国定信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや通貨の定義に関する学説の1つである。
現代貨幣理論(MMT)に採用されていることで知られている。
商品貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。国定信用貨幣論と商品貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。
※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事ではできる限りその定義に従うことにする。
名称
国定信用貨幣論の別名称は、租税貨幣論(Tax driven Monetary View)、表券主義(Chartalism
チャルタリズム)、貨幣国定説
などがある。名前が異なるだけでどれも同じ内容になっている。
国定信用貨幣論は中野剛志が『富国と強兵(東洋経済新報社)』の61ページで作り出した用語である。
租税貨幣論は日本人の誰かによって作り出された用語である。現代貨幣理論(MMT)の提唱者として知られるL・ランダル・レイが著書で「Tax drives money(租税が貨幣を駆動させる)」と繰り返しているので、その表現を由来にしているものと思われる。
概要
定義
政府が種類債権の形態で徴税債権を行使するときの対象物を国定信用貨幣論において通貨と定義する。
種類債権とは一定の種類に属する物の一定量の引渡しを要求する債権である。「1万円の日本銀行券を10枚差し出せ」と要求するのは種類債権の典型例である。種類債権については本記事の『種類債権が通貨を生む』の項目で詳しく述べる。
概説
政府は法律を施行し、種類債権の対象にすることが可能な物品を通貨に指定する。
通貨に指定する物品は「種類債権の対象にすることが可能で民間人に偽造されにくい」という条件を満たしていれば何でも構わない。紙切れでも瓦礫でも構わない。
そして政府は、政府に貢献した人に対して報酬として通貨を支払う。政府用の建築物を建設した企業に対して代金として通貨を払う。政府の軍事行動に使う物資を民間人から徴収したときに代金として通貨を払う。政府に所属する公務員(軍人、官吏)に対して賃金として通貨を払う。つまり実質GDPの中の政府購入の対価として通貨を支払う。こうして通貨が国家経済にばらまかれる。
そして、通貨で計算された納税義務を法律で定め、国民へ一方的に強制する。商人が市場を開いたら商人達に「通貨で税金を払いなさい」と要求し、通行人が関所を通ったら「通貨で税金を払いなさい」と要求する。そうすることで国民の間でその通貨を必要とするようになり、国民の皆が通貨を貯蓄しようとする。政府の徴税権力により誰もが通貨を尊重するようになる。
国民の皆が通貨を欲するようになるので、民間の商取引の交換手段として通貨が使われるようになる。誰もが納税のために通貨を必要とするので、通貨を仲立ちにして取引することができる。
A国があり、完全な閉鎖経済の国であるとする。A国の政府が税金の税率を上げるなどして徴税権力を強めると、誰もが納税に備えて通貨を貯め込むようになり、消費や投資をやめる人が増えて負の需要ショックが発生して総需要と実質GDPが減り、物価が下落して通貨価値が上昇してデフレになる。A国の政府が税金の税率を下げるなどして徴税権力を弱めると、誰もが「通貨なんて持っていてもしょうがない、他の商品と交換してしまおう」と考えるようになり、消費や投資をする人が増えて正の需要ショックが発生して総需要と実質GDPが増え、物価が上昇して通貨価値が下落してインフレになる。
B国があり、不利な供給ショックが発生しておらず、政府購入を控えめに行っていて、海外からの需要も控えめであるとする。B国で政府の徴税権力が健在なら、消費や投資をする人が一気に増えることがなくなり、正の需要ショックが大規模に発生することがなくなり、ハイパーインフレにならなくなる。一方で、B国で内乱が発生して無政府状態になって政府の徴税権力が失われると、消費や投資をする人が一気に増えて正の需要ショックが大規模に発生してハイパーインフレになる。
以上が国定信用貨幣論のあらましとなる。
商品貨幣論との比較
商品貨幣論と国定信用貨幣論はあらゆる面で対極に位置しており、まさに水と油である。商品貨幣論と国定信用貨幣論の比較表は以下のようになっている。
商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 | |
通貨の定義 | 市場の中で最も人気が高く、皆が一様に価値があると信認している立派な商品 | 政府が納税の手段として一方的に強制しているもの |
通貨を支える主体 | 市場に参加する民間商人 | 政府の徴税権力 |
通貨を作っている人と通貨を利用している人 | 民間商人が通貨を作り出している。政府は民間商人が作り出した通貨を利用しているだけである | 政府が通貨を作り出している。民間商人は政府が作り出した通貨を利用しているだけである |
