カニバリズム(cannibalism)とは、人肉を食す行為・習慣のこと。
人肉食。
語源はスペイン語の「Canibal(カニバル)」。「Canib」は西インド諸島の原住民・カリブ族を意味し、大航海時代のスペイン人航海士はカリブ族が人食い人種であると信じていた事に由来する。
祭(謝肉祭)を意味する「Carnival(カーニバル)」とは由来および意味が違うので混同しないこと。
英語圏ではラテン語の「人間(anthropo-)」+「食べる(-phagy)」の合成語であるアントロポファジー(anthropophagy)とも呼ばれるが、あまり一般的ではない。
生物学分野では、同種内での捕食行為、すなわち「共食い」のことを指す用語でもある。
概要
この項目は、残酷な内容を多く含んでおります。 自己責任にてご覧ください。 苦手な方はページを閉じてお戻りください。 |
文明に染まった現代人は、こうした野蛮な風習を感覚的に嫌い、軽蔑し、怒りを示す。「食人は、近親相姦、親殺しと並ぶ人類の三大タブーである」というのが一般的返答であろう。
しかし全ての世界、全ての時代において、食人が強く禁じられていたわけではない。現在の共同体と同じように人間的な社会であっても、人食いを認め命じる社会も当たり前にあった。食人の歴史は原始時代から現在まで殆ど途切れることなく続いている。
しかも人食いを行っていた民族は、多くの場合ほかの民族より文化的、産業的、商業的にはるかに進んでいたケースが多いことが分かっている。
1871年にボローニャで開かれた「食人と考古学に関する国際会議」の最終報告では
食人は文化が発展する際に見られる一過程であり、つまり必要なものである。言い換えれば、もともとは果実を常食としていた人間が、その進歩によって人肉食いへと至ることは必然であり、その後宗教思想や人道主義的考えを純化させたことから、このおぞましい慣習を葬り去る結果になった。
とまとめている。
散発的な人食いを含まない、人食い人種の人口は19世紀初頭には一億人以上いたと見られるが、20世紀中にその数は半数以下にまで落ち込んだ。これは文明社会の広がりと関連している。
中世から近年では、飢饉や遭難や戦争など、食料が枯渇した状態での緊急的な行為として食人が行われた記録が残っている。例を挙げれば、モアイで有名なイースター島にも、飢餓による人肉食の痕跡がある。
動機による分類
「なぜ人類が同胞を食べねばならないのか」という疑問に対する答えは様々であり、重複していることもある。
- 食料
純粋な栄養物としての食人。この説は18~9世紀に大きく広まり、食人風習の起源は「豆類とキャッサバしか食べない民族が、高タンパク質を必要としたことから始まった」と主張された。
アメリカでベストセラーになった「幻想と食人」では「アステカ人が戦争し、生贄をささげ、同時に食人へ至った理由はタンパク質の不足からである」としているが、統計学の専門家は「アステカ人が一年に2万5千人を犠牲にしても、1人につきハンバーガーが1つできるかできないか、といった程度である」と反論している。
ちなみにキリスト教の儀式において「パンをイエスの肉、ワインをイエスの血として……」という語が見られるが、これもある意味、食人を想起させる。 - 美食
単なる食料よりもおぞましい行為として、この説に嫌悪感を強める人は多い。キャプテン・クックは「南半球旅行記」において「美食としての食人は、食用の家畜や獲物が十分にある、もっとも恵まれた地域でしばしば行われている。飢えやなんらかの栄養不足が原因と主張することはできない」と記している。 - 復讐
憎むべき相手を食らい、消化し、排泄する事で復讐を果たすというもの。人食い人種の中でもっとも広く見られる動機である。しかし宗教的理由も絡んでおり、ブラジルのトゥピナンバ族が敵部族を食べるのは、復讐に加え「以前食べられた仲間を取り戻すため」といった理由がある。 - 軽蔑
