法と言われてたが、結局共和国は崩壊してナチスが出てきたんだよな。
18 bar
2010/03/10(水) 19:51:59 ID: aRe9uGzHxW
>>16
お待ちしています>サラエボ事件
>>17
平和を希求するものが必ずしも正しい結果をもたらすとは限らない。という歴史の皮肉ですね。
…我が国の憲法もそうならないことを祈りたいですね。
19 ななしのよっしん
2010/03/17(水) 21:23:30 ID: skwBquSIKY
>>18
お待たせしました。サラエボ事件製作いたしました。(4時間かかったorz
20 ななしのよっしん
2010/06/18(金) 15:35:16 ID: q1UoW+5q1M
21
2010/06/23(水) 23:52:35 ID: 5/IrOSh0wg
第一次世界大戦の背景や緒戦について知りたい方は「八月の砲声」など読んでみるとよろしいかと思います。
カイゼル・ヴィルヘルム2世の暴走からベルギー戦役、そしてパリ防衛戦線あたりまでが細かに記されています。
やや辛口な中立史観で記されていると思いますので、どなたでもお楽しみいただけるはずです。
22 ななしのよっしん
2010/08/12(木) 20:39:41 ID: hFxj7A3F1G
23 ななしのよっしん
2010/08/31(火) 02:49:36 ID: skwBquSIKY
24 ななしのよっしん
2010/08/31(火) 15:56:06 ID: ikozwap5rD
Q.1918年11月11日、第一次大戦が終わった日ロンドンで何があったか
↓
A.全く見知らぬ男女が、他人の玄関の前で性行為に及んだ
http://w
マブラヴやGPMだったらどうなった事やら。
25 ななしのよっしん
2010/10/25(月) 20:30:41 ID: WFIgsNMePC
>>12
ついに今年払い終わったとのこと。
26 ななしのよっしん
2010/11/03(水) 18:05:03 ID: CiuREmDUjS
フランツ・フェルディナントは皇太子(kronprinz)の称号を持っていない。
一般的には皇太子じゃなくて帝位継承者。
あと、現在のハプスブルク家はオーストリアの国会議員ではなく、欧州議員をやっていた。
27 bb
2010/12/29(水) 09:17:13 ID: Gb9Gbm603T
>>22
ドイツの場合はUボートに代表される実用的な潜水艦という新しい
戦力が加わったことによる戦艦の優位性が崩れ始めた契機では
無いでしょうか。
潜水艦からの脅威に対する輸送船の護衛、シーレーンの確保に
おける重点的な防衛対策などです。
どんなに厚い砲弾防御があっても喫水線下に対する魚雷攻撃は
それまで艦艇から発射されていた魚雷とは違う物でしょう。
28 ななしのよっしん
2011/02/10(木) 03:05:29 ID: AhAtbku9/k
>>27
この時代の魚雷は潜水艦と水上艦で命中深度がちがってたの?
というか喫水線上の装甲と雷撃との関係がわからん
29 ななしのよっしん
2011/05/23(月) 20:34:44 ID: KYAxmiumyZ
>>28
当時の軍艦、特に戦艦は艦対艦の戦闘が主流で、ほとんどの攻撃が大砲だった。そして砲弾は水面にぶつかると威力が激減し、喫水線下は薄い装甲でも十分対応出来た。ましてや船底部には当たらない。
しかし、魚雷は水面下、特に船底部へ攻撃をする。それまでは大砲や爆撃のみに対応していた戦艦は多くが薄い船底しかないからあっという間に撃沈。
これで今まで絶対的優位だった戦艦も魚雷攻撃に苦戦を強いられるようになった訳。
すまないが、潜水艦の装甲は詳しく知らないから命中深度については分からない。
30 ななしのよっしん
2011/06/07(火) 00:45:19 ID: ZTDd/bgk4m
>国名をワイマール共和国と改称し
いやいや、ワイマール共和国は通称だろ
ほめた!
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