通貨を生み出す心理 | 「みんなに認められているすごく立派なものである」という賞賛の心。ポジティブな感情が通貨を生む | 政府の徴税権力に対する恐怖心。ネガティブな感情が通貨を生む |
不換紙幣の時代の通貨 | 市場に参加する民間商人の共同幻想によって通貨が成り立っている | 強大で確実な政府権力によって通貨が成り立っている |
不換紙幣の時代で通貨の暴落が始まるのはいつか | 市場に参加する商人の通貨に対する信認が失われたとき | 政府が徴税権力を失ったとき |
分かりやすい表現 | 「通貨とは、皆が大事に思っている宝物」 | 「通貨とは、偉い人向けに差し出す貢ぎ物」 |
国定信用貨幣論の性質
国定信用貨幣論の性質として最も重要なものは「恐怖心が通貨を生む」とみなすところである。このことについて本記事の『恐怖心が通貨を生む』の項目で述べる。
このため国定信用貨幣論のことを恐怖貨幣論とか恐怖心貨幣論と呼ぶこともできるのだが、さすがにそんな名称では人気が出ない。
国定信用貨幣論の長所
あらゆる形態の現金通貨(紙幣、銀行券、硬貨)を上手く説明することができる。
21世紀現在の世界各国の大多数は中央銀行が発行している不換銀行券を通貨として採用している。不換銀行券は中央銀行の負債として発行されているのだが、中央銀行が何らかの価値ある資産との交換を停止していて、「何らかの価値ある資産との交換期限が極めて遠くにまで先送りされている負債」と表現することができる。不換銀行券は、銀行にとって極めて緩やかな負債であり、本来は銀行以外の人にとって完全に無価値なものである。
そういう無価値な不換銀行券が価値ある通貨として流通していることを簡単に解説できるところが国定信用貨幣論の長所である。
国定信用貨幣論の短所
とにかく浪漫がないというのが短所である。
商品貨幣論は「通貨とは、市場に参加する全員によってその価値を認められており、皆が追い求める夢のような宝物である」と、まことにロマンチックな説明をする。
国定信用貨幣論は、「通貨とは、権力者がばらまき、権力者が徴税することで成立する。権力者の、権力者による、権力者のための道具である」と、身も蓋もない言い方をする。ロマンチックだとか、甘美さだとか、そんなものは一切ない。
学校で教育しにくいというのも短所である。国定信用貨幣論の最も重要な性質は「権力者に対する恐怖心が通貨を生む」とみなすところである。このことを上手く伝えるには「納税をしないと刑務所にぶち込まれる」といった具合に権力者の恐ろしさを生々しく表現せねばならないが、中学生とか小学生にそういうことをいうと泣き出してしまうかもしれない。
また、政府というものを毛嫌いする思想(イデオロギー)を抱えている人にとってなかなか受け入れがたい論理といえる。政府などの権力者に反発することを良しとする価値観を持つ人を「反骨精神の持ち主」「反体制派」というが、そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのが心情的に難しいと思われる。
民間企業を尊んで政府・官僚を卑しめる考えを民尊官卑という。その考えを持つ人たちにとって「経済の要である通貨というものは政府の権力によって生み出される」という国定信用貨幣論を受け入れるのが苦痛に感じるだろう。
世の中には色んな人がいるが、その中には名誉を重んずる人がいる。そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのがひょっとしたら難しいかもしれない。なぜなら、国定信用貨幣論という理論を支持するためには、「人は皆、権力者の嫌がらせと圧迫に悩まされている存在である」という不名誉な事実を認めないといけないからである。
世の中には色んな人がいるが、その中には負債を毛嫌いする人がいる。国定信用貨幣論という理論は「人はほとんど先天的に政府に納税する負債を課せられている」ということを前提にするものであり、負債を毛嫌いする人にとって良い印象を持ちづらいものである。
種類債権が通貨を生む
政府の徴税債権が種類債権であるとき、徴税債権の対象物が通貨になる
国定信用貨幣論による通貨の定義は「政府が種類債権の形態で徴税債権を行使するときの対象物」となる。
種類債権とは不特定債権とも呼ばれ、一定の種類に属する物の一定量の引渡しを要求する債権である。紙幣を要求する債権なら種類債権になるし、米・布・絹を要求する債権ならやはり種類債権になる(詳しくは債権の記事を参照のこと)。
政府が種類債権としての徴税債権を民衆に差し向けたとき、民衆は納税負債からの解放を得るために徴税債権対象品を周りの人から集めるようになる。そして徴税債権対象品が通貨になっていく。
政府の徴税債権が特定債権であるとき、徴税債権の対象物は通貨にならない
種類債権の反対概念は特定債権である。特定債権とは、特定のものを引き渡すように要求する債権である。この世に一つしか無い美術品を要求する債権は特定債権である。
