ホッカイドウ競馬とは、北海道が主催する地方競馬である。旧称・通称「道営競馬」。
概要
1948年に帯広競馬場で初開催。当時は平地競走のほかばんえい競走(重量のある台を引く)、けいが競走(車輪付きの台を引く)も同時開催されていた。けいがは廃止。ばんえいは4市市営へと移管され、1970年より平地オンリーとなる。
1991年には454億円の売上を誇ったが、他の地方競馬同様赤字に苦しみ、長年存廃論議にさらされた。しかし日本最大の馬産地を有するため、廃止すれば馬産縮小・日本競馬のレベル低下などに直結する懸念が強いこと、また一時は単年数十億あった赤字額を大きく減らしていった事などもあり、2010年10月に北海道が当面の存続を決定(2010年10月17日の競馬ブックの記事)。積極的な場外発売策や地方競馬I-PATの開始、全国の地方競馬に先かげてスタートさせたJRA場外発売「J-PLACE」の莫大な手数料収入により2013年度の決算は22年ぶりの黒字となった。
他地区の地方競馬と違い、札幌競馬場、旭川競馬場、岩見沢競馬場、帯広競馬場、函館競馬場を1年かけて転戦するジプシー開催を行っていた。北見競馬場でも移転によってばんえい専用コースとなる以前は平地開催を行っていた。
しかし移動費用の負担増、競馬場の賃借料の高騰などから、1997年に開催競馬場を大幅に集約(門別競馬場を開設するとともに、岩見沢競馬場・帯広競馬場・函館競馬場から撤退)。2008年には旭川競馬場から撤退。毎年8月から10月には札幌競馬場での開催が恒例となっていた(中央競馬の開催終了後に開催。年によっては違う時期の開催もあり)ものの、こちらも2009年をもって撤退。2010年からはオール門別開催となり、場外発売やインターネット販売、南関東を中心とした他場発売をメインにした形となる。地方競馬の新しい運営の形として注目を集める。
以前は北海道地区の中央競馬場外発売は不便なものであり(締め切りがレース開始から大幅に時間が空いていた)、北海道で中央競馬が開催されない時期についてはホッカイドウ競馬は土日開催を行っていた。しかし中央競馬の場外発売所の整備に伴い、1986年開催を以て土日開催から撤退。平日と祝日中心の日程へシフトする事になる。末期まで土日開催を続けていた県営新潟競馬とは対照的である。現在の開催日程は原則4月末~11月末の火曜~木曜(たまに水曜、木曜のみ)となる。
2歳戦の充実
ホッカイドウ競馬には2歳馬、すなわちデビューできる年齢の馬が多い。レース全体に占める2歳戦の比率が高く(半分も占めていると言われたりするくらいに多い)、ホッカイドウ競馬としても競走体系の充実を図っている。事情としては、
- 4月の開幕日から日本一早い新馬戦が行われ、他地区や中央よりも早々にレース経験が積める。冬期休催期間を活用し、1月より2歳馬の馴致・トレーニングも行える。
- 馬産地競馬ということで、売れ残った素質馬を生産牧場が法人馬主として走らせるなど、「現時点では上のレベルの競馬場に直接所属させるには難しくても、ここで結果を出せば上へ行ける可能性がある」というような馬が多く所属している。実際、2歳馬のうち半数程度は3歳を迎える前にホッカイドウ競馬から他地区に移籍している。
というものがある。またそれゆえ、「ホッカイドウ競馬の2歳戦のレベルは高い」と言われることも多い。
経営が苦しい中でも2歳限定重賞は削られず、逆に増加している。2014年現在、2歳限定重賞は年間11レース(うち牝馬限定5レース)が組まれており、しかも大半は2000年以降に新設されたものなのである。3歳限定重賞が大幅に減らされ、2014年現在で年間3レースしかないのと対照的である。
また、JRA認定競走(勝利することでJRAの特定の競走への出走権を得られる)の体系が2012年に変更された際も、他の地区は新馬戦・未勝利戦でのJRA認定競走の設定が廃止されたのに対し、ホッカイドウ競馬のみは残存している。
