信用貨幣論単語

シンヨウカヘイロン
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信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや、通貨の定義に関する学説の1つである。


日本法律において「貨幣金属素材とする硬貨であり、通貨紙幣銀行券貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事では、できる限りその定義に従うことにする。
 

概要

定義

信用貨幣論において、通貨とは負債を記録したデータ負債明書)であると定義する。

負債明書のことを英語でIOUという。IOUは、「I owe you(私はあなたに対しての負債がある)」の略語である(辞書exit)。

発行した人が資産を譲渡することを約束した負債明書が、人から人へ渡っていくようになったら、それを通貨と呼ぶのである。

負債明書は発行した人にとって負債であり、入手した人にとって資産になる。負債資産は対義である。簿記貸借対照表(バランスシート)の知識がわずかでもあると、そういう理屈を理解しやすい。

発行した人が儀に資産を譲渡することが信用されていないと、その負債明書は通貨として流通しない。発行した人への信用があると、その負債明書は通貨として流通する。


英国中央銀行であるイングランド銀行の季刊誌において、次のように通貨が定義されている。
 

Money today is a type of IOU, but one that is special because everyone in the economy trusts that it will be accepted by other people in exchange for goods and services.

現代における通貨とは、負債明書の特殊な一形式で、「他の人々が財物やサービスと引き換えに受け取ってくれる」と経済に参加する全員が信用するものである。

※イングランド銀行季刊誌2014年春号「現代社会における通貨の紹介」exit

  

手形や小切手を通貨の先駆と考える

負債明書(IOU)で染み深いのが、手形小切手である。

信用貨幣論においては、手形小切手のことを一種の通貨と考える傾向がある。

また、歴史上で手形小切手に酷似した負債明書が見つかると「これは、通貨の先駆けである」と論ずるのが、信用貨幣論の特徴といえる。
 

信用貨幣論の長所

2020年現在日本においても、世界においても、市中銀行exit中央銀行以外の銀行)が提供する銀行が、流通する通貨の大部分を占めている。ちなみに、銀行提供する銀行のことを通貨ともいう。

そういう銀行(預通貨)の性質をきっちり説明できているのが、信用貨幣論の長所である。

銀行は、銀行の発行する負債明書(IOU)である。預者にとって銀行債権である。預者が支払いを要したら、銀行は即時に紙幣や硬貨といった現通貨を支払わねばならない。
 

信用貨幣論の短所

2020年現在世界を見渡すと、中央銀行が発行する不換銀行券通貨として採用しているが大多数を占める。

その不換銀行券は、中央銀行負債として発行されているが、返済期限期限であると同時に利子であり、負債としての厳しさが皆無である。不換銀行券を所有する人は、発行した銀行に対して永遠に債権できない。不換銀行券は、本来、所有する人にとって全なである。

不換銀行券負債のように見えるが実質的に負債ではない」と論じる学者すら存在する。小栗滋賀大学経済学部教授が、そうした見解を述べる学者をこの論文exitで紹介している。

また、かつて先進国で発行されたことがある政府紙幣というのも、負債性が極めて乏しい。政府紙幣政府資産として発行されるか、政府の返済期限期限・利子負債として発行されるかのどちらかである。前者なら信用貨幣論の定義から外れるし、後者だとすれば負債としての性質が極度に薄い負債である。

また、2020年現在日本で発行されている硬貨は、政府資産として発行されており、信用貨幣論の定義から外れている。

以上のように、政府によって通貨認定されている不換銀行券政府紙幣や硬貨は、信用貨幣論で説明するのが難しい。言い換えると、通貨を信用貨幣論で説明するのが難しい。

通貨を説明するのは、国定信用貨幣論か、商品貨幣論のどちらかとなる。
   

人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る

通貨の成り立ちに関する学説のうち、最も有名なのは商品貨幣論である。その学説では、「原始社会においては物々交換barter)が行われていた。物々交換は不便なので、もが欲しがり価値を認める商品が交換の媒体として選ばれるようになった。それが通貨の起である」と説明している。

この学説に対して、人類学者たちが反論をするようになった。彼らによると、原始社会では物々交換が行われていなかったという。そのうちの1人がキャロライン・ハンフリーexitという英国の学者であり、彼女1985年の論文でそう論じている。フランスマルセル・モースexitアメリカジョージ・ドルトンexit、同じくアメリカデヴィッド・グレーバーexitもそう述べている。
 

No example of a barter economy, pure and simple, has ever been described, let alone the emergence from it of money. All available ethnography suggests that there never has been such a thing.