政府が特定債権としての徴税債権を民衆に差し向けたとき、民衆は納税債務を減らすために徴税対象品を周りの人から集めることができない。そのため徴税対象品が通貨にならない。
日本の相続税は、日本銀行券や政府貨幣を納める金納と、「親から相続した物品」を納める物納のどちらかを納税者が選ぶことができる。
相続税納税者が金納を選んだ場合、政府は種類債権としての徴税債権を得ることになる。納税者は日本銀行券や政府貨幣を周りの人からかき集めて納税することになり、日本銀行券や政府貨幣に対する需要が生まれ、日本銀行券や政府貨幣が通貨になる流れが起こる。
相続税納税者が物納を選んだ場合、政府は特定債権としての徴税債権を得ることになる。納税者は「親から相続した株券」とか「親から相続した土地」を納税する。周りの人から株券や土地をもらってそれを納税するということができない。そうなると納税者は周りの人の株券や土地を欲しがるわけではなく、周りの人の株券や土地が通貨になっていく流れが起こらない。
恐怖心が通貨を生む
徴税すると恐怖心が生じ、恐怖心が生じると通貨が生じる
国定信用貨幣論の考え方の基本として「通貨を徴税するというよりは、徴税すると通貨が生じるのだ」というものがある。
「政府の徴税権力で通貨を作り出すことができる。不換銀行券のような無価値の紙切れに付加価値を与えて通貨に仕立て上げることができる。原価30円の金属片を500円硬貨に変化させることができる」と論じるのである。
政府が徴税すると布告した瞬間に無価値の物体が通貨となり、ただの紙切れや金属片に価値が付加される。
徴税権力に逆らって納税義務を怠ると、政府によって恐るべき罰が与えられる。警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判所で有罪判決を受け、法務省の管理する刑務所にぶち込まれる。
刑務所にぶち込まれるのが嫌なのは人なら誰しも抱えている感情である。徴税権力への恐怖心、もう少し柔らかく言い換えると納税義務からの解放を求める心、そういう心は天下の万民が共通して抱いている。それが通貨を作り出している。
ウォーレン・モズラーの名刺説
ウォーレン・モズラーというアメリカの経済学者がいる。その人は「モズラーの名刺説」と呼ばれる例え話をしたことで知られる。
ビル・ミッチェルというオーストラリアの経済学者はブログでモズラーの名刺説を紹介している。
ある家庭に父親がいて、子どもに「週に1回庭の掃除をすれば名刺を100枚あげよう」といった。
そこで父親は「それじゃあ君に対して週に1回100枚の名刺を課税しよう。家に住み続けたいのなら納税しなさい」といった。
すると子どもは、たちまち「すぐに庭の掃除をさせて!名刺が欲しいんだ!」といった。
-A simple personal calling card economy(ビル・ミッチェルのブログの2009年3月31日記事)
を翻訳して引用-
これがモズラーの名刺説である。「人に対して徴税権力をちらつかせて恐怖させることで人がただの名刺に価値を感じるようになる」と説いている。
「刑務所送り回避券」とか「刑務所送り免除券」という表現
ジョン・シェインという米国の投資家は、通貨をget-out-of-jail-cardと呼んだ(記事
)。
get-out-of-jail-cardを正しくいうとget-out-of-jail-free-cardとなり、モノポリーというボードゲームで使われるカードを指す言葉になる(記事)。日本人のモノポリー愛好家には釈放券と呼ばれている。ここでは「刑務所送り回避券」とか「刑務所送り免除券」と翻訳しておきたい。
通貨を持っていないと刑務所送りになる。通貨さえあれば刑務所に行かずに済む。刑務所に行きたくないので誰もが通貨を欲しがる。
名目貨幣と本位貨幣(正貨)
名目貨幣は素材価値よりも大きい額の額面金額で通用しているものである。原価30円の金属片で作られている500円硬貨、4万円の金塊で作られた昭和天皇御在位60年記念10万円金貨が代表例である。奈良時代の和同開珎や江戸時代の小判も名目貨幣だった。明治時代の政府紙幣は名目貨幣の究極形といえるだろう。
こうした名目貨幣は発行した組織に大きな通貨発行益(シニョレッジ)を与えるのが特徴である。
額面金額と素材価値の差額が通貨発行益となるわけだが、国定信用貨幣論の考え方に基づくと、その通貨発行益は「政府の徴税権力で作り出された付加価値」とか「納税に使用できるという付加価値」とか「政府に対する恐怖心によって作り出された付加価値」となる。
国定信用貨幣論では「政府はいくらでも名目貨幣を作り出せる」と考える。
本位貨幣というのは、正貨とか商品貨幣とか実物貨幣といわれるもので、素材価値と額面金額が等しいものである。「10万円の本位貨幣である金貨」といえば、「10万円分の金塊で作った金貨」という意味である。本位貨幣は、発行する組織が通貨発行益(シニョリッジ)を得ることができない。本位貨幣は金本位制が採用されて兌換銀行券が発行された時代の貨幣である。