夏季の中央競馬の札幌競馬場・函館競馬場開催時には、地方競馬からの出走枠が設定される競走もあることから、上のレベルを目指す馬は遠征することも多い。ホッカイドウ競馬で活躍した馬が南関東などに移籍し、一気に才能が開花するケースも多く、東京ダービー優勝馬も数多く輩出している。
主なレース
「Jpn●」は国内格付け(中央競馬や他の地方競馬所属馬も出走可能)、「H●」はホッカイドウ競馬内の格付け。
道営記念[H1]
ホッカイドウ競馬のグランプリレース。ファン投票で出走馬が決められる。ホッカイドウ競馬所属馬にしか出走資格がなく、他地区所属馬の参戦はできない近年では珍しい地元馬限定の重賞。
交流重賞を除く地方馬限定重賞のなかでは最高額の賞金が用意されており、2019年現在は1着1500万円。90年代には1着賞金が2500万円、97年と98年には3000万円にまで増額した時代もあったがホッカイドウ競馬の赤字がかさんでいくうちに急速に賞金は減額され、僅か4年後には1000万円にまで減ってしまった。全国各地の地方競馬場が立て続けに廃止されて地方競馬のレース賞金そのものが急速に減っていった時代なので当然ではあるが、当時のホッカイドウ競馬の経営が相当に怪しくなっていたことが分かる。
しかしホッカイドウ競馬の存廃が検討されるようになった2010年前後でも1着1000万円は崩さなかった。他の重賞が1着150万円~200万円にまで減額されていたなかで賞金を維持したあたりは1000万円の大台だけは死守する意地があったのかもしれない。近年はホッカイドウ競馬は大幅に売上増と黒字続いて経営が改善したこともあり、2018年に20年ぶりに道営記念の賞金が増額され1着1500万円になった。
1年の締めくくりとして、最終開催日の最終レースに開催されるのが定番となっている。
ブリーダーズゴールドカップ[JpnIII]
1989年に、当時としては珍しい中央との交流重賞として創設。当初は札幌競馬場の2400メートルであったが、1994年に旭川ナイトレースの開始に伴い、旭川競馬場の2300メートルへ。2009年からは門別競馬場の2000メートルの開催となる。
中央地方交流競走が始まり交流グレードが付けられると、ブリーダーズゴールドカップは交流GⅡに格付けられ1着賞金5000万円と交流GⅡとしても最高水準の賞金を誇るビッグレースであったが、このレースもまたホッカイドウ競馬の経営悪化で賞金減額の格好のターゲットになり2002年で1着4000万円に減額、そこから3500万円、3200万円と減額が続き、下記の理由で2014年にはついに交流GⅡのグレードも返上して交流GⅢに格下げ、牝馬限定戦への変更、1着2500万円に大幅減額と、ダートグレードレースのなかで類を見ない大変革が行われた。既に地方交流競走が一般化して時代が変わっており、当初の目的であった中央と地方の交流という役目は終わっていたので仕方ないのかもしれない。
実は同競走は今では当たり前となった地方競馬同士の他場発売の先駆けともいえるレースであり、1996年のブリーダーズゴールドカップが史上初であった。北海道内でしか買えない道営競馬の馬券が買えるとあり、裏開催を行っていた川崎競馬場にはファンが殺到した。
中央と地方の格差が大きく開いた現在では地元馬の回避が多くなり、2012年には地元馬の出走がゼロ、出走馬もわずか7頭(しかもうち1頭出走取消)という事態が発生した。このままではまずいということで、出走馬を確保するため、2014年より出走条件が中央・地方間の格差が少ない牝馬限定競走に変更されることが決まった。
現在はホッカイドウ競馬の売上が好転したため、このレースも2019年に1着3100万円に増額された。
北海道スプリントカップ[JpnIII]
