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1 ななしのよっしん
2009/08/10(月) 22:19:28 ID: 7tqy4ilCvm
編集ありがとう御座います。まさか、編集してくださる人がいるとは…
2 perique
2009/08/10(月) 22:30:22 ID: Cszepicvo9
>>1
いえいえ。
興味深い人物なのは確かですが…自分の知識ではこれが限界でしたね。一応、完全な「ウィキペディアの焼き直し」にはならない程度には出来たかと思います(松本重夫による戦後の評価、くらいですが)。
3 ななしのよっしん
2009/08/22(土) 10:44:07 ID: eipaodwml4
4 ななしのよっしん
2009/08/23(日) 21:36:34 ID: 7tqy4ilCvm
選挙には当選してないが、参議院選挙に出馬しているよ。千葉から。
5 ななしのよっしん
2009/08/30(日) 00:47:22 ID: g5622ovbfa
http://w
このサイトとWikipediaには今は行われてない全国区制で出馬となってるよ。
6 ななしのよっしん
2009/09/17(木) 22:56:32 ID: 126+2IRCCe
全然関係ないけど、舩坂弘って白兵戦最強の人物がいるよ。ドイツではレミ・シュライネンも有名です。
7 天邪鬼コスギ
2009/11/25(水) 18:58:09 ID: 8vjI3nCUnz
牟田口廉也と藤原の会話。(Wiki引用)
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」
8 天邪鬼コスギ
2009/11/25(水) 19:07:43 ID: 8vjI3nCUnz
>>6
藤原と舩坂弘の妙な共通点だけど、二人とも三島由紀夫と親しかったようだよ
9 天邪鬼コスギ
2009/11/25(水) 19:18:41 ID: 8vjI3nCUnz
広江礼威(BLACK LAGOONの作者)のデビュー作、「翡翠峡奇譚」に藤原岩市らしき人物が登場している。また谷豊もレギュラーで登場している。(他には川島芳子、帝都物語の加藤保憲をモチーフにした人物なども登場)
未完で終わったけど。
10 ななしのよっしん
2009/11/30(月) 13:42:59 ID: 126+2IRCCe
>>8
補足説明
三島のクーデーターの企画は藤原岩市によって画策された。
船坂は三島の剣道の師匠。
>>9
それは、しらなかった。今度読んで見よう。
11 天邪鬼コスギ
2009/12/05(土) 21:20:20 ID: 8vjI3nCUnz
F機関から岩畔機関へ変化した時、インド国民軍のモハンシン大尉とビハリ・ボーズ(中村屋のカレーで有名)の内部問題が発生した。この時岩畔はF機関に対し冷徹な態度をとり、モハンシンは憲兵に逮捕。藤原はせっかく築き上げたINAがこのような展開になってしまった事を悔やんだという。
12 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 13:39:06 ID: 8vjI3nCUnz
インド人将兵との信頼関係を重視した藤原は、日本兵の晩脱行為に対し厳格な対処をした。あるとき、藤原は二人の兵士が剥奪行為しているのを見咎め、厳しく訓戒して所属部隊への出頭を命じた。ところがその後、その二人は自決してしまい、藤原自身深い自責の念にかられる事件がおきている。
三島との交友も選挙の広告塔として接触していた説もあるので、本当に事件を作画したのかは不明。
13 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 13:55:47 ID: 8vjI3nCUnz
岩畔豪雄(登戸研究所や陸軍中野学校の設立に貢献)の主張。
「藤原というのは、あれはこの頃はみんな自分でやったように主張しているが違う。彼はただ最初の長をしていただけであって、インド独立はF機関ではなく私が始めて実行したのです。」
14 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 16:20:41 ID: 8vjI3nCUnz
日本軍がマレー半島を侵攻中、市街地は一時混乱し、経済を牛耳る華僑に対する地元住民の暴動が発生した。藤原は咄嗟に市民の生命と財産を保護せねばならないと決意したが、手元の部下はマレー各地で任務中で何もできない。そこでたまたま投降してきたインド兵たちに相談したところ、彼らは70人の兵を率いて治安維持をした。混乱した町は一時間後、整然な秩序を取り戻すことができた。
15 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 16:36:17 ID: 8vjI3nCUnz
F機関の隊員として興味深い人物がいる。
拓殖大学出身の満州浪人、神本利男。彼は甘粕正彦の部下で、中国武術である武当派拳法の達人で、中国人の黒社会にも名が知れていたため、東南アジアでの活動は容易に行動できた。
スターリンの部下、ゲンリフ・リュシコフの捕獲に貢献している。
16 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 16:59:18 ID: 8vjI3nCUnz
佐野 眞一 (著) 「甘粕正彦 乱心の曠野」で読んだ話ですが、甘粕機関から他にも五島徳二郎という人物がハリマオ工作に参加しているらしい。
文中で甘粕正彦が、「私の部下に散々迷惑かけている」(甘粕の部下神尾利男の事か?)と本に載っていたが、全く詳細がわからない。本当にそんな人いたのかな?
