『黙れ 小童!
ワシの記事だ!』
室賀正武(むろが・まさたけ ?~ 1584)とは信濃国の戦国武将である。室賀満正の三男。兄に善龍、屋代正長。弟に屋代勝永、室賀満俊がいる。
室賀氏
室賀氏は清和源氏の流れを汲む信濃村上氏の家臣。村上氏庶流の屋代氏の更に庶流にあたる。屋代氏自体は村上仲盛の子供たちが屋代姓を称したのが始まりで、その内の誰かの子孫が室賀氏と称した。本拠地は笹洞城(室賀城の一部という、長野県上田市)とされ、小県郡の国人衆の1つとして、また村上氏の一門衆として勢力を広げた。
戦国時代の村上家当主・村上義清が武田信玄に敗れて越後へ落ち延びると、室賀氏は屋代氏らと共に武田氏に降伏し、以降は武田家臣となった。
同じく小県の国人である真田氏・海野氏ら滋野一族とは敵対していた。滋野一族は海野平の戦いで村上義清に敗れ、信濃を追われる。のちに同じ武田家臣とはなったが、こうした長い因縁の間柄なのだった。
戦国期の室賀氏当主
- 室賀宗国(生没年不詳)・・・山城守。
- 室賀盛清(?~1540)・・・宗国の子。
- 室賀信俊(?~1575)・・・盛清の子。長篠の戦いで戦死。
- 室賀満正(?~1582)・・・屋代正重の次男。屋代政国の弟。信俊の跡を継ぐ。武田氏の滅亡の1ヶ月後に死去。
- 室賀正武(?~1584)・・・満正の三男。屋代勝永、室賀満俊の兄。
- 室賀満俊(1560~1626)・・・満正の五男。正武、屋代勝永の弟。
室賀正武と村上義清の関係
正武の曽祖父・屋代満照が村上頼国の子とも村上国衡の子ともされるが、信濃村上氏の系譜に不明なところもあり、年代数の過不足もありよくわかっていない。ただ、村上義清とは比較的近い血縁関係であることは間違いないと思われる。詳細な関係は村上氏系図や屋代氏系図を参照してほしい。家紋は村上氏や屋代氏と同じ丸に上文字(第9回真田丸紀行参照)
生涯
前半生はよくわかっておらず、生年・享年ともに不明(弟の屋代勝永は1558年生まれ、室賀満俊は1560年生まれのため、1550年代生まれか?)。1582年に武田氏が滅亡した後、北信濃に森長可が入部すると、室賀氏は彼の支配下に入ったとされる。本能寺の変で織田信長が死に、長可が美濃兼山へと退去した後の混乱期は、真田昌幸らとは別行動をとっていたといわれる(この頃本家である屋代氏は、村上氏が亡命した上杉氏に属していた。室賀氏も同様か?)。
1583年になると真田氏は徳川氏に属しながら勢力をどんどん拡大、小県郡の大半を領するようになり、正武は真田氏の圧力を受ける。一度は昌幸と戦闘に及ぶも、間もなく和睦を結んだ。こうして真田配下とはなったが、一族諸々の恨みがあったのか本心としては不満を抱いていた。
1584年、徳川家康に昌幸についての不満を漏らすと(既に沼田帰属問題で徳川・真田の仲が険悪化していたため)昌幸暗殺を密命される。しかし室賀一族の一人は密かに昌幸に内応しており、その情報を知った昌幸に逆に罠を仕掛けられることになる。そんな事を知らぬ正武は、昌幸暗殺の手筈が整っていると信じて上田城に入るが、そこで謀殺されてしまった。
正武の死により昌幸は小県郡を統一し、室賀一族は徳川氏を頼って甲斐へと落ち延びたという。正武の弟・満俊は、正武が謀殺される前後辺りから徳川家康に仕えており、その旗本となった。満俊は男子がいなかったため、本家の屋代氏を継いだ兄の屋代勝永(正武の弟)の次男・正俊を養子に迎えて家名を存続させている。
黙れ小童!(大河ドラマ・真田丸)
2016年の大河ドラマ『真田丸』では西村雅彦が演じ、一躍お茶の間にその名を広めた。
室賀正武と真田昌幸は同じ小県の国衆でありながら非常に仲が悪い。上記の通り、これ以前に当主が暗殺されていたりと史実でも因縁まみれなのだが。第9話では互いに「顔が好かん」とか言っていたが、昌幸の実力は認めつつも自分が格下とは認めない、幼少の頃からのライバルといった感じの関係。昌幸と比べると謀略などには向かない、不器用というか小物というか正直なタイプの人物として描かれる。
この『真田丸』において正武が昌幸の息子・真田信幸(演:大泉洋)に向かって叫ぶのが「黙れ小童!」、本作の正武の代名詞であり、視聴者が待ちに待つ瞬間である。第3、5、6、9話でこのセリフが出てきたが、基本的な流れは以下の通り。
↓
国衆の長のように振舞い、正武曰く「朝令暮改」、「いい加減」な意見を昌幸が述べる
↓
その途中で正武が大声で反発する
↓
↓
黙れ小童!