短距離重賞「金杯」をリニューアルし、1997年より交流重賞とした。当初は札幌競馬場のダート1000メートルであり、日本最短距離重賞レースであった(アイビスサマーダッシュの創設前)。2000年には12歳馬(当時の表記では13歳)のオースミダイナーが優勝。12歳交流重賞勝ちの記録は現在も破られていない。
門別単独開催になると2009年を最後にダート1200mに距離が延長。スタート地点が2コーナーポケットに移されたために16頭のフルゲートが可能になり、3コーナーまで400m以上の距離が取れるようになった。
1着賞金は創設当初は1着3000万円だったが、このレースも存廃問題が本格化すると2500万円、2200万円と減額され、賞金面ではかなりしょっぱい交流重賞になってしまった。しかもホッカイドウ競馬の経営が改善されて賞金額が軒並み増額されてきた近年も、なぜか同レースだけは2023年まで賞金が据え置きのままだった。
2024年から3歳馬限定となり、1着賞金も2400万円に増額された。
ウポポイオータムスプリント[H2]
2020年新設の、秋に実施される短距離(1200m)重賞。
2020年のホッカイドウ競馬の開催概要を見たとき、「なにこのレース名…」って思った人は多かったのではないだろうか。名称についてはウポポイの記事を参照。何が何でもウポポイをPRするという北海道の気合いなのかもしれない。
道営スプリント[H1]
2006年創設の1200mの短距離重賞(2006年 - 2008年は旭川競馬場での開催であったため、1000mで施行)。
2019年まではH2格付けで施行時期は10月上旬だったが、2020年にH1に格上げして施行日もシーズン最終日(2020年は11月5日)、賞金も500万円から1000万円に引き上げられた。このため、上述の道営記念の短距離版という位置づけが与えられたものと考えられる。
もともと道営記念の日は短距離のオープン特別も施行されることが通例だったが、ここに重賞戦線にいるような道営の有力馬が集っていたので、代わって重賞がここに入ることで面白くなることが期待できそうである。
一方でこの時期変更によりJBCスプリント指定競走(出走馬選定において成績が重視される)から外れることになったほか、地方競馬全国交流競走からも外された。そこで、もともと道営スプリントがあった時期にJBCスプリント指定競走として新設されるのが、前述のウポポイオータムスプリントである。
栄冠賞[H2]
毎年7月上旬に開催。日本一早い2歳重賞レースである。当初は秋口に行われていたが、1999年より7月開催となる。
中央競馬の2歳重賞レース初戦「函館2歳ステークス」(函館競馬場)の2週間半前に施行され、1着馬は函館2歳ステークスへの出走権を得られるのだが、砂の深い門別競馬場ダート1200mからの函館競馬場芝1200mは条件的にかなり無理があり、栄冠賞の直行から函館2歳ステークスの好走はかなり厳しい。
しかも2012年以降はJRAが夏の北海道シリーズを大幅に縮小したため2歳オープンのラベンダー賞が廃止され、栄冠賞から芝を試すステップが無くなりぶっつけ本番を強いられるようになったため、道営所属馬にとっては余計に厳しい状況になってしまった。
エーデルワイス賞[JpnIII]
2001年創設。10月半ばに行われる2歳ダートグレード重賞で1着賞金は2000万円。2歳のダートグレードレース唯一の牝馬限定戦で1200メートルで行われる。
ダートグレードレースでは珍しく地方馬が強く、オマケに中央馬が勝つと、その中央馬は死亡フラグが発動したかのように急に走らなくなる傾向があり、交流重賞になって以来、2019年現在で24回行われたうちに中央馬の勝ち馬で後に交流重賞を勝てたのはフェスティバルとグレイスティアラ、あとはリエノテソーロくらいしかいない。しかもフェスティバルは次走の北海道2歳優駿を勝った以降は全く勝てずに大敗を繰り返していいところなく引退、リエノテソーロも1年8ヶ月の長い大スランプのトンネルを抜けてスパーキングレディーカップ勝利であり、3歳以降も無事だったのはグレイスティアラしかおらず、そのグレイスティアラも3歳で故障して現役引退に追い込まれている不遇ぶりである。
