国定信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。
現代貨幣理論(MMT)が採用していることで知られている。
商品貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。国定信用貨幣論と商品貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。
※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
名称
国定信用貨幣論の別名称は、租税貨幣論(Tax driven Monetary View)、表券主義(Chartalism
チャルタリズム)、貨幣国定説
などがある。名前が異なるだけで、どれも同じ内容になっている。
国定信用貨幣論は、中野剛志が著書『富国と強兵』の61ページで作り出した用語である。
租税貨幣論は、現代貨幣理論(MMT)の提唱者として知られるL・ランダル・レイが著書で「Tax drives money」と繰り返していることから、日本人の誰かによって作り出された用語である。
Twitterなどで検索してみると、租税貨幣論という用語の方が国定信用貨幣論という用語よりも多くの頻度で使用されていることがわかる。
概要
定義
国定信用貨幣論において、通貨は政府の徴税権の対象物であると定義する。
国民が納税の義務から解放されるために政府に差し出すものを通貨というのである。
概説
政府は、価値を測る尺度として通貨を法律で定める。
そして政府は、民間人の貢献に対する報酬として、通貨で支払う。政府用の建築物の材料となる木材を民間人から徴収したとき、その対価として通貨を払う。政府用の建築物を建設した労働者に対して、その対価として通貨を払う。政府に所属する公務員(軍人、官吏)に対して、給料として通貨を払う。こうして、通貨が国民経済にばらまかれる。
そして、通貨で計算された納税義務を法律で定め、国民へ一方的に強制する。市場が開かれていたら商人達に「通貨で税金を払いなさい」と要求し、関所を通る通行人に「通貨で税金を払いなさい」と要求する。そうすることで、国民の間でその通貨を必要とするようになり、国民の皆が通貨を貯蓄しようとする。政府の徴税権力により、通貨に対する需要が高まり、誰もが通貨を尊重するようになる。
国民の皆が通貨を欲するようになるので、民間の商取引の交換手段としても使われるようになる。どこの家庭も納税のために通貨を必要とするので、通貨を仲立ちにして商売することができる。
通貨となるのは、「民間人に偽造されにくい」という条件を満たしていれば何でも構わない。紙切れでも瓦礫でも、何でも構わない。
政府が徴税権力を強めると、通貨の需要と価値が高まって、誰もが通貨を貯め込むようになり、デフレになる。
政府が徴税権力を弱めると、誰もが「通貨なんて持っていてもしょうがない、他の商品と交換してしまおう」と考えるようになり、通貨価値が減ってインフレになる。
政府の意思で通貨価値を上げたり下げたりすることができ、政府の徴税権力が健在ならばインフレを止めることができる。内乱などで無政府状態になり政府の徴税権力が失われると、ハイパーインフレになる。
以上が国定信用貨幣論のあらましとなる。
商品貨幣論との比較
商品貨幣論と国定信用貨幣論は、あらゆる面で対極に位置しており、まさに水と油である。商品貨幣論と国定信用貨幣論の比較表は、以下のようになっている。
商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 | |
通貨の定義 | 市場の中で最も人気が高く、皆が一様に価値があると信認している商品 | 政府が納税の手段として一方的に強制しているもの |
通貨を支える主体 | 市場に参加する民間商人 | 政府の徴税権力 |
通貨とは | 皆が価値を信認していて欲しがる | 皆が納税のため貯蓄している |
不換紙幣の時代の通貨 | 市場に参加する民間商人の共同幻想によって通貨が成り立っている | 強大で確実な政府権力によって通貨が成り立っている |
