安藤勝己とは、地方競馬(笠松競馬)・中央競馬などで活躍した元騎手である。現在は競馬ツイッタラー競馬評論家を務めている。愛称は『アンカツ』
兄は同じく笠松から中央の騎手となった安藤光彰。甥に大井競馬所属の安藤洋一(光彰の子)
概要
1960年に愛知県で生まれる。父親の知り合いに笠松競馬の調教師がいて厩舎に出入りするようになり、1976年に笠松競馬でデビュー。3年目には116勝を挙げ笠松で初のリーディングジョッキーとなる。以降18年連続でその座を守り、『カラスの鳴かない日があっても、アンカツの勝たない日はない』とまで評される笠松のトップジョッキーとなる。
1980年には騎手交流競走で初めて中央のレースに参戦、中央初騎乗で初勝利を挙げる(ちなみにこの時の騎乗馬は最強の代替種牡馬ヤマニンスキー)。
その地方時代ではマックスフリート、トミシノポルンガ、中央から移籍してきたフェートノーザンのコンビがあったが中でもオグリキャップとの笠松でのコンビが有名であろう。
オグリキャップとは6戦目からJRAに移籍する直前の12戦目までコンビを組んでいた。
中央地方交流元年と呼ばれた1995年にはライデンリーダーにて中央の牝馬クラシック三冠戦線に参戦。しかし桜花賞トライアルの報知杯4歳牝馬特別で完勝したものの本番3戦では4着・13着・13着と惨敗。これが地方で覇気を失いかけていた彼に火を点け積極的に中央参戦を行うようになった。
1999年には地方所属のままレジェントハンターで朝日杯3歳ステークス(現、朝日杯フューチュリティステークス)に挑むも2着になった。
2002年に中央競馬に移籍するために騎手免許取得試験を受験するが不合格となる。これには競馬関係者・ファンからもJRAに『中央でも実績を上げているアンカツが新人騎手と同じ試験を受けるのはおかしい』と批判が相次いだ。これにより地方所属騎手の受験の場合、前年までの5年間のうちに20勝以上挙げた年が2年あれば1次試験は免除という特例(通称:アンカツルール)が生まれた。翌2003年に試験に合格、JRA栗東トレーニングセンター所属の騎手としてデビュー。ちなみにこのルールによって後に、小牧太・岩田康誠・内田博幸・戸崎圭太などの地方所属騎手が中央に移籍してくることとなる。
デビューしたその月に高松宮記念をビリーヴで制覇し中央G1初制覇を遂げると、その年の秋にはザッツザプレンティで菊花賞を制しクラシック初制覇、10ヶ月で112勝を挙げリーディング3位につける。翌年にはキングカメハメハでNHKマイルカップと日本ダービーを制覇、ダービージョッキーとなる。
その後も日本を代表するジョッキーとして活躍、上記の他に主な騎乗馬にはダイワメジャー・ダイワスカーレットの兄妹やアドマイヤドンがいる。2007年と2009年には最高勝率騎手に輝くが、中央ではリーディングを獲得することは叶わなかった。晩年は減量に苦しみ、騎乗数が極度に減少。2013年に騎手を引退した。中央でのほぼ10年間で1111勝、中央GⅠは史上3位の22勝を挙げた。
中央通算 6593戦1111勝(勝率.169)
レースで見せる剛腕ぶりとは裏腹に、普段は大らかで適当な性格。どのくらい適当かというと、馬場入りの前に武豊に「ユタカちゃん、これ何mのレースだっけ?」と聞くくらい。愛犬家で愛煙家で酒豪。
2020年10月14日にYouTubeのチャンネルを開設、第一弾の動画を15日にアップロードとTwitter以外でもネットの活動を始めることになった。
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