もともと2歳の時点で牝馬がダートに活路を見出す中央馬自体が少ないので中央馬の層が薄くなりがちで、毎年のように芝で負け続けてダートでやっと勝ち上がったかのような1勝馬が平気で出走してくるため、ハイレベルなレースになった年は少なく、地方馬が勝っても3歳以降は多額の賞金獲得によるクラスの急上昇で相手強化に苦しむ馬が多い。
北海道2歳優駿/JBC2歳優駿[JpnIII]
当初は北海道勢のみのローカル重賞であったが、交流重賞に格上げ。1着に入ると全日本2歳優駿に優先出走でき、また開催時期の面でも全日本2歳優駿の前哨戦として重要な一戦である。このレースとエーデルワイス賞はホッカイドウ競馬の2歳戦としては最高額の賞金2000万円であったが、2018年に北海道2歳優駿の賞金が2500万円に増額された。
このレースもエーデルワイス賞ほどではないが地方馬が強く、中央馬が勝った場合は3歳以降は呪いでもかかったかのように大スランプに陥る傾向が強い。その理由としてはエーデルワイス賞と同じく中央馬の層が薄くなりがちな点にあり、このレースもダートでやっとひとつ勝ち上がったような馬がよく混じっている。層が薄くなる理由としては美浦と栗東の中央のトレーニングセンターから1000km以上の長距離輸送の負担からもともと敬遠されがちなうえに、すぐ後に栗東に近い園田競馬場で兵庫ジュニアグランプリがあるので関西馬はそっちに行ってしまう点にあるのではないだろうか。
しかし層が薄くても中央馬が弱いというわけではなく、本当に強いはずの馬も多いにもかかわらず、勝った中央馬は何故か3歳以降は大スランプに陥るのだから不思議である。直線だけで8馬身ぶっちぎる圧勝から次走の全日本2歳優駿も出遅れで圧勝とスケールの違いを見せつけたオーブルチェフや、前代未聞の大差勝ちを決めてUAEダービーでも2着に健闘したエピカリスですら、この呪いからは逃れられなかった。
もうひとつの記録として全くの未勝利馬が出走してきて、しかもその未勝利馬が勝利して初勝利が交流重賞勝ちという珍記録が発生したレースでもあり、キングオブサンデーが達成。そんな未勝利馬が勝ったのなら3歳以降は苦しむだろうと思うのが普通だが、キングオブサンデーは3歳時こそはスランプに陥ったが5歳に突如として復活してJRAで3勝を挙げて古馬オープン入りを果たしている。
2018年には、接戦だった1着馬・2着馬について、写真判定をしたにもかかわらず着順を間違えて発表してしまうというミスが発生。後日、実際の着順で馬券を購入していて購入を確認できた人(電話・インターネットでの購入や紙の馬券を持っていた人のほか、紙の馬券を買っていて捨てていたが購入状況が確認できた人も含む)については、それらについても的中額の払い戻しを行うという対応となった。
2020年からJBC競走の一つとして施行されることとなり、「北海道2歳優駿」から「JBC2歳優駿」へ改称、施行日も合わせられる(ただし、他のJBC競走が別の競馬場で施行であっても、JBC2歳優駿は門別のまま)。格付けはJpnIIIのままだが、1着賞金は2500万円から3000万円、さらに2022年から3500万円に引き上げられた。
騎手
他の地方競馬と異なり、ホッカイドウ競馬の場合は「迷えばこの人を買えばいい」といえるほどの鉄板騎手がいない。群雄割拠である。
ホッカイドウ競馬は以前より騎手交流が盛んであり、様々な地域の騎手が乗る事が多かった。2000年代初頭の地方競馬廃止ラッシュにより、行き先を無くした騎手が次々に移籍。その中には中津で有馬澄男を打ち負かした服部茂史。上山のリーディング小国博之(現調教師)という蒼々たる面子がいる。そこに地元北海道のトップ五十嵐冬樹(2022年引退、現調教師)、大ベテランの井上俊彦、坂下秀樹、宮崎光行。若手の筆頭格、桑村真明。期待の若手阿部龍、石川倭、落合玄太。そして名古屋から移籍した阪野学など、積極的に他地区の短期免許騎乗も推進している。