復讐のバリエーションのひとつ。近隣部族に恐怖を抱かせて接近を阻み、領地を守るため。ニューギニアのいくつかの部族は敵を食い尽くすことによって相手への軽蔑が最高度に達していることを知らしめるという。 - 強化
復讐のバリエーションのひとつ。味方の仇を討つと同時に、敵の力、技、勇気を自分のものとするのが狙い。これには「殺した敵を讃える」という意味もあり、戦った時に優れた敵は食料とされる一方、たいしたことのない敵は単に殺したり、拷問にかけたり、奴隷にされたりした。 - 魂の消去
復讐バリエーションのひとつ。「死は意図を明かさないまま魂をさまよう恐るべき行為」のため、その魂を排除するために肉体を食べなければならない、というもの。インディアンのグアヤキ族は「食べてしまわなければ、魂は生者のそばにとどまり、攻撃したり、体内に入り込んだりして死をもたらそうとする」と考えていた。 - 栄誉
栄誉をたたえて生贄にささげた人物を食べることで、首長を「祖先」の地位にまで高めるための食人。ソロモン諸島のファタレガ族など。犠牲となるのは他集団から捕えてきた人間である。儀式的要素があるため、制約が非常に多いのが特徴。 - 治療
人肉には治療的な価値をもつとされることが多い。これに限っては、文明社会にも共通する風習である。古くより人体からとった部位が特効薬として流通してきたのがその証左である。西欧では出産時に排出されたへその緒や胎盤が不妊薬として用いられた。シャルル二世やエリザベート・バートリらは人の血液による療法を行った。ミイラをすりつぶした粉末が、万能薬として日本を含む各地でもてはやされたこともある。日本の「○○の爪の垢を煎じて飲ませたい」 という言葉もこれの類例と見れる。 - 愛
飢えや暴力の末に……という見方が多い食人だが、そうではない場合も往々にある。長老崇拝的には「死んだ両親を愛するなら、おぞましい腐敗や死肉を食べる虫を遠ざけるために食べるべき」とされた。性的な愛情なら、キスや甘噛みなどは「愛するあまり相手を取り込みたい」という感情の初期発露であるといわれる。いわゆる「吸血鬼の吸血行為」はこれの発展形と考えられ、作品によっては性的快楽を凌駕するとされている。 - 断罪
裁きとしての食人は、宗教や迷信から解放された概念である。これは共同体の全員が死刑宣告の最終段階に参加し(一種の民主主義)、受刑者の引き起こした混乱と損害を共同体全員で取り戻す理由で行われる。タタール人、アフリカのアシャンティ族、アンガス族、スマトラのバタク族などが行った。
まずい肉とうまい肉
白人が白人を食べる場合をのぞけば、一般に白人の肉は人食い人種から敬遠される。
グアドループ島の原住民は、サント・ドミンゴで5人の白人を捕まえて以来、キリスト教徒の白人の肉を断固拒否するようになった。「いつもとは違うものを食べて吐き気を催したので、二度と触ろうともしない」という。プエルトリコでも「何人か食べたあとで重い病気にかかった。以来、殺しても手を付けずにそこに放っておく」という報告がある。
しかし白人の肉にもいろいろあるようで、アンティル諸島やラテンアメリカでは、フランス人の肉はスペイン人の肉よりおいしいと考えられた。「スペイン人は食べる前に三日間浸して柔らかくしない限り、固くて食えたものではない」という。
1963年ポリネシアの人食い人種は「アメリカ人はまずくて食べられない」と語った。UPI通信はアメリカ人がまずいのはDDTの乱用のせいで、その脂肪が毒性化していると発信。
この新事実にイギリス上院は奮い立ち、イギリスの食人者に中毒性はないのか」と疑問を投げかけた。調査の結果「アメリカ人の人体におけるDDTの割合は100万分の11に達しているが、イギリス人は100万分の2である」と分かった。
結論:イギリス人はアメリカ人に比べれば、まだ食べられる。