国定信用貨幣論の考え方だと「政府はわざわざ本位貨幣にする必要が無い。徴税権力を使って名目貨幣を作ればいいのであって、本位貨幣で我慢する必要などない」となる。
以上のことを表にまとめると次のようになる。
本位貨幣(正貨、商品貨幣、実物貨幣) | 名目貨幣 | |
定義 | 素材価値と額面金額が等しい | 素材価値よりも額面金額の方が大きい |
通貨発行益 | 発行する組織に通貨発行益をもたらさない | 発行する組織に多くの通貨発行益をもたらす。政府購入の必要性に迫られた政府が発行する |
親和性のある理論 | 商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 |
政府の権力によって不換銀行券が通貨に昇格している
国定信用貨幣論とは「通貨とは政府の徴税債権の対象物である」という考え方であり、「政府には強大な権力があり、その徴税債権でどんなものも瞬時に通貨に変えてしまうことができる」という考え方である。
そのため、中央銀行が発行する不換銀行券が世界各国で通貨として流通していることも難なく説明できる。中央銀行が発行する不換銀行券は、金塊との交換を極めて遠い将来に先送りしているという負債が記載された証券であり、全くの無価値の紙切れなのだが、政府の徴税債権の対象物になったおかげで大きな付加価値が与えられて通貨に昇格している。
言い換えると、政府が徴税権力をちらつかせることで人々の間で恐怖心が生まれ、その恐怖心によって不換銀行券という紙切れが通貨に変身している。
国定信用貨幣論の拡大解釈
政府の徴税債権を権力者の収賄債権に拡大解釈する
国定信用貨幣論とは「通貨は政府の徴税債権の対象物である」という考え方である。
ときおりその考え方を拡大解釈することがある。政府を「権力者」に拡大解釈し、徴税債権を「権力者が物品を要求する収賄債権」に拡大解釈する。
「徴税は法律で定められた収賄であり、収賄は法律で定められていない徴税である」といった感じに、徴税と収賄を同種類の現象として扱う。
政府への納税をとりやめると政府の手によって刑務所送りという罰が与えられる。それは「権力者への贈賄をとりやめると権力者からの嫌がらせを受ける」といった事象に拡大解釈することができる。
「政府の徴税権力への恐怖心が通貨を生み出している」と先ほど表現した。その表現は「権力者への恐怖心が通貨を生み出している」という表現になる。
宋銭や軍票の流通を説明する
この拡大解釈が威力を発揮するのは宋銭や軍票が流通した原理を考えるときである。
宋銭は政府の徴税が民衆に課せられていないにもかかわらず民衆に広まっていったことで知られている。また、様々な国が軍票を発行して占領地で流通させたが、軍隊は軍事行動で忙しいので徴税などをロクに行っていないことがほとんどである。
「宋銭は、当時の権力者である平忠盛や平清盛やそれに従う武士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった。権力者の収賄債権を消滅させ、権力者の機嫌を直し、権力者からの嫌がらせを停止させるという付加価値があったので通用した」と論じたり、「軍票は、占領地における権力者である兵士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった」と論じたりすることになる。
もちろんこれらの考え方はただの推論でしかない。歴史書に賄賂のことが書かれることはないので証拠が見つからないからである。とはいえ、国定信用貨幣論を拡大解釈するのは面白い考え方だと思われる。
刑務所で流通する通貨を説明する
刑務所の中では独自の通貨が自然発生的に流通することが知られている。
タバコが刑務所通貨として流通することがある。これをタバコ貨幣とかタバコ通貨という。第二次世界大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に入所したリチャード・A・ラドフォードは捕虜収容所の中でタバコが通貨として流通する現実と遭遇した。戦争後に『The Economic Organisation of a P.O.W. Camp
』という論文を書き上げて有名になり(記事
)、そしてIMF(国際通貨基金)に就職している。
2016年のアメリカ合衆国の刑務所では、なんとラーメンが刑務所通貨として流通している(記事1、記事2
)。
こうした刑務所通貨の流通は、国定信用貨幣論の拡大解釈で説明できる。刑務所の中には腕力が強くて乱暴な者や、裏社会に通じていて政治力がある者といった権力者がいる。そういう権力者を怒らせないようにするには賄賂を贈るのが一番良い。そのため、権力者向けの賄賂として使い道のあるモノが通貨として流通していく。タバコやラーメンを嫌う人も「自分は好きじゃないが、権力者向けの賄賂として役に立つ。これを差し出せば権力者からの嫌がらせが消えるだろう」と判断し、タバコやラーメンを通貨として扱う。
国定信用貨幣論と政府紙幣と中央銀行
政府紙幣の発行権を肯定する