暴落が始まるのはいつか | 市場に参加する商人の通貨に対する信認が失われたとき | 政府が徴税権力を失ったとき |
分かりやすい表現 | 「通貨とは、皆が大事に思っている宝物」 | 「通貨とは、偉い人向けに差し出す貢ぎ物」 |
国定信用貨幣論の長所
あらゆる形態の現金通貨(紙幣、銀行券、硬貨)を上手く説明することができる。
2020年現在の世界各国の大多数は、中央銀行が発行している不換銀行券を通貨として採用している。不換銀行券は、中央銀行の負債として発行されているのだが、中央銀行が何らかの価値ある資産との交換を停止していて、「何らかの価値ある資産との交換期限が極めて遠くにまで先送りされている負債」だと表現することができる。不換銀行券は、銀行にとって極めて緩やかな負債であり、銀行以外の人にとって完全に無価値なものである。
そういう不換銀行券が通貨として流通していることを簡明に解説できるところが、国定信用貨幣論の長所である。
国定信用貨幣論の短所
とにかく浪漫がない、というのが短所である。
商品貨幣論は「通貨とは、市場に参加する全員によってその価値を認められており、皆が追い求める夢のような宝物である」と、まことにロマンチックな説明をする。
国定信用貨幣論は、「通貨とは、権力者がばらまき、権力者が徴税することで成立する。権力者の、権力者による、権力者のための道具である」と、身も蓋もない言い方をする。ロマンチックだとか、甘美さだとか、そんなものは一切ない。
また、政府というものを毛嫌いする思想(イデオロギー)を抱えている人にとっては、なかなか受け入れがたい論理だといえる。
政府などの権力者に反発することを良しとする価値観を持つ人を「反骨精神の持ち主」「反体制派」というが、そういう人たちにとっては国定信用貨幣論を受け入れるのが心情的に難しいと思われる。
経済に対する政府の介入を最小限にすべきという考え方を市場原理主義(新自由主義)という。そういう人たちにとっては、「経済の要である通貨というものは政府の権力によって生み出される」という国定信用貨幣論を受け入れるのが苦痛に感じるだろう。
民間企業を尊んで政府・官僚を卑下する考えを民尊官卑という。この考えを持つ人たちにとって、国定信用貨幣論という学説はどうしてもなじめないだろう。
徴税すると通貨が生じる
国定信用貨幣論の考え方の基本として、「通貨を徴税するというよりは、徴税すると通貨が生じるのだ」というものがある。
「政府の徴税権力で、通貨を作り出すことができる。不換銀行券のような無価値の紙切れに付加価値を与えて通貨に仕立て上げることができる。原価30円の金属片を500円硬貨に仕立て上げることができる」と論じるのである。
政府が徴税すると布告した瞬間に、無価値の物体が通貨となる。ただの紙切れや金属片に価値が付加される。
徴税権力に逆らって納税義務を怠ると、政府によって恐るべき罰が与えられる。警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判所で有罪判決を受け、法務省の管理する刑務所にぶち込まれる。
刑務所にぶち込まれるのが嫌なのは、人なら誰しも抱えている感情である。徴税権力への恐怖心、もう少し柔らかく言い換えると納税義務からの解放を求める心、そういう心は天下の万民が共通して抱いている。それが、通貨を作り出している。
ウォーレン・モズラーの名刺説
ウォーレン・モズラーというアメリカの経済学者がいる。その人は、「モズラーの名刺説
」と呼ばれる例え話をしたことで知られる。
ビル・ミッチェルというオーストラリアの経済学者は、モズラーの名刺説を紹介していた。
ある家庭に父親がいて、子どもに「週に1回庭の掃除をすれば、名刺を100枚あげよう」といった。
子どもは、当然ながら、「名刺なんて要らないよ」と言った。
そこで父親は「それじゃあ、君に対して、週に1回、100枚の名刺を課税しよう。家に住み続けいんなら、納税しなさい」といった。
すると子どもは、たちまち「すぐに庭の掃除をさせて!名刺が欲しいんだ!」といった。
※A simple personal calling card economy(ビル・ミッチェル) このページ