「食べて満足できるのは女性の肉だけ」という考えは多くの人食い人種に見られる。
一方でマルキ・ド・サドは自身の作品の中で「女の肉は、あらゆる動物のメス肉と同様、男の肉より劣る」と記している。ただし実際にサドが食人をしたかどうかは不明で、文学や紀行文で得た知識に由来した著述である可能性には留意されたし。
ただしこれと同意の人食い人種もそれなりの数がおり、中には絶対に女の肉を食べないという部族もいる。ソロモン諸島の部族には、肥満した男しか食べず、太らせるために去勢する部族が多い。
これ以外の肉の感想や調理方法については問題になりそうなので割愛。
食べられた有名人
- ジョン・ウィリアムズ
イギリスの宣教師。クック諸島のラロトンガ島を1823年に発見した人物。オセアニアで11年間布教活動を続けたが、あまりにも説教臭いのでエロ漫画エロマンガ島の住人に食べられた。イギリス政府から軍艦が送り込まれると、驚いたエロマンガ島の人食い人種は、彼の骨と頭蓋骨を返還した。 - ヴェラ・ヒューエット
ウィンストン・チャーチルの親戚で哲学博士。スワジランドの自宅で、ドイツ出身の白人家族六人によって儀式的に食べられた。加害者らは法廷で「この儀式により自分たちは本当のアフリカ人になった」と主張した。 - マイケル・ロックフェラー
ニューヨーク州知事と合衆国副大統領を務めたロックフェラーの息子。人類学者。ニューギニアで行方不明になったあと、さまざまな憶測が飛んだが、ドイツ人ジャーナリストによってアム族の祭式長アジャムが生贄にしたことが判明した。 - ポール・リグス
ロナルド・レーガン大統領の叔父。ただし彼は食べられた側でも食べた側でもなく、食人事件を告白した人物。
曰く、彼の大叔父であるダニエル、チャーリー、アレクサンダーの3人がコロラドで吹雪にあい二週間も遭難した際、空腹に耐えきれなくなって負傷により死亡したアレクサンダーを食べたと話した。二人は飢餓による錯乱状態だったとして無罪となったという。
これについてレーガンは「安心してください、食人は遺伝しませんから」とテレビでコメントした。 - ジェームズ・クック
「キャプテン・クック」。3回にわたってオセアニアを旅したイギリスの航海家。サンドイッチ諸島で原住民に殺害後、死体を持ち去られた(後に一部が返還)。死体の保存目的で肉を剥がされ、食べられたと考えられている。サンドイッチにされた訳ではない
極限状態における食人
極限状態における食人で、有名な話をひとつ。
1972年10月13日、フェアチャイルドF272機はアルゼンチンのメンドサ空港を出発し、チリのサンティアゴへ向かっていた。乗客は47人。うち15人はモンテビデオのラグビーチームの選手だった。
飛行機はアンデス山脈の上空を飛んでいる時に、乱気流とエアポケットにつかまり山脈の中腹へ不時着。高度400mの岩と氷だけの世界に生き残ったのは、幸か不幸か乗客の半数以上である28人だった。
彼らはすぐ助けが来るはずと思っていたものの、無事だった無線機から3日目の夜に捜索が打ち切られたことを知って絶望した。
機内の食糧はすぐに底をつき、その後、怪我や衰弱によって4人が死亡。16日目には雪崩に襲われてさらに8人が死んだ。生き残った16人は薬、練り歯磨き、座席の食物繊維すら食べた。
食べられそうなものが無くなると、彼らは死んだ仲間の肉を食べることを論議しはじめた。
葛藤する彼らは、ためらう気持ちを消し去るために「神の思し召し」という考えを強調した。
これは聖餐だ。キリストは我々を求道的生活へ導くために、死んで自分の体を与えた。
我々の友人たちは、我々の肉体を生かすために、その体を与えてくれたのだ。
最後には自己保存本能が嫌悪感に勝り、生存者たちは死者の肉片を口にすることを決めた。
彼らは火をおこし、焼くことで嫌悪感を乗り越えようとしたが、医学を学んでいた者が「タンパク質は40度以上で破壊されるから、焼いてしまうと栄養価を失う。栄養を摂るなら生で食べるべきだ」と主張した。