キャロライン・ハンフリー『Barter and Economic Disintegration』1985exit


物々交換から貨幣が生まれたという事例はもちろんのこと、純で単純な物々交換経済の事例さえ、どこにも記されていない。手に入れることができるすべての民族誌を見るかぎり、そうしたものはこれまでに1つもない。


フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16~17ページexit_nicoichibaより引用。先ほどの論文を和訳したもの。

しかし、悩ましいのはそのようなことが実際に起こったという拠がないことであり、むしろそんなことが起こっていないことの方を膨大な量の拠は示していることである。

数世紀にもわたって研究者たちは、この物々交換おとぎを発見しようと努してきたが、だれひとりとして成功しなかった。

デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』45ページexit_nicoichibaより引用

 
※資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』16~17ページexit_nicoichibaデヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』34~64ページexit_nicoichiba英語記事1exit英語記事2exitキャロライン・ハンフリーの1985年論文exit
 

原始社会の経済

原始社会では物々交換がほとんど行われていなかった、とするのが定説である。

では、ほしいものが手元にい場合どうしていたかというと、借りパクしていたのである。借りパクされる側も、どうせ後で必要になれば勝手にもって行けばいいので気にしなかった。また、贈り物を頻繁にするというも良く見られた。お互い、余ったモノや必要なモノをシェア(共同所有)していたということである。

開拓初期のインディアン習の記録でも、りっぱなものを気前良くくれたが、それを大事に飾っていると独り占めするなと怒られた、というものがある。日本でも隣のおばちゃんが余った野菜料理を気前良くくれたり、近所のおじさんが他人のに上がって風呂に入りつつ(大量のお湯を沸かすのは、重な資材が多く必要だったし、重労働だった)帰り際におやつを失敬する、といったような昔話を聞いたことがあるだろう。

ロルナ・マーシャルexitというアメリカ人の人類学者がいて、アフリカカラハリ砂漠exitブッシュマンexitという部族を研究していた。現地協者にナイフを贈ってそこを去り、1年後に戻ってみたら、その部族のほとんどもが一度はナイフを所有していたという。

個人限定の財産を明確に持たず、贈り物や借りパク共同体中のモノが循環するのが原始的な経済(の一つの形態)だったのだ。個人の所有権(財産権)とか、そういう意識がかった。これを非市場経済exitという。

この文化において、通貨は当然存在しない。


そして、フランスの人類学者マルセル・モースexitが『贈与論exit』でるところによると、原始共同体の中での贈与の周辺には、与える義務、受け取る義務、返礼の義務が発生しているのだという。つまり、債権債務の関係が生じていると摘している。個人の財産というものを意識しない原始共同体の段階から、人類は、債権債務を意識していたというわけである。
 

※資料・・・マルセル・モース『贈与論』103~109ページexit_nicoichibaデヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』45ページ、54~55ページexit_nicoichiba『日本史に学ぶマネーの論理』第2章貨幣の基礎理論を知る 2.負債としてのマネーと貨幣法制説exit_nicoichiba
 

都市国家

人類の歴史は、原始共同体(集落)から都市国家exitになり、都市国家から領域国家になるのが一般的な傾向である。

農業などで人口が安定的に増えて共同体が大きくなり、原始共同体(集落)から都市国家になると、にどれくらいの貸し借りをしたかわからなくなってくるので、借りパクで済ますというわけには行かなくなる。

そこで、「後でこれを私に渡せば、うちの品物と交換しますよ」という負債明書(IOU)を渡して品物を受け取るというシステムが現れた、と推測されている。たとえば麦農家Aさんが収穫のためのを新しく必要とするとき、Aさん収穫の麦30kgと交換できる負債明書を渡して鍛冶屋のBさんからをもらい、収穫後に鍛冶屋のBさんが負債明書とAさんの麦30kgを交換する、という具合である。

この負債明書(IOU)は、要するに、手形である。

現代社会における手形が支払手段として使われているのと同様に、都市国家段階の古代社会における負債明書も支払手段として使われていたのではないか、と推測されている。Aさん一家から「Aさん発行の負債明書」をもらった鍛冶屋のBさんは、を加工するためのが欲しくなった場合、農家のCさんに「Aさん発行の負債明書」を手渡して支払いをすることができる。