で日本語訳が書かれている
これがモズラーの名刺説である。徴税権力をちらつかせることで、ただの名刺に価値を感じるようになる、と説いている。
名目貨幣と本位貨幣(正貨)
貨幣学の用語に、名目貨幣と本位貨幣(正貨)というものがある。
名目貨幣というのは、素材価値よりも大きい額の額面金額で通用しているものである。原価30円の金属片で作られている500円硬貨、4万円の金塊で作られた昭和天皇御在位60年記念10万円金貨が代表例である。奈良時代の和同開珎や江戸時代の小判も名目貨幣だった。明治時代の政府紙幣は、名目貨幣の究極形といえるだろう。
こうした名目貨幣は、発行した組織に大きな通貨発行益(シニョレッジ)が入るのが特徴といえる。
額面金額と素材価値の差額が通貨発行益となるわけだが、国定信用貨幣論の考え方に基づくと、その通貨発行益は「政府の徴税権力で作り出された付加価値」とか「納税に使用できるという付加価値」ということになる。
国定信用貨幣論とは、「政府はいくらでも名目貨幣を作り出せる」と考える。
本位貨幣というのは、正貨とか商品貨幣とか実物貨幣といわれるもので、素材価値と額面金額が等しいものである。「10万円の本位貨幣である金貨」といえば、「10万円分の金塊で作った金貨」という意味である。本位貨幣は、発行する組織が通貨発行益(シニョリッジ)を得ることができない。本位貨幣は、兌換銀行券が発行された時代の貨幣である。
国定信用貨幣論の考え方だと、「政府は、わざわざ本位貨幣にする必要が無い。徴税権力を使って名目貨幣を作ればいいのであって、本位貨幣で我慢する必要などない」となる。
以上のことを表にまとめると、次のようになる。
本位貨幣(正貨、商品貨幣、実物貨幣) | 名目貨幣 | |
定義 | 素材価値と額面金額が等しい | 素材価値よりも額面金額の方が大きい |
通貨発行益 | 発行する組織に通貨発行益をもたらさない | 発行する組織に多くの通貨発行益をもたらす。巨額の支出の必要性に迫られた政府が発行する |
親和性のある理論 | 商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 |
徴税権力を収賄願望に拡大解釈する
国定信用貨幣論とは、「通貨は、政府の徴税対象物であり、政府の徴税権力を消滅させるものである」という考え方である。
ときおり、その考え方を拡大解釈することがある。政府を「権力者」に拡大解釈し、徴税を「権力者が物品などを受け取る収賄行為」に拡大解釈する。
「徴税は法律で定められた収賄であり、収賄は法律で定められていない徴税である」といった感じに、徴税と収賄を同種類の現象として扱う。
政府の徴税権力への恐怖心が通貨を生み出している、と先ほど表現した。その表現は、「権力者への恐怖心が通貨を生み出している」という表現になる。
宋銭や軍票の流通を説明する
この拡大解釈が威力を発揮するのは、宋銭や軍票が流通した原理を考えるときである。
宋銭は政府の徴税が民衆に課せられていないにもかかわらず民衆に広まっていったことで知られている。また、様々な国が軍票を発行して占領地で流通させたが、軍隊は軍事行動で忙しいので徴税などをロクに行っていないことがほとんどである。
「宋銭は、当時の権力者である平忠盛や平清盛やそれに従う武士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった。権力者の収賄願望を消滅させるという付加価値があったので通用した」と論じたり、「軍票は、占領地における権力者である兵士たちへの賄賂として使い道があったので、民衆に広まっていった」と論じたりすることになる。
もちろん、これらの考え方は、ただの推論でしかない。歴史書に賄賂のことが書かれることはないので、証拠が見つからないからである。とはいえ、国定信用貨幣論を拡大解釈するのは、面白い考え方だと思われる。
刑務所で流通する通貨を説明する
刑務所の中では、独自の通貨が自然発生的に流通することが知られている。
タバコが刑務所通貨として流通することがある。これをタバコ貨幣とか、タバコ通貨という。第二次世界大戦中に、ドイツ軍の捕虜収容所に入所したリチャード・A・ラドフォードは、捕虜収容所の中でタバコが通貨として流通する現実と遭遇した。戦争後に『The Economic Organisation of a P.O.W. Camp