気温と気候条件が和らぐと、体力のある2名が代表して助けを求めに行くことになった。
彼らはもっとも栄養のある肝臓を食べて出発し、10日間の苦難の行程を経てチリの羊飼いに保護される。連絡を受け、生存者全員が救出されたのは12月21日のことだった。
当初彼らは草を食べて生き延びたと救助隊員に語ったが、隊員のひとりが切断された遺体を見て「コンドルの仕業か?」と尋ねると、生存者らは潔く自分たちの仕業と認めた。
生還した16人に対しては、早い段階でカトリックの関係者らが「彼らの行為は罪に当たらない」と発表、世間の動揺を抑えた。また死亡者の遺族らの多くが、生存者に対して理解や許容を示したという。
一方で報道は白熱し、ショッキングな写真や内容で煽り気味に報道するメディアも少なくなかった。
後に「アンデスの聖餐」「生きてこそ」など、複数回映画化されている。
日本での食人
中国では盛んに食人が行われていたため、古来日本にも食人文化が伝来。しかし食人をタブー視する風潮が強く、表立った食人の記録及び伝承は少ない。
最古の食人は、567年に成立した『日本書紀』に記されている。
それによると、欽明天皇が即位して28年目に「郡国大水、飢えて或は人相食む」(大飢饉が発生し、飢えを凌ぐために人を食らった)とある。しかし、そんな不名誉な事件をわざわざ記録するとは思えないというのが現在の見方であり、信憑性はそれほど高くないともいう。その後、しばらく食人の記録は見受けられなかった。
次に記録上に出てきたのは戦国時代であった。
1581年の鳥取城攻め(鳥取の飢え殺し)、伊勢攻めで篭城側の兵糧が尽きた為、最終的に食人に走ったという記録が残されている。
戦国が終わり江戸時代になっても、食人は続いた。気候の寒冷化により飢饉が発生し、特に東北で食人が横行。1695年、1755年、1783年、1833年、1866年は大凶作の年であり、かなりの人間が食べられた。餓死した死体を女二人で4日に渡って食べ続けたなど、生々しい記録が残る。
近代では、大東亜戦争に食人の記録が残っている。
連合軍の通商破壊により、1944年頃にはニューギニア方面の第18軍が完全に孤立。補給が途絶え、食糧が得られなくなった現地の将兵は飢餓状態に陥った。
ニューギニアは緑豊かなジャングルだが食用となるものは少なく、さしづめ緑の砂漠であった。毒蛇を捕まえてご馳走にしたり、靴用の油を使って雑草の天ぷらを作るなど涙ぐましい努力をしていたが、やがてそれも使えなくなった……となれば人肉食に走るのが常である。
第18軍内では味方の兵を殺して死肉を貪る人肉食が横行、時には原住民の肉も食らった。特に太った新兵が真っ先に狙われた。味方を食い殺す戦場の狂気と風紀の悪化を懸念した第18軍司令部は、「敵兵の死肉は食っても良いが、味方の兵を食った者は厳罰に処す」と発布。実際に仲間の肉を食らった4名を処刑しているが、それでも人肉食は止まらなかった。
その地獄っぷりは「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われた。
その他、日本国内で有名な食人事件といえば「ひかりごけ事件」が有名だろう。
昭和史で唯一裁判で裁かれた食人事件で、戦後に武田泰淳がこの事件を題材とした小説「ひかりごけ」を執筆、ベストセラーになった事で飛躍的に知名度が増した。
こうした背景とは別に、過去には治療を目的とし、薬として人体の一部が珍重されていた。
江戸時代の役人、御様御用(おためしごよう)こと山田浅右衛門は代々の生業として、処刑された罪人の死体を用いた薬を販売。これが労咳に効くとして人気を博し、山田家は莫大な収入を得ていた。
こうした因習は明治になっても色濃く残っており、明治3年(1870年)には政府が「刑余ノ骸ヲ以テ刀剣ヲ試ミ及人胆霊天蓋等密売ヲ厳禁ス」と禁止令を出している。しかし死体の取引は細々と続き、その後もたびたび事件として報じられた。
