加速主義とは、21世紀に現れた哲学の一潮流である。
概要
2010年代に姿を現し始めた、ニック・ランドに代表される哲学の一潮流。アントニオ・ネグリ、マイケル・ハートによって提唱されて2000年代に流行した「帝国」の勃興と、「マルチチュード」による抵抗、といった姿とは異なる世界が現れ始め、その危機感から生じたものと考えられる。
簡単にいうと、テクノロジーなどを介し、資本主義をどんどん加速させて推し進めることによって、資本主義とは異なる、さらにその外側にある境地に世界を到達させることをもくろむ立場である。
加速主義の歴史
現在の加速主義はポスト・ヒューマニティーズの思弁的実在論から生じたとされる。その最初のきっかけは、ベンジャミン・ノーイズの2008年のブログ記事にあたり、どちらかといえば揶揄的なニュアンスであった。
ベンジャミン・ノーイズはこの際、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリの『アンチ・オイディプス』、ジャン=フランソワ・リオタールの『リビドー経済』、ジャン・ボードリヤールの『象徴交換と死』といった70年代フランス現代思想が源流であるとし、「加速主義」という術語は「より悪くなるほどより良くなる」というアイロニーを表現したものであった。なお、それに加えて、加速主義自体はアルメン・アヴァネシアン、ロビン・マッカイが指摘するように、カール・マルクスまでさかのぼるとされている。
そして行われたのが、2010年のロンドン大学ゴールドスミス校で行われたシンポジウムである。そこでは、ベンジャミン・ノーイズの『否定的なものの持続性』とニック・ランドの『牙を持つヌーメノン』が取り扱われ、レイ・ブラシエ、ロビン・マッカイ、マーク・フィッシャー、ニック・スルニチェクらがこれに参加した。
この中でニック・ランドは「右派」加速主義の立場として90年代から活動している代表的な人物である。彼は「加速」の「非人間的」な行為主体は資本主義の中で生成されていくとし、後述の「左派」加速主義からは、辛辣に評されている(ただし、ニック・ランド評は左派内では揺れ動き、その立場の評価もネット上でのレッテル貼りという非公式なものが多い)。
そのようなニック・ランドであるが、セイディー・ブラントとともにウォーリック大学にCCRU(サイバネティック文化研究ユニット)を立ち上げ、レイ・ブラシエ、イアン・ハミルトン・グラント、マーク・フィッシャー、コドゥウォ・エシュン、スティーブ・グッドマンらに文化的影響を与えたとされる。
米国では2012年にシアトルの教育機関、The Centre of Research & Practiceの教授と研究者、レザ・ネガラスタニ、ジェイソン・アダムス、パトリシア・リード、松本良多、ニック・スルニチェックを中心に加速主義を資本主義的社会現象的な諸現象、プラットフォーム・キャピタリズム、ゼノフェミニズム、デジタル・レーバーからテクノロジーとアートをまじえた視点により考察している。同機関では初期には右派加速主義者のニック・ランドも講師としてセミナーを教えていた。
そして、2013年にネット上で発表された、ニック・スルニチェク、アレックス・ウィリアムズの「加速派政治宣言」がその議論を一般化した嚆矢とされる。彼らは「左派」加速主義と呼ばれ、あくまでも「加速」は制御可能で、新自由主義体制下での慢性的な不安の解決策として提示された。彼らは同じ左派内での「素朴政治学」と呼ばれる従来の左派的抵抗を克服すべき課題とし、「マルチチュード」を行う上での「戦術」に問題があるとしていた。
この影響元にはポール・チャーチランド、パトリシア・チャーチランドの「素朴心理学」がいずれ消える、という主張や、レイ・ブラシエの自然主義的ニヒリズム、「プロメテウス主義」といったものがあるとされる。
2014年には「未来を修復する」と題された、「加速主義」に関する大きな連続イベントが開催された。ここでは加速主義者たちは「合理的」という言葉を何度も用いていったことが象徴的とされる。しかし「合理的」を合言葉にしつつも「加速主義」は左右に加え、「無条件的加速主義」、「オルトウォーク」、「ジェンダー加速主義」、ゼノフェミニズムといった様々な分派へと、現在分裂が進んでいる。
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