』という論文を書き上げて有名になり(記事
)、そしてIMF(国際通貨基金)に就職している。
2016年のアメリカ合衆国の刑務所では、なんとラーメンが刑務所通貨として流通している(記事1、記事2
)。
こうした刑務所通貨の流通は、国定信用貨幣論の拡大解釈で説明できる。刑務所の中には腕力が強くて乱暴な者や、裏社会に通じていて政治力がある者といった、権力者がいる。そういう権力者を怒らせないようにするには、賄賂を贈るのが一番良い。そのため、権力者向けの賄賂として使い道のあるモノが通貨として流通していく。タバコやラーメンを嫌う人も、「自分は好きじゃないが、権力者向けの賄賂として役に立つ」と判断し、タバコやラーメンを通貨として扱う。
信用貨幣論との関係
国定信用貨幣論を信用貨幣論の一部と扱うか、信用貨幣論とは別個の理論と扱うかで、意見が分かれている。
「通貨は政府の負債」と論じる人たち
信用貨幣論は「通貨とは負債である」と定義している。
そして、国定信用貨幣論を信奉する人の一部は、「通貨とは、政府の徴税権を消滅させるものだから、政府の負債である」という考えを唱えている。その考えに従うと、国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部になる。
「通貨は政府の負債ではない」と論じる人たち
一方で、「『通貨は、政府の徴税権力を消滅させるものだから、政府の負債である』という論理は、法律学の観点からみて少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものである、ということになる。
たとえば、土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合、「Dさん所有の土地は、Eさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは、通常の法律界において行われない。
また、2020年現在の日本において通貨になっているものは日本銀行券と硬貨であるが、日本銀行券は日本銀行の負債として発行されており、硬貨は政府の資産として発行されている。いずれも、政府の負債として発行されているのではない。
本記事の編集方針
2020年5月23日時点の本記事は、後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち、「通貨は政府の徴税権を消滅させるので政府の負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。
物価の調整役は議会が担うべき
中央銀行を政府の銀行と考える国定信用貨幣論
国定信用貨幣論は「通貨価値は徴税権力によって決まる」と論ずる理論である。
このため、物価の安定(インフレやデフレの調整)は、立法府(日本でいうと国会)が先頭に立って行うべきである、という結論に到達する。日本国憲法第41条で「国会が唯一の立法機関」と定め、日本国憲法第84条
で「租税は法律で決める」と定めてある。アメリカ合衆国憲法第1条第8節
でも「議会が税を決める」と書いてある。インフレ・デフレの調整役の主力は国会議員なのだという考えになる。
中央銀行の物価の調整機能は、立法府による物価の調整機能よりも効果が弱いと考える傾向がある。中央銀行の金融政策は「従」であるのに対し、立法府の財政政策こそが「主」である、という考えになっていく。
そして、中央銀行の独立性をさして重要視せず、中央銀行というのは「政府の銀行」で、政府の意向に沿うべきなのだ、という考えを抱くことになる。
中央銀行の独立性を重んずる人たち
一方で、「中央銀行の独立性」を尊重して「物価の調整は中央銀行が一手に引き受けることができる」と主張する人たちがいる。
ちなみに、そのように考えるのは貨幣数量説の信奉者たちだとされる。
アメリカの経済学者が現代貨幣理論(MMT)を罵倒する姿は、多く見られる。それはなぜかというと、現代貨幣理論(MMT)は国定信用貨幣論を採用していて、中央銀行の独立性を否定しているからである。