カニバリズムの派生として、死者への哀惜を表すためにその肉を口にするという風習はあった。
たとえば沖縄県西表島では亡くなった人の頭、背、手、足など割って食べたという。もちろん現在は廃れている。
また肉ではないものの、火葬後の骨を食べる「骨食み(ほねはみ)」を行う地域もあった。俳優の勝新太郎は兄・若山富三郎や父の死後、その骨の欠片を口にしている。
代表的食人犯
政治的理由でデマを流された可能性がある人物
- ジャン=ベデル・ボカサ
中央アフリカ共和国の建国者バルテレミー・ボガンダの甥。
1964年に中央アフリカ軍司令長官になると、翌年にクーデターを起こして72年に終身大統領に就任。1977年には国家予算の5分の1を費やした祝典を開き、中央アフリカ帝国皇帝「ボカサ1世」を名乗る。
1986年に逮捕、殺人・拷問・食人の罪で裁判にかけられた。邸宅のひとつには切断された死体が4体保管されていたとされたが、でっちあげの可能性が高い。
死刑を宣告されたが新大統領によって恩赦が与えられ懲役10年に。釈放後は年金生活を送り、死後は国葬が行われた。2010年12月、中央アフリカ大統領によって名誉回復されている。 - イディ・アミン・ダダ
ウガンダの軍人、第3代大統領。法学博士、ヘビー級ボクシングチャンピオンでもある。
実権掌握後は独裁と弾圧を行い、政敵を殺害後にその肉を食ったという風聞から「食人大統領アミン」として映画化もされた。これは侍医がロンドンに亡命後、大統領が食人していると公表したため。それによると政敵となった外相は1973年に心臓と肝臓を食べられたあと、ナイル川に捨てられたという。
1979年に失脚後はサウジアラビアに亡命、静かな生活を送った。2003年に死去。
ユーモアのある人物で、軽妙なジョークをよく口にした。実際には菜食主義者だったとも言われており、失脚前はアントニオ猪木との異種格闘技戦を行う事を承諾するなど、天衣無縫な人物だった。
シリアルキラー
- ジェフリー・ダーマー
アメリカ。「ミルウォーキーの食人鬼」 。ネクロフィリアとしても知られ、殺した青少年を屍姦した後にその死肉を食した。犠牲者はすべて黒人男性の同性愛者。犯行動機は「殺してしまえば相手は永遠に自分のものになる」という孤独感からだった。拷問、殺害、解体した犠牲者をポラロイド撮影した。犠牲者に独自のロボトミー手術を施したこともある。終身刑を16回、禁固20年を一回の判決を受けたあと、1994年に刑務所仲間により撲殺された。 - ニコライ・ジャマガリエフ
ロシア。「金属の牙」「天才的マニア」。立証されただけでも、自分の妹を含め50人以上を殺害して食した。ただしロシアの捜査官は実害はその倍以上だったと推定している。
ロシアには刑務所と医学的治療を両立させる体制が存在せず、精神医療施設に入れられていたため、医者を買収して何度も脱走。現在も脱走方法を練っているといわれる。 - アルバート・フィッシュ
アメリカ。「満月の狂人」。猟奇犯罪史上において、もっとも稀有な人物のひとり。6人の子供の父親で5人の孫がいる老人。サディズムやマゾヒズムなどあらゆる形の性的倒錯を抱えており、陰部周辺には自慰の為に突き刺して抜けなくなった針が29本も埋まっていた。
立証された殺人は16件だが、実害は100~400人以上だったと考えられている。児童を狙って誘拐して拷問の末に殺害、その肉を調理して食べた。逮捕されたきっかけはある家族に取り入ってその娘を連れだして殺害後、両親の許に手紙を出したため。少女の死の様子や食べた後の感想などを告白しており、控えめに言って胸糞が悪くなる内容である。
1936年に死刑執行。電気椅子にかけられるのを「一生に一度しか味わえない、最高のスリル」として楽しみにしていたという。 - エド・ゲイン
