信用貨幣論とは、通貨の成り立ちや通貨の定義に関する学説の1つである。
※日本の法律において「貨幣は金属を素材とする硬貨であり、通貨は紙幣と銀行券と貨幣を合わせた概念である」と定義されている。本記事ではできる限りその定義に従うことにする。
概要
定義
負債を記録したデータ(負債証明書)を信用貨幣論において通貨と定義する。
負債証明書のことを英語でIOUという。IOUは、「I owe you(私はあなたに対しての負債がある)」の略語である(辞書)。
発行した人が資産を譲渡することを約束した負債証明書が人から人へ渡っていくようになったら、その負債証明書を信用貨幣論における通貨と呼ぶのである。
負債証明書は発行した人にとって負債であり、入手した人にとって資産になる。負債と資産は対義語である。簿記や貸借対照表(バランスシート)の知識がわずかでもあるとそういう理屈を理解しやすい。
発行した人が律儀に資産を譲渡することが信用されていないと、その負債証明書は通貨として流通しない。発行した人への信用があると、その負債証明書は通貨として流通する。
手形や小切手を通貨の先駆と考える
負債証明書で馴染み深いのが手形や小切手である。信用貨幣論においては手形や小切手のことを一種の通貨と考える傾向がある。
また、歴史上で手形や小切手に酷似した負債証明書が見つかると「これは通貨の先駆けである」と論ずるのが信用貨幣論の特徴といえる。
信用貨幣論の長所
21世紀現在、日本においても世界においても、市中銀行(中央銀行以外の銀行)の提供する銀行預金が流通する通貨の大部分を占めている。ちなみに市中銀行が提供する銀行預金のことを預金通貨ともいう。
そういう銀行預金(預金通貨)の性質をきっちり説明できているのが信用貨幣論の長所である。
銀行預金は市中銀行の発行する負債証明書である。預金者にとって銀行預金は債権である。預金者が支払いを要求したら銀行は即時に紙幣や硬貨といった現金通貨を支払わねばならない。
信用貨幣論の短所
21世紀現在の世界を見渡すと、中央銀行の発行する不換銀行券を通貨として採用している国が大多数を占める。
その不換銀行券は中央銀行の負債として発行されているが、返済期限無期限であると同時に無利子であり、負債としての厳しさが皆無である。不換銀行券を所有する人は、発行した銀行に対して永遠に債権を主張できない。不換銀行券は、本来、所有する人にとって完全に無価値である。
「不換銀行券は負債のように見えるが実質的に負債ではない」と論じる学者すら存在する。小栗誠治滋賀大学経済学部教授がそうした見解を述べる学者を紹介している(資料)。
また、かつて先進国で発行されたことがある政府紙幣というのも負債性が極めて乏しい。政府紙幣は政府の資産として発行されるか、政府の返済期限無期限・無利子負債として発行されるかのどちらかである。前者なら信用貨幣論の定義から外れるし、後者だとすれば負債としての性質が極度に薄い負債である。
また、21世紀現在の日本で発行されている硬貨は、政府の資産として発行されており、信用貨幣論の定義から外れている。
以上のように、政府によって通貨と認定されている不換銀行券や政府紙幣や硬貨は、信用貨幣論で説明するのが難しい。言い換えると、現金通貨を信用貨幣論で説明するのが難しい。
現金通貨を説明するのは国定信用貨幣論か商品貨幣論のどちらかとなる。
人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る
人類学者が原始社会の物々交換を否定する
通貨の成り立ちに関する学説のうち最も有名なのは商品貨幣論である。その学説では「原始社会においては物々交換(barter)が行われていた。物々交換は不便なので、誰もが欲しがり価値を認める商品が交換の媒体として選ばれるようになった。それが通貨の起源である」と説明している。
この学説に対して人類学者たちが反論をするようになった。彼らによると、原始社会では物々交換が行われていなかったという。そのうちの1人がキャロライン・ハンフリーという英国の学者であり、彼女は1985年の論文でそう論じている。フランスのマルセル・モース、アメリカのジョージ・ドルトン、同じくアメリカのデヴィッド・グレーバーもそう述べている。
No example of a barter economy, pure and simple, has ever been described, let alone the emergence from it of money. All available ethnography suggests that there never has been such a thing.
