租税貨幣論とは、貨幣が流通するのは税が存在するからだとする説である。
簡単に言えば、政府通貨に徴税という最終消費先を用意することで経済に通貨が組み込まれると説明される。
概要
税とは生殺与奪の権利を奪う暴力的な装置
租税とは、政府が国民や企業に対し、一方的かつ暴力的に課す国民の債務のことである。これを解消できない場合は懲役か資産差押となる。
ただ日本国内にいるだけで一定額のお金を納めないといけないのは理不尽だと感じることだろう。一応外国や災害の脅威から守り、病気になったり仕事がなくなったときに保証をしてくれるから、という側面もあるが、国民を全く守らない政府でも国民に対し課税し徴収することができる。個々にとって税とは実際かなり理不尽な制度と言える。
「税負担は国民に富を再配分するため」というのは税の直接的な機能ではなく、政府支出と徴税の機能の間に組み込むことができる二次的な機能と言える。
通貨とは政府の負債
納税ができない国民に対しては懲役や財産没収など、状況に応じて直接的に財産や労働力を吸い上げることができる。政府発行通貨には財産や労働力を強制的に取り上げるという政府の債権を解消する用途がある。つまり、政府が国民に対して持っている「徴税権という債権」を解消してくれるという意味で、「貨幣は政府の負債」である。
逆に言えば、政府は徴税する権利を後から得るために先に政府の負債(権利の前借り)として通貨を発行し、通貨を手に入れた国民は政府の負債(通貨)で同額の政府の徴税権を打ち消すのである。時系列は必ず政府支出が先行し、徴税が後になる。通貨は政府負債であり、政府負債の合計と通貨の総量は一致する。
ようするに、納税という国民の義務(懲罰付き)を解消するという機能があるからこそ通貨は政府の負債であり、通貨が政府の負債であるからこそ通貨は国民にとって財産となる。
税が通貨を通貨たらしめる要因
政府は通貨を一方的に押し付け、一方的に徴収しているだけであるが、その強制力が通貨に流動性を生む。「負債論
」によれば、通貨ないし資本主義は市場の自由な交易のために発達したのではなく、国家が戦争や覇権争いのために暴力的に物資を調達する手段として発達したのだと説明されている。
簡単な例として政府が実物の財産や物資、労働力を徴発すること(租庸調)を考えよう。
| 政府 | ← 租庸調 |
国民 |
布が要るときは布業者を指名して直接布を召し上げ、食料は農家から直接コメなどを召し上げ、武器がいるときは鍛冶屋を指名して武器を召し上げ、戦争の場合は指名して徴兵して、…という状況である。国民が政府に対して負っている納税義務という負債を実物で解消している。また、こういう場合政府は商品価値のある実物や土地で公務員に給料を払っていることが多い。この状態では最終消費先の無い政府通貨を押し付けても流通する理由がない。また、戦争などで大量の物資を集めるとなると半ば略奪のようになってしまうだけでなく国民の自発的協力が得られにくいので回収効率が悪いという欠点もある。
この図に、先に政府が通貨を渡して財やサービスを購入し、のちに国民から通貨で徴税するというシステムを導入する。
| ↑ |
→ 支払 |
↓ |
| 政府 | ← 租庸調 |
国民 |
| ↑ | 徴税 ← |
↓ |
そうすると、通貨は政府負債と打ち消され合計額が0になり、トータルとして国民は財やサービスを一方的に納めるという状況は変わらないのに、その流れに貨幣が介在するようになる。さらに、貨幣を与えれば国民が自発的にモノやサービスを市場で集めてくれるので徴発の効率がとてもよくなる。
さらに、国民の中に、納税義務を課さない者を間に挟むことを考える。ここでは公務員とする。
| ↑ |
→ 給与 |
↓ ↑ |
→ 支払 |
↓ |
| 政府 | ← 納品 労働 |
公務員 | ← 納品 労働 |
納税者 |
| ↑ | ← |
納税 ← |
← |
↓ |