「いつの日かFRB(アメリカ版中央銀行)の議長になり、物価調整の大役を一手に担う権力者になって、政府を超越した存在になり、皆から尊敬の眼差しで見つめられたい」と思うタイプの経済学者は、FRBを「政府の銀行」「政府に従順な存在」にまで下落させる国定信用貨幣論や現代貨幣理論(MMT)が大嫌いなのである。
ちなみに、アメリカの民主党左派に現代貨幣理論(MMT)の信奉者が多い。民主党左派はリーマンショックを引き起こしたFRBを嫌っており、FRBとかいうエリート集団は信用ならないと思っている。そのためFRBを弱体化させる国定信用貨幣論や現代貨幣理論(MMT)が大好きなのである。
ちょっとややこしいので、表にして簡潔にまとめたい。
現代貨幣理論(MMT)反対者 | 現代貨幣理論(MMT)支持者 | |
貨幣論 | 国定信用貨幣論を受け入れたくない | 国定信用貨幣論の支持者 |
物価調整 | 中央銀行が物価を決める | 徴税権力を決める議会が物価を決める。中央銀行はそれに従属する |
物価調整の担い手 | 中央銀行のエリート学者 | 泥臭い国会議員 |
物価調整の理屈 | 頭の良いエリートの金融理論 | 国会議員が国民から吸い上げた民意 |
中央銀行の独立性 | 断固として死守すべき。政府や議会の要求をはねのけ、経済学説を体現したい | 中央銀行の独立などどうでもいい。中央銀行は政府に従属した存在になるべきだ |
※この項の資料・・・中野剛志『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』332~335ページ、東洋経済記事4~5ページ
、ランダル・レイ『MMT現代貨幣理論入門』4~5ページ(中野剛志の解説文)
不換銀行券の発行の根源を「政府の通貨発行権」と説明する
![]() |
国定信用貨幣論とは、「通貨とは政府の徴税権の対象物である」という考え方である。「政府には強大な徴税権力があり、その徴税権力でどんなものも瞬時に通貨に変えてしまうことができる」という考えで、政府の通貨発行権を強く肯定するものである。
さて、2020年現在の日本では、日本銀行が発行する日本銀行券を主な通貨として採用している。
日本銀行券は日銀にとっての負債であり、日本銀行が何らかの資産を入手したときにその代償として発行する仕組みになっている。2020年現在における日本銀行は、日本国債を資産として入手したときに、その代償として日本銀行券を発行する事が非常に多い。
つまり、日本銀行は、政府の返済能力を高く評価しつつ信用し、政府の返済を義務づけた国債を資産として扱って、その代償として負債を発行しているのである。つまり、日本銀行が政府に対して信用創造を行っている。
日本銀行は、政府に返済能力がある、と高く評価しているのである。さて、ここでの「政府の返済能力」とは、いったい何なのであろうか。
国定信用貨幣論の考えにしたがうと、「日本銀行は、日本政府の通貨発行権による返済能力を信用している」ということになる。日本銀行が日本国債を買い取って日本銀行券を発行するのは、政府に脅されたり命令されているわけではなく、政府の通貨発行権を高く評価し、その権力の強さに屈服しているだけである、ということになる。
もう少し分かりやすくいうと、日本銀行が○兆円の国債を買い取って○兆円の日本銀行券を発行するのは、日本銀行が「政府は○兆円の政府紙幣や硬貨を発行するだけの権力がある」と認めているから、ということになる。
通貨発行権を認める
通貨発行権を認める国定信用貨幣論 通貨発行権を忘れる商品貨幣論
国定信用貨幣論の一大特徴は、政府の通貨発行権を認める点である。「通貨とは、政府が作り出すものである」というのだから、もちろん通貨発行権を認めることになる。
その一方で、商品貨幣論は政府の通貨発行権を積極的に認めない。商品貨幣論の信奉者は政府に通貨発行権があることをすぐ忘れてしまう。商品貨幣論は「通貨とは、民間人が自発的に作り出したものである。政府は、民間人が作り出した通貨に寄生しているだけである」という考え方をする。それゆえ、「政府に通貨発行権なんてないんじゃないか?」と考える傾向がある。