メソポタミア都市国家の遺跡からは、1~3cm程度の大きさで様々な形をした粘土製の物体が大量に出土している。これは考古学者たちの間でトークンexitと呼ばれていて、債権債務の記録に使われたと考えられている。債務者が負債明書(IOU)として債権者にトークンを渡した、というわけである。

さらに、メソポタミア都市国家の遺跡からは、トークンを押しつけてできた跡がある粘土板exitが出土している。これも、債権債務の記録に使われたと考えられている。トークンを押しつけてできた跡は、象形文字となり、のちの楔形文字の起となった、とデニス・シュマント=ベッセラ教授は考えている。

さらに、メソポタミア都市国家の遺跡からは、楔形文字を書き入れた粘土が大量に出土している。その粘土は、物の数量の記録に関するものが全体の85ほどを占めている。その中には、負債明書がいくつも見つかっている。

※資料・・・『メソポタミア文明入門』第3章文字と文書exit_nicoichiba『日本人が本当は知らないお金の話』45~48ページexit_nicoichiba『金融の世界史: バブルと戦争と株式市場』19~30ページexit_nicoichiba『負債論 貨幣と暴力の5000年』60ページ、324~329ページexit_nicoichiba
 

領域国家

人類の歴史は、都市国家exitから領域国家へ進んでいくことが一般的な傾向である。

都市国家は点の支配であり狭っ苦しい。領域国家は面の支配であり、広い範囲に権が及ぶ。

都市国家というのは豊かな人口過密地域だけに引きこもっている状態だが、領域国家というのは貧しい人口過疎地域を突っ切って縦横尽に駆け巡る軍隊というものを擁して広域を支配する状態である。(三国志を知っている方は、三国志における軍隊の活躍を思い出して頂きたい)

つまり、領域国家というのは軍隊の維持が最大の標だった。軍隊を維持するため、兵士や軍需物資製造者に給料というものを払わねばならない。ゴツい兵士には給料の代わりに領土をくれてやって「好きなように領地で収奪・カツアゲするように」といってもいいが、軍需物資製造者にはそういう方法を採れず、なんらかの給料を払わねばならない。

政府は軍需物資製造者や兵士に対し、あらかじめ徴税して倉庫に貯め込んでおいた財物(、麦、布、など)を給料として手渡すようになった。軍需物資製造者や兵士は、政府からもらった財物(、麦、布、など)を農家に持ち込んで、野菜果物鶏肉といった好きなものと交換できた。なぜなら、農家にとっては「来年納める物の代わりが手に入って、租税負担が減って楽になる」と考えるからである。

そういう形で給料支払いを続けてきた政府は、次第に、もっとよい方法はないか、と考えるようになった。、麦、布、などは、変形したり腐ったりする可性があり、ちょっと不便なのである。

そこで政府は、軍需物資製造者や兵士に与える給料を、金属でできた貨幣に切り替えることにした。金属というのは変形しにくく腐らないので、倉庫にいつまでも貯め込むことができる。金属でできた貨幣というのは、貨、貨、貨、鉄貨exit、そして貝貨exitである。(というのはカルシウムという金属でできている)

政府は、貨幣を軍需物資製造者や兵士に与えつつ、貨幣で納税することを領域国家民に強制することにした。関所を通ったときに貨幣を徴税し、市場で店を開いたときに貨幣を徴税し、農家にも農作物の代わりに貨幣を徴税する。そうすることで、民は納税のために貨幣の貯蓄に励むようになり、貨幣を欲しがるようになる。民の皆が貨幣を欲しがるので、貨幣を使って財やサービスを交換できるようになる。

、麦、布、、などの現物支給と貨幣支給は、政府にとってやることの順番が異なる。現物支給は先に徴税してその後に徴税した物品を給料として支払うのに対し、貨幣支給は先に貨幣を給料として支払って、その後に徴税する。

現物支給 貨幣支給
給料として渡すもの 、麦、布、など 貨、貨、貨、貨、
やることの順序 先に徴税し、徴税した物を支給する 先に給与支給し、後に徴税する


以上のように、領域国家政府が発行して徴税で回収するものが通貨である、という学説を国定信用貨幣論という。

政府の発行する通貨は、政府の徴税権を消滅させるものだから、政府負債である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論は信用貨幣論の一部である、ということになる。