国定信用貨幣論とは「通貨とは政府の徴税債権の対象物である」という考え方であり、「政府には強大な権力があり、その徴税債権でどんなものも瞬時に通貨に変えてしまうことができる」という考え方である。
そのため国定信用貨幣論の信奉者は「政府はいつでも政府紙幣を発行できる」と考える。つまり「政府は金塊などのような価値ある資産との交換を全く保証しない政府紙幣を発行しても、強大な徴税権力で人々に恐怖を与え、ただの紙切れの政府紙幣に大きな付加価値を与えることができる」と考えるのである。
日本は明治時代に政府紙幣を発行した経験がある。国定信用貨幣論の信奉者は「日本政府は、国会の立法という後ろ盾さえあれば、いつでも『財務省通貨局』といったような政府紙幣発行の部署を創設できるし、いつでも政府紙幣を発行できる」と考える。
中央銀行が国債を買い取って通貨を発行することの解釈
21世紀現在の日本では、市中銀行同士の決済手段として日銀当座預金が使われていて、日銀当座預金が事実上の通貨になっている。日銀当座預金というのは日銀が発行する負債で、日銀が「日銀当座預金を差し出してくれるのならいつでも日本銀行券を発券します」と約束する負債である。
日銀当座預金は日銀にとっての負債であり、日本銀行が何らかの資産を入手したときにその代償として発行する仕組みになっている。そして21世紀現在における日本銀行は日本国債を資産として入手したときにその代償として日銀当座預金という負債を発行する事が非常に多い。
つまり日本銀行は、政府の返済能力を高く評価しつつ信用し、政府の返済を義務づけた国債を資産として扱って、その代償として日銀当座預金という負債を発行している。つまり日本銀行が政府に対して一種の信用創造を行っている。
日本銀行は「政府に返済能力がある」と高く評価している。さて、ここでの「政府の返済能力」とはいったい何なのであろうか。
国定信用貨幣論の考えにしたがうと「日本銀行は日本政府の通貨発行権による返済能力を信用している」ということになる。「日本銀行が日本国債を買い取って日銀当座預金を発行するのは、政府の通貨発行権を高く評価し、政府がいつでも『財務省通貨局』のような部署を創設して政府紙幣を発行できることを認識し、政府の権力の強さに屈服しているだけである」ということになる。
国定信用貨幣論の信奉者にとって、日本銀行が○兆円の国債を買い取って○兆円の日銀当座預金を発行する理由は、日本銀行が「政府は○兆円の政府紙幣を発行するだけの権力がある」と認めているからである。
政府が中央銀行に強い影響を与えることの解釈
日本には日銀法第4条という法律があり、政府の経済政策の基本方針と整合的な金融政策を実行することを日銀に対して義務づけている。
アメリカ合衆国にはそういう法律が存在しないが、アメリカ合衆国政府の経済政策の基本方針と整合的な金融政策をFRBが実行し続けているという実態がある。
世界中の国々で、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えている現象が見られる。
そういったことを国定信用貨幣論の信奉者が解釈すると「中央銀行が政府の強い影響を受けて政府に従っているのは、政府がいつでも『財務省通貨局』のような部署を創設して政府紙幣を発行できるからである」ということになる。
国定信用貨幣論の論理に従えば「政府から通貨発行の要請を受けた中央銀行は、それに従うしかない。中央銀行が政府の意向に逆らって通貨発行を拒否した場合は、政府が通貨発行権を行使することができる。中央銀行が政府に逆らっても全くの無駄だ」という論理が展開され、「中央銀行は政府の強い影響を受けて通貨発行をする存在である」という認識になる。
税収にとらわれずに政府予算を作ることを肯定する
国定信用貨幣論の信奉者は、政府の通貨発行権を認め、政府が中央銀行に対して強い影響を与えることを認め、「政府は、『政府の通貨発行権』を背景にして中央銀行に強い影響力を与えつつ国債を売却し、好きなだけ通貨を獲得して予算を作ることができる。税収というのにとらわれる必要は無い」と論ずる。
政府は、国債を売却する直前に中央銀行へ強い影響を与えて中央銀行に通貨を新規発行させ、政府の国債消化を全面的に支援させることがある。そういうことをすれば政府が国債を発行しても短期金利が一定に維持されるので、政府は好きなように通貨を入手することができる。国定信用貨幣論の信奉者は、こうしたことを極めて肯定的にとらえる。
「政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を作って、政府購入をしている。つまり、作ったお金を民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。政府購入をしたあとに消費や投資や純輸出が増えすぎると実質GDPがさらに高まるがインフレもさらに進んでしまうので、インフレを抑えるため税金を掛けて消費や投資や純輸出を抑制している」というのが国定信用貨幣論を示す考え方である。