物々交換から貨幣が生まれたという事例はもちろんのこと、純粋で単純な物々交換経済の事例さえ、どこにも記されていない。手に入れることができるすべての民族誌を見るかぎり、そうしたものはこれまでに1つもない。
-『21世紀の貨幣論(東洋経済新報社)フェリックス・マーティン』16~17ページより引用。先ほどのキャロライン・ハンフリーの文章を和訳したもの-
しかし、悩ましいのはそのようなことが実際に起こったという証拠がないことであり、むしろそんなことが起こっていないことの方を膨大な量の証拠は示していることである。
数世紀にもわたって研究者たちは、この物々交換のおとぎの国を発見しようと努力してきたが、だれひとりとして成功しなかった。
※資料・・・『21世紀の貨幣論(東洋経済新報社)フェリックス・マーティン』16~17ページ、『負債論 貨幣と暴力の5000年(以文社)デヴィッド・グレーバー』34~64ページ、英語記事1、英語記事2、キャロライン・ハンフリーの1985年論文
原始社会の経済
「原始社会では物々交換がほとんど行われていなかった」とするのが定説である。
では、ほしいものが手元に無い場合どうしていたかというと、借りパクしていたのである。借りパクされる側も、どうせ後で必要になれば勝手にもって行けばいいので気にしなかった。また、贈り物を頻繁にするという光景も良く見られた。必要なモノを共同所有(シェア)していたということである。
開拓初期のインディアンの風習の記録でも「りっぱなものを気前良くくれたが、それを大事に飾っていると独り占めするなと怒られた」というものがある。日本でも隣のおばちゃんが余った野菜や料理を気前良くくれたり、近所のおじさんが他人の家に上がって風呂に入りつつ(大量のお湯を沸かすのは、貴重な資材が多く必要だったし、重労働だった)帰り際におやつを失敬する、といったような昔話を聞いたことがあるだろう。
ロルナ・マーシャルというアメリカ人の人類学者がいて、アフリカのカラハリ砂漠のブッシュマンという部族を研究していた。現地協力者にナイフを贈ってそこを去り、1年後に戻ってみたら、その部族のほとんど誰もが一度はナイフを所有していたという。
個人限定の有体物の財産を明確に持たず、贈り物や借りパクで共同体中のモノが循環するのが原始的な経済の一つの形態だった。個人の所有権(物権)という意識が無かった。これを非市場経済という。この文化において通貨は存在しない。
そして、フランスの人類学者マルセル・モースが『贈与論』で語るところによると、原始共同体の中での贈与の周辺には、与える義務、受け取る義務、返礼の義務が発生しているのだという。つまり、債権と債務の関係が生じていると指摘している。「個人の所有権というものを意識しない原始共同体の段階から人類は債権と債務を意識していた」というわけである。
※資料・・・『贈与論(筑摩書房)マルセル・モース』103~109ページ、『負債論 貨幣と暴力の5000年(以文社)デヴィッド・グレーバー』45ページと54~55ページ、『日本史に学ぶマネーの論理(PHP研究所)飯田泰之』第2章貨幣の基礎理論を知る 2.負債としてのマネーと貨幣法制説
都市国家
人類の歴史は、原始共同体(集落)から都市国家になり、都市国家から領域国家になるのが一般的な傾向である。
農業などで人口が安定的に増えて共同体が大きくなり、原始共同体(集落)から都市国家になると、誰が誰にどれくらいの貸し借りをしたかわからなくなってくるので、借りパクで済ますというわけには行かなくなる。
そこで「後でこれを私に渡せばうちの品物と交換しますよ」という負債証明書を渡して品物を受け取るというシステムが現れたと推測されている。たとえば「麦農家のAさんが収穫のための鎌を新しく必要とするとき、Aさん収穫の麦30kgと交換できる負債証明書を渡して鍛冶屋のBさんから鎌をもらい、収穫後に鍛冶屋のBさんが負債証明書とAさんの麦30kgを交換する」という具合である。
この負債証明書は要するに手形である。
現代社会における手形が支払手段として使われているのと同様に、都市国家段階の古代社会における負債証明書も支払手段として使われていたのではないかと推測されている。Aさん一家から「Aさん発行の負債証明書」をもらった鍛冶屋のBさんは、鉄を加工するための薪が欲しくなった場合、林業農家のCさんに「Aさん発行の負債証明書」を手渡して支払いをすることができる。
メソポタミアの都市国家の遺跡からは、1~3cm程度の大きさで様々な形をした粘土製の物体が大量に出土している。これは考古学者たちの間でトークンと呼ばれていて「債権債務の記録に使われた」「債務者が負債証明書として債権者にトークンを渡した」と考えられている。
さらに、メソポタミアの都市国家の遺跡からはトークンを押しつけてできた跡がある粘土板が出土している。これも債権債務の記録に使われたと考えられている。「トークンを押しつけてできた跡は象形文字となり、のちの楔形文字の起源となった」とデニス・シュマント=ベッセラ教授は考えている。
さらに、メソポタミアの都市国家の遺跡からは、楔形文字を書き入れた粘土板が大量に出土している。その粘土板は、物の数量の記録に関するものが全体の85%ほどを占めている。その中には、負債証明書がいくつも見つかっている。
※資料・・・『メソポタミア文明入門(岩波書店)中田一郎』第3章文字と文書、『日本人が本当は知らないお金の話(ヒカルランド)三橋貴明』45~48ページ、『金融の世界史: バブルと戦争と株式市場(新潮社)板谷敏彦』19~30ページ、『負債論 貨幣と暴力の5000年(以文社)デヴィッド・グレーバー』60ページと324~329ページ
領域国家
人類の歴史は、都市国家から領域国家へ進んでいくことが一般的な傾向である。
都市国家は点と線の支配であり、狭っ苦しい。領域国家は面の支配であり、広い範囲に統治権力が及ぶ。