国定信用貨幣論は通貨発行権を認めるから、「政府は通貨発行権を使って予算を作るのが普通である。税収というのにとらわれる必要は無い」と論ずる。「政府と中央銀行というのは通貨発行権を持っている。政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を発行して、それを民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。民間に出回る金が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けている」と松尾匡がこの記事で説明しているが、これこそが国定信用貨幣論に基づく考え方である。
一方で、商品貨幣論の信奉者は通貨発行権というものをさっぱり理解できず、通貨発行権が頭の中に入っていない。このため財政均衡主義をとる。「税収と歳出は一致しなければならない。政府は、税収よりも上回る歳出をしてはいけない」と論じ、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を強く主張し、常に財政再建という名の緊縮財政を採用することになる。
ここで表を作って、整理しておきたい。
商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 |
通貨発行権を理解できない。政府は、民間が作り出した通貨に寄生しているだけ | 通貨発行権を認める。通貨は政府が作り出すものである |
どんなときも財政均衡主義。財政再建という名の緊縮財政が大好き | 税収よりも多い歳出をしても構わない。特にデフレの時はそうしてよい |
税金は財源そのもの | 税金はインフレ防止のために掛けているだけ |
デフレ志向 | インフレ容認 |
通貨発行権の歴史
政府の通貨発行権を認めるのか認めないのか。人類の歴史では、前者と後者で何度も揺れ動いてきた。
19世紀や20世紀前半の各国経済は、管理通貨制度と金本位制の2つの間で揺れ動いた。
管理通貨制度は、政府は好きなだけ国債を発行できて、それと引き換えにいくらでも不換銀行券を入手できる、という考え方である。つまり、国家の持つ通貨発行権を制限せずに活用する制度である。
一方で金本位制は、政府が獲得した金塊のぶんだけ中央銀行が兌換銀行券を発行できる、政府が獲得した金塊が少なくなれば兌換銀行券を発行できない、という考えであり、通貨発行権を大きく制限するものである。
その当時に管理通貨制度を志向する人は「国家主権を維持しようとする人」とされ、金本位制はグローバリズムだった。
20世紀終盤にはEU(欧州連合)というものが作られ、1999年に統合通貨のユーロが発行されるようになり、加盟各国の通貨を廃止した。統合通貨のユーロは、グローバリズムの体現であるともてはやされたのだが、その一方で、加盟各国は国家主権の重要な一部分である通貨発行権を剥奪されたのである。近年ではEU離脱を主張する政治家が多く現れるようになったが、その人たちの主張は「国家主権を取り戻せ、通貨発行権を取り戻せ、自由に政府予算を組めるようにしよう」である。
グローバリズムというのは国家主権を剥奪して、カネの移動を自由にしようという考えであり、市場原理主義と言われる。19世紀~20世紀前半のグローバリズムは「すべての国が金本位制を採用し、それぞれの国との通貨決済を容易にするべきだ」と主張し、20世紀終盤~21世紀のグローバリズムは統合通貨ユーロを作り出した。
そうしたグローバリズムの根っこにあるのが、「政府は通貨発行権を持っていない」という考えであり、商品貨幣論と極めて高い親和性がある。
ここで表にして簡潔にまとめておきたい。
グローバリズム | 反・グローバリズム(ナショナリズム) |
各国の通貨発行権を認めない。あるいは、強く制限する | 各国の通貨発行権を認める |
金本位制にして、金塊を事実上の世界統合通貨にする | 管理通貨制度にして、各国がそれぞれ好きなように紙幣発行してよいとする |
統合通貨ユーロを支持 | 統合通貨ユーロに反対。EU加盟各国は通貨発行権を取り戻すべき |