税金をかけると人々の可処分所得Y-Tが減る。可処分所得の減少額に限界消費性向MPCを掛けた分だけ消費が減り、可処分所得の減少額に限界貯蓄性向MPSを掛けた分だけ貯蓄が減る。大国開放経済の国なら人々の貯蓄が減ると投資と純資本流出が減る。純資本流出と純輸出は必ず一致するので、「大国開放経済の国なら人々の貯蓄が減ると投資と純輸出が減る」と言い直すことができる。以上のことをまとめると、大国開放経済の国において税金をかけると消費と投資と純輸出が減る。
「政府が政府購入をして国家経済に通貨をばらまくことが第一に必要とされる」という考え方を国定信用貨幣論の信奉者は好むが、そういう考え方をスペンディングファースト(Spending First)という。
政府の通貨発行権を認めず、政府が中央銀行に強い影響を与えることを否定する商品貨幣論
その一方で、商品貨幣論は政府の通貨発行権を積極的に認めない。商品貨幣論の信奉者は政府に通貨発行権があることをすぐ忘れてしまう。商品貨幣論は「通貨とは、民間人が自発的に作り出したものである。政府は、民間人が作り出した通貨に寄生しているだけである」という考え方をする。それゆえ、「政府に通貨発行権なんてないんじゃないか?」と考える傾向がある。
商品貨幣論は政府の通貨発行権を認めないので、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることも否定する。「政府が中央銀行に対して通貨発行を要請しても、中央銀行はそうした要請を拒否できる。それが中央銀行の独立というものだ」などと論じる。
商品貨幣論は、政府が中央銀行に対して強い影響力を与えることを否定するので、「政府は国債を売却するときに、中央銀行からの支援を一切受けられない。政府は好きなように通貨を獲得できない」と信じ込むようになり、均衡財政論を支持する。「税収と歳出は一致しなければならない。政府は、税収よりも上回る歳出をしてはいけない」と論じ、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を強く主張し、常に緊縮財政を採用することになる。
表を作って整理すると次のようになる。
商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 |
通貨発行権を理解できない。政府は、民間が作り出した通貨に寄生しているだけ | 通貨発行権を認める。通貨は政府が作り出すものである |
どんなときも均衡財政論。緊縮財政が大好き | 税収よりも多い歳出をしても構わない。積極財政をしてもよい |
税金は財源そのもの | 税金はインフレ防止のために掛けているだけ |
デフレ志向 | インフレ容認 |
通貨発行権の歴史
政府の通貨発行権を認めるのか認めないのか。人類の歴史では、前者と後者で何度も揺れ動いてきた。
19世紀や20世紀前半の各国経済は、管理通貨制度と金本位制の2つの間で揺れ動いた。
管理通貨制度は「政府は好きなだけ国債を発行できて、それと引き換えにいくらでも不換銀行券を入手できる」という考え方である。つまり国家の持つ通貨発行権を制限せずに活用する制度である。
一方で金本位制は、「政府が獲得した金塊のぶんだけ中央銀行が兌換銀行券を発行できる、政府が獲得した金塊が少なくなれば兌換銀行券を発行できない」という考えであり、通貨発行権を大きく制限するものである。
その当時に管理通貨制度を志向する人は「国家主権を維持しようとするナショナリスト」とされ、金本位制はグローバリズムだった。
20世紀終盤にはEU(欧州連合)というものが作られ、1999年に統合通貨のユーロが発行されるようになり、加盟各国の通貨を廃止した。統合通貨のユーロは、グローバリズムの体現であるともてはやされたのだが、その一方で、加盟各国は国家主権の重要な一部分である通貨発行権を剥奪されたのである。近年ではEU離脱を主張する政治家が多く現れるようになったが、その人たちの主張は「国家主権を取り戻せ、通貨発行権を取り戻せ、自由に政府予算を組めるようにしよう」である。
グローバリズムというのは国家主権を剥奪して通貨決済を容易にしようという考えである。19世紀~20世紀前半のグローバリズムは「すべての国が金本位制を採用し、それぞれの国との通貨決済を容易にするべきだ」と主張し、20世紀終盤~21世紀のグローバリズムは統合通貨ユーロを作り出した。
そうしたグローバリズムの根っこにあるのが「政府は通貨発行権を持っていない」という考えであり、商品貨幣論と極めて高い親和性がある。
表を作って整理すると次のようになる。
グローバリズム | ナショナリズム |
各国の通貨発行権を認めない。あるいは、強く制限する | 各国の通貨発行権を認める |
金本位制にして、金塊を事実上の世界統合通貨にする | 管理通貨制度にして、各国がそれぞれ好きなように紙幣発行してよいとする |
統合通貨ユーロを支持 | 統合通貨ユーロに反対。EU加盟各国は通貨発行権を取り戻すべき |
