概要
史実での経歴
西暦1894年に生まれる。イギリスやベルギーの王家を産んだザクセン=コーブルク=ゴータ家から迎えられてブルガリア国王になったフェルディナント1世を父に持つ。母はパルマ公女マリア・ルイーザ。
ブルガリアは第一次世界大戦にドイツ側の同盟国で参戦したため、敗戦後フェルディナント1世は実家のドイツに亡命し、1918年わずか24歳でボリス3世はブルガリア王に即位する。第二次バルカン戦争、第一次世界大戦で国土を減らされ混乱の渦中にあったブルガリアを立てなおそうと、農民同盟と共産党の勢力下にあった政権を1923年のクーデターで打倒。反対勢力を粛清し国王独裁化を目指したが、この時代の東欧各国のお決まりで国勢は安定せず、1925年に暗殺未遂に遭ったり、1934年にファシスト政権に一時実権を奪われたりしている。
第二次世界大戦が勃発すると、ブルガリアは第一次大戦の轍を踏まえまいと中立を護ろうとするが、結局過去の失地を取り戻そうとドイツ側の枢軸国で参戦、ユーゴスラビアとギリシャが降伏するとその領土の一部を統治する。
枢軸国側の劣勢が見え始めてきた1943年、ボリス3世はドイツのアドルフ・ヒトラー総統を訪問、帰国直後に急死する。公式見解は心臓発作だったが、ヒトラーによる毒殺だったのではとの説もある。理由は英仏ソ等の連合国側への攻撃や領内のユダヤ人引渡しへの消極的な姿勢等があげられるが不明。
ブルガリア国王にはボリス3世の6歳の遺児シメオン2世が就き、ボリス3世の弟キリル達の摂政団が政権を握る。翌年ブルガリアはソ連の攻撃を受けて降伏し連合国側に寝返り、1946年に王制廃止、共産主義体制に組み込まれていくことになる。
家族
- フェルディナント1世 - 父。ザクセン=コーブルク=ゴータ朝(サクスコブルクゴツキ朝)初代国王。ギリシャのゲオルギオス2世兄貴は史実ではノンケだったが、この人は本物のゲイだった。息子より長生きし1948年に87歳で没。
- マリア・ルイーザ - 母。パルマ公ロベルト1世の長女。ボリス3世が5歳の時死去。
- キリル - 弟。甥シメオン2世の摂政団の首班だったがソ連に攻撃されクーデターが起きて政権は崩壊、1945年人民裁判で処刑される。
- イオアンナ・サヴォイスカ - 王妃。イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の娘。結婚式にはドゥーチェのムッソリーニも参列した。
- マリヤ・ルイザ - 長女。ドイツの侯爵家出身のカール・ライニンゲンと結婚。
- シメオン2世 - 長男。シメオン・サクスコブルクゴツキとも。父の急死後6歳でブルガリア国王に即位、3年後の1946年に王制廃止で亡命。1996年に民主主義国家となっていたブルガリアに帰国、2001年から2005年まで同国首相を務めた。
逸話
- 領内を走るオリエント急行に興味を抱いており、列車好きが嵩じてついには運転台に乗り込むまでに至ったガチの鉄オタである。
- ドイツからは領内のユダヤ人をポーランドに移送するよう要請があったがこれを拒んだ。最終的に、領内のユダヤ人のうち5万人の命を救うことができた。
ボリスフラッシュ
ハーツオブアイアンでは、日本人に見つかった結果ネタにされてしまった犠牲者の一人。
というのも後退した頭髪のせいで、大ブルガリアの神秘と脅威「ボリスフラッシュ」の使い手にされてしまい、登場する度にこの必殺技を放たせられる羽目に…
うおっまぶしっ!
なお、Wikipediaの彼のページにはまだ髪がフサフサとしていた頃の写真が掲載されている。
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関連項目
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