天正大地震とは、1586年(天正13年)11月29日に発生した地震である。
概要
推定規模はM7.9~M8.4の内陸地殻内地震と見られており、推定最大震度は広い範囲で7、北陸、東海、近畿に大きな被害を与え、地割れ、津波、家屋などの崩壊や、山崩れ、液状化現象が多数発生し、死者多数とされている。日本の歴史上最大の直下型地震とも言われている。
とりわけ美濃と飛騨では大きな被害が出ており、飛騨国の帰雲城は帰雲山の山体崩壊によって埋没、城主の内ヶ島氏理とその一族、城下町は全て滅びたとされる。その埋没した地下には埋蔵金があるとかないとか伝説がある。白川郷では山崩れで民家が数百件埋まったとされる。
その他各地でも山崩れが発生し、越中では山崩れで庄川が20日せき止められ、砺波の木船城では山崩れで城が崩壊陥没し城主前田秀継が死亡など。飛騨の三方崩山なども山崩れを起こしたとされている。現在、岐阜県上矢作町(現:恵那市南東部)という山奥に”海”という謎の地名があるが、この地名の由来は、この地震で山崩れによる大きな堰止湖が発生したことが由来とも言われている。実際に上矢作町の上村川には湖底堆積物の層が見つかっている。
近江の長浜城、美濃の大垣城、三河の岡崎城、伊勢の長島城などでは地震によって大破、崩壊・焼失したとされる。長浜城では城主・山内一豊の一人娘・与祢姫とその乳母、留守を守っていた家老の乾和信らが死亡している。京都では、三十三間堂では全ての仏像が倒れ、八坂神社では一部破損、壬生地蔵堂が倒壊などし、大和では、多門院築垣が倒壊した。
越中、越前、若狭、近江、伊勢、美濃、尾張、三河などでは液状化現象が発生したと見られ、近江国の長浜の集落では、地震による地盤沈下もあいまって琵琶湖に沈んだとされる。実際に長浜港の南沖600mの地下2m付近では中世の集落跡(下坂浜千軒遺跡)が発見されてる。
この地震は直下型でありながらも大きな津波が発生してる。伊勢湾では例の如く地盤沈下もあいまって津波により伊勢や志摩の沿岸で多数溺死者を出したとされている。日本海側の若狭湾でも津波が発生し、こちらでも家屋流失や溺死者を出しているという記録がある。
震源域は詳しくは分からないが、庄川断層帯、阿寺断層帯が活動したと見られ、養老-桑名-四日市断層帯も同時期に活動したと見られる。柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯も活動したという説もある。
これら断層を全てあわせると、震源域は現在で言うと、富山県、石川県、福井県、若狭湾、滋賀県、岐阜県、長野県、愛知県、三重県、伊勢湾に及ぶ。
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関連項目
- 地震
- 津波
- 功名が辻
- 液状化現象
- 日本で起きた災害の一覧
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