アメリカ。「シリアルキラー」の代名詞的存在。死体を材料に服や調度品を作ったことで知られるが、彼自身が手を下した犠牲者は2名のみである。多くは墓場から掘り返した死体を利用し、人肉をあとで食べるために燻製にし、保存していた。
本質はおとなしく、逮捕後は精神病院で余生を過ごした。1984年、77歳で死去。 - フリッツ・ハールマン
ドイツ。「ハノーファーの屠殺人」。ドイツには食人犯が多いが、その中でも最もよく知られている。27人の青年と子供を殺害、食料として販売した。
数多くの職歴を持ち、肉屋で解体と骨取りの技術を学んだのが大きかったといわれる。同性愛者で男娼の愛人にそそのかされた末、犯行に至ったこともあった。獲物を殺すライオンのように、犠牲者が窒息するまであごで首をしめつける手法をとったのが特徴。死刑判決を受け、1925年にギロチンによって処刑された。 - ゲイリー・ハイドニク
アメリカ。教会を設立し、貧しい信者に無料でハンバーガーを振る舞っていたことから「ハンバーガー司祭」と呼ばれた。知的障害を持つ女性信者を暴行したとして逮捕後、異常性欲と自分の「子供」に対する執着から地下室に複数の女性を監禁。「大家族を作る」として彼女らに強姦、拷問、暴行を繰り返した。そのうち女性の一人が死亡するとその肉を犬のエサに混ぜ、監禁する女たちに与えた。
彼に取り入って自由を得た女性が脱走に成功した事で事件は発覚。逮捕後に死刑宣告を受け、1999年薬物注射で処刑された。 - エドマンド・ケンパー
アメリカ。身長2m、IQ140という恵まれた身体・知能の持ち主。母親の虐待により、地下室に閉じ込められて育つ。女性に対する接し方を理解できないまま15歳で祖父母を殺害し、精神病院に送られた。そこで際立った知能の高さを評価され、模範囚として社会復帰。しかし母親からの抑圧は続き、その反動から女性ヒッチハイカーを殺害して死姦後、その肉を食った。
最終的に嫌悪していた母親を殺害、首を切り落として死姦した。その後警察に自首し、自ら罪を認めた唯一の連続殺人犯である。終身刑を宣告され現在も存命。 - ヨアヒム・クロル
ドイツ。「ルール地方の食人鬼」。1955年に最初の恋愛体験で失敗したうえ、相手の女に笑われたことがきっかけで連続殺人犯となる。 人を食べ始めたのは1959年以降、多くが幼い少女だった。「子供がどんな味なのか知りたかった」と語り、性的欲求ではなく「食費を浮かせるため」食人を行っていた、異例のカニバリスト。無期刑に処せられ1991年に死去。 - ヘンリー・リー・ルーカス
アメリカ。360人殺しのヘンリー。人格異常の売春婦の母親の下で虐待されて育つ。14歳で殺人を行った後は出所と服役を繰り返し、23歳で母を殺害。当時の社会情勢によって早期釈放された際には「釈放されたら必ずまた人を殺す」と告げている。その後も女性に対する激しい憎悪から女性ばかりを狙って殺害し続けた。曰く「毒殺以外のあらゆる殺害方法を取った」とし、「人間は俺によって何でもない、ただの白紙だった」と告白している。
相棒のオーティス・トゥールとともに無数の人間を殺し、その肉で宴を開いたとされる。二人は相棒として無二であったが、人肉の料理法で喧嘩したこともあったという。死刑判決が出たが延期され、結局2001年に心臓発作で死亡した。 - アンドレイ・チカチーロ
ロシア。「ロストフの切り裂き魔」。ロシア(当時のソ連)を代表する連続殺人犯。少年少女を中心に50人以上を殺害し、その舌と性器を食した。よく「強姦した」と書かれる場合があるが、彼は性的不能者である。逮捕できずに犠牲者が増えたのは、ロシアの捜査体制の問題に加え、チカチーロの特異体質の影響だった。死刑判決を受け、1994年に銃殺刑に処された。 - 佐川一政
日本。フランスに留学中、オランダ人女性を殺害してその肉を食した。外国人が外国人相手に起こした事件ということもあり、日仏蘭の国際関係の絡んだ複雑な問題となった。パリ人肉事件を参照のこと。 - アルミン・マイヴェス
