ブレンドン・ハートレー(Brendon Hartleyとは、ニュージーランド出身のレーシングドライバーである。
概要
主に耐久レースで活躍したドライバーで、特にWEC(FIA世界耐久選手権)では2015年、2017年にチャンピオンとなっている。また2017年には念願のルマン24時間レースでチャンピオンとなっている。
2018年にはF1へと移籍した。特に際立った活躍は無かったものの開発能力とタイヤマネジメントには定評があった。しかしアブダビGP終了後に契約解除を言い渡され、再び活躍の場をWECへと移した。
上記の通り開発能力に定評があり、ホンダが苦戦していた回生エネルギーの分野の発展に貢献した。ホンダがレッドブルとタッグを組み、ルノーパワーユニットを越えたと言わしめるまでに至ったのはハートレーの開発能力があったからであるといえよう。
幼少期~メルセデス時代の経歴
幼少期よりカートをはじめ、2004年には13歳でニュージーランドのフォーミュラ・フォードで優勝を果たす。2005年から2010年まではレッドブル・ジュニアチームに加入するが、オーストラリア出身のダニエル・リチャルドの後塵を拝してしまったためレッドブル・ジュニアチームを解雇される。
レッドブル・ジュニアチームを去った2012年はメルセデスのテストドライバーを勤めるがF1に昇格できず、GP2、WECに数戦参加した。
耐久参戦~ル・マンウィナー
2013年以降はスポーツカーに舞台を移す。アメリカのロレックス・スポーツカー・シリーズでは第9戦ロード・アメリカで優勝し実力を示していく。またLMP2クラスからル・マン24時間レースにも参戦し、徐々に活躍の場をスプリントレースから耐久レースへと移していった。
2014年は世界耐久選手権に復帰したポルシェのワークスドライバーに就任する。2015年にはマーク・ウェバー、ティモ・ベルンハルトとともにル・マンで総合2位、ニュルブルクリンク6時間で優勝しその勢いのままドライバーズチャンピオンを獲得した。
2016年はニュルブルクリンク6時間、メキシコ6時間、COTA6時間、上海6時間と4戦で優勝したもののスパ6時間で16位、ル・マンで10位と成績が安定せず、シーズンを4位で終える。
2017年はウェバーに代わりアール・バンバ―をメンバーに迎える。強さを増したトヨタとタイトル争いを繰り広げる。ル・マンではポルシェ、トヨタ両陣営ともトラブル、リタイアを抱え続々とリタイアしていく中着実に周回を重ね、ついにル・マンウィナーの称号を手に入れた。ル・マン24時間レースは世界3大レース(他は世界最古の市街地レースであるモナコGP、世界一偉大なレースと言われるインディ500)の一つであり、世界最高峰の耐久レースである。つまりハートレーはル・マンウィナーとなったことで、世界最高の耐久レーサーという肩書を手に入れた。ハートレーはその後も着実に勝利を重ねていき、2度目のドライバーズタイトルを獲得した。そしてその功績が評価され、レッドブルへの復帰と2018年のトロ・ロッソでのF1参戦が発表された。
苦難のF1
2018年からホンダにパワーユニットを乗り換えたトロ・ロッソでデビューをするものの、序盤は暫くフォーミュラカーから離れていたからか中々上位どころか中段にすら食い込めず、また不運なクラッシュなども絡みポイントを獲得できないレースが続いた。一方チームメイトのガスリーは着々とポイントを重ねていったため、早くもハートレー降格が囁かれていた。
しかしハートレーはシーズン中盤から徐々に調子を上げていき、ドイツGPではガスリーよりも上位の10位入賞でフィニッシュする。これ以降ガスリーとほぼ互角の戦いを繰り広げ、アメリカGPでは9位入賞を果たすなど結果を残すが、アブダビGP終了後に契約解除を言い渡された。
再び耐久へ、そしてFormula E
2019年シーズンからフェラーリのシミュレータードライバーに就任した。またポルシェのワークスドライバーに復帰。2020年からポルシェが計画しているフォーミュラE参戦の準備に参加していると考えられている。またWECにセブリンク1000マイルからSMPレーシングから復帰したことを発表し、さらに同じ週末に行われるIMSAのセブリンク12時間にアクション・エクスプレス・レーシングから参戦することを発表。耐久レースのダブルヘッダー、しかも両方で3位入賞と言う離れ業を発揮した。さすが耐久王、まさに鉄人である。さすがの本人も疲労困憊であると話していたが、そりゃそうである。
2019年5月1日、TOYOTA GAZOO RACINGよりフェルナンド・アロンソの後任としてFIA世界耐久選手権に参戦することが決定した。搭乗する車は8号車で、セバスチャン・ブエミ、中嶋一貴がチームメイトとなる。また2019-20シーズンのFormula Eからもジェオックス・ドラゴンから参戦となった。
さらには12月2日、ブレンドン・ハートレーはWEC王者&ル・マンウィナーという事が評価され、FIAホール・オブ・フェイム(MLBやプロ野球でいう所の殿堂入り)を受賞した。
エピソード
- 地元ニュージーランドでは母国の英雄であり、「ブレンドン・ハートレー街道」が誕生している
- かつてはロン毛だったが、現在はすっきりとした髪型へとチェンジしている
- ダニエル・リチャルドとは親友。紆余曲折を経てF1デビューを果たしたハートレーをリチャルドは大歓迎した。リチャルドは隣国オーストラリア出身で同い年、2010年のワールドシリーズ・バイ・ルノーではチームメイトであった。
- ホンダと手を組むようになってから日本食にハマっており、寿司と天ぷら蕎麦が大好き。頻繁に蕎麦を食べている場面を激写されている
- カシオの時計を愛好している。
- 性格が良く、それでいて強い精神力の持ち主だと評価されている。誰からも愛される人柄であり、ホンダの山本雅史モータースポーツ部長(当時)からは「ホンダと日本にリスペクトを持って接してくれた」と評価している。
- ホンダサンクスデーにも映像で出演し、ホンダと日本のファンに感謝の言葉を述べた。
- ハートレー曰く、モナコGPのあたりから自分をF1シートから外そうという動きがあったらしく、日々そういったプレッシャーの中で戦うのは精神的にもきつかったと述べている。アブダビGP終了後にf1シート喪失を告げられ、チームメイト、友人にそのことを告げるのは非常に辛かったと告白した。ハートレーはメディアに対し自分を除こうとした人物を証言するのではなく、寧ろトロ・ロッソに対する感謝を述べた。
- シート喪失を伝えたトロ・ロッソとホンダの公式Twitterには多くのその事実を惜しむリプライが流れた。ブレンドン・ハートレーがどれだけ愛されていたかが良く分かる出来事だと言えよう。
- 耐久出身だからか燃費走行、タイヤマネジメントには驚異的な才能を発揮する。2018年ブラジルGPではガスリーが燃費で苦労する中、ハートレーは難なく完走を果たしている。
- 開発能力にも定評があり、WECのポルシェLMP1のエンジンに搭載されているエネルギー回生システムの活用方法はホンダのPU開発に有意義な情報であったという。
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関連項目
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