一方で、「『政府の発行する通貨は、政府の徴税権を消滅させるものだから、政府負債である』という論理は、法律学の観点からみて少し不自然である」と論じる人がいる。その論理に従うと、国定信用貨幣論と信用貨幣論は別種のものである、ということになる。

たとえば、土地所有者のDさんと不動産屋のEさんがいて、DさんがEさんに土地を売却する契約を結んだとする。この場合、「Dさん所有の土地は、Eさんの債権を消滅させるものであり、Eさんにとって負債である」と表現することは、通常の法律界において行われない。

2020年5月23日時点の本記事は、後者の立場を支持しつつ執筆した。すなわち、「通貨政府の徴税権を消滅させるので政府負債である」という論理に異を唱え、国定信用貨幣論と信用貨幣論を別個のものと扱っている。


さて、国定信用貨幣論ライバルに、商品貨幣論というものがある。「通貨は、市場に参加する全員が価値を認める一番人気の商品が変形してできたものである」という学説である。

領域国家政府兵士などの給料として支給した現物は、通貨のように振る舞ったものがある。古代日本・布・古代ローマである。これらはすべて商品としての需要がある。

領域国家政府が発行する貨幣は、金・銀といった金属を鋳造した貨幣に集約されていった。そうした金属は商品としての価値を持っている。

このため、商品貨幣論国定信用貨幣論しい論争が起こるようになった。



商品貨幣論によると、貨が発行されたのは次のように説明される。

というのはピカピってにもされる商品である。美術品としての需要も高い。という金属の価値が、貨幣の価値となったのである。

 

その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。

なるほど塊そのものに価値があることは間違いない。しかし、「塊そのものの価値」だけでは全々に流通した理由が説明できない。「塊なんて、ただるだけの金属じゃないか」という田舎親父もこの世に存在する。塊に全く価値を感じない人も一定の割合で存在する。

塊に全く価値を感じない人も貨を受け取ったのは、やはり政府の権の後押しがあったからだ。貨で納税義務を果たせるという定信用貨幣としての要素があったから、流通したのだ。

わざわざ塊が政府選ばれたのは、「錆びない、腐ったり劣化したりしない、鋳造する技術が必要で埋蔵量が少ないから偽造がしにくい、材料さえあれば均質なものを量産できる、宝飾品以外の実用的な使いがなかった」などが考えられる。とくに「埋蔵量が少ないから偽造しにくい」というのが重要だ。



また、商品貨幣論によると、古代日本で布が貨幣として扱われたのは次のように説明される。

布というのは素材として需要が非常に高く、にもされる商品である。布でできたはとても快適で、皆が価値を認める。それゆえ物々交換の基軸となり、貨幣となっていった。

 

その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。

なるほど、布そのものに価値があることは間違いない。しかし、「布そのものの価値」だけでは広く流通した理由が説明できない。布を全く欲しがらない人も一定の割合で存在する。

古代日本の税制は租庸調exitといい、その中に「布を納税せよ」という項がある。布には、納税義務を果たせるという定信用貨幣としての要素、つまり付加価値があったから、貨幣として流通した。

布を納税する地方農家が所有しているが欲しくなったとする。そのときは布を手渡せば、農家の人たちは「来年分の納税負担が減る。喜んで受け取りましょう」と言いつつ、を差し出してくれるだろう。

 

・・・という論争が果てしなく続けられるようになった。どちらのもある程度説得があるので、まったく決着が付かなかった。

不換銀行券の時代になって、商品貨幣論は説得に陰りが見えるようになった。このため、国定信用貨幣論の説明がすこしだけ優勢になったと言える。
  

小切手・手形に類似した負債証明書(IOU)の発達

洋の東西を問わず、領域国家政府が発行する貨幣は、金属を鋳造したものに集約されていった。

金属で出来たものなので、かさばると重く、運搬しづらい。大量の貨幣を持ち歩くと、山賊などにひったくられる危険性が高まってしまう。

そこで、現代の小切手手形に酷似した負債明書(IOU)が使われるようになった。

日本においては、平安時代末期から鎌倉時代にかけて宋銭が大量に流入した後、鎌倉時代割符(さいふ)exitというものが商人の手によって発行されるようになった。「一定の期日の後にこの文を持ち込んで頂ければ、銭十貫文と交換いたします」と書かれていて、まるっきりの手形だった。