北関東から移籍し活躍した山口竜一は現在調教師。名古屋から移籍した吉田稔は現在牧場のオーナーとして活動している。
このような状況のため勝ち星が分散し、ぶっちぎりのリーディングという状態が起こりにくい。2020年のリーディングは135勝の石川倭、次いで128勝の桑村真明と僅差だった。2020年現在、所属騎手18名(短期免許騎手除く)と少なく、出走頭数が多い日は全員がほぼフル回転という状態になる事も多く、リーディング上位といっても油断ならない。
さらに身長135センチ、日本最小騎手である黒澤愛斗も所属しており、騎手のバラエティは非常に豊富である。
門別競馬場
2010年以降、ホッカイドウ競馬が開催されている唯一の競馬場である。1982年開設のトレーニングセンターを改造し、1997年オープン。2022年に名古屋競馬場が移転オープンするまでは、日本で一番新しい競馬場であった。
もともと交通アクセスが悪い(後述)うえ、開設当初は「入場口からスタンドまで300m近く歩く」「冬場の開催が多く死ぬほど寒い」「スタンドが狭すぎる」「売店が少なく飲食物が殆どない」「帰る手段がない」と散々な評価を下された競馬場であった。
しかし2009年にナイター化に伴い大幅リニューアル。在来スタンドの他に新スタンド「ポラリスドーム」が完成。パドックがコースの前からポラリスドーム裏へ移設。飲食店が新規にオープンし、パドック脇の「とねっこ広場」ではジンギスカンが楽しめ、日高の特産物の物産販売コーナーも完備。スタンド脇に新駐車場が整備。入場門からは電気自動車でスタンドまでピストン送迎。個室有料観覧席の設置と一気に施設が充実。来場プレゼントも豊富であり、ファンサービスは非常に充実している。
スタンドこそ小さいが、非常にコンパクトに纏まっており、ポラリスドームに陣取ればレースを見た後、徒歩30秒でパドックに到着し次のレースの馬を見られる。毎レース、パドックを見るファンにとっては非常に親切な設計となった。それまでパドックだった旧スタンド前のエリアは開放され、レース後に引き上げる馬を間近で見ることができる。
競走馬の生産が多い地域という事もあり、客層は馬産関係者が非常に多い。「ウチの馬が次のレースに出る」。「冬樹に乗り換えたから今回は本気だ」。「(穴馬が勝った時に)口取りオラしかいねぇぞ」。「ウチの馬は牝馬が前にいねぇとまともに走らねぇど」などといった馬産関係者特有のディープな会話を聞くこともできる。日本の公営競技場で一番ギスギスとしたギャンブル臭がせず、のほほんとした雰囲気が漂っている。有名な牧場主や馬主が一般客に混ざって普通に観戦している事もある。
コースは1周1600メートル(内回り1386メートル)、ゴール前直線330メートル(内回り218メートル)、フルゲート16頭。周長とフルゲートの頭数は、地方競馬の競馬場としては大井競馬場と双璧をなす最大規模であり、札幌競馬場や函館競馬場にもひけを取らない。
2020年現在、施行距離は1000・1100・1200・1500・1600・1700・1800・2000・2600メートルである。能力検査の際は800メートルの設定もあり。
1500メートルと1600メートルは2015年に新設されたもので、同年より内回りコースを設置したことで施行可能になった。これにより、1200メートルの次が1700メートルになるという施行距離のアンバランスが緩和された。
2020年に1100メートルが新設。2歳戦限定で使用される。
2600メートルの設定は2015年からしばらく休止されていたものの、2021年に7年ぶりに復活した。