都市国家というのは豊かな人口過密地域だけに引きこもっている状態だが、領域国家というのは貧しい人口過疎地域を突っ切って縦横無尽に駆け巡る軍隊というものを擁して広域を支配する状態である。三国志を知っている方は、三国志における軍隊の活躍を思い出して頂きたい。
つまり、領域国家というのは軍隊の維持が最大の目標だった。軍隊を維持するため、軍需物資製造者や兵士に賃金を払わねばならない。ゴツい兵士には賃金の代わりに領土をくれてやって「好きなように領地で収奪・カツアゲするように」といってもいいが、軍需物資製造者にはそういう方法を採れず、なんらかの賃金を払わねばならない。
政府は軍需物資製造者や兵士に対し、あらかじめ徴税して倉庫に貯め込んでおいた財物(米、麦、布、絹など)を賃金として手渡すようになった。兵士や軍需物資製造者は、政府からもらった財物(米、麦、布、絹など)を農家に持ち込んで、野菜や果物や鶏肉といった好きなものと交換できた。なぜなら、農家は「来年納める物の代わりが手に入って、租税負担が減って楽になる」と考えるからである。
そういう形で賃金支払いを続けてきた政府は、もっとよい方法はないかと考えるようになった。米、麦、布、絹などは、変形したり腐ったりする可能性があり、ちょっと不便なのである。
そこで政府は、軍需物資製造者や兵士に与える賃金を金属でできた貨幣に切り替えることにした。金属というのは変形しにくく腐らないので、倉庫にいつまでも貯め込むことができる。金属でできた貨幣というのは、金貨、銀貨、銅貨、鉄貨、そして貝貨である。貝というのはカルシウムという金属でできている。
政府は、貨幣を軍需物資製造者や兵士に与えつつ、貨幣で納税することを領域国家の国民に強制することにした。人が関所を通ったときに人から貨幣を徴税し、商人が市場で店を開いたときに商人から貨幣を徴税し、農家が農作物を作ったときに農家から貨幣を徴税する。そうすることで、国民は納税のために貨幣の貯蓄に励むようになり、貨幣を欲しがるようになる。国民の皆が貨幣を欲しがるので、貨幣を使って財やサービスを交換できるようになる。
現物支給と貨幣支給は、政府にとってやることの順番が異なる。現物支給は先に徴税してその後に徴税した物品を賃金として支払うのに対し、貨幣支給は先に貨幣を賃金として支払ってその後に徴税する。
現物支給 | 貨幣支給 | |
給料として渡すもの | 米、麦、布、絹など | 金貨、銀貨、銅貨、鉄貨、貝貨 |
やることの順序 | 先に徴税し、徴税した物を賃金として支給する | 先に賃金として支給し、後に徴税する |
以上のように、「領域国家の政府が賃金として支払って徴税で回収するものが通貨である」という学説を国定信用貨幣論という。
さて、国定信用貨幣論のライバルに商品貨幣論というものがある。「通貨は市場に参加する全員が価値を認める一番人気の商品が変形してできたものである」という学説である。
領域国家の政府が兵士などの賃金として支給した現物は、通貨のように振る舞ったものがある。古代日本の米・布・絹、古代ローマの塩である。これらはすべて商品としての需要がある。
領域国家の政府が発行する貨幣は、金・銀のような貴金属や銅のような卑金属を鋳造した貨幣に集約されていった。そうした貴金属や卑金属は商品としての価値を持っている。
このため、商品貨幣論と国定信用貨幣論の激しい論争が起こるようになった。
商品貨幣論によると金貨が発行されたのは次のように説明される。
その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。
なるほど、金塊そのものに価値があることは間違いない。しかし「金塊そのものの価値」だけでは全国津々浦々に流通した理由が説明できない。「金塊なんてただ光るだけの金属じゃないか」という田舎親父もこの世に存在する。金塊に全く価値を感じない人も一定の割合で存在する。
金塊に全く価値を感じない人も金貨を受け取ったのは、やはり政府の権力の後押しがあったからだ。金貨で納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素があったから流通したのだ。
わざわざ金塊が政府に選ばれたのは、「錆びない、腐ったり劣化したりしない、鋳造する技術が必要で埋蔵量が少ないから偽造がしにくい、材料さえあれば均質なものを量産できる、宝飾品以外の実用的な使い道がなかった」などが考えられる。とくに「埋蔵量が少ないから偽造しにくい」というのが重要だ。
また、商品貨幣論によると、古代日本で布が貨幣として扱われたのは次のように説明される。
その一方で、国定信用貨幣論の立場からは、次のように反論される。
なるほど、布そのものに価値があることは間違いない。しかし「布そのものの価値」だけでは広く流通した理由が説明できない。布を全く欲しがらない人も一定の割合で存在する。
古代日本の税制は租庸調といい、その中に「布を納税せよ」という項目がある。布には、納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素、つまり付加価値があったから、貨幣として流通した。
布を納税する農家が柿や栗を生産していたとする。そのときに布を手渡せば、農家は「来年分の納税負担が減る。喜んで受け取りましょう」と言いつつ、柿や栗を差し出してくれるだろう。
以上のような論争が果てしなく続けられるようになった。どちらの主張もある程度説得力があるので、まったく決着が付かなかった。
不換銀行券の時代になって、商品貨幣論は説得力に陰りが見えるようになった。このため、国定信用貨幣論の説明がすこしだけ優勢になったと言える。
小切手・手形に類似した負債証明書の発達
洋の東西を問わず、領域国家の政府が発行する貨幣は、貴金属や卑金属といった金属を鋳造したものに集約されていった。
金属で出来た貨幣は、かさばると重くて運搬しづらい。大量の貨幣を持ち歩くと山賊などにひったくられる危険性が高まってしまう。