このモデルにおいて公務員は政府に対して納税をしていないが、納税者が納税のための通貨を確保する必要に迫られて公務員から貨幣を得ようとする。そのため、公務員には蓄財をするという動機付けが出来上がる。さらに、公務員は政府に租庸調を納品しているが、政府は公務員に何も要求しなくとも貨幣が公務員→納税者と流れなければならないため、徴税により通貨の循環が成立する。
マクロレベルでは政府の供給した通貨に政府の徴税権を解消するという、貨幣の最終消費先を設定することで財やサービスが貨幣を介して提供され、同時に貨幣が流通する。
さらに、近隣地域にこのようなシステムができていれば、納税者が効率よく通貨を手に入れられる商品(自国では入手困難なものや自国より大量に入荷できるもの)との交換のために外縁地と交易するため、外縁地の住民は交易を円滑に進めるため、徴税権の及ばない地域でも通貨が少量回り得ることがわかる(極端な例がドル化)。逆に、貨幣ですよとただコインを渡されても納税義務の解消をする機能が無ければ、鋳潰すか飾って眺めるか、せいぜい宗教的儀式ぐらいにしか使えない(商品としての実物価値しかない)。現代では通貨が電子データ化されていることが多いので実物価値が極めて低く、それも難しい。
現実にはほぼすべての国民が少しずつ納税するため、個人個人が納税のために通貨を得るという感覚が薄くなり、主な活動である消費と蓄財のために通貨を集めるという感覚になる。マクロレベルでは徴税が駆動力だが、ミクロレベルでは納税という動機付けは殆ど感じられず、貨幣を商品の交換のための特別な商品として見て、貨幣は貨幣だから貨幣であるという共同幻想こそが駆動力であると見ても特に問題がないように感じてしまう。
また、税は貨幣供給量より少なくしなければならない。通貨は政府負債であるため原理的には将来全ての通貨が徴税され消滅することになるが、毎年過度に徴税していては納税者が通貨を商売を通して吐き出そうとしなくなる。通貨価値は経済成長により自然と目減り(インフレ)するので、通貨を滞りなく流通させるためには基本的に緩やかなインフレを維持する税率であることが重要で、そのためには基本的に総政府支出>総徴税額となっている必要がある。経済に悪影響を与えず政府黒字を達成することは非常に難しく、政府黒字が自然と達成される状況は民間の負債が増えて過度にインフレが進んでいる状況(バブル)でもある。租税貨幣論を採用する限り、政府黒字は健全でも何でもなく、危険な経済状態にあるとみなさなければならない。
簡単な実験
ある家庭でお父さんが息子達にお手伝いをさせようと思った。お父さんは「芝刈りや皿洗いをするたびにお父さんが会社で使っている名刺を1枚あげよう」と約束した。当然息子たちはそんなものいらないと言って手伝いはしなかった。
ある日、お父さんは「毎月1日に名刺を20枚返しなさい。そうしないと家を追い出す」と宣言した。すると息子たちはお手伝いにいそしみ、名刺をせっせと集めるようになった。
上の図で言えばお父さんが政府であり、息子たちが納税者、お父さんの名刺が通貨ということになる。
この実験から、通貨は偽造しにくければ何でもいいことがわかる。石ころやネジ、すっげぇキモいデザインの人形でもいい。与えられた通貨そのものには何の価値がなくても、政府が強制的に回収し、こたえなければ懲罰を与えるという条件があれば無価値な物体にそれ相応の価値が生まれるのだ。また、労働という対価なしにただ名刺を配るだけでは価値が生まれない。名刺の価値は労働の重さ(及び回収する名刺の量)と密接に関係している。これは名刺経済と呼ばれている。リンク
実例
- かつてヨーロッパ各国は貨幣の存在しないアフリカの植民地に通貨を流通させるため、hut tax(家ごとにかける税、小屋税)を導入した。原住民は気ままな自給自足生活をしていたが、税を課されたことによって強制的に貨幣経済と労働市場に組み込まれ、貨幣を得るために労働者として働くようになった。通貨を普及させるには税をかけるだけでよいという例である。リンク

他の貨幣論との関係