砂厚は11センチ~12センチと全国の競馬場でもトップクラスの厚さ。海砂であり、保湿性が高く、非常に重たく力のいるダートである。良馬場ではかなりの力が必要だが、重馬場になると一気に足抜きがよくなり、超高速馬場となって逃げ馬天国となるのも特徴である。他の地方競馬場に漏れず、内側の砂は深くに調整されているので内枠の人気馬には要注意。しかし馬場の整備によっては内が異常に延びることもある。
場内グルメは2014年に大幅リニューアル。地元日高町にあるそばの名店「いずみ食堂」が登場。独特な極太麺の田舎そばが競馬場でも楽しめるようになった。ベースのかけそばは500円、これにトッピングを加える。とねっこ広場ではジンギスカンも楽しめる。味付けジンギスカンで日高産の野菜がたっぷりついて2人前から注文可能。バケツに固形燃料を入れてその上にジンギスカン鍋を置く独特のシステムである。売店や自販機では日高限定の乳酸菌飲料「ヨーグルッペ」もあり、コアな人気を博している。サッポロビールがホッカイドウ競馬のスポンサーとなっているため、場内の生ビールはサッポロビール(黒ラベル・クラシック)となっている。1杯400円。ドライバーの皆様はご遠慮下さい。
アクセス
車の場合は日高自動車道、日高富川インターが最寄り。競馬場入口が国道235号に面している。途中富川市街地にコンビニやスーパーマーケットがあるため買い出しも容易。スタンド横のJBC駐車場と4コーナーよりの一般駐車場がある。ともに駐車料無料。
公共交通機関の場合、お世辞にもアクセスがよいとはいえない。
最寄り駅はJR日高本線の鵡川駅(かつては隣の富川駅がより近かったものの廃線)。しかし10km程度離れており、タクシーでも15分くらいはかかる。競馬場前には路線バス(道南バス)も通っているものの、レースを最後まで見ているとバスがなくなるのが難点(2021年現在、札幌行き最終が18:34、鵡川行き最終が19:49(鵡川駅で日高線苫小牧行きに接続)、静内行き最終が平日20:31・土休日18:06、浦河・様似方面行き最終接続(接続先はJR北海道バス)が18:06)。
そういうこともあって、無料連絡バスが札幌駅北口発着(予約制)と門別中心街発着(ただし最終レースまでは見られない)で設定されている。祝日やお盆開催時には南千歳駅からも無料バスが発着。競馬場18時30分発(最終レースは見られない)の特別便も増発される。札幌駅からの所要時間は約90分。なお2020年より、コロナ禍のため運休する時期もあるため事前に要確認。
誘導馬テン太
門別競馬場所属ニート誘導馬。アパルーサ種のセン馬で白毛のブチ模様。アパルーサはサラブレッドとは違い中間種に属し、元来は馬車馬として活躍してきた種類であり、サラブレッドに比べて体質が頑丈で気性もサラブレッドのような神経質なところがなく温和であり、粗食に耐えるタフな種類と言える。
テン太の仕事は門別競馬場の誘導馬であり、パドック周回を終えた出走馬を本馬場に誘導するのが仕事。・・なのだが、テン太の歩くスピードはハッキリ言って人が歩くスピードをはるかに下回り、そんなスピードで先頭を歩くせいでパドックから本馬場への馬道では渋滞が発生し、あまりの鈍足に出走馬がブチキレて暴れることも少なくなかった。そのため現在のテン太は出走馬のパドック周回が終わる前に出動し、出走馬に騎手が乗って本馬場に向かう前に一足先に馬場に入場している。つまり全く誘導していないのである。
それだけならまあ温和でのんびりした性格のアパルーサ種なので神経質でスピードが違うサラブレッドとは違うから仕方ないと言えば仕方ない、が、本馬場入場を終えてパドック手前の自分の馬房に帰るときのスピードは人が歩くスピードを遥かに上回っており、明らかに本馬場入場するときよりも速く歩いている。要は品種の問題ではなくテン太のやる気の問題なのである。しかもこの傾向はレースが後半になればなるほど極端になっていき、最終レースのころには小走りでトコトコ走りながら馬房に帰っている有様である。