そこで、現代の小切手や手形に酷似した負債証明書が使われるようになった。
宋銭が流入する前の11世紀の平安時代は米・絹・布が貨幣のように振る舞っていたが、この米・絹・布を支払うことを約束した負債証明書が発行されていた。これを切符系文書という。これは小切手や一覧払い手形に近い。現代における小切手や一覧払い手形は、それを振り出した人に渡すとその期日が自動的に支払期日になるものである。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて宋銭が大量に流入した後、鎌倉時代に割符(さいふ)というものが商人の手によって発行されるようになった。「一定の期日の後にこの証文を持ち込んで頂ければ、銭十貫文と交換いたします」と書かれていて、まるっきりの手形だった。
また、寺や神社が祠堂銭を集めてそれを商人に預け、商人が祠堂銭預状という負債証明書を発行して寺や神社に渡していた。こちらは小切手や一覧払い手形に近い。
江戸時代になると、伊勢の国(三重県)の商人が羽書(はがき)を発行し、藩が藩札を発行し、旗本が旗本札を発行した。これらは幕府の発行する金貨・銀貨・銅貨との交換を保証している負債証明書である。羽書は小切手や一覧払い手形に近い。ただし、藩札と旗本札は金貨・銀貨・銅貨との交換を断られることがあり、小切手や一覧払い手形というよりは軍票に近い存在であり、国定信用貨幣論で説明した方がいいかもしれない。
※この項の資料・・・『通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで(中央公論新社)高木久史』、『日本史に学ぶマネーの論理(PHP研究所)飯田泰之』
金匠が発行する負債証明書
イギリスで金貨が流通すると、商人が大量の金貨を保有するようになった。ただ、金貨を自宅に保管しておくと、どうしても盗難の危険が高くなる。
金匠(金細工職人。英語でゴールドスミスという)は堅牢な金庫を持っていたので、商人たちは金貨を金匠に預け、代わりに金匠受領書(ゴールドスミス・レシート goldsmith receipt)を受け取るようになった。金匠受領書を持ち込めば、額面通りの金貨を引き出すことができる。
商人たちは、取引先に金貨を支払う場合、金匠から金貨を引きだして支払うのが面倒になってきた。金貨を持ち運ぶこと自体が危険だからである。そのため、商人たちは紙切れを発行し始めた。その紙切れは金匠宛の依頼書で、「私が預けている金貨の名義を、私からこの依頼書の所有者に代えてくれ」という内容のものだった。
この依頼書のことを金匠宛手形(ビル・アポン・ゴールドスミス bill upon goldsmith)という。この金匠宛手形での支払いが盛んに行われるようになった。
最も古い金匠受領書は1633年発行のもので、1650年代には金匠宛手形が発行され始め、1680年には金匠宛手形での決済が盛んに行われていることに驚く日記が見つかっている。
金匠宛手形は発行した人物にとって負債証明書であり、金匠宛手形を保有している人物への債務が宿っている。
そしてさらに興味深い現象が起こりはじめた。
金匠は「これからは金匠受領書(預り証)を譲渡可能にすればいいんじゃないか」と思いついた。金匠受領書に「これを持参した人物に対して、金貨を支払う」という表現を書き込んだ。
こうした譲渡可能な金匠受領書を金匠手形(ゴールドスミス・ノート goldsmith note)という。金匠手形は便利なので、金匠の近くの地域経済で支払い手段として使われるようになった。
先ほどの金匠宛手形は多種多様な商人たちが発行していた。このため券面の書き方にもちょっと違いがあり、受け取る人たちにとってはすこし注意が必要であった。
一方、金匠手形の発行者は、金匠ただ1人である。その金匠手形はどれも画一的な券面の書き方であり、受け取る人にとって慣れてしまえば扱いやすい。金匠手形が広まった方が地域経済にとって便利だった。このため金匠手形が広まっていった。
金匠手形もまさしく負債証明書であり、金匠手形を所持している人物への債務が宿っている。
そして画期的な現象が起こりはじめた。
金匠に対して「金貨を貸してください」と言ってくる商人は多かった。金匠が金貨を貸そうとすると、「いえ、金貨は盗難の危険があるので受け取りたくありません。金匠手形だけ発行してくれれば良いのです。支払いも金匠手形で行いますから」というので、金匠手形の発行だけで貸し出しを済ますようになった。もちろん、商人からの利子・元本返済は金貨で受け取ることにする。
あるとき、金匠は、自分の金庫から金貨を引き出そうとする人物がめったに現れないことに気が付いた。「自分の金庫に眠っている金貨の量よりも多い貸し出しをしても、大丈夫なんじゃないか」と思い始め、借金を申し込んでくる人が現れるたびにどんどん金匠手形を発行していった。
いつしか金匠は、保有している金貨の20倍ほどの金匠手形を発行するようになったが、発行しすぎで破綻することは無かったという。
以上が、ヨーロッパにおける発券銀行の成り立ちに関する昔話である。1694年にイングランド銀行が設立されて紙幣(銀行券)を発行するようになったが、金匠手形を手本としたという。1844年にイングランド銀行がイギリス国内における紙幣発行業務を独占するようになり、中央銀行となった。
イギリスだけでなくどこの国においても、19世紀頃まで多くの民間銀行が勝手に紙幣を発行していたが、だんだんと1つの銀行に統合されていった。1つの国で紙幣発行権を独占する銀行を中央銀行という。中央銀行は政府と非常に深い関わり合いになる。
※資料・・・『マネー文明の経済学―膨張するストックの時代(ダイヤモンド社)関岡正弘』84~91ページ、『中央銀行の形成―イングランド銀行の史的展開(多賀出版)藤田幸雄』45~51ページ。『マネー文明の~』は、『中央銀行の~』から引用している。
銀行の信用創造で作られる銀行預金