ドイツ。2001年、インターネット上で「食べられたい人」を募集。そこに応じてきた被虐趣味の男性の同意を得た上でペニスを切断して二人で食し、殺害後に遺体を一部を保存・消費した。事件の一部始終を被害者と共同でビデオテープに記録しており、閲覧した捜査官の多くがPTSDを発症した。
2人目の募集をかけた所で逮捕され、「被害者が同意した上での殺人と食人は罪に当たるのか」という問題を提起した。現在は終身刑で服役中。
ドイツのロックバンド、ラムシュタインの「Mein Teil」はこの事件を題材にしている。
なお「食人行為」それ自体は、自身で相手を殺害しない限り、日本の刑法でいうところの「死体損壊罪」などに当たる。
創作ジャンルにおける食人
前述した武田泰淳「ひかりごけ」や大岡昇平「野火」など、カニバリズムを題材とした文学は多い。
絵画ではゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」、ジェリコーの「メデューズ号の筏」など、神話や実際の事件に基づいた作品が知られている。
フィクションにおいては、グロテスクな内容であることもあって、基本的にはテレビなどの映像媒体では扱われることは少ない。扱われるにしても字面のみの場合が大半で、少なくともR-15指定になる。
映画化もされた有名小説「羊たちの沈黙」シリーズの登場人物であるハンニバル・レクターは、人の臓器などを食す嗜好の持主で、作中で「人食いハンニバル(ハンニバル・ザ・カニバル)」の呼び名を持つ。
映画版では表現がややソフトになっているので、作品の雰囲気を楽しみたい方は小説版をお勧めする。
......ところで前頭葉のソテーって美味いんだろうか?
小説・漫画などが映像化される際、人肉食に該当する部分が変更されることがある。
例えば週刊少年ジャンプ掲載の「ONE PIECE」においては、サンジと料理長ゼフの回想で(カニバリズムに該当するかは微妙だが)漫画ではゼフが「自分の足を食べた」という表現があったが、アニメ版では「嵐の海からサンジを助けた際に船体に足をはさんだ」とに変更されている。
人肉食を扱った作品が問題視されて大きな非難を呼ぶこともある。
例としては、週刊ヤングサンデーに連載されていた沖さやかの「マイナス」というサイコスリラー漫画である。「主人公の教師が教え子とともに子供を殺して食う話」を掲載したところ、非難の声が上がって掲載号の回収にまで追い込まれた。
また、週刊少年マガジンに連載されたジョージ秋山の漫画作品「アシュラ」の場合、飢餓による心の荒廃と人肉食を描いたところ、大きく問題視する報道がなされ、掲載号を有害書籍指定した地方自治体もあった。
創作ジャンルにおける食人としては、いわゆる「ゾンビもの」がその嚆矢であろうが、これはもはや一ジャンルといって等しく、ゾンビ関連の用語で検索したほうがよいと思われる。
関連動画
カニバリズムを題材とした作品・楽曲(記事があるもののみ)
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関連項目
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- R-15
- R-18
- ネクロフィリア
- ソイレントシステム
- ウミガメのスープ
- パリ人肉事件
- アンドレイ・チカチーロ
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- 牛の肉(真・女神転生IV)
- 普通の人とカニバリストで意味が変わることわざ・慣用句一覧
関連リンク
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