こんなニートぶりでは誘導馬が務まっているとは言い難いのだが、それでもパドックのお客さんから顔を撫ででもらったり写真を撮ったりと、それなりに愛されているようだ。
そんなテン太も2021年をもって誘導馬を引退。生まれ故郷の旭川へと帰っていった。
看板馬マキ
門別競馬場専属のフードファイター看板馬。ミニチュアポニーのメスで門別競馬場の入場口付近でお客さんに愛嬌を振りまいている。可愛い顔と人懐こい性格で愛されており、撫でてもらうと顔を摺り寄せてくる。
しかしそんな愛嬌の裏側に彼女は超が付くほどの大食漢であり、お客さんが食べ物をくれることを計算して甘えているのである。一応ポニーも馬の一種であり草食のはずなのだが、マキはお客さんから出されたものなら何でも食べてしまう悪食で、お菓子やパンはもちろんソーセージもモリモリ食べ、肉でも魚でも平気で食べる。ときにはお客さんが食べ残したジンギスカンを貰って食べたり、酔っぱらったお客さんからビールまでもらって飲んでいたこともあったらしい。
そんな暴飲暴食がついに祟ってお腹を壊したことがあり、それ以降はダイエットに励んでいるが、相変わらずお客さんがくれる食べ物には弱く、もらったものはその場でモリモリ食べてしまうのですぐリバウンドしてしまいダイエットが成功したという話は全く聞かない(笑)。現在は首から尻までパツンパツンのナイスバディになっており、その丸々太った愛くるしい姿に萌えたお客さんから食べ物を貰ってモリモリ食べる悪循環は未だ解消していない。
場外発売所
収益源として有効ということもあり、2000年代に入ってから場外発売所を次々と設置しており、地方競馬主催者別の場外発売所設置数は最多である(2016年1月現在、門別競馬場自体を除いて15か所。ちなみに大井競馬が14か所、岩手競馬が12か所)。北海道内のみの設置であるにもかかわらずである。
2010年には釧路町に新規に場外発売所を開設したが、これはJRAが釧路町に、ばんえい競馬が釧路市にすでに場外発売所を設置していたにもかかわらずの開設であった(2008年まではJRAの場外を借りていたが撤退)。
北海道の主要都市をだいたいカバーしており(ホッカイドウ競馬公式サイトの情報)、原則平日開催ということでなかなか門別競馬場に出向けないファンがホッカイドウ競馬を楽しむための拠点であるとともに、他主催者の競馬を楽しむ拠点にもなっている。2013年からはJ-PLACEとしてJRAの発売も行われている。Aiba登別室蘭とAiba静内のJRA発売に伴い、ウインズ室蘭とウインズ静内は閉鎖された。
なお上記サイトに記載はないが、帯広市・北見市・網走市・名寄市では、ばんえい競馬の帯広競馬場や場外発売所でホッカイドウ競馬が楽しめる(逆に、ホッカイドウ競馬もばんえい競馬の場外発売を実施する)。
関連動画
(左)ホッカイドウ競馬の頂上決戦「道営記念」。この年は、3歳三冠のうち二つに出走しどちらにも惜しくも手が届かなかったレオニダスが、この大一番で勝利。
(右)門別競馬場は海に近い土地柄、霧が発生しやすい。あまりに霧がひどいと競走は中止されるが、こんな霧の中で競走が行われたことも…。
(左)かつての旭川競馬場での開催。ばんえい競馬が2006年に、ホッカイドウ競馬が2008年に撤退し競馬場廃止となった…。
(右)「12歳でダートグレード競走勝利」「13歳で地方競馬限定重賞勝利」という最高齢記録を樹立したオースミダイナー。これは後者の競走。
(左)ホッカイドウ競馬所属のまま日本で・世界で挑戦を続けたコスモバルク。詳細は当該記事を参照。2006年にはシンガポールでGI勝利も成し遂げた。
(右)ホッカイドウ競馬の3歳三冠を含む重賞8勝を挙げたクラキンコ。しかしその生まれまでのいきさつは数奇なものであった。
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