EU加盟各国は財政均衡主義をとり、緊縮財政で我慢する運命にある。通貨発行権を放棄しているんだからそれが当然だ | EU加盟各国は通貨発行権を取り戻し、通貨発行権を行使して積極財政をして景気回復すべき |
商品貨幣論と高い親和性がある | 国定信用貨幣論と高い親和性がある |
「税金は罰金」との考えを導く
「税金は罰金」と考える国定信用貨幣論
国定信用貨幣論は、通貨発行権を使って国家予算を組むことを許容しており、「税源を確保するために徴税をしているのではない。租税はインフレ抑制のために掛けているだけだ。租税による収入は単なるオマケだ」と論ずる。この考え方を機能的財政論という。
そしてさらに、国定信用貨幣論や機能的財政論の信奉者は、「租税というのは、政府が好ましいと思う社会を実現するために掛けている。政府は、好ましくないと考える行動に対する罰金として、徴税している」と論ずるのである。
ガソリンの無駄遣いを好ましくないと政府が考えるから、ガソリンを消費する者に対してガソリン税という罰金を科す。自動車の利用者が増えすぎると交通渋滞が発生し国家経済の発展に対して好ましくないと政府が考えるから、自動車を購入する者に対して自動車税という罰金を科す。会社内の権力者だけが給料を増やして会社内で権力を持たない者の給料が減る現象、つまり格差拡大の現象を政府が好ましくないと考えるから、所得税に累進課税を組み込み、高額所得者に罰金を科す。
税金は罰金であり、政府が好ましい社会を実現するための強制的手段である・・・これが、国定信用貨幣論から導かれる考え方である。
「税金は罰金」という考え方により、「税金を多く納める人は、あまり偉くない」という考え方が導かれる。刑務所にぶち込まれるほどの社会悪ではないが、政府が望むような社会的理想像から少し離れた行動をとっている、といった程度に高額納税者を扱うことになる。
「税金は財源」と考える商品貨幣論
商品貨幣論は、通貨発行権を軽視する貨幣論である。商品貨幣論の信奉者は通貨発行権のことを認識できず、知覚できない。このため、国家予算は租税の収入によって組まれるべきだと論ずることになる。
つまり、商品貨幣論は「税金は財源」という考えの原因となる。
「税金は財源」「納税は国家予算を支える行動である」「税金は国家を建設する基礎である」という考え方は、次第に、「税金を納めるということは、国家に対する発言権や参政権を得るために必要な行動だ」という考えにつながっていく。
日本の国税庁も、このページで、そうした思想を表明している。「代表なくして課税なし
」というのは18世紀の北米大陸で掲げられたスローガンなのだが、「税金を納めることで、発言権や参政権といった権利が得られる」という考え方を支持する人たちにしばしば引用される言葉である。
そしてさらに、「納税者は偉い」「税金を多く納める人は偉い」という考えをもたらす。
その考え方が過度に発展すると「納税ができない人は偉くない」という不穏な思想になる。世の中には納税できない経済的弱者がいるものだが、そういう経済的弱者に対して「税金を納めてから、物を言え。税金を納められないなら、黙ってろ」と威圧的に接する風潮を作りあげる。高額納税者が低額納税者を侮蔑することを許容してしまい、社会の分断を生み出す。さらには、制限選挙(納税額の多寡によって選挙権の有無を決める。日本国憲法第15条第3項に違反する制度)を理想視するようになり、格差社会・階級社会をもたらしてしまう。
さらには、「納税ができない人は、見捨ててしまえ」という危険な思想になり、弱者を切り捨てる格差拡大容認の考えに傾いていき、社会福祉に対する政府予算を削減して緊縮財政を実現しようとすることになる。日本国憲法第25条第2項を完全に無視することになってしまう。
まとめ
表にして簡潔にまとめるとこうなる。
商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 |
通貨発行権を理解できない | 通貨発行権を重視する |
税収だけで国家予算を組むのが本来の姿だ | 通貨発行権で国家予算を組むのが本来の姿だ |