また、寺や神社が集めた祠堂銭exitを商人に預け、商人が祠堂銭預状という負債明書を発行した。こちらは小切手に近い。


さらにいうと、宋銭が流入する前の11世紀の平安時代・布が貨幣のように振る舞っていたが、この・布を支払うことを約束した負債明書が発行されていた。これを切符系文書という。これも小切手に近い。

江戸時代になると、伊勢三重県)の商人が羽書(はがき)exitを発行し、藩札exitを発行し、旗本が旗本札exitを発行した。これらは幕府の発行する貨・貨・貨との交換を保している負債明書である。これまた、小切手に近いものである。ただし、札と旗本札は、軍票に近い存在であり、国定信用貨幣論で説明した方がいいかもしれない。


※この項の資料・・・『通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで』exit_nicoichiba『日本史に学ぶマネーの論理』exit_nicoichiba
 

金匠が発行する負債証明書

西洋のイギリスでも、負債明書(IOU)の発行が発達していった。  
 

イギリス貨が流通すると、商人が大量の貨を保有するようになった。ただ、貨を自宅に保管しておくと、どうしても盗難の危険が高くなる。

細工職人英語ゴールドスミスexitという)は堅庫を持っていたので、商人たちは貨をに預け、代わりに受領書ゴールドスミスレシート goldsmith receipt)を受け取るようになった。受領書を持ち込めば、額面通りの貨を引き出すことができる。

商人たちは、取引先に貨を支払う場合、から貨を引きだして支払うのが面倒になってきた。貨を持ち運ぶこと自体が危険だからである。そのため、商人たちは切れを発行し始めた。その切れは宛の依頼書で、「私が預けている貨の名義を、私からこの依頼書の所有者に代えてくれ」という内容のものだった。

この依頼書のことを手形(ビル・アポン・ゴールドスミス bill upon goldsmith)という。現代にいえば、小切手である。この手形での支払いが、盛んに行われるようになった。

 
これは17世紀イギリスにおける実話である。最も古い受領書は1633年発行のもので、1650年代には手形が発行され始め、1680年には手形での決済が盛んに行われていることに驚く日記が見つかっている。

手形は発行した人物にとって負債明書(IOU)であり、手形を保有している人物への債務が宿っている。

そしてさらに興味深い現が起こりはじめた。
 

は「これからは預り受領書)を譲渡可にすればいいんじゃないか」と思いついた。預りに「これを持参した人物に対して、貨を支払う」という表現を書き込んだ。

こうした譲渡可な預り手形ゴールドスミス・ノートexit goldsmith note)という。手形は便利なので、の近くの地域経済で支払い手段として使われるようになった。

  
先ほどの手形は多種多様な商人たちが発行していた。このため券面の書き方にもちょっと違いがあり、受け取る人たちにとってはすこし注意が必要であった。

一方、手形の発行者は、ただ1人である。その手形はどれも画一的な券面の書き方であり、受け取る人にとって慣れてしまえば扱いやすい。手形が広まった方が地域経済にとって便利だった。このため手形が広まっていった。

手形もまさしく負債明書(IOU)であり、手形を所持している人物への債務が宿っている。

そして画期的な現が起こりはじめた。
 

に対して「貨を貸してください」と言ってくる商人は多かった。貨を貸そうとすると、「いえ、貨は盗難の危険があるので受け取りたくありません。手形だけ発行してくれれば良いのです。支払いも手形で行いますから」というので、手形の発行だけで貸し出しを済ますようになった。もちろん、商人からの利子・元本返済は貨で受け取ることにする。

あるとき、は、自分の庫から貨を引き出そうとする人物がめったに現れないことに気が付いた。「自分の庫に眠っている貨の量よりも多い貸し出しをしても、大丈夫なんじゃないか」と思い始め、借を申し込んでくる人が現れるたびにどんどん手形を発行していった。

いつしかは、保有している貨の20倍ほどの手形を発行するようになったが、発行しすぎで破綻することはかったという。

 
以上が、ヨーロッパにおける発券銀行の成り立ちに関する昔話である。1694イングランド銀行が設立されて紙幣銀行券)を発行するようになったが、手形を手本としたという。1844年イングランド銀行イギリス内における紙幣発行業務を独占するようになり、中央銀行となった。

イギリスだけでなくどこのにおいても、19世紀頃まで多くの民間銀行が勝手に紙幣を発行していたが、だんだんと1つの銀行に統合されていった。1つの紙幣発行権を独占する銀行中央銀行という。中央銀行政府と非常に深い関わり合いになる。


