決闘罪とは、犯罪の一つである。日本では「決闘罪ニ関スル件」という法律中に定めがあり、これは現行法(現在も有効)である。以下、この法律について触れる。
概要
「決闘罪ニ関スル件」は、決闘を取り締まることを内容とした法律で、明治22年(1889年)12月30日に布告された。ちなみに、帝国憲法の施行日(明治23年11月3日)よりも前の法律であるため、このときはまだ帝国議会は存在していない。さらに、それ以降120年以上経った現在まで一度も改正を受けていない稀有な存在である。(単に忘れられてただけかもしれんが。)
この変な名前については、後述する。
明治維新から20年を経過する世の中にあっても、旧態依然の「果し合い」の風習が抜けておらず、公然と決闘を申し込んだり、決闘を賞賛したりする風潮が市井に少なからずあった。こういうことは近代国家建設の途上、秩序維持の面で弊害になりかねず、またお手本としている西洋にも似たような風習があったことから、いろいろやべぇということで、刑法とは別に特別法を作って取り締まることになったようだ。
決闘罪の内容
- 決闘を挑んだ者、応挑した者: 6月以上2年以下の懲役
- 決闘を行った者: 2年以上5年以下の懲役
- 決闘によって人を殺傷した者: 刑法の殺人の罪、傷害の罪の規定を適用
- 決闘立会人、立会を約束した者、及び事情を知って場所を貸与、提供した者:1年以下の懲役
- 決闘に応じないという理由で人を誹謗した者:刑法の名誉毀損罪を適用
一般に決闘は、サシ(タイマン)かつ同じ条件で闘い、相手のHPを0にする相手を倒す(殺す)ことで決着するものだが、この法律で言う決闘は、人数や武器、当事者に殺人の意思があるかないかは要件上、問題にしていない。VRMMORPGでも完全決着(ry
判例によれば、決闘の定義は、「当事者ノ人員如何ヲ問ハス兇器ノ対等ナルト否トヲ論セス合意ニ因リ身体生命ヲ傷害スヘキ暴行ヲ以テ相闘フ」ことである。(大審院判決、明治40年)100対1だろうが、マシンガンvs拳だろうが関係ないことになる。それに双方が合意した上で、互いに物理的な暴行によって果たしあえば、それは決闘である。
なお、ケンカの売った買ったはプロレスでは日常だが、プロレスや格闘技興行は業務であり、刑法35条(正当行為)の規定で違法性が阻却されるので一応補足する。こういう人たちがガチで挑戦状叩きつけて、それこそ近所の公園とか河川敷で血みどろになって殴り合っていたら、警察に通報して下さい。
殺意を要件にしていないため、「決闘によって人を殺傷した者は、刑法の本条の規定に照らして処断する」という規定(3条、下記参照)は重要である。つまり、その殺意があったかなかったかで、殺人か傷害致死か、殺人未遂か傷害か、適用される刑法本条が変わるのである。
また、刑法は、人の同意を得て殺す行為(同意殺人)を通常の殺人より軽い犯罪としているが(刑法202条)、決闘で人を殺すと、相手が殺すことに同意していても殺人罪の規定が適用されてしまう点に注意が必要である。
紛らわしいので、現実世界では「おい、デュエルしろよ」とか軽々しい発言をしないよう注意を喚起したい。
条文
短い法律なので、全文を掲載しよう。
朕決闘罪ニ関スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
御名御璽
法律第三十四号
第一条 決闘ヲ挑ミタル者又ハ其挑ニ応シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮ニ処シ十円以上百円以下ノ罰金ヲ附加ス
第二条 決闘ヲ行ヒタル者ハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
第三条 決闘ニ依テ人ヲ殺傷シタル者ハ刑法ノ各本条ニ照シテ処断ス
第四条 決闘ノ立会ヲ為シ又ハ立会ヲ為スコトヲ約シタル者ハ証人介添人等何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ラス一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス
情ヲ知テ決闘ノ場所ヲ貸与シ又ハ供用セシメタル者ハ罰前項ニ同シ
第五条 決闘ノ挑ニ応セサルノ故ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ刑法ニ照シ誹毀ノ罪ヲ以テ論ス
第六条 前数条ニ記載シタル犯罪刑法ニ照シ其重キモノハ重キニ従テ処断ス
※ 署名日は12月28日、官報掲載(布告)は30日である。ちなみに、施行日は明記されていない。この場合、公文式(法令の格式を定めた勅令)により、「官報各府県庁到達日数(註:府県により即日~12日が定められる)ノ後七日ヲ以テ施行ノ期限トナス」(ちなみに、北海道、沖縄、島嶼は別規定)ということになっていたため、各府県で施行日が異なる。
この条文で言う「刑法」は、明治13年布告の刑法であり、現行刑法施行(明治41年)によって廃止されたため、刑法施行法で字句を読み替えなければならない。面倒くさい。
なんということでしょう。読み替えを行い、匠が編集者が現在の刑法の表記に近い形で訳した結果、こんな条文に!
