ショーシャ軽機関銃とはフランス陸軍によって開発された、個人で運用可能なものとしては世界初の機関銃の一つである。正式にはFusil-Mitrailleur mle 1915 CSRG[1]と言い、日本語に訳すと「1915年式自動小銃」といった意味になるが、一般には開発を主導したフランス軍人のルイ・ショーシャ中尉の名前からショーシャ軽機関銃、ショーシャ機関銃などと呼ばれる。
概要
20世紀初頭にかけてマキシム機関銃を起点として多くの機関銃が開発・実用化されたが、その殆どが三脚を必要とする非常に重いもので、防御の際には役に立っても攻撃の際には役に立たないものばかりであった。これに気付いたフランス陸軍は従来の立射戦術と機関銃を組み合わせ、兵士が機関銃を歩きながら腰だめ撃ちすることで機関銃の火力を攻撃の際に活かすランボー戦術を立案する。
その戦術を実現するために必要な「歩兵一人で運用可能な機関銃」としてショーシャ軽機関銃の開発は始まった。フランス陸軍の兵器研究工場において1903年から1910年ごろに開発が開始され、その開発プロジェクトを主導したのがショーシャ中尉である。また、銃器設計者のCharles Sutterがその補佐についた。
連発機構としてはジョン・ブローニングによる世界初の実用的半自動散弾銃ブローニング・オート5に使用されているロングリコイル方式を採用した。この方式は元が散弾銃であることから分かるように軽量化が容易であり、事実ショーシャ軽機関銃(重量約9kg)はイギリスのルイス軽機関銃(約13kg)より3kg以上軽く、ドイツのMG08/15(約18kg)に至っては約半分の重量であり、同じコンセプトのブローニング自動小銃が出現するまで連合国最軽量の軽機関銃であった。
更にその機構の単純さから多くの箇所をプレス加工などの安価で生産性の高い製造方法で作ることが可能であり(銃身すらルベル小銃のそれを流用したものだった)機関銃としては異常な生産性の高さと製造コストの安価さを実現していた。具体的にはヴィッカーズ機関銃の製造費用が£100(当時のレートで約$470)、ルイス軽機関銃の製造費用が£165(約$776)だった時代に、ショーシャ軽機関銃はたった880フラン(当時のレートで$176)で製造できたのである。このことが後述の諸問題を於いてもなおショーシャ軽機関銃が大量に配備され続け、結果的には第一次世界大戦で最も使用された軽機関銃になる最大の要因となった。
一方でボルトアクション式小銃を装備した歩兵との協同戦闘を意図していたことから連射速度はあまり重要視されず、現代の基準から見れば非常に遅い毎分240発程度に抑えられていた。また重量を軽減するため、冷却方式はマキシム機関銃のような水冷式ではなく空冷式が採用された(そもそも当時のフランスは砂漠地帯に植民地を持つことから水冷式を嫌い、空冷式を好む傾向があった)
使用弾薬は当時のフランス陸軍主力小銃と同じ8mmルベル弾で、半月型弾倉に20発装填することができた。また、連射時に扱いやすいようピストルグリップを採用し、伏射を行えるよう二脚も装備されていた。
しかし、このような意欲的な設計は第一次世界大戦の戦場に於いて様々な問題を発生させることになった
最大の問題点となったのは弾倉であった。第一次世界大戦の前線を覆い尽くした泥が、給弾手が横から残弾数を確認するための巨大な開口部から銃の機構内に入り放題だったのである。更に弾倉自体が薄い板金をプレス加工で成形したものであり、容易に凹んだり曲がったりして給弾不良を頻発させた(凹んだり曲がったりしていることが外部から分かるならまだマシで、しばしば見た目では判別不能な弾倉の歪みが給弾不良を引き起こした。つまりこの弾倉が動くか動かないかは往々にして撃ってみないと分からなかったのである)
更に射撃の度に銃身とボルト(遊底)が一緒になって前後に動くロングリコイル方式の特性上、ショーシャ軽機関銃は連射を行うと蒸気機関よろしく銃全体が前後に大きく揺動するという特徴があった。連射速度がかなり低く抑えられていることからある程度練熟すればそれなりの射撃精度を維持できたものの、これは命中精度の観点から明らかに好ましくない特性であった(元ネタのブローニング・オート5は散弾銃であったため命中精度はそこまで問題とされなかったのである)
加えてこのことにより他の銃の様に頬付けでショーシャ軽機関銃を撃つと、揺動する機関部が射撃の度に頬を連続して蹴り続けるため、専用の射撃姿勢を知らないと非常に不快な射撃経験をすることになり、人間工学的にも大きな疑問符が付く設計であった。
初期の空冷式軽機関銃は銃身交換による冷却と継続射撃の両立がまだ導入されておらず、総じて過熱しやすく継続的な射撃に問題を抱えていたが、ショーシャ軽機関銃はそれが軽量化のための設計とロングリコイル方式の特性に連動して更に深刻な問題を引き起こすリスクがあった。即ち、連射によって銃が加熱するとアルミ製の放熱フィンが膨張し、放熱筒の内面に干渉して銃身が引っかかって動かなくなり、銃自体の動作が停止するオーバーヒートが発生し、更に悪いことにロングリコイル方式の設計上、一度そうなると手動では機構を動かせなくなり、冷却して放熱フィンが収縮し、銃身が元の位置に戻るのを待つしかなくなるのである。これは実戦でも度々発生した問題であり、手に窮した兵士たちの中にはオーバーヒートしたショーシャを木に叩きつけて強引に引っかかった銃身を元に戻そうとしたものまでいた。
更に悪評を加速させたのはアメリカ軍が当時の米軍制式小銃弾である.30-06弾に合わせて設計変更したM1918ショーシャであった。.30-06弾に合わせて問題だらけの弾倉こそありふれた箱型になったものの、M1918は薬室の寸法が間違っている根本的な不良品であり、これを訓練などで使わされた米軍兵士たちに強烈な悪印象を残していくことになった。これらの要因が合わさった結果、ショーシャ軽機関銃は「史上最悪の軽機関銃」のレッテルが貼られ、その風潮は今に至るまで続いている。
しかし当時は軽機関銃という兵器の黎明期であり、また国家の命運をかけた総力戦の只中にいたフランスにとって安価で生産性の高いショーシャ軽機関銃は他に代えがたい存在であった。更に「歩兵一人で運用可能な機関銃」というコンセプトは、ショーシャの基本設計の生みの親であるジョン・ブローニング本人によって設計されたブローニング自動小銃でより洗練された形で実現されることになり、事実上軽機関銃という兵器の設計に大きな影響を及ぼしていると言えるだろう。
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関連項目
脚注
- *CSRGはChauchat(ショーシャ:開発主導の軍人)、Sutter(開発補佐の銃器設計者)、Ribeyrolles(生産会社の社長)、Gladiator(生産会社、元々は自動車やバイクの製造メーカー)の頭文字を集めたものである。
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