※資料・・・『マネー文明の経済学―膨張するストックの時代』84~91ページexit_nicoichiba『中央銀行の形成―イングランド銀行の史的展開』45~51ページexit_nicoichiba『マネー文明の~』は、『中央銀行の~』から引用している
 

銀行の信用創造で作られる銀行預金

先ほどの昔話の中で、のもとへ借を申し込む人が現れるたび、は手持ちの貨よりずっと多くの手形を発行していた。それと同じことを現代の銀行も行っている。

銀行は人が銀行から借りるときに生まれている。そして、意外なことであるが、銀行は保有する資関係に銀行を作ることができる。これを信用創造という。

Aさんという人が民間銀行から住宅購入資の融資を受けるとき、銀行Aさん銀行口座の預残高の数字を書き足すことで融資する。Aさんは預残高を減らし、住宅販売会社の預残高を増やして、そうやって支払いを済ませて住宅を購入する。住宅販売会社がAさんと同じ銀行に口座を持っている場合、民間銀行は手持ちの資を一切減らさずに済ますことができる。銀行が資を持たずに信用創造でいくらでも預創造できるのはこのためである。

現代において、現通貨の10倍近くの量が預通貨銀行)として流通しており、経済活動の役となっている。

通貨は、銀行万年筆で帳簿の数字を変更したりパソコンキーボードいたりするだけで増えるので、預通貨万年筆マネーとかキーストロクマネーといわれる。

もちろん、銀行は、銀行にとっての負債明書(IOU)である。銀行は、銀行の所持人に対して現通貨紙幣・硬貨)を即時に支払う債務を負っている。
 

1970年アイルランド銀行閉鎖事件

通貨というのは負債である、という信用貨幣論を裏付ける事件が1970年に発生したので、紹介しておきたい。


1970年5月1日アイルランド銀行業界でストライキが起こった。このときのアイルランドは高率のインフレに悩んでおり、職員の待遇善をめる労働組合がストを決行した。

それから約6ヶアイルランド銀行閉鎖されっぱなしだったが、なんと、たいした混乱もなくアイルランド経済は機し続けており、統計によると経済準も上がり続けたという。

アイルランド人たちはどうしたかというと、個人個人が小切手を発行して支払いをしていた。アイルランドポンドで値が付いている自動車を買うとき、その額の小切手を発行していたのである。自動車販売会社は小切手を発行した人の支払いをわりと簡単に調べることができた。その購入希望者が立ち寄るパブ(イギリスアイルランド場)に行き、そこの人に購入希望者の支払いを尋ねるだけだった。アイルランドはパブでビールを飲んで交流するという文化が残っていたのが幸いした。パブの人は、その周辺の人々の支払いをだいたい把握していたのである。

こうして、支払いがある人の小切手だけが受け取られた。この小切手銀行閉鎖最中における通貨となった。

小切手とは「これを銀行に持ち込めば私の口座から引き出して現にすることができます」という負債明書(IOU)である。「通貨負債である」という信用貨幣論の定義通りの現だったと言える。


※資料・・・フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』32~39ページexit_nicoichiba
 

電子マネー

21世紀になって各で急速に普及している電子マネーは、発行する企業負債明書(IOU)であるので、信用貨幣論において「通貨に準ずる存在」と扱われる。

電子マネーの中でも、特に、プリペイド電子マネーは、典的な発行企業負債といえる。プリペイド電子マネーは、利用者が先に現通貨などでチャージして電子マネーの額を増やしてから、商品購入などに利用するものである。
 

様々なプリペイド式電子マネー

プリペイド電子マネーには、次のようなものがある。

Suicaなどの交通系電子マネーWAONなどの流通系電子マネーが典的なプリペイド電子マネーである。

インターネットの決済に使用できるWebMoneyPayPalも、プリペイド電子マネーといえるだろう。

インターネット販売サイトが発行し、そのインターネット販売サイトの中でのみ使用できるポイントというものがある。Amazonが発行するAmazonギフト、DMMが発行するDMMポイント楽天が発行する楽天スーパーポイントなどである。これらも、プリペイド電子マネーといえるだろう。
 

プリペイド式電子マネーのチャージ

プリペイド電子マネーにチャージを行い、電子マネーの額を増やすには、おおよそ3種類の方法がある。日本銀行券や硬貨といった現通貨を支払ってチャージする方法と、銀行を払ってチャージする方法と、クレジットカードで支払ってチャージする方法である。

