ジェフリー・ダーマー(Jeffrey Lionel Dahmer)とは、1960年5月21日生まれのアメリカ合衆国のシリアルキラーである。13年間に渡って17名もの青少年を殺害し、その肉を食していたことから“ミルウォーキーの食人鬼”の異名を取る。「ジェフリー・マーダー」と間違って覚えている人が多い。その猟奇性から多くの場合アメリカ史上もっとも有名で、史上最悪の連続殺人犯とされる。
概要
1960年5月21日、父ライオネルと母ジョイスのダーマー夫妻の長男として生を享ける。ジョイスは精神不安定な面がありジェフリーを身ごもっている時にも大量の薬を必要とするほどの癇癪もちだった。対してライオネルは博士号を取得した科学者で、勤勉さが取柄だったが家庭の問題には取り合わなかった。こういった環境の影響か、ジョイスが次男を出産間近という頃には一日中座ったまま動かないなどの奇行を見せるようになる。また、この頃からほとんど笑わなかった。
父が勤務する企業の都合で引っ越しを繰り返していたのもあるのかジェフリーはイジメられがちであり、8歳の頃には同級生から性的虐待を受けている。
10歳の時に母が不安障害と診断され入院し、両親が不仲になるにつれ、ジェフリーの精神はより一層荒んでいった。
15歳になると動物の体の構造に興味を憶え、国道沿いで死んでいる動物を持ちかえっては家の庭で解剖した。それだけでは飽き足らず大型犬の肉を全て削ぎ落として骨格標本もどきを作成したり、杭に犬の生首を刺したこともあった。生きた動物にはあまり興味を惹かれず、この頃からネクロフィリアとしての素質が開花していたとみられる。また、裏庭には動物の死体の骨によって結構な大きさの骨塚が出来てしまっていたが両親は気にも留めなかった。
思春期を迎えたダーマーは異性ではなく同性と、それから死体に性的興奮を感じ、男性をバラバラに殺傷して隣に横たわりたいといったような願望を抱くようになっていた。
知能指数は高かったことから高校入学時に注目を集めたが成績は振るわず、数々の授業妨害や近所で悪趣味なイタズラを繰り返すなど有名な問題児として成長する。この頃に父が虐待で提訴され両親が離婚。父はモーテルに身を移し母も弟を引き取り実家に帰った。18歳になっていたジェフリーは成人と判断され一人家にとり残された。
1978年、寂しさからかアルコール中毒になっていたジェフリーは高校卒業の一週間後、ヒッチハイクをしていた19歳のスティーブン・ヒックスという青年を自宅に招き、二人で酒とマリファナを楽しみながら思い出を語り合った。スティーブンはゲイではないと察したため手は出せなかったが、久々に他人と打ち解けたジェフリーはとても満足だった。しかし、スティーブンが帰ろうとしたところ、彼を手放したくないという思いから衝動的に近くに置いてあった鉄アレイで頭を殴って昏倒させ、手で絞殺。とんでもないことをしてしまったという後悔と同時に、それを上回る興奮も覚えてたためその場でマスターベーションをした。翌日には狩猟用ナイフでの解体を始め、自慰用に頭部だけを残し床下に遺棄した。
二か月後、家を訪ねた父はジェフリーがアル中になっていることを知るとオハイオ州立大学へ進学させた。しかし、アル中で自暴自棄の人間がまともに授業を受けれるはずはなく一学期終了時点で大学側から退学させられ、その後アメリカ陸軍に入り紆余曲折会って衛生兵として旧西ドイツのバウムホルダーにある駐独アメリカ軍第8歩兵師団に配属された。配属直後の成績は良かったもののドイツという本場で、基地内の免税店では酒が安く買えるということもありあっという間に酒浸りの日々に入ると1981年、健康上の理由により名誉除隊に。なお、配属期間中、バウムホルダーで5件の未解決殺人事件が発生している。被害者は一人を除いて男性だったためジェフリーの関与を疑う声は根強い。
除隊後は父の勧めで敬虔なクリスチャンである祖母の元へ身を寄せ、血液の売買で警察からブラックリストに入れられるなどの問題行動を起こしながらもチョコレート工場に勤務するなど真面目に暮らしていたが、1986年、図書館で読書中に若い男から「フェラしてほしかったらトイレに来い」という紙切れを手渡されたことで欲求が再燃。トイレにはいかなかったものの盗んだマネキン相手に射精したり、新聞で少年の死亡事故を見つけると火葬場に行き遺体を見て自慰をした。公衆浴場にも入りびたり問題を起こしてそこを出禁になるとゲイバーに通い詰めた。同年の9月には12歳の少年に自慰を見せつけたとして一年の保護観察処分をくらっている。
1987年、欲望を抑えきれなくなったジェフリーは本格的にシリアルキラーとして活動し始め、逮捕されるまでに16名の青少年を殺傷したのち死姦。死体を解体して食べ、残った骨でインテリアを作り、まだ息があった被害者の頭蓋骨にドリルで穴をあけ熱湯を注ぎこむなどの生命を弄ぶような実験を行い性奴隷用のゾンビを産みだそうとした。
1991年7月22日、付近を巡回していた巡査が悲鳴を聞きつけ駆けつけ、息も切れ切れに頭のおかしい白人に殺されかけたという黒人少年からの証言を受けて異臭が立ち込めるアパートに立ち入るとその部屋にはバラバラになった死体の写真が散乱し、冷蔵庫には人間の内臓が詰め込まれ、着色された頭蓋骨が飾られていた。
逮捕されたジェフリーは素直に犯行を認め、死刑制度がないウィスコンシン州の裁判では禁錮937年が言い渡された。
1994年11月28日、刑務所のシャワールームで「神のお告げを聞いた」という囚人にベンチプレスの鉄棒で撲殺され地獄へ旅立った。享年34歳。
ちなみにジェフリーを撲殺したクリストファー・J・スカーヴァーは1人を銃殺した罪で終身刑を受けていたが、刑務所内でジェフリー含む2名を撲殺したため、塀の中での殺害数のほうが多くなった。
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