第9話では昌幸と正武が珍しく意気投合するのだが、信幸が正武に意見を述べようとすると、やっぱり「黙れ小童!」で遮られた為、信幸が正武に対して意見するというのが「黙れ小童!」の発動条件らしい。正武が昌幸の実力自体は認めていた証拠に、心底昌幸の意見に納得したこのときは、他の国衆たちに昌幸の論を認めさせるため労力を惜しんでいない。もっともそんな正武の様子を意に介さず状況の変化に応じてあっさり前言を翻すのが昌幸なのである。第11話では怪しげな動きの目立つ正武の腹を探ろうと、(昌幸が無理矢理)信幸に意見させたため「黙れ小童!」が発動……するかと思いきや、正武はこれをスルー。それを見て「やはりこれまでとは様子が違う」と昌幸は確信するに至る。信幸、センサー扱いである。
こんな感じで『真田丸』での信幸は父昌幸に散々振り回されたり、祖母に意見をしても聞こえていない振りをされたりと、黙れ小童を除いても散々な扱いを受けまくるキャラクターである。ああ、お兄ちゃんの寿命がまた縮んでしまう。まあ縮んで数え93歳なんですけどね。
(以下ネタバレ)第11話で、史実通り徳川家康らに命じられて昌幸暗殺の計画を立てる事に。それを察知した昌幸たちも臨戦態勢をとる(ただし信繁には諸事情で知らせず)。最後は暗殺を諦めて去る……かに見えた所で、隠し持っていた刃をかざすも、潜んでいた出浦昌相や高梨内記により討ち取られる。最期まで昌幸の下にはつかないという信条を貫いた。彼の死によって、真田家の支配体制はひとまず整う事になる。武田滅亡から始まる1クール目を締めくくるようなシーンで退場した。真田昌幸被害者の会故人第二号。
大坂夏の陣が描かれる第49話では、徳川義直に仕える息子・室賀久太夫(演:児嶋一哉)が登場。父の仇である真田に恨みを持っており、信繁を説得するため大坂へ向かう信之(信幸)を通すまいとするが、
久太夫「我が父、室賀正武は、真田安房守の罠に嵌り……」
信之「黙れ小童ァ!!!!」
と、逆に一喝されてしまうのであった。
補足
伯父の屋代政国は覇王伝、弟の屋代勝永は将星録から登場しているのだが、室賀正武は割とマイナーな人物のせいか長らく未登場だった。しかし「真田丸」で一躍有名になった影響も受けてか、同年発売の「信長の野望・創造 戦国立志伝」では満を持しての登場! 生没年は1552-1584となっている。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
創造 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
戦国立志伝 | 統率 | 53 | 武勇 | 44 | 知略 | 69 | 政治 | 42 | ||||||||
大志 | 統率 | 51 | 武勇 | 44 | 知略 | 69 | 内政 | 43 | 外政 | 54 |
関連動画
「黙れ小童! わかっとるわ!」
なお、形は違うが正武退場後の担当は昌幸になった模様
「ワシの生き様を見ろ!」
関連コミュニティ
関連項目
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