法律第三十四号
第一条 決闘を挑んだ者又はその挑みに応じた者は、六月以上二年以下の懲役に処する。
第二条 決闘をした者は、二年以上五年以下の懲役に処する。
第三条 決闘をして、結果人を殺傷した者は、刑法の各本条により処断する。
第四条 決闘の立会人又は立会人となることを約束した者は、証人、介添人等何らの名義によるかを問わず、一年以下の懲役に処する。
②情を知って決闘の場所を貸与し又は提供した者は、前項と同様である。
第五条 決闘の挑みに応じなかったことを理由として人の名誉を毀損した者は、刑法第二百三十条(名誉毀損)の罪として論ずる。
第六条 前数条の罪は、刑法と比較してより重い刑となるときは、その重い刑をもって処断する。
…と、かなり変わってしまうので、いくつか解説しておく。
- 「重禁錮」というのは、旧刑法上の制度で、11日以上5年以下の間、禁錮場に留置して、定役(労働)をさせるという刑で、今の懲役に近い。刑法施行法19条1項、2条で、有期懲役に読み替えることとされた。
- 「罰金の附加」は、刑法施行法19条2項で廃止することとされたので、規定が消える。
- 有期の懲役は、刑法13条1項で「1月以上」と決まっているので、「1月以上○年以下」等といちいち言わない。
- 「誹毀(ひき)ノ罪」は刑法施行法22条で「名誉毀損罪」と変更される。
法律名について
この法律、「決闘罪ニ関スル件」と呼ばれているが、これは法律名ではない。条文を見ていただくとお分かりのとおり、この法律には名前がない。
現在では、法律は、法律名(題名という)を付して公布されるが(そう決まっているわけではないが※)、法令がカタカナ文語体の頃は、題名がない法律、勅令はざらにあった。改正法などは、ほぼ題名がなかった。よって、正式には「明治22年法律第34号」と法律番号で呼ぶ。通称は、ひらがなで「決闘罪に関する件」と表記しても間違いではない。
ところで、この名称は、明治天皇のお言葉であるところの上諭(じょうゆ、今で言うところの公布文)にある「件名」である。(上記参照)上諭とは「私(天皇)は○○を決裁し、許可した。ここに公布する。」と宣言しているものであり、法律の公布に必須の文言である。
当時、法律は、公文式の規定により、内閣で作成され、最終的に総理大臣が上奏し、裁可を求めるという流れになっていた。その際「○○に関する件」とか、「○○中××を定めたる件」などという件名を付して上奏することがほとんどで、その名前が呼ばれているに過ぎない。
※ 現在、公文式や公式令のような「法律はこういう体裁でもって公布しなさいよ」ということを定めた法律や命令が存在しない。
最近の適用事例
旧態依然の果し合いは、この法律の効果もあって、次第になりを潜めてゆく。20世紀も終わりの頃には、この法律は完全に過去の遺物のような扱われ方をしていた。
しかし、ある時、「これって、マル走の抗争に適用できんじゃね?」という画期的な考え方をした警察官によって、暴走族の摘発が行われ、様相は一変した。一部の警察においては、積極的にこの法律での暴走族構成員の検挙が行われている。
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