EU加盟各国は均衡財政論をとり、緊縮財政で我慢する運命にある。通貨発行権を放棄しているんだからそれが当然だ | EU加盟各国は通貨発行権を取り戻し、通貨発行権を行使して積極財政をして景気回復すべき |
商品貨幣論と高い親和性がある | 国定信用貨幣論と高い親和性がある |
国定信用貨幣論と租税罰金説
「税金は罰金」と考える国定信用貨幣論
国定信用貨幣論は、通貨発行権を使って国家予算を組むことを許容しており、「税源を確保するために徴税をしているのではない。租税はインフレ抑制のために掛けているだけだ。租税による収入は単なるオマケだ」と論ずる。この考え方を機能的財政論という。
そしてさらに、国定信用貨幣論や機能的財政論の信奉者は、「租税というのは、政府が好ましいと思う社会を実現するために掛けている。政府は、好ましくないと考える行動に対する罰金として、徴税している」と論ずるのである。この考え方を租税罰金説とか「税金は罰金」という。
ガソリンの無駄遣いを好ましくないと政府が考えるから、ガソリンを消費する者に対してガソリン税という罰金を科す。自動車の利用者が増えすぎると交通渋滞が発生し国家経済の発展に対して好ましくないと政府が考えるから、自動車を購入する者に対して自動車税という罰金を科す。会社内の権力者だけが給料を増やして会社内で権力を持たない者の給料が減る現象、つまり格差拡大の現象を政府が好ましくないと考えるから、所得税に累進課税を組み込み、高額所得者に罰金を科す。
「税金は罰金であり、政府が好ましい社会を実現するための強制的手段である」というのが国定信用貨幣論から導かれる考え方である。
「税金は罰金」という考え方により「税金を多く納める人は、あまり偉くない」という考え方が導かれる。「刑務所にぶち込まれるほどの社会悪ではないが、政府が望むような社会的理想像から少し離れた行動をとっている」といった程度に高額納税者を扱うことになる。
「税金は財源」と考える商品貨幣論
商品貨幣論は、通貨発行権を軽視する貨幣論である。商品貨幣論の信奉者は通貨発行権のことを認識できず、知覚できない。このため、国家予算は租税の収入によって組まれるべきだと論ずることになる。
つまり商品貨幣論は租税財源説とか「税金は財源」という考えの原因となる。
「税金は財源」「納税は国家予算を支える行動である」「税金は国家を建設する基礎である」という考え方は、次第に「税金を納めるということは、国家に対する参政権や発言権(行政や立法に影響を与える目的で行う表現を自由に行う権利)を得るために必要な行動だ」という考えにつながっていく。
日本の国税庁もそうした思想を表明している(資料)。「代表なくして課税なし
」というのは18世紀の北米大陸で掲げられたスローガンなのだが、「税金を納めることで、参政権や発言権といった権利が得られる」という考え方を支持する人たちにしばしば引用される言葉である。
そしてさらに「納税者は偉い」「税金を多く納める人は偉い」という考えをもたらす。
その考え方が過度に発展すると「納税ができない人は偉くない」という不穏な思想になる。世の中には納税できない経済的弱者がいるものだが、そういう経済的弱者に対して「税金を納めてから、物を言え。税金を納められないなら、黙ってろ」と威圧的に接する風潮を作りあげる。高額納税者が低額納税者を侮蔑することを許容してしまい、社会の分断を生み出す。
さらには、制限選挙を理想視するようになったり、あるいは高額納税者だけが『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を謳歌して低額納税者には『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を与えない社会を理想視するようになり、格差社会・階級社会をもたらしてしまう。
まとめ
表にして簡潔にまとめるとこうなる。
商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 |
通貨発行権を理解できない | 通貨発行権を重視する |
税収だけで国家予算を組むのが本来の姿だ | 通貨発行権で国家予算を組むのが本来の姿だ |
租税は国家を建設するための資本である | 租税はインフレを抑制しつつ、好ましい社会を阻害する要因を懲罰する手段である |
税金を多く払う人は、国家の基礎となっており、偉い | 税金を多く払う人は、好ましい社会を阻害する要因になっており、あまり偉くない |
租税財源説、「税金は財源」 | 租税罰金説、「税金は罰金」 |
税金は参政権や発言権(行政や立法に影響を与える目的で行う表現を自由に行う権利)といった権利獲得のために必要 | 税金を納められない人にも参政権や発言権を認めるのが当たり前である |
「税金を納められない人の選挙権を剥奪してしまえ」という制限選挙を待望する心理を生む | 普通選挙を実現する。 |
「低額納税者の『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を取り上げてしまえ」という心理を生む | 低額納税者にも『行政や立法に影響を与える目的で行う表現をする自由』を認める。低額納税者の発言にも耳を傾ける。 |