先ほどの昔話の中で、金匠のもとへ借金を申し込む人が現れるたび、金匠は手持ちの金貨よりずっと多くの金匠手形を発行していた。それと同じことを現代の銀行も行っている。
銀行預金は人が銀行から借りるときに生まれている。そして、意外なことであるが、銀行は保有する資金と無関係に銀行預金を作ることができる。これを信用創造という。
Aさんという人が民間銀行から住宅購入資金の融資を受けるとき、銀行はAさんの銀行口座の預金残高の数字を書き足すことで融資する。Aさんは預金残高を減らし、住宅販売会社の預金残高を増やして、そうやって支払いを済ませて住宅を購入する。住宅販売会社がAさんと同じ銀行に口座を持っている場合、民間銀行は手持ちの資金を一切減らさずに済ますことができる。銀行が資金を持たずに信用創造でいくらでも預金を創造できるのはこのためである。
現代において、現金通貨の10倍近くの量が預金通貨(銀行預金)として流通しており、経済活動の主役となっている。
預金通貨は、銀行が万年筆で帳簿の数字を変更したりパソコンのキーボードを叩いたりするだけで増えるので、預金通貨は万年筆マネーとかキーストロークマネーといわれる。
もちろん、銀行預金は、銀行にとっての負債証明書である。銀行は、銀行預金の所持人に対して現金通貨(紙幣・硬貨)を即時に支払う債務を負っている。
1970年アイルランド銀行閉鎖事件
通貨というのは負債である、という信用貨幣論を裏付ける事件が1970年に発生したので、紹介しておきたい。
1970年5月1日、アイルランドの銀行業界でストライキが起こった。このときのアイルランドは高率のインフレに悩んでおり、職員の待遇改善を求める労働組合がストを決行した。
それから約6ヶ月間、アイルランドの銀行は閉鎖されっぱなしだったが、なんと、たいした混乱もなくアイルランド経済は機能し続けており、統計によると経済の水準も上がり続けたという。
アイルランド人たちはどうしたかというと、個人個人が小切手を発行して支払いをしていた。アイルランド・ポンドで値が付いている自動車を買うとき、その額の小切手を発行していたのである。自動車販売会社は小切手を発行した人の支払い能力をわりと簡単に調べることができた。その購入希望者が立ち寄るパブ(イギリスやアイルランドの酒場)に行き、そこの主人に購入希望者の支払い能力を尋ねるだけだった。アイルランドはパブでビールを飲んで交流するという文化が残っていたのが幸いした。パブの主人は、その周辺の人々の支払い能力をだいたい把握していたのである。
こうして、支払い能力がある人の小切手だけが受け取られた。この小切手が銀行閉鎖最中における通貨となった。
小切手とは「これを銀行に持ち込めば私の口座から引き出して現金にすることができます」という負債証明書である。「通貨は負債である」という信用貨幣論の定義通りの現象だったと言える。
※資料・・・『21世紀の貨幣論(東洋経済新報社)フェリックス・マーティン』32~39ページ
電子マネー
プリペイド式電子マネーは通貨の一種
21世紀になって各国で急速に普及している電子マネーは発行する企業の負債証明書であるので、信用貨幣論において通貨の一種と扱われる。
電子マネーの中でも特にプリペイド式電子マネーは典型的な発行企業の負債といえる。プリペイド式電子マネーは、利用者が先に現金通貨などでチャージして電子マネーの額を増やしてから商品購入などに利用するものである。
様々なプリペイド式電子マネー
プリペイド式電子マネーには次のようなものがある。
Suicaなどの交通系電子マネーやWAONなどの流通系電子マネーが典型的なプリペイド式電子マネーである。
インターネットの決済に使用できるWebMoneyやPayPalもプリペイド式電子マネーといえる。
インターネット販売サイトが発行し、そのインターネット販売サイトの中でのみ使用できるポイントというものがある。Amazonが発行するAmazonギフト、DMMが発行するDMMポイント、楽天が発行する楽天スーパーポイントなどである。これらもプリペイド式電子マネーといえる。
プリペイド式電子マネーのチャージ
プリペイド式電子マネーにチャージを行い、電子マネーの額を増やすには、おおよそ3種類の方法がある。日本銀行券や硬貨といった現金通貨を支払ってチャージする方法と、銀行預金を払ってチャージする方法と、クレジットカードで支払ってチャージする方法である。
いずれの方法でも、電子マネー発行企業の貸借対照表(バランスシート)の資産の部は、金額が増える。現金が増えたり、銀行預金が増えたり、クレジットカード企業への金銭債権が増えたりする。
電子マネー発行企業は、資産の部の金額増加に対応して、電子マネーという負債を発行する。
プリペイド式電子マネーの定義
電子マネーというものは、発行企業にとっての負債である。発行企業は、加盟店に電子マネーを差し出されたら、即時に現金通貨や銀行預金に交換しなければならない。要求されたら即時に交換する負債を一覧払い負債とか要求払い負債といい、負債の中でも厳しい部類に入る。
ただし、利用者が電子マネーを発行企業に提示しても、発行企業は現金や銀行預金に交換する義務がない。電子マネー発行企業は、加盟店が電子マネーを差し出してきたときのみ対応する。
Aさんが1万円の現金通貨を払ってSuicaに1万円をチャージしたとする。そうすると、もうAさんは、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要求できなくなる。
Aさんは、Suicaを扱う加盟店で、Suica1万円を使って1万円の商品を購入できる。
Suica1万円を購入者から受け取った加盟店は、Suicaの発行企業であるJR東日本に対して「1万円を引き出したい」と要求できる。
ゆえに、プリペイド式電子マネーは、次のように定義できる。
プリペイド式電子マネーは、発行企業にとっての一覧払い負債である。発行企業は電子マネーを提示する加盟店に対して、即時に現金通貨・銀行預金に交換しなければならない。ただし、利用者に対しては、現金通貨・銀行預金に交換する義務がない。
このように、プリペイド式電子マネーはすこし特殊な負債と表現できる。現金通貨・銀行預金に交換する義務を果たす相手は加盟店だけに限定されている。
「人類史を信用貨幣論と国定信用貨幣論で振り返る」の項目を貸借対照表で分析する
原始共同体
原始共同体というものは、共同体の構成員たちが相互に借りパクすることで成立している。
原始共同体の中で、弓を作るのが上手いAさんが弓を1つ持ち、サンダルを作るのが上手いBさんがサンダルを1足(1セット)持っていて、AさんがBさんのサンダル1足を借りパクするとする。
弓を作るのが上手いAさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。
借りパクする前のAさん | 借りパクした後のAさん | |||
資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | |
弓1つ | 要求があったら弓1つを差し出す債務 | 弓1つ | 要求があったら弓1つを差し出す債務 | |
サンダル1足を要求する債権 | サンダル1足 | 要求があったらサンダル1足を差し出す債務 |
サンダルを作るのが上手いBさんの貸借対照表は、借りパクを境として次のように変化する。
借りパクされる前のBさん | 借りパクされた後のBさん | |||
資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | |
サンダル1足 | 要求があったらサンダル1足を差し出す債務 | サンダル1足を要求する債権 | ||
弓1つを要求する債権 | 弓1つを要求する債権 |
このように、AさんもBさんも、資産の部と負債の部の両方が変化している。「借りパクで成立している原始共同体」は、全ての構成員が債権・債務と隣り合わせになって生きており、全ての構成員が頻繁に債権・債務を背負う世界である。構成員同士の付き合いがドロドロしていて濃密である。
都市国家
原始共同体の次の段階を都市国家といい、生産が豊富な土地にみんなで住み着いている状態である。
都市国家のなかで西側に住んでいる弓職人のAさんと、都市国家のなかで東側に住んでいるサンダル職人のBさんは、互いの住居が遠いこともあって、あまり親しくない。家が遠くなって付き合いが疎遠になると、それに応じて信用が落ちていき、借りパクで済ますことができなくなる。債権・債務を何かに記録して証拠として残すという世知辛いことをし始める。
弓職人のAさんが「3ヶ月後以降にこれを我が家に持ち込むと弓を作ってあげますよ」という意味の負債証明書を作成し、サンダル職人のBさんに手渡して、Bさんからサンダル1足を受け取るとする。
弓職人のAさんの貸借対照表は、負債証明書の発行とそれによるサンダル購入によって、次のように変化する。
サンダル購入前のAさん | サンダル購入後のAさん | |||
資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | |
サンダル1足 | 期日以降に弓1つを差し出す債務を記した負債証明書 |
サンダル職人のBさんの貸借対照表は、負債証明書の受け取りとそれによるサンダル売却によって、次のように変化する。
サンダル売却前のBさん | サンダル売却後のBさん | |||
資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | |
サンダル1足 | 期日以降に弓1つを要求できる債権を記した証明書 |
このように、AさんもBさんも、だいぶ貸借対照表が簡素である。原始共同体から都市国家になって、人同士の距離が離れて人同士の付き合いが淡泊になると、債権・債務の量が減って貸借対照表がすっきりしたものとなっていく。
領域国家
都市国家の次の段階を領域国家という。政府が軍隊を保有し、生産が豊富な人口過密地を飛び出し、生産が乏しい人口過疎地を突っ切り、他の領域国家と国境を接して睨み合うものである。
政府は通貨を発行し、それを民間人に支払って人員と物資を調達して軍隊を編成する。最後に徴税をして通貨を民間人から吸収する。
政府の貸借対照表は、次のように変化していく。1年を終えたら「政府その1 通貨発行」に巻き戻る。
※「政府は通貨を資産として発行する」という考え方と、「政府は通貨を返済期限無期限・無利子の負債として発行する」という考え方がある。この項目では前者の考え方を採用した。
政府その1 通貨発行 | 政府その2 軍隊整備 | 政府その3 徴税 | |||||
資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | ||
徴税して得た通貨と、新規発行した通貨 | 体を張って外敵を迎撃する義務 | 人材や軍需物資(軍隊) | 体を張って外敵を迎撃する義務 | 人材や軍需物資(軍隊) | 体を張って外敵を迎撃する義務 | ||
徴税権(通貨を要求する債権) | 徴税権(通貨を要求する債権) | 徴税して得た通貨 |
国民の貸借対照表は、次のように変化していく。1年を終えたら「国民その1 物資の生産」に巻き戻る。
国民その1 物資の生産 | 国民その2 通貨獲得 | 国民その3 納税 | |||||
資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | 資産の部 | 負債の部 | ||
外敵から身を守ってもらう権利 | 納税義務(通貨を支払う義務) | 外敵から身を守ってもらう権利 | 納税義務(通貨を支払う義務) | 外敵から身を守ってもらう権利 | |||
生産して得られる物資 | 政府に軍需物資を売って政府から受け取る通貨 | 納税した後に残る通貨 |
政府というものは、全ての国民にとって「すぐ近くに住んでいる隣人」である。原始共同体の構成員たちが濃密な付き合いをして債権・債務の関係を作り上げるのと同じように、領域国家の国民と政府も濃密な付き合いをして債権・債務の関係を作り上げる。
政府は全ての国民に対して「納税しなさい」と迫ってくる。国民にとって政府はなんとも暑苦しい存在である。
全ての国民は政府に対して「外敵から自分たちを守れ」と迫っていく。政府にとって国民は暑苦しい存在である。
政府は憲法によって体を張って外敵から国民を守る負債を負い、憲法によって国民から徴税する債権を持つ。
国民は生まれながらにして納税義務という負債を負い、政府に対して外敵から守ってもらえるように要求する債権を持つ。
先天的な負債の存在を認める信用貨幣論・国定信用貨幣論
商品貨幣論と親和性が高い「物々交換こそが経済の原型である」という思想は、「人というのは先天的な負債や債権を持ってない」という思想を生み出しやすい。詳しくは商品貨幣論の記事を参考のこと。
一方、信用貨幣論や国定信用貨幣論は「人というのは先天的な負債と債権を持っている」という思想と親和性が高い。
人と人の距離で決まる経済の形態
3つの形態がある
経済の形態というものは人と人の距離によって決まっていく。そうした経済の形態はおおむね3つに分けることができる。
借りパクで成立する経済
人と人の物理的な距離や心理的な距離が近いとき「借りパク・互酬で成立する経済」になる。
「俺のモノはお前のモノ、お前のモノは俺のモノ」といった調子で物事が進んでいく。個人の物権(所有権)という観念は非常に薄く、集団によってモノを共同所有し、集団の中でモノが行ったり来たりして循環する。
債権・債務が多重に存在し、全ての構成員が負債を負い、全ての構成員が債権を主張する。個人の債権という観念が極めて濃い経済であり、この経済において財産権といえば債権である。
債権・債務の関係の量がとても多いので、負債証明書を作っている暇がない。また、相互に「この人は必ず自分の債権を尊重するだろう、債務を履行するだろう」と高く信用するので、負債証明書を作る必要も無い。双方の記憶によって成立する口約束で貸し借りを行う。
人類学者の多くは「原始共同体は借りパク・互酬で成り立っていた」と論じている。当然のことながら、原始共同体は人と人の距離が非常に近い。家庭も「借りパク・互酬で成立する経済」と言っていいが、これも人と人の距離がとても近い。昭和時代前半以前の日本の下町でも「借りパク・互酬で成立する経済」が多く見られた。昭和時代前半以前の日本の下町というのは建物の壁が薄く、隣近所がなにをしているのか丸聞こえで、プライバシーなど全くない状況だったので、人と人の距離が近い環境だった。
負債証明書が飛び交う経済
人と人の物理的な距離や心理的な距離がやや遠くなると、相互に「この人は自分の債権を尊重しないかもしれない、債務を履行しないかもしれない」と疑い始め、相互の信用が下落していく。貸し借りをするときは口約束を戒め、負債証明書をきちっと発行することを求めるようになる。これが「負債証明書が飛び交う経済」である。
メソポタミアの都市国家がこの典型例と言える。
昭和時代の後半になると建物の壁が厚くなり、隣近所がなにをしているのかよくわからなくなり、プライバシー権が守られる状況になった。こうして人と人の物理的距離が近くても心理的距離が遠いことが多く発生する環境になった。昭和時代の後半以降は「隣は何をする人ぞ」という松尾芭蕉の俳句の言い回しを真似しつつ、隣人との心理的な距離の遠さを嘆くようになった。
即時払いの交換をする経済
人と人の物理的な距離や心理的な距離ががものすごく遠くなると、相互に「この人は自分の活動範囲をはるかに超えた遠いところに住んでいる。自分はこの人の実態を調べることができない。この人が自分の債権を尊重しなかった場合、つまりこの人が債務を履行しなかった場合、自分はどうすることもできず、泣き寝入りするしかない」と思うようになり、相互の信用が完全に消滅する。相手の負債を一切信用せず、「即時払いじゃなきゃダメだ。今すぐ支払ってくれ」と要求する。
国際貿易をする商人同士は、この「即時払いの物々交換経済」を形成することになる。とても遠いA国からやってきた商人が「代金は次回来たときに支払う。その証拠に負債証明書を差し上げよう。だから品物を渡してくれ」といっても、言われたB国在住商人は「自分はあんな遠いA国に行く気力と財力がない」と思い、要求を断固として拒否することになる。
債権・債務が全く存在せず、全ての構成員が物権(所有権)を主張するようになる。個人の物権(所有権)という観念が極めて濃い経済であり、この経済において財産権といえば物権である。
日本の平安時代末期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われた。九州の博多に宋王朝の沿岸都市から商人が船でやってきて、博多の日本商人と取り引きをする。そういう場所では物々交換という即時決済の交換が行われた。決済として使われたのは金塊や銀塊だったという。
3形態の比較
即時払いの交換経済 | 負債証明書経済 | 借りパク経済 | |
典型例 | 物々交換をする国際貿易の商人 | メソポタミアの都市国家 | 原始共同体、家庭、昭和時代前半までの日本の下町 |
人と人の物理的・心理的な距離 | とても遠い。相手の本拠地に行って相手の様子を確認することが難しい。 | 近すぎず、遠すぎず、の状態。相手の本拠地に行って相手の様子を確認することが可能である。 | 近い。相手と同居しているか、それに等しい状態。 |
債権・債務の量 | 全く存在しない。相手は遠い国の出身者であり、一切の信用を置くことができず、債権を持てない | 相手の様子を見て、「これなら大丈夫そうだな」と思ったときのみ信用する。条件付きで信用し、債権を絞り込む。債権・債務の量は少ない | とても多く、煩雑である。貸借対照表に書ききれないほど多い。 |
個人の債権の観念 | ない。相手は遠い国の出身者であり、一切の信用を置くことができず、債権を持てない | ある | ある |
個人の物権の観念 | ある | ある | ない。モノを独り占めすることが許されず、気前よく譲り渡すことが求められる |
代表的な財産権 | 物権 | 物権と債権の両方 | 債権 |
信用貨幣論と商品貨幣論の違い
信用貨幣論というのは「原始共同体は借りパク経済である」と主張する思想である。「借りパクで成り立つ原始共同体から始まり、人々の活動範囲が広がるにつれて『負債証明書が飛び交う経済』になり、さらに人々の活動範囲が広がって国際貿易をするようになって『即時払いの交換経済』が導入されるようになった」と考えるものである。さらにいうと「債権こそが経済を考える上での出発点なのだ」と考える思想である。
一方で、商品貨幣論は全く逆であり「原始共同体は物々交換経済である。つまり即時払いの交換経済である」と主張する。「物々交換で成り立つ経済が人類の経済の原型であり、そこから物々交換の不便さを打ち消すための貨幣というのが誕生し、さらに『負債証明書が飛び交う経済』に進んでいった」というのである。さらにいうと「物権こそが経済を考える上での出発点なのだ」と考える思想である。
このように、信用貨幣論と商品貨幣論は真逆の思想と言える。
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筆者は中野剛志で、政治経済思想を専門とする学者である。商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用語を使って貨幣論を分類している。54~67ページに貨幣論についての文章がある。
『富国と強兵』とはうって変わって平易で親しみやすい文体になっている。87~109ページに信用貨幣論や信用創造についての文章がある。イングランド銀行季刊誌2014年春号を引用して信用貨幣論を解説しており、非常に分かりやすい。
商品貨幣論を否定する立場から書かれている。かといって国定信用貨幣論の信奉者でもない。民間人が発行する信用貨幣の例を熱心に取り上げている。
作者は人類学者。この本は後述の『負債論』にも影響を与えている。
原始社会の共同体内において、贈与と収受が盛んに行われていることを示している。太平洋に浮かぶ島々や北米大陸の例を豊富に紹介している。
原始社会の共同体内の物々交換についてはやんわり否定している。87~88ページ、92ページ、98ページ、271ページなどに書かれている。
後世への影響が大きい名著であり、日本語版Wikipediaにも記事がある。
作者は人類学者。原始社会において、『共同体の中における物々交換』がなかったことを論じている。
「原始社会で物々交換が起こるとすれば2度と会うこともないようなヨソ者同士であり、暴力をみなぎらせた緊張をはらんでいる」と46~53ページで論じている。アダム・スミスが想像したような雰囲気とは異なっている。
「昔の国は常備軍を維持することが大きな悩みの種だった。常備軍に硬貨を配布してそれと同時に国内の全世帯に『硬貨で納税すべし』と布告するだけで国民が軍隊を進んで養おうとするようになる」と75ページで解説している。これは国定信用貨幣論と同じ考え方と言える。
作者は商学を専門とする学者。
121~221ページの後編において、信用貨幣論に基づいた貨幣論を述べている。メタリズム(商品貨幣論)について一貫して批判的な論調となっている。
学者らしい堅い言い回しが多く、いかにも学術書といった感じになっている。
作者は中田一郎で、東洋史(西アジア・中東)の学者。中央大学名誉教授。
古代メソポタミアのことを手広く解説しており、読みやすい。
作者は三橋貴明。中小企業診断士の資格を持っている人で、貸借対照表(バランスシート)を読み解く能力に優れている。このため、信用貨幣論を深く理解できた。
作者は、証券業界で長年働いていた人。金融に関する豆知識をずらっと並べたような本で、世界史が得意な高校生なら読み込むことができるだろう。
貨幣論についてはあまり深く踏み込んでいない。
日本中世・近世史を専門とする学者である高木久史が書いた本。
無文銀銭から現代の通貨まで手広く解説している。文章が読みやすい。貨幣論についてはあまり深く踏み込んでいない。
マクロ経済学を専門とする学者である飯田泰之が書いた本。
無文銀銭から江戸時代末期までを広く解説している。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはなんだったのか」という論点を語っている。
国定信用貨幣論信奉者の一部が支持する「貨幣は政府の負債」という表現を繰り返している。それと同時に商品貨幣論の視点も維持して考察している。
作者は関岡正弘という人で、1932年に生まれ、石油関連産業に長く在籍した。
作者は藤田幸雄で、1982年に経済学研究科の博士課程を修了し、銀行論と現代銀行史を専攻する学者である。
関連リンク
- イングランド銀行季刊誌2014年春号「現代社会における貨幣の紹介」(貨幣とは負債である、と明言している。使用しているブラウザがInternetExplorerの場合、このリンクの上で右クリックして「対象をファイルに保存」を選ぶとPDFファイルを保存できる。使用しているブラウザがGoogle ChromeやFirefoxの場合、このリンクの上で右クリックして「名前を付けてリンク先を保存」を選ぶとPDFファイルを保存できる。自分のパソコンに保存したPDFファイルをGoogle翻訳で読む場合は、このページを開いて「パソコンを参照」のボタンを押してPDFファイルを指定すれば良い)
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