現代貨幣理論では必ずしも通貨の流通を法で縛る必要はなく、法に準じる強制徴収力があればよいと説明する。例えば国営企業や政府直轄事業が石油のような商品やインフラなどそれがないと生活が困難になる事業を独占し、国民に購入と利用を強制させる。そのような国営企業の収益という形で国民から通貨を回収し政府に収めるという意味で、広い意味で税収とみなすことができる。あるいは交通違反などの罰金も広義の税とみなせる。つまり信用創造によって生まれた貨幣を破壊する過程に何らかの形の強制力があることが必要ということである。
また、「貨幣は譲渡可能な負債の記録」という性質を考えると小切手や約束手形など私人間での負債も貨幣であると認める必要がある。小切手は直接現金化を経なくとも売買契約や精算に使用することができる。つまり、異なる貨幣を共通の法定通貨単位で表記しているというのが実情である。
現実の事務では単位が同じだけで中身が異なる貨幣が存在することは、債務ヒエラルキー(負債のピラミッド)という考えを導入することでうまく記述することができるようになる。上位のヒエラルキーに属する貨幣(債務)は下位の負債を解消できるが、その逆はほとんど起きないという考えである(あってもかなり目減りされる)。例えば交通系電子マネーは交通機関の負債として計上され、きっぷの購入に使用または現金払い戻しができるため貨幣であるが、基本的にきっぷ以外は購入できず、発行した交通機関以外では現金化できない。公共交通機関を利用しない人には不要かつ債務債権の関係にないからだ。ここから、交通系電子マネーは債務ヒエラルキーが低いため、例えば公共料金支払いや納税など現金のみ受け付ける契約には使えない、という説明ができる。
このように考えると商品貨幣論のように貨幣に「商品価値の算出や精算に使える尺度となる特別な商品」という不自然な条件をわざわざ考える必要がなくなる。政府通貨は本来納税に使えるという一点のみの機能しか有さないが、徴税権が国民全体に広く強制された非常に強力な政府の債権であるがゆえに債務ヒエラルキー最上位に位置し、それ以下の私人間の「弱い」債務を精算することができるようになるため、政府通貨が貨幣として流通するということである。健全な国家では法定通貨が自然に債務ヒエラルキー最上位に来る。日本では納税はいつもニコニコ現金払いな制度なので現金≧銀行預金>その他マネー類、という債務ヒエラルキーがある。
租税貨幣論は租税が貨幣流通の中心的な駆動力になるという理論であるが、租税が必ずしも全ての貨幣の成立に必要であるというわけではない。ヤップ島の石貨のように税としての強制力が及ばない貨幣も存在する。しかし、政府の徴税権という強力な権力が機能する限り、政府の定めた通貨は貨幣として流通するということになる。つまり、貨幣の十分条件を示す理論ということだ。現代貨幣理論は租税貨幣論を不可分な基本原理とし、より深い考察を重ねている。
政府による貨幣発行と徴税にはマクロな動きを強制的かつ効率的にコントロールするという重要な目的がある。政府が貨幣発行を仲介して、経済力や生産力に応じた量の、民間が自発的に作ることができないような大規模な財やサービスの需要を強制的に生み出す→円滑にインフラが整えられ経済が健全に発展していく→徴税を通して極端な格差を是正し経済活動の偏りを抑制する方向でコントロールする→経済発展により政府の生み出す需要がより大きな規模にできる。この政府主導の循環が現代において最も重要である。つまり、政府の統治機構が存在する限り、国民や国家にとって国家運営が健全であることが経済にとって最重要であり、その意味で経済は政治に従属する構造であるともいえる。政府の統治機構が全く介在しない貨幣制度は無秩序な社会を生む(もしくはそれに見合った規模のコミュニティしか維持できない)可能性が大きい。
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関連項目
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