格差社会・階級社会になりやすい | 平等社会・無階級社会になりやすい |
国定信用貨幣論と信用貨幣論の関係
信用貨幣論との一致派と信用貨幣論との不一致派がある
国定信用貨幣論を信用貨幣論の一部と扱うか、それとも国定信用貨幣論を信用貨幣論とは異なる理論と扱うか、で意見が分かれている。
国定信用貨幣論を信用貨幣論の一部と扱う人
そして、国定信用貨幣論を信奉する人の一部は「通貨とは、政府の徴税権を消滅させるものだから、政府の負債である」という考えを唱えている。その考えに従うと国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部になる。
国定信用貨幣論を信用貨幣論の一部と扱わない人
一方で「『通貨は政府の徴税権力を消滅させるものだから政府の負債である』という論理は少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものということになる。
たとえば土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合「Dさん所有の土地はEさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは行われない。
また、2020年現在の日本において通貨になっているものは日本銀行券と硬貨であるが、日本銀行券は日本銀行の負債として発行されており、硬貨は政府の資産として発行されている。いずれも政府の負債として発行されているのではない。
本記事の編集方針
2020年5月23日時点の本記事は後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち「通貨は政府の徴税権を消滅させるので政府の負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。
国定信用貨幣論の支持者
現代貨幣理論(MMT)を信奉したり理解を示したりする学者に支持者が多い。米国のL・ランダル・レイ、ステファニー・ケルトン
、ウォーレン・モズラー
、オーストラリアのビル・ミッチェル
、日本の松尾匡
など。
国定信用貨幣論を唱えた19世紀末の経済学者というと、ドイツのゲオルク・フリードリヒ・クナップである。彼の『貨幣国定説』という著作は、ジョン・メイナード・ケインズやアバ・ラーナーに深い影響を与えた。
国定信用貨幣論と酷似した考えを示した歴史上の人物というと、日本の江戸時代の荻原重秀である。元禄時代に勘定奉行を務め、貨幣の改鋳を行って貨幣の品質を落とし、幕府が獲得する貨幣の量を増やして、幕府の支出を増加させてインフレに導いた。「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を言い、国家の権力の後押しがあればどのような素材であろうと貨幣になりうるという国定信用貨幣論そのものの考えを示した。
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筆者は中野剛志で、政治経済思想を専門とする学者である。「国定信用貨幣論」という術語は、中野剛志がこの本で考案したものである。商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用語を使って貨幣論を分類している。54~67ページに貨幣論についての文章がある。
『富国と強兵』とはうって変わって平易で親しみやすい文体になっている。106~109ページ、151~154ページで国定信用貨幣論を説いている。ただし、国定信用貨幣論という用語を使わず、現代貨幣理論という用語を使っている。
こちらも平易で親しみやすい文体になっている。42~45ページに貨幣論についての文章がある。
現代貨幣理論(MMT)の第一人者が書いた本。国定信用貨幣論を解説している。
作者は人類学者。国定信用貨幣論に対して理解を示している。
386ページにおいて「中国の貨幣理論は常に表券主義だった。(中略)帝国とその内部の市場があまりにも巨大だったので、海外との交易がとくに重要になったことはなかったのである。したがって、政府を統轄する者たちは、税はこれこれの形態で支払うことと布告するだけで、ほとんどいかなるものでも貨幣にしてしまえることを十分承知していた」と論じていて、国定信用貨幣論はナショナリズムと親和性が高いことを示唆している。
奈良時代から江戸時代まで、日本で流通してきた貨幣について紹介する。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはどうだったか」ということを入念に論じている。
国定信用貨幣論の考えを随所にちりばめている。国定信用貨幣論の信奉者の一部が唱える「貨幣は政府の負債」という表現が多い。
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