いずれの方法でも、電子マネー発行企業貸借対照表バランスシート)の資産の部は、額が増える。現が増えたり、銀行が増えたり、クレジットカード企業への債権が増えたりする。

電子マネー発行企業は、そういった資産の部の額増加に対応して、電子マネーという負債を発行する。
 

電子マネーの定義

電子マネーというものは、発行企業にとっての負債である。発行企業は、加盟店に電子マネーを差し出されたら、即時に現通貨銀行に交換しなければならない。要されたら即時に交換する負債一覧払い負債とか要払い負債といい、負債の中でも厳しい部類に入る。

ただし、利用者が電子マネーを発行企業に提示しても、発行企業は現銀行に交換する義務がない。電子マネー発行企業は、加盟店が電子マネーを差し出してきたときのみ、対応する。

Aさんが1万円の現通貨を払ってSuicaに1万円をチャージしたとする。そうすると、もうAさんは、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要できなくなる。

Aさんは、Suicaを扱う加盟店で、Suica1万円を使って1万円の商品を購入できる。

Suica1万円を購入者から受け取った加盟店は、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要できる。

ゆえに、プリペイド電子マネーは、次のように定義できる。
  

プリペイド電子マネーは、発行企業にとっての一覧払い負債である。発行企業電子マネーを提示する加盟店に対して、即時に現通貨銀行に交換しなければならない。ただし、利用者に対しては、現通貨銀行に交換する義務がない。

 
このように、プリペイド電子マネーは、すこし特殊な負債と表現できる。現通貨銀行に交換する義務を果たす相手は、加盟店だけに限定されている。
 

関連商品

作者中野剛志

商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用を使って貨幣論を分類している。5467ページ貨幣論についての文章がある。
『富と強兵』とはうって変わって易で親しみやすい文体になっている。87109ページに信用貨幣論や信用創造についての文章がある。イングランド銀行季刊誌2014年春号exit引用して信用貨幣論を解説しており、非常に分かりやすい。
作者経済学者

商品貨幣論を否定する立場から書かれている。かといって国定信用貨幣論の信奉者でもない。民間人が発行する信用貨幣の例を熱心に取り上げている。
作者は人類学者。この本は後述の『負債論』にも影を与えている。

原始社会共同体内において、贈与と収受が盛んに行われていることを示している。太平洋に浮かぶ々や北大陸の例を豊富に紹介している。

原始社会共同体内の物々交換についてはやんわり否定している。8788ページ92ページ98ページ271ページなどに書かれている。

後世への影が大きい名著であり、日本語版Wikipediaにも記事があるexit
作者は人類学者。原始社会において、『共同体の中における物々交換』がなかったことを論じている。

原始社会物々交換が起こるとすれば2度と会うこともないようなヨソ者同士であり、暴力をみなぎらせた緊をはらんでいる、と46~53ページで論じている。アダム・スミスが想像したような雰囲気とは異なっている。

「昔のは常備軍を維持することが大きな悩みの種だった。常備軍に硬貨を配布してそれと同時に内の全世帯に『硬貨で納税すべし』と布告するだけで民が軍隊を進んで養おうとするようになる」と75ページで解説している。これは国定信用貨幣論と同じ考え方と言える。
作者は商学を専門とする学者。

121221ページの後編において、信用貨幣論に基づいた貨幣論を述べている。メタリズム商品貨幣論)について一貫して批判的な論調となっている。

学者らしい堅い言い回しが多く、いかにも学術書といった感じになっている。
作者中田一郎exitで、東洋史(西アジア中東)の学者。中央大学名誉教授

古代メソポタミアのことを手広く解説しており、読みやすい。
作者三橋貴明中小企業診断士資格を持っている人で、貸借対照表バランスシート)を読み解くに優れている。このため、信用貨幣論を深く理解できた。

商品貨幣論を否定して、信用貨幣論を紹介している。
作者は、券業界で長年働いていた人。

融に関する豆知識をずらっと並べたような本で、世界史が得意な高校生なら読み込むことができるだろう。

貨幣論についてはあまり深く踏み込んでいない。
日本中世・近世史を専門とする学者である高木久史exitが書いた本。

銭から現代の通貨まで手広く解説している。文章が読みやすい。貨幣論についてはあまり深く踏み込んでいない。
経済政策、マクロ経済学を専門とする学者である飯田泰之が書いた本。