17 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 17:17:53 ID: 8vjI3nCUnz
藤原は親睦のためインド人将校下士官とインド料理の昼食パーティーを企画。「ごくろうさん、これからもよろしく」程度のつもりだったが、インド側の反応は藤原をびっくりさせた。藤原が席に着くのを待ち構えるようにしてモハンシン大尉が立ち上がってこう演説した。
18 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 17:24:17 ID: 8vjI3nCUnz
「戦勝国の参謀が敗戦国の捕虜、それも下士官まで交えた同じ食卓で、しかもインド料理を会食するとは、心から感謝する。英軍では、同じ戦友でありながら、このような機会はなかった。敵と味方、勝者と敗者、民族の相違を越えた暖かいこの催しこそ、日本のインドに対する誠意の実証である!」
藤原は感激した。目の前に並んだカレー料理をインドの風習に従って手づかみで食べた。猛烈に辛かったが、藤原は必死で誠意の実証を続けた。
19 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 18:03:42 ID: 8vjI3nCUnz
ここで関係ない話だけど・・・
舩坂弘がアンガウル島で活躍したのは知られるが、同島でもうひとつの伝説がある。
高地から軽機関銃で抵抗する日本兵。狙撃して倒した米兵は、勢い
あまって坂道を転がり落ちてきた小柄な亡骸を軍靴の靴先で無造作に仰向けに返したところ、その兵隊の胸元がはだけ、白い乳房が零れ出てきた。
それを眼にした米兵は最後の日本兵が女性だったを知り、いたく胸を
打たれた米兵らは思わず十字を切り、その場に塚穴を掘り手厚く埋葬しては
手近の木で十字架を作っては建て、その霊を慰めたという。
20 天邪鬼コスギ
2009/12/06(日) 18:14:40 ID: 8vjI3nCUnz
アンガウル島の日本女性兵士伝説は「アンガウル、ペリリュー戦記―玉砕を生きのびて」という本の中でも登場している。
数年前に学習研究社の「歴史群像」で更に、彼女の詳細が詳しく載っていたらしい。個人的に購入し損ねて後悔している。
21 ↑
2011/07/22(金) 13:57:24 ID: 8vjI3nCUnz
パラオのジャンヌダルク伝説
女性の名前は遊女名「久松」。コロール島料亭「鶴の家」の遊女だった人だ。一人の日本軍将校と恋仲になったが、ペリリュー島へ出撃と決まった将校は、私財をすべて処分して「久松」を身請けし、帰国するよう説得した。しかし、自分も日本兵として戦う、一緒に連れて行ってほしいと引き下がらず、日本兵として戦った
22 ななしのよっしん
2011/07/22(金) 14:05:40 ID: 8vjI3nCUnz
16 五島徳二郎の詳細
「神本利男とマレーのハリマオ」を購入。五島は神本の上司だったらしい。
またこの本では藤原岩市の人物描写が描かれており、上官に反抗的な態度で議論する場面が登場する。
23 ななしのよっしん
2012/07/10(火) 23:38:04 ID: MMPu4/JG6Q
http://w
長年絶版だった「F機関」の単行本が十数年ぶりに再販されました。
あとがきではインド国民軍の元指導者モハンシン大尉の手記が記載されているそうです
24 ななしのよっしん
2022/04/05(火) 21:42:48 ID: wkV4taGdTm
ピクシブ百科事典では、かつろうとかいうネトウヨユーザーによるヨイショ記事になっている件
25 ななしのよっしん
2024/03/26(火) 23:17:00 ID: i4zDNDPS/t
今更だが>>24の見てみた。
向こうはここのインパールに触れず、ここは向こうのインド国民軍創設に触れず。同レベル(のように低い)。片方のみ貶めるのもそれと一緒に他ならない。
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