租税は国家を建設するための資本である | 租税はインフレを抑制しつつ、好ましい社会を阻害する要因を懲罰する手段である |
税金を多く払う人は、国家の基礎となっており、偉い | 税金を多く払う人は、好ましい社会を阻害する要因になっており、あまり偉くない |
「税金は財源」 | 「税金は罰金」 |
税金は発言権や参政権といった権利獲得のために必要 | 税金を納められない人にも発言権や参政権を認めるのが当たり前である |
「税金を納められない人の選挙権を剥奪してしまえ」という制限選挙を待望する心理を生む。格差社会・階級社会になりやすい | 普通選挙を実現し、税金を納められない人の発言にも耳を傾ける。日本国憲法第15条第3項![]() |
「税金を納められない人は国家の役に立っていないので、見捨ててしまえ」という弱者切り捨ての思想につながりやすく、福祉予算削減の緊縮財政を志向する | 「税金を納められない人も尊重すべき」という弱者救済の思想につながりやすく、福祉予算を拡大する積極財政を志向する。日本国憲法第25条第2項を遵守する。 |
国定信用貨幣論の支持者
現代貨幣理論(MMT)を信奉したり理解を示したりする学者に支持者が多い。米国のランダル・レイ、ステファニー・ケルトン
、ウォーレン・モズラー
、オーストラリアのビル・ミッチェル
、日本の松尾匡
など。
国定信用貨幣論と酷似した考えを示した歴史上の人物というと、日本の江戸時代の荻原重秀である。元禄時代に勘定奉行を務め、貨幣の改鋳を行って貨幣量を増やし、幕府の支出を増加させてインフレに導いた。「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を言い、国家の権力の後押しがあればどのような素材であろうと貨幣になりうるという国定信用貨幣論そのものの考えを示した。
国定信用貨幣論を唱えた19世紀末の経済学者というと、ドイツのゲオルク・フリードリヒ・クナップである。彼の『貨幣国定説』という著作は、ジョン・メイナード・ケインズやアバ・ラーナーに深い影響を与えた。
関連商品
筆者は中野剛志で、政治経済思想を専門とする学者である。 「国定信用貨幣論」という術語は、中野剛志がこの本で考案したものである。 商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用語を使って貨幣論を分類している。54~67ページに貨幣論についての文章がある。 |
|
『富国と強兵』とはうって変わって平易で親しみやすい文体になっている。106~109ページ、151~154ページで国定信用貨幣論を説いている。ただし、国定信用貨幣論という用語を使わず、現代貨幣理論という用語を使っている。 | |
こちらも平易で親しみやすい文体になっている。42~45ページに貨幣論についての文章がある。 | |
現代貨幣理論(MMT)の第一人者が書いた本。国定信用貨幣論を解説している。 | |
作者は人類学者。国定信用貨幣論に対して理解を示している。 386ページにおいて「中国の貨幣理論は常に表券主義だった。(中略)帝国とその内部の市場があまりにも巨大だったので、海外との交易がとくに重要になったことはなかったのである。したがって、政府を統轄する者たちは、税はこれこれの形態で支払うことと布告するだけで、ほとんどいかなるものでも貨幣にしてしまえることを十分承知していた」と論じていて、国定信用貨幣論はナショナリズムと親和性が高いことを示唆している。 |
|
奈良時代から江戸時代まで、日本で流通してきた貨幣について紹介する。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはどうだったか」ということを入念に論じている。 国定信用貨幣論の考えを随所にちりばめている。国定信用貨幣論の信奉者の一部が唱える「貨幣は政府の負債」という表現が多い。 |
関連項目
- 7
- 0pt
- ページ番号: 5569845
- リビジョン番号: 2836359
- 編集内容についての説明/コメント:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E8%AB%96