銭から江戸時代末期までを広く解説している。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはなんだったのか」という論点をっている。

国定信用貨幣論信奉者の一部が支持する「貨幣政府負債」という表現を繰り返している。それと同時に商品貨幣論視点も維持して考察している。
作者は関という人で、1932年に生まれ、石油関連産業に長く在籍した。

1990年7月5日初版が発行された。
作者藤田幸雄という人で、1982年経済学研究科の博士課程を修了し、銀行論と現代銀行史を専攻する学者である。


 

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信用貨幣論

1 ななしのよっしん
2019/09/03(火) 03:52:08 ID: qNHyGGE/8m
おお、国定信用貨幣論とは別に記事が出来たんだね。良い記事だ。興味があった所だから嬉しいな。

>>sm1256333exit_nicovideo

かなり古いだけど、細工師から銀行の成り立ちはこの動画で出てるね。これは信用貨幣詐欺だって立場の陰謀論っぽい所で話が終わっちゃう動画だけど、むしろ債務貨幣でちゃんと価値があるって事の裏付けになってるよね。
2 ななしのよっしん
2019/09/03(火) 04:15:22 ID: qNHyGGE/8m
ひとつ記事の一部に反論したいんだけど暗号通貨が「これはまさしく信用貨幣」ってのはちょっと違うのでは? 記事の冒頭の定義とも矛盾してる気がする。
暗号通貨って「かの負債」じゃないよね。確かに「データ」だけど「トークン債務明書)」ではないというか。

人の債務ではなく「偽造しにくい」「希少性が高い」「便利な性質がある(国家を介さなくても使える)」って所が価値を支えてるんだから、現在暗号通貨銀行券よりむしろ貨とかに近い存在だと考えるんだけど、どうだろう?
3 ななしのよっしん
2019/09/20(金) 12:51:55 ID: aYXFnesiKf
運営負債だよ。運営が利用者から各通貨を借りて、利用者が望んだら定した通貨で返しているからね。
4 ななしのよっしん
2019/10/30(水) 18:58:42 ID: 1S7X7T0W/I
ビットコインは価値を担保する運営がいないと聞いた。そういう意味で、も価値を担保する運営がいない、資の総量に限りがある、交換レートはその時の時価で決まるという意味では似てるな。
5 ななしのよっしん
2019/11/05(火) 10:00:50 ID: 7hprSUS/MT
信用貨幣というか事実宝石のような「希少価値のある存在」となってるから
現状は取引されていると言ったほうがいいんじゃないかと。
仕組みが「どれだけ需要があっても供給量の調節は不可能
かつ供給のみの現状」は通貨発行権の裏返しの「通貨回収」が
起こらない通貨としての構図とはズレが発生してるし
6 ななしのよっしん
2020/04/29(水) 13:54:55 ID: 6nj+6CYN+h
物々交換から発達した経済が未発見というのはわかるんだけど物々交換そのものは沈黙交易というかたちであったよね
7 ななしのよっしん
2020/05/21(木) 00:54:04 ID: LLCHwS81Pf
国定信用貨幣論の正しさは絶対なので物々交換は存在しないぞ
8 ななしのよっしん
2020/09/19(土) 10:59:09 ID: V7IKx3PPsM
物々交換から発達した貨幣は存在しない、ということだから物々交換自体は認めている
物々交換商品貨幣論の説くような素な形式のものはく、代理戦争だとか部族間の親儀式だとかの儀礼的要素が非常に大きい

希少価値の高い物が貨幣の代理として流通するのはそれを回収して通貨と交換する業者がいるから
産出量や供給量をうまくコントロールしないと価格が乱高下するというのは中央銀行の発行する信用通貨と何ら変わるところはない
通貨政府の徴税と国債発行、中国債買い取りと通貨発行を連携させられる上に額が大だから安定した決済手段として受け入れられているけど、重品の場合は絶対量が少ない上に各業者が協調せず作りまくったり出し渋ったり買い占めたり大量放出したりするせいで価格が乱高下しやすい
9 ななしのよっしん
2020/09/19(土) 11:21:14 ID: V7IKx3PPsM
ダイヤモンド歴史が長いから需要と供給がうまくコントロールされていて価格が安定してるね

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2021